お嬢様 『オリュンポスの扉』
エマ・ベルナール
抗争が終わって数日。 アルテミス本部ビル6階、ガラス張りの会議室には、重厚な長テーブルを囲むように8人のメンバーが静かに座っていた。空気は張り詰め、まるで嵐の前の静けさ。
扉が開く。先頭に立つのはルナゴスペルの隊長・美奈子。その後ろには、かつて“女豹疾走”の名で知られた古参メンバー、真壁玲奈、鬼塚千鶴、榊原ひなたの三人が続く。
一瞬、空気が止まった。 敵だった者たちが、今ここに立っている。
「紹介するわ。ルナゴスペルに正式に加入した三人。
あたいが保証する、します」
美奈子の声は静かだったが、その奥には確かな信頼と覚悟がにじんでいた。
“狂想会”の崩壊とともに、女豹疾走も解体。そんな中、雅が提案したのは、信頼できる者たちをルナゴスペルに迎え入れることだった。
だが、それは簡単なことじゃない。 仲間として迎えるということは、同じ覚悟と責任を背負うということ。 アルテミスの支援を受け、このビルのすべてを使えるという意味を、軽く見てはいけない。
美奈子が出した条件はただ一つ。
「一からレディースを作り直す、その苦楽を共にできるか」
厳しい選考を経て、ルナゴスペル全員の賛同を得た三人が、今ここに立っている。
最初に前に出たのは、真壁玲奈。 鋭い目元に、無駄のない動き。
「真壁玲奈です。昔、敵の本拠地を単車で突っ切ったって噂、まだ残ってるみたいスね。ちょっと盛ってるけど、よろしく」
宗子が目を丸くする。
「それって、本当に一人で?」
玲奈は肩をすくめて笑った。
「まあ、火炎瓶があれば、なんとかなるス」
次に進み出たのは、鬼塚千鶴。 がっしりした体格に似合わず、ちょっと照れたような笑顔。
「鬼塚千鶴っす。筋トレとスイーツが命っす。みんなの胃袋、私が握ります!オス!」
「その腕で握られたら、私、たぶん食べられる側になるわ……」
エマのつぶやきに、場がふっと和む。
最後に、少し後ろから静かに声を上げたのは榊原ひなた。
「榊原ひなた。元・情報担当。監視カメラの死角とバグ探しなら任せて。……ただ、あまり喋るのは得意じゃないから」
「喋ってるよ、ひなた……!」
千鶴のツッコミに、また笑いが広がる。
「姉さん、いいツッコミしてるやん」
麗子が嬉しそうに言った。
雅は静かに三人を見つめ、微笑んだ。
「力も、知恵も、経験もあるようですね。
でも一番大事なのは、この部屋の空気を読めることよ」
玲奈が小さく頷く。
「……安心して。昔よりは、空気読む努力、してます。オス!」
「いや、今のとこ読めてないからな!」
麗子のツッコミに、また笑いが起きた。
「では、美奈子さん、皆さんに施設のご案内をお願いいたしますね」
「はい、総長」
その後の展開は、想像以上だった。
玲奈はバイクガレージを見て「ここなら武器でも作れそう」と物騒なことを言い、 千鶴はトレーニングルームで大はしゃぎ、食堂ではケーキ10個にパフェ5杯、スイートポテト10個、さらにランチセット3人前を平らげて「隊長、ここは天国ですか」と満面の笑み。 ひなたはセキュリティの完璧さに目を見張り、「ここで情報戦やったら、どこ相手でも勝てる」と呟いた。
そして、最後に案内されたのが、アルテミスの中核訓練室。 自動ドアが開くと、そこはまるで宇宙船の艦橋のような未来空間。中央には8台の“スーパードライビングシミュレーター”、その名も「オリュンポス8」。
「これがアルテミスの心臓部、“オリュンポス8”よ」
梓が誇らしげに言う。
「三条重工業とビッグデータ社の共同開発。世界に8台しかない、超高性能シミュレーターよ。バンク角もGも、全部リアルに再現できるの」
