15
翌朝。
登校したシオンを待っていたのは、昨日とは比較にならないほどの視線とざわめきだった。
昨日の模擬戦で見せた「王級魔法を無傷で耐えた猫(と、それを演技で誤魔化した9位)」の噂は、一晩で尾ひれをつけて学院中に広まっていたらしい。
ヒソヒソと交わされる会話を聞き流しつつ、シオンは胃の痛みを堪えて掲示板の前へと向かった。
【序列戦】。
本日の対戦カードが発表されているのだ。
掲示板の前には黒山の人だかりができており、生徒たちが一様に興奮した様子で紙面を見上げている。
ランキング上昇の好機を得て喜ぶ者。格上とのマッチングに顔を青くする者。そして、虎視眈々と下克上の機を待つ者。
少し遅れてやってきたシオンとナギ、そしてエルドとミナのそれぞれのペアも、人だかりの後ろから掲示板を見上げた。
「……うわぁ。シオン、ちょっと見てみ。キミの相手――ライゼル・ヴォルトレイグや」
ナギの声が、ほんの少しだけ低くなる。
いつもの明るい調子とは違う、どこか警戒を含んだ響き。
シオンにとっては聞き覚えのない名前だが、ナギの雰囲気だけで“面倒くさそう”なのは肌で伝わってきた。
(……誰だ、そいつ)
全くといっていいほどピンときていないシオンを見て、ナギは呆れたように肩をすくめた。
「ヴォルトレイグ帝国第三皇子。つまり他所の国の王子様や。しかも序列は第8位。キミより格上やで、立場も順位もな」
(……は?)
シオンは硬直した。
王子? 8位?
「目立ちたくない」というシオンの人生設計において、最も関わってはいけない属性が全部乗せだ。
「……なんでそんなVIPが僕の相手なんだよ」
「しゃーないやろ。シオンは昨日の今日で話題沸騰中の『空白の9位』や。教師陣からしたら、その実力が本物か確かめたいんやろな。だからあえて、実力が確定している8位のライゼルをぶつけたんや」
ナギの説明は理にかなっている。
8位と9位。数字だけ見れば接戦が予想される好カードだ。
「はぁーー。シオンはほんま相変わらずやな。自分の置かれた状況、もっと自覚しーや? まぁ、その抜けてるところが居心地いいんやけどな」
ナギはケラケラと笑うが、シオンは笑えない。
胃のあたりが重くなるのを感じながら、現実逃避するように掲示板全体へ視線を向けた。
「……あれ? なんでここに1位〜7位の人達の名前はないんだ? ここに書かれている組み合わせ、全生徒分じゃないだろ。せいぜい100組くらいしかないぞ」
「なんや、それも知らんのか。序列戦は全生徒一斉参加やないで。教師陣が『変動の必要がある』と判断した生徒だけが選ばれる定期戦や」
ナギが指を立てて解説する。
ランキング下位で実力が停滞している者や、逆に飛び抜けた上位陣(アリアたち王級など)は、わざわざ頻繁に試合をさせる必要がないため除外されることが多いらしい。
「つまり、選ばれたってことは『お前ら、順位変える気概を見せろよ』っていう教師からのメッセージやな」
そして、ナギはシオンの背中をバシッと叩いた。
「今回の序列戦、最上位の対戦カードはシオンや。夕方のメインイベントやで! たくさんギャラリーが来るやろうから、気張るんやで! もちろん、ウチはシオンが負けるとは思ってないけどな!」
(……なるほど、わからん。帰りたい)
シオンの願いも虚しく、運命のゴングは数時間後に迫っていた。
◆
少し離れた場所では、エルドとミナが真剣な表情で対戦表を見つめていた。
「エルドくん、すごいよ! 相手は35位の人だって! 昨日の訓練が評価されたのかなあ」
「そうだな。……40番台の俺がいきなり30番台と組まれるのは異例だ。だが、勝てなければ意味がない」
エルドの声には、静かだが熱い闘志が宿っていた。
彼には、這い上がらなければならない理由がある。順位を上げ、力を証明しなければならない焦燥がある。
「エルド君は午後一番だね! 最後にはシオンさんの試合もあるみたいだし、今日は長丁場になりそう!」
「ああ。……行くぞ」
