お嬢様 『その一歩を、待っていた』
「チビが調子に乗るんじゃねえ!」
怒声とともに、偽ルナゴスペルの一人が少女のバイクを蹴り飛ばそうと足を振り上げた。 だがその瞬間、小柄な少女が必死にハンドルを切り、相手の足をギリギリでかわす。
そして、震える声で叫んだ。
「どんなに弱くても……走る気持ちは、あんたたちなんかに負けない!」
その言葉に、偽物たちの動きが一瞬止まる。
「……はぁ? もう一回言ってみな」
少女は顔を真っ赤にしながらも、視線を逸らさずに続けた。
「私たちは、“自分たちの走り”でここにいるんです!」
仲間の四人が顔を上げる。 足はすくんでいる。けれど、彼女たちは震える手でハンドルを握り、エンジンキーを回した。
弱々しいエンジン音が、夜の空気にかすかに響く。 それは、恐怖に抗う心の音だった。
「ほぉ……? なかなか言うじゃない」
偽ルナゴスペルが嘲笑いながら、マフラーを吹かす。 轟音が少女たちの小さな音をかき消していく。
観光客たちの間に、ざわめきが広がった。
「高校生の子たち……引かずに立ってる……」
「すごいわね、あんなに怖いのに……」
空気が、わずかに変わった。 小さな勇気が、確かに場の流れを揺らしていた。
その変化を感じ取ったのか、偽物たちは苛立ちを隠さず、怒りを少女たちにぶつける。
「上等じゃねぇか。じゃあ、本当の“地獄”ってやつを見せてやるよ。
夜の峠でな」
少し離れた場所で、その様子を見守っていた“先輩ライダー”たち。 本物のアルテミスとルナゴスペルは、静かに目を細めていた。
梓が低く呟く。
「……あの子たち、震えてるのに……立ってる」
涼子は思わず身を乗り出した。
「すげぇよ……俺だったら、あんなの無理だ」
雅は目を細め、少女たちの姿を見つめる。
「小さな勇気……偽物相手に抗った。それだけで、もう十分です」
美奈子は唇の端を吊り上げた。
「いいねぇ……昼間は黙って見てるけどさ。夜になったら、あの連中、まとめて叩き潰してやるよ」
少女たちのエンジン音は、偽物たちの爆音にかき消されそうだった。 それでも彼女たちは、バイクの上で必死に踏ん張っていた。
「アンタらみたいな弱っちいチームが、うちらにかすりもしないって教えてやろうか?」
偽ルナゴスペルの一人が、少女たちの前に立ち塞がる。 その態度は、完全に支配者のそれだった。
観光客たちがざわつく。 駐車場の空気は、偽物たちの威圧感に支配されていた。
そのときだった。
「……やっぱり、見過ごせないわね」
場に不釣り合いなほど落ち着いた声が、空気を切り裂いた。
昼間、少女たちに声をかけてくれた“先輩ライダー”たち。 制服でも特攻服でもない、カジュアルなツーリングウェア姿の彼女たちが、静かに歩み出る。
雅が一歩前に出て、静かに言った。
「観光地でそんなことをして……恥ずかしくないのですか?」
偽物の一人が舌打ちする。
「テメェらに関係ねぇだろ! 引っ込んでろ!」
梓が肩をすくめ、柔らかな笑みを浮かべる。
「でも、放っておいたら景色が台無しになるでしょ? わたくしたち、綺麗な箱根を走りに来たんですから」
少女たちのリーダー格が、思わず声を漏らす。
「……先輩……」
彼女たちにとっては、昼間に優しく声をかけてくれた、頼れる先輩ライダー。 まさか、その正体が“本物”のアルテミスやルナゴスペルだなんて、夢にも思わない。
「やっぱり……助けてくれる人たちだ」
「……あいつらみたいに意地悪じゃない……」
その言葉が、震える心に、少しずつ灯をともしていく。
「チッ……調子に乗るなよ!」
偽アルテミスの一人が怒鳴り散らすが、観光客たちの視線はすでに冷ややかだった。 昼の場は、もはや好き勝手に暴れられる空気ではない。
「昼は引いておいてやるよ」
「夜に決着だ。アルテミスとルナゴスペルに逆らうとどうなるか、
見せてやる」
吐き捨てるように言い残し、偽物たちはマシンに跨り、駐車場を去っていった。
緊張の糸が切れたように、少女たちは深く息を吐いた。
