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森を駆けながら、ミナは何度も測定器を確認していた。
水晶盤の針は、先ほどまで確かに振れていた。
C区とは思えない異常数値。
暴走した精霊由来の、特級クラスの反応。
それを、追っていたはずだった。
「……おかしいです」
思わず、声が漏れる。
針が、動かない。
――いや、違う。
“元に戻った”わけじゃない。
ゼロでもない。安定でもない。
ただ、そこに反応が存在しない。
「……消えた?」
ありえない。
あの規模の魔力が、急激に収束することはあっても、痕跡ごと消失するなど、聞いたことがない。
ミナは立ち止まりかけた足を、無理やり前に出した。
(そんなはず……ない……)
ふと、周囲の気配に違和感を覚える。
前を走っていたアリアが、足を止めていた。
隣のアリスも、同じように立ち尽くしている。
二人とも、測定器を見ていない。
ただ、森の奥を――“何かを確かめるように”見つめていた。
「……アリアさん?」
呼びかけると、少し遅れて視線がこちらに向く。
その表情は、困惑でも警戒でもない。
理解を拒否された――そんな顔だった。
「……感じない?」
アリスが、短く言う。
ミナは、息を呑んだ。
「……はい」
魔力として、感知できない。
数値にもならない。
それなのに――“何かが起きた”ことだけは、肌感覚として分かる。
「先ほどまでの強い魔力が、嘘みたいに感じられません」
暴風の前兆だったはずの空気は、不自然なほど静まり返っていた。
嵐の後ではない。
嵐そのものが、最初から存在しなかったかのような、人工的な静けさ。
「……終わったのか?」
アリスの言葉に、誰もすぐには答えなかった。
少しして、アリアが低く言う。
「……ええ、恐らくは」
理由は、語られない。
語れないのだと、ミナは悟った。
説明できる魔力じゃない。理解できる現象でもない。
それでも――
“裁定が下された”。
そんな厳粛な感覚だけが、全員に共有されていた。
(……ナギさん……)
胸の奥が、嫌な予感で締め付けられる。
測定器を握る指が、僅かに震えた。
数値も、反応も、指標もない。
(……無事でいてください)
「近いです。急ぎましょう」
アリアの言葉に合わせて、三人は再び動き出した。
◆
「……いた」
森の奥へしばらく進むと、王級の二人は足を止める。
ミナも合わせてその場で止まる。
「……あれは、なんだ?」
アリスの声は、低く抑えられていた。
視線の先。
倒木と砕けた岩の向こうに、人影が見える。
三人。
立っている者が二人。
そして――座り込んでいる、一人。
「……ナギさん……?」
ミナは、思わず名を口にしていた。
距離はある。だが、見間違えるはずがなかった。
エルド。
シオン。
そして、ナギ。
「……生きて、ますね」
アリスが、安堵の息を吐く。
だが、すぐには駆け出さない。
三人とも、本能的に分かっていた。
“終わっている”のに、“普通じゃない”。
空間そのものが、歪んだまま残っている。
ミナは、測定器をもう一度見た。
――反応なし。
なのに、目の前の光景は、明らかに異常だった。
地面は抉れ、木々は薙ぎ倒され、岩は数百年かけて風化したようにさらさらに砕け散っている。
災害の痕跡だけが、そこにある。
「……なにがあったんです?」
ミナは王級二人に問いかける。
「わかりません。……これほどの規模の戦闘があって、魔力が全く残らないなんてこと……」
アリアが首を振る。
「……アリア」
アリスが何かに気づく。
「あの光の粒子……」
「ええ、私も考えていました。あの時と同じですね」
王級の二人は、空気中にわずかに漂う、残照に映える金色の煌めきに視線を移していた。
「あの序列第8位の戦いの……だよな?」
「間違いありません。状況的にみても、シオンさんが解決したのでしょう。ただ――」
アリアの声が曇る。
「あの様子じゃ、全て解決したわけでは無さそうだね」
「……え?」
話を進める王級二人について行くことができず、ミナはその場で狼狽えるしかなかった。
「ナギさんから精霊の気配を、全く感じることができません」
アリアが補足するように、沈痛な面持ちで状況を説明する。
「とにかく、早く合流しよう」
アリスの声で、三人はナギ達の元へと向かう。
◆
辺りは異様な雰囲気に包まれていた。
胸元を押さえ、悲痛な表情を浮かべるナギと、それを守るように立つシオンとエルド。
「……ピュール」
ナギが話せそうな雰囲気がないため、アリアはシオンに問いかける。
「シオンさん、何があったのですか?」
「あ、あぁ。ミナが呼んでくれたのか。悪いけど、何が起きたのかは僕たちも分からないんだ。僕たちが到着した頃にはこうなっていて……暴走しているナギの精霊を、どうにか収めたところなんだ」
シオンの言葉には、意図的な曖昧さがあった。
「暴走?」
「ああ。だが、ナギがこの調子だ。詳細については、一旦しっかり調べる必要があるな。とりあえずは、終わったと考えていいだろう」
今度はエルドが答える。
これ以上は踏み込ませない、という壁のような圧を含んでいた。
「……そうですね。当事者のナギさんがこれでは……。とにかく拠点に戻りましょう。後ほど、お話しを聞かせてください」
「わかった」
それ以上、説明しようとはしない。
いや――できない、という方が正しかった。
アリアとアリスも、一度だけ視線を交わし、それ以上問うのをやめた。
ミナは、その様子を見て一歩前に出る。
「……ナギさん」
名前を呼ぶと、ナギの肩がわずかに揺れた。
顔は上がらない。
だが、確かに“聞こえている”。
ミナは、慎重に距離を詰め、視線を合わせる位置までしゃがみ込む。
「……無事で、よかったです」
それだけ言うのが、精一杯だった。
励ましでも、慰めでもない。
事実を、そのまま伝える言葉。
ナギはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……うん」
かすれた声。
それでも、確かな返事だった。
エルドが、ナギの方を見て一言だけ告げる。
「歩けるか?」
ナギは一瞬だけ迷い、ゆっくりと立ち上がった。
「……大丈夫や」
その言葉に、シオンがすぐ隣に立つ。
支えるでもなく、離れすぎるでもない距離。
ミナは、その配置を見て理解した。
――もう、この三人は“当事者側”だ。
自分たちは、今は踏み込めない。
「……帰りましょう」
アリアの合図で、一行は歩き出す。
森は、相変わらず静かだった。
だが、その静けさはもう、“何も起きていない”静けさではなかった。
何かが、確実に終わり、そして始まった後の――重たい静けさだった。




