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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第2章

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「魔力反応、消失」


 その文字を書き終えたところで、アリアはペンを止めた。


 正確ではない。

 だが、他に記す言葉が見つからなかった。


 机の上には、外部実習に関する報告書が積まれている。

 数値、地形、時系列、関係者。

 どれも整然としているはずなのに、この一文だけが異様に浮いていた。


 魔力反応が消えた。

 まるで、最初から存在しなかったかのように。


 そんな事例は、記録上ほとんど存在しない。


 ペン先を置いたまま、アリアは一度だけ目を伏せる。

 脳裏に浮かんだのは、報告対象の名だった。


 【ナギ】


 外部実習に参加していた生徒の一人。

 中級精霊契約者。

 特筆すべき戦績があったわけではない。


 少なくとも、あの場に至るまでは。


 肉体的損傷は確認されていない。

 骨折、裂傷、内臓損傷――いずれも該当せず。

 魔力回路も安定しており、回復術の対象になるような異常はなかった。


 だが。


 精霊の気配が、ない。


 測定器は沈黙し、感知魔法も反応しない。

 契約精霊を失った場合に見られる反動バックラッシュも存在しない。


 消失ではない。

 しかし、存在しているとも言い切れない。


 その中間。

 理屈として成立しない空白状態が、確かにそこにあった。


 アリアは報告書に視線を戻しながら、ゆっくりと続きを書き足す。


 ――当該生徒は、事情聴取に応じている。

 ただし、事案発生時の詳細説明は困難と判断。


 ここで、再び手が止まった。


 「困難」。

 それは、あまりに事務的な表現だった。


 実際には、もっとはっきりした兆候があった。

 声が詰まり、視線が揺れ、言葉を探す前に沈黙が訪れる。


 記憶が欠けているわけではない。

 忘れているわけでもない。

 触れること自体が、重いのだ。


 アリアは王級として、多くの事象を見てきた。

 戦闘後の疲弊。恐怖による混乱。

 それらとは、どこか違う。


 あれは――

 喪失に近い反応だった。


 失ったと、まだ認めきれていない何か。

 それでも、確実に手の届かない場所へ行ってしまったもの。


 アリアは、報告書の行間に視線を落とす。


 当該生徒は、療養措置とする。

 外部実習および戦闘行動からの一時離脱。


 この判断に、異論は出なかった。

 それ自体が、事態の深刻さを物語っている。

 誰も「すぐに復帰できる」とは言わなかった。


 精霊の状態については、限定的な情報のみが共有されている。

 消失ではない。破壊でもない。

 ただし、現時点では当該生徒による感知・呼応は不可能。


 詳細な所在および管理状況については、

 当該報告書の管轄外。


 ――管轄外。


 その言葉を書きながら、アリアはわずかに眉を寄せた。


 理解できないからではない。

 理解してしまったからだ。


 これは、学院の手を離れている。

 そして、その事実を誰も否定しなかった。


 表向きの処理は、暴走事故による収束。

 外部実習中に発生した想定外事案。

 だが、内部的には――未解決。


 終わったとは、とても言えない。


 報告書の最後に、アリアは一文を書き加える。


 本事案は、今後の動向を注視する必要がある。


 ペンを置き、深く息を吐いた。


 窓の外は、いつもと変わらない学院の風景だ。

 静かで、平穏で、何も起きていないように見える。


 けれど。


(……あれは、ただの事故じゃない)


 確証はない。

 だが、王級としての勘が、静かに警鐘を鳴らしていた。


 この件は、ここで終わらない。

 そして――


 次に動くのは、

 あの場で、最も“何も語らなかった”人物だ。


 アリアは、静かに報告書を閉じた。



 療養棟の廊下は、やけに静かだった。


 外部実習の前線拠点とは違う。

 人の気配はあるはずなのに、足音も、話し声も、どこか遠い。


 ミナは、胸元で書類を抱えたまま、無意識に歩調を落としていた。

 隣を歩くエルドも、同じだった。


 剣を帯びていない姿のエルドは、いつもより少し小さく見える。

 それだけで、この場所が「戦場ではない」のだと、嫌でも思い知らされた。


 ――ナギは、この奥だ。


 魔力の測定値は、正常。

 外傷もない。

 身体的には、問題はない。

 報告書には、そう書かれていた。


 だが。


 ミナの足は、ある部屋の前で完全に止まった。


 扉の横に設置された札。

 簡素な文字で、こう記されている。


 《面会不可》


 一瞬、視線がそこに縫い止められる。


 理由は、分かっていた。

 説明も、不要なくらいだ。


 精神的ショックによる魔力不安定。

 過度な刺激は、回復を阻害する恐れあり。


 形式ばった文言の裏にあるのは、

 「今は、誰にも会わせられない」という、ただそれだけの事実。


 ミナは、喉の奥で小さく息を詰まらせた。


 昨日まで、同じ場所を歩いていた相手だ。

 隣で話して、笑いあって。

 それなのに、今は――扉一枚の向こう側にいても、会うことすら許されない。


「……」


 エルドは、何も言わなかった。

 ただ、扉を一度だけ見て、それから静かに視線を落とした。

 言葉にする必要がないほど、この状況を理解している顔だった。


 ミナは、そっと扉に近づく。


 ノックはしない。

 許可も、求めない。

 ただ、そこに立つ。


(……ナギさん)


 声には出さない。

 出せば、何かが壊れてしまいそうだった。


 ここに来る前、何を言うか考えていた。

 「無事でよかったです」とか、「すぐ元気になります」とか。

 でも、それらは全部、この扉の前では意味を失った。


 言葉を届ける段階にすら、いない。

 それが、現実だった。


 ミナは、ゆっくりと一歩下がる。


「……今日は、ここまでだな」


 エルドの声は、低く、淡々としていた。

 だが、拒絶ではない。

 むしろ、これ以上踏み込ませないための、区切りだった。


 ミナは、小さく頷く。

 視線は、最後まで扉から離れなかった。


 何も起きない。

 物音ひとつ、しない。

 中にいるナギが眠っているのか、目を開けて天井を見ているのか――それすら、分からない。


 分からないまま、背を向ける。


 廊下を歩き出した瞬間、胸の奥に、重たいものが落ちた。


 これは、別れではない。

 だが、再会でもない。


 “待つしかない時間”が、始まったのだと。

 ミナは、そう理解した。


 振り返らずに歩く。

 振り返れば、きっと、立ち止まってしまうから。


 療養棟の廊下は、最後まで静かなままだった。

 

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