「……本当に、ありがとうございます……」
雅は微笑を浮かべ、あくまで“ただの先輩”として返す。
「気にしないで。ライダー同士、困ったときは助け合うものよ」
梓が冗談めかして言う。
「それに……こういうの、ちょっと燃えるでしょ?」
少女たちは小さく笑った。 胸の奥の恐怖は、まだ消えていない。 けれど、「この人たちがいてくれる」という安心感が、確かに残っていた。
誰も知らない。 目の前の“先輩ライダー”こそが、偽物が騙るはずの本物なのだということを。
そして夜。 峠の空気は張りつめ、街灯の届かぬ闇にエンジン音が反響していた。
路肩や斜面には、数多くの走り屋たちが集まり、ただ黙って目を凝らしていた。
彼らの視線の先には、二つのチーム“アルテミス”と“ルナゴスペル”を名乗る者たちが並んでいた。 誰もが、彼女たちを本物だと信じて疑わない。
その群衆の中、不如帰の面々だけが冷静だった。
蓮は片目を細め、腕を組んだまま呟く。
「……妙だな」
仲間が小声で問う。
「蓮さん、何がです?」
「振る舞いが粗い。あれが本物なら、もっと優雅に振舞ってるはずだ」
周囲の走り屋たちが疑いもなく見入る中、 不如帰だけが静かにその“違和感”を見抜いていた。 過去に本物と走ったことがある彼らには、わかる。
少女たちを守るように立つアルテミスとルナゴスペルの“本物”は、 正体を隠したまま、ただ黙って偽物たちを見据えていた。 その姿勢に、威圧感はない。だが、静かな気迫があった。
周囲の誰一人、その真実に気づいてはいない。 けれど、空気は確実に変わり始めていた。
「なぁ、あれ……本当にアルテミスか?」
観衆の一人がぽつりと呟く。
「昼間の走りと全然違うぞ。なんか、雑っていうか……」
「でも、あのカラーリングは……」
「いや、でも……」
ざわめきが、じわじわと広がっていく。 それは、偽物たちの足元を少しずつ崩していくようだった。
少女たちは、列の後方で肩を寄せ合っていた。 昼間の恐怖が、また戻ってくる。けれど、どこか違っていた。
「……ねえ、あの人たち、来てくれるかな」
「わかんない。でも……信じたい」
そのとき、遠くから聞こえてきた。 乾いた、鋭いエンジン音。 まるで夜を切り裂くような、研ぎ澄まされた音だった。
「……!」
観衆が一斉に振り返る。
「誰だ……?」
「また別のチームか?」
闇の中から、数台のマシンが滑るように現れた。 無駄のない動き。静かで、けれど確実に速い。 その走りには、派手さも威圧もない。ただ、圧倒的な“完成度”があった。
偽物たちが一瞬、動きを止める。
「……なんだ、あいつら」
「見たことねぇ顔だな」
だが、観衆の中の誰かが、ぽつりと呟いた。
「……あれが、本物じゃないのか?」
不如帰の蓮は、静かに笑った。
「ようやく、風向きが変わってきたな」
少女たちは、目を見開いた。 そのシルエット。あの走り。
昼間、助けてくれた“先輩ライダー”たちと、まったく同じだった。
「……来てくれた……」
「やっぱり……あの人たちが……!」
本物たちは、何も言わない。
ただ、少女たちの前に立ち、静かにマシンを止めた。
その背中が、すべてを語っていた。
偽物たちは、苛立ちを隠せない。
「なんだよ、てめぇら。横から出てくんじゃねぇよ!」
「ここはアルテミスとルナゴスペルの縄張りだ。部外者は引っ込んでろ!」
だが、本物たちは応じない。 言葉ではなく、走りで語る者たち。 その沈黙が、逆に観衆の心をざわつかせた。
「……あの走り、見たことある」
「動画で見た。あれ、間違いない……!」
少女たちは、ただ見つめていた。 目の前で、静かにエンジンを吹かす“先輩”たちの背中を。
その背中が、まるで「大丈夫」と語っているようで、 彼女たちは、もう一度ハンドルを握り直した。
夜の峠に、再び緊張が走る。 本物と偽物が、ついに向かい合った。
だが、まだ誰も知らない。 この静かな空気の裏に、どれほどの怒りと誇りが渦巻いているのかを。