エルドは短く答え、戦いの場へと足を向けた。
◆
日が頂点に昇り、ジリジリとした熱気が演習場を包む頃。
フィールドの一角で、二人の生徒が向かい合っていた。
エルド・ハリオン。
序列42位。
対するは――序列35位。
ルキア・ソラウ。
細身のレイピアを携えた女子生徒だ。同じ風精霊を操るが、彼女は一体の精霊で攻撃・防御・移動補助の複数の役割を連動させることができる、極めて器用なテクニシャンタイプだ。
雑に仕掛ければ、その隙を突かれて終わる。
「よろしくお願いします」
ルキアはそう言って、軽く頭を下げた。
声に震えはない。魔力の流れも安定している。
“35位”。
上位クラスの門番として、それなりに修羅場を越えてきた者の空気だった。
「こちらこそ」
エルドは短く返す。
無駄な会話はしない。序列戦は、言葉より結果がすべてだ。
「では、開始!」
教師の合図と同時に、魔力が走る。
先に動いたのはルキアだった。
【精霊魔力行使】。
身体強化に魔力を回し、風のように音もなく距離を詰めてくる。
速い。判断に迷いがない。
(悪くない)
エルドは一歩、後ろへ下がる。
その瞬間、足元の砂がわずかに舞った。
――風。
彼もまた、風精霊による見えない圧力を使い、相手の突きから位置をずらす。
ヒュンッ。
ルキアのレイピアが、エルドの頬をかすめて空を切る。
「っ……!」
エルドはそこで初めて、体内の雷精霊の魔力を解放した。
雷を“撃つ”のではない。
神経伝達速度を強制的に引き上げ、身体の内側を加速させる。
踏み込み。
同時に、風精霊を大剣へと装具化させる。
剛剣が、横薙ぎに振るわれる。
ガギィンッ!
――受け流された。
ルキアも腕がいい。真正面から受けるのではなく、風を纏ったレイピアの側面で大剣の軌道を逸らす。
衝撃で砂が弾ける。
だが、エルドは深追いしない。そこで一度、距離を切る。
(焦るな)
エルドの視線は、相手の呼吸と、足元の砂に向けられていた。
速さはある。技量もある。
だが――
(奴には、“実戦の泥臭さ”が足りていない)
次の瞬間。
エルドは、雷魔術を地面へと流した。
派手な雷撃ではない。目に見えないほどの、繊細な静電気だ。
バチッ、と乾いた音が砂地を走る。
「……っ!?」
ルキアの足が、一瞬だけ止まった。
ダメージはない。だが、静電気による筋肉の微弱な硬直と、足裏に走った違和感が、彼女の完璧なリズムを狂わせた。
そのコンマ数秒の隙を、エルドは見逃さない。
風装具化した大剣が、斜めに振り抜かれる。
今度は、防げない。
「――っ!」
ルキアは咄嗟に距離を取ろうとするが、剣先が制服の端を鋭く裂いた。
あと一歩踏み込んでいれば、胴を薙いでいた一撃。
「……そこまで!」
教師の声が落ちる。
勝者――エルド・ハリオン。
演習場に、どよめきが広がる。
派手な魔法の応酬ではない。一瞬の駆け引きが勝敗を分けた、玄人好みの決着。
だが、確実な勝利だった。
ルキアは悔しそうに唇を噛んだが、すぐに姿勢を正して頭を下げた。
「……完敗です。ありがとうございました」
「いい戦いだった」
エルドはそれだけ言って、装具化を解除する。
勝って兜の緒を締める。その姿に、観客席からは静かな評価の声が漏れた。
「エルドやるやん!」
「さすがエルド君です!」
ナギとミナが手を叩いて喜ぶ。
新たな序列第35位 エルド・ハリオン。
学院史上稀に見る、初戦での7ランクアップ。
40位台の壁を、彼はたった一戦で飛び越えたのだ。
◆
そして、時間が流れる。
いくつもの試合が消化され、日が西へ傾きかけたその刻。
中央の一番大きな訓練場に、今日一番の視線が集まっていた。
もはや新入生だけでなく、噂を聞きつけた上級生たちの姿もある。
序列第8位 ライゼル・ヴォルトレイグ
vs
序列第9位 シオン
帝国最強の血を引く皇子と、謎に包まれた「空白」の少年。
因縁めいたマッチメイクに、学院は本日一番の熱狂と緊張を迎えていた。




