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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第2章

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 走りながら、ミナは何度も測定器を確認していた。


 水晶盤の針は、ありえない動きをしている。

 振り切れるほどではない。だが、一定の方向へ引っ張られ続けている。


(……C区の数値じゃない)


 息が乱れる。

 だが、脚は止めない。


 エルドの判断は正しかった。

 これは調査ではない。事件だ。


 森を抜け、遺跡前線拠点の石造りの建物が見えた瞬間、ミナはさらに速度を上げた。

 受付を無視し、一直線に学院関係者用の区画へ向かう。


「緊急報告です!」


 声が少し裏返った。

 それでも構わない。重要なのは、正確に、早く伝えることだ。


「C区で、想定外の魔力反応を確認しました!

 精霊由来と思われます! 出力は――」


 言葉を続けようとして、ミナは口を閉じた。


 空気が、違う。


 背後。

 ほんの数歩離れた場所。


 ――そこに、いた。


「……ミナさん?」


 静かな声。


 振り返ると、そこにはアリアが立っていた。

 隣には序列第三位、アリス・フェンリズ。

 そして少し後ろに、見慣れない二人の生徒。


 その全員が、同じ方向を見ている。

 森の奥。


 ミナが測定器を握りしめる。


「……もう、気づいていたんですか?」


 アリアは、小さく頷いた。


「ええ。こちらに来る途中から、違和感がありました」


 アリスが、腕を組む。


「これ、精霊だよね。しかも――」


 言葉を切り、視線を細める。


「かなり荒れてる」


 ミナの喉が鳴った。


「……C区では……ありえません」


「だから戻ってきたんだ」


 アリスの声は、落ち着いていた。

 だが、その瞳は完全に“戦場を見る者”のものだった。


「詳しく教えてください、ミナさん」


 ミナは一度、深く息を吸った。

 頭の中を整理する。3人の顔が浮かぶ。


 シオン。エルド。ナギ。


(……間に合って)