「天候も路面も自由自在。スコットランドの夜の山道も、タイのゲリラ豪雨も選べるわ」 宗子が補足する。
「使用バイクも実車スキャン済み。もちろん、うちのKBRシリーズも全部揃ってる」
「ゲーセンとは次元が違うってレベルじゃねぇな……」
玲奈が思わず口を開けた。
「初見で本気出すと酔うから、マジで」
千秋が真顔で忠告する。
「おおっ……マジで傾くじゃん!」
千鶴が叫んだ瞬間、モニターが点灯し、選択メニューが浮かび上がる。
「とりあえず軽めに、パリ市街の夕暮れ、小雨、KBR400RRでどう?」
宗子が提案する。
「マジでKBR400RRに乗れるんすか?」
「実車もあるけど、まずはシミュレーターでね」
「了解、それで」
ひなたが即答し、素早くセッティングを始める。
「私は慣れてるニンジャでいくわ」
美奈子も準備を整える。
そして始まる、7人同時のシミュレートレース。 HUD越しに広がるリアルなパリの街並み。 エンジン音が響き、Gが体を揺さぶる。
エンジン音が響き、Gが体を揺さぶる。 シミュレーターの座席が傾き、まるで本物のバイクに乗っているかのような感覚が背中から全身に伝わってくる。
玲奈は冷静だった。 視線は前方のカーブを正確に捉え、体重移動も完璧。まるでマシンと一体化しているかのような走り。 「……やっぱ、こうでなくちゃね」 ヘルメット越しに、彼女の口元がわずかに緩む。
一方、千鶴はというと——
「うおおおおおおおおおっ!? 曲がれないっ!止まれないっ!わあああああっ!!」 急カーブで減速が間に合わず、バイクがスリップする。
シミュレーターの座席がガクンと傾き、千鶴の絶叫が響く。
「だから言ったでしょ、減速って……」
ひなたが冷静に呟きながら、イン側をスッと抜けていく。
そのライン取りはまるでプロのようだった。無駄がなく、正確無比。
「ひなた、あんた……前世、レーサーだったんじゃない?」
宗子が思わずつぶやく。
「いや、ただの情報屋です」
短く返すひなたの声に、どこか誇らしげな響きがあった。
美奈子はというと、ニンジャを自在に操りながら、後方の玲奈を追いかけていた。 「さすがね、真壁。けど、あたしも負けないわよ」 アクセルをひねる手に力がこもる。
レースは白熱し、コーナーごとに順位が入れ替わる。 涼子と沙耶香も負けじと食らいつき、千秋は「今回は酔わない!」と必死の形相でハンドルを握る。
そして、最終ラップ。 夕暮れのパリの街並みを抜け、最後の直線。 玲奈と美奈子が並んで突っ込む。
「行くよ、隊長」 「来なさい、玲奈!」
ゴールラインを駆け抜けた瞬間、画面が暗転し、リザルトが表示される。
1位:真壁玲奈
2位:美奈子
3位:ひなた
4位:涼子
5位:沙耶香
6位:千秋
7位:千鶴(2周目でリタイア)
「……くっそー!次は負けねぇっすからね!」
千鶴が悔しそうに叫ぶと、全員がどっと笑った。
ヘルメットを脱ぎ、汗ばんだ額をぬぐいながら、皆が顔を見合わせる。 そして、自然と笑みがこぼれた。
「すごかった……」
「これ、クセになるわね……」
「現実よりリアルって、どういうこと……」
その輪の中で、美奈子が静かに言った。
「こんなの、プロのレーシングチームにもないのよ」
「これが、アルテミス式よ」
雅がにっこりと微笑む。
「なんか……一夜にしてお姫様になった気がする」
千鶴がぽつりと呟いた。
その言葉に、美奈子、千秋、涼子、沙耶香が同時に吹き出す。
「それ、千秋が初めてここに来たとき、まったく同じこと言ってたんだよ」
笑いながら、涙をぬぐう面々。 その瞬間、かつての敵も、新たな仲間も、完全にひとつのチームになっていた。
——新たな物語が、静かに、しかし確かに動き出した。