 そう願いながら、ミナは状況を説明し始めた。



 風が、壊れていた。


 叫びでも悲鳴でもない。

 ただ、感情だけが剥き出しになったような、荒い魔力の塊。


「ピュール……ピュール……!」


 呼んでも、返事はない。

 名前を呼ぶたび、風は強くなる。

 止めたいのに、近づけない。


「やめて……お願いやから……!」


 視界が滲む。

 涙なのか、風のせいなのかも分からない。


 そのとき。


「――ナギ!!」


 聞き覚えのある声。

 びくりと身体が跳ねる。


「……シ、オン……?」


 振り向くと、崩れた石壁の向こうに二つの影が見えた。

 剣を構えたエルド。

 そして、息を切らして立ち尽くすシオン。


 その姿を見た瞬間。

 張り詰めていた何かが、音を立てて切れた。


「……わからん……」


 足から力が抜け、その場に崩れ落ちる。


「わからんねん……!」


 声が裏返る。


「なんもわからんねん!!」


 頭を押さえる。


「目、覚めたらここにおってな!」

「変なとこで!」

「怪しいやつがおって!」


 言葉が、追いつかない。


「ピュールに……ピュールになにかされてしもて……!」


 視線が、暴走する風へ向く。


「急に……急に、ああなって……!」


 呼吸が乱れる。


「止まらんねん……!」

「呼んでも……言うこと、聞いてくれへん……!」


 声が、震えに震える。


「なんでや……?」

「なんでなんや……!」


 そこで、エルドが一歩前に出た。


「……“怪しいやつ”とは?」


 低く、鋭い声。

 ナギは顔を上げる。


「白衣着た男や……」

「全部知っとった……名前も、家も……!」


 エルドの目が、細くなる。


「……実験、か?」


 ナギは、縋るように頷いた。


「そうや……」

「王級がどうとか……素材とか……」


 言葉にした瞬間、背筋を冷たいものが走る。

 エルドは、シオンと一瞬だけ視線を交わした。


「……厄介だな」


 その声には、はっきりとした警戒があった。

 そして。


『……来るわ』


 ディアナが黒猫の姿で、シオンの目の前に現れる。

 空気が、変わる。


 ナギは、再び風の中心を見る。


「……ピュール……」


 祈るように、名前を呼ぶ。

 その声が届くかどうかも分からないまま。


 だが、確実に。

 ここから先は、精霊同士の領域だった。



 暴風が、空間を引き裂く。


 風精霊――いや、もはやそれと呼ぶには歪すぎる存在が、遺跡の森を中心に荒れ狂っている。

 木々が軋み、地面が抉れ、空気そのものが押し潰されるような圧を帯びていた。


「ピュール……!」


 ナギの声は、悲鳴に近い。

 縛られたままの身体を必死に起こし、荒れ狂う風の中心を見つめている。

 そこにいる“それ”が、かつての契約精霊だということは、誰の目にも明らかだった。


 だが――

 制御は、完全に失われている。


「……っ、これは……」


 エルドが歯を食いしばる。


「王級に近い。いや……近い、で済ませていい段階じゃない」


 風の刃が、地面を抉って飛び散る。

 防御に回した剣が、嫌な音を立てて弾かれた。


 シオンは、一歩前に出た。

 ディアナの魔力が、すでに周囲を覆っている。

 抑えている――そう表現するのが正しかった。


『……厄介ね』


 ディアナの声が、いつもより低い。


『無秩序に暴れているくせに、核だけは守っている。

 力だけ先に膨れ上がった、最悪の形よ』


「……そういうことか」


 シオンは、短く息を吐いた。


 ディアナの動きは明らかに鈍い。

 攻めていないのではない。

 攻められないのだ。


 守りながら。壊さないように。

 なおかつ、王級に近い出力を相手に。

 それがどれほど無茶か――シオンには、嫌というほど分かっていた。


「ディアナ」


 呼びかけると、視線がこちらを向く。


「抑えなくていい」


 その言葉に、ナギが振り返る。


「……シオン?」


 だが、シオンは視線を逸らさない。


「こっちは大丈夫だ。僕たちで引き受ける」


 風が、さらに強まった。

 ピュールの魔力が、怒りとも悲鳴ともつかない波動を放つ。


 それでも、シオンは続けた。


「だから――」


 一拍。


「ピュールを、できる限り無傷で止めてくれ」


 ディアナが、目を細める。


『……随分、難しいことを言うじゃない』


「分かってる」


 即答だった。


「でも、あいつはナギの精霊だ。壊す選択肢は、最初からない」


 短い沈黙。

 次の瞬間、ディアナの魔力が一段、深く沈んだ。


『……いいわ』


 声が、冷たく澄む。


『なら――

 あなたたちは、死なないで』


 その言葉と同時に、ディアナは踏み出した。


 風と風が衝突する。

 だが、それは破壊ではなく、圧殺だった。


 王級に近づきかけた精霊の暴走を、正面から“押さえ込む”という選択。

 風精霊が飛ばしてくる魔力の塊を、同じ威力、同じ質量、同じ魔力量で正確にぶつけて相殺している。


「なんて戦いだ……」


 エルドは自分の身を守ることも忘れて戦いに魅入る。


「あれがシオンの本気……。お願いや! どうか! どうかピュールを助けて!!!」


 ナギが希望を見出したかのように声を上げる。


 しかし、その声に反応したのか、風精霊の動きが不規則に歪んだ。


「危ない!!!!」


 ――飛んできた。


 砕けた岩片ではない。

 風に圧縮された“破片”が、弾丸のような速度でシオンを襲う。


「シオン!」


 エルドの声が届くより早く、


 ――衝撃。


 胸を、貫くような痛み。

 息が、一瞬止まった。

 身体が、後方へ吹き飛ばされる。


「……っ!」


 地面に叩きつけられ、視界が揺れる。

 熱が、遅れてやってくる。

 赤。

 自分のものだと理解するのに、少し時間がかかった。


『シオン――!?』


 ディアナの声が、はっきりと動揺を帯びた。


「…っ……」


「大丈夫かシオン!」


 シオンはディアナとエルドの声になんとか反応する。


「……大丈夫だ」


 シオンは、ゆっくりと立ち上がった。

 痛みはある。だが、それ以上に、胸の奥が静かだった。


「……ごめん、ディアナ」


 血を拭いながら、呟く。


「やっぱり……加減、きつかったな」


 視線を上げる。

 そこに宿るものは、もはや“抑制”ではなかった。


『……ええ』


 ディアナが、静かに応える。


『だから、ここからは――』


 ――空気が変わる。


 圧が、消える。

 風が、止まる。

 全てが沈黙した。


 姿が変わる。

 猫の姿形をしていたディアナの輪郭がほどけ、圧倒的な存在感をもつ『人の形を借りた、人ではない何か』が、風精霊を見据えていた。


 言葉を紡ぐ。


『――原初の《愛》たるアナディオメネが命じる。

 その在り方を終わらせはしない。

 だが、これ以上進むことも許さない。

 直ちに鎮まり、もとある居場所に戻りなさい』

 

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