7.僅かな奇跡
成長したエイダに大きな変化はない。
オスカーには及ばないが、順当に背が伸びて、多少大人びた容姿に見える。
目を合わせる視線の先も、高くなった。
加えて身に纏っているのは神官服ではない。
寧ろ正反対の、黒を基調とした動きやすそうな服装だった。
背中が開いた古風な着物、と言い換えられなくもない。
とは言えギンコの話では、自分は一ヶ月眠っていたらしいが、彼女がここまで成長している理由が見えてこない。
どう見ても、数年が経ったような変わり具合だ。
呆気に取られる彼女を見つつ、オスカーは何を言うべきか迷い、どうにか口を開く。
「背が、伸びたんだな?」
色々考えた結果、安直すぎる言葉が出てしまった。
生き延びていた事よりも、彼女の変化が気になって、そう言ってしまう。
するとようやく、目の前の彼が幻覚ではない本物だと気付いたらしい。
凛々しかったエイダは、一転して目に涙を浮かべる。
「オスカー……! オスカーっ……!」
口元に手を当てたかと思うと、彼女は直ぐに駆け寄ってくる。
震える両手を伸ばし、オスカーの手を握り締めた。
彼が今、此処にいるという事実を確かめたかったのだろう。
背の伸びた姿からはそう思えない程、握る力は弱弱しい。
そして手を取りながら、俯いたエイダはその場に崩れ落ちた。
「お、おい!?」
「もう、ダメなんじゃないかって思ってた……。もう、目を覚まさないんじゃないかって……。でも、良かった……目が覚めて、本当に良かった……」
今にも泣きそうな声を聞いて、オスカーは気付く。
一ヶ月間、彼は意識を失ったままだった。
自分にとっては夢を見ていたような、そんな短い期間だったが、実際はそうではない。
エイダにとっては、酷く長い時間が流れたのだろう。
最早、目覚めることはないかもしれないと思ってしまう程に。
姿が変わっていようと、心の程度が変わっている筈もない。
目の前の少女は、間違いなくエイダだ。
オスカーはその場に膝をつき、目線を合わせる。
「ごめん。寂しい思いをさせたみたいだ」
「ううん……そんな事、そんな事ない。ずっと、わたしは貴方に謝りたかった。謝らなくちゃ、いけなかったの」
「え……?」
「ごめん、なさい」
エイダは俯いたまま、オスカーに詫びた。
きっとそれは、境海での戦いを指している。
父であるエスゼリクと相対し、その果てに神の裁きに巻き込まれた。
深手を負っていた彼女にはどうする事も出来なかった。
自分の無力を始めとする負い目を、引け目をずっと引きずって来たのだ。
しかしオスカーからすれば、その謝罪は必要のないものだった。
「背は伸びても、そう言う所は変わらないな。マイペースのように見えて、他の人の事を考え過ぎる所は」
そう言って、オスカーは彼女の手を軽く持ち上げる。
エイダは何も悪くはない。
全ては光の渦を放った神々こそ、元凶である。
自分を責める必要などない。
それに彼も肩の荷が少しだけ降りた気持ちだった。
あれだけの負担を身体に押し付けておきながら、誰一人守れなかったでは済まされない。
共に戦った仲間が今、目の前にいる事実こそ、彼にとっては重要だったのだ。
「助けられて……無事で、良かった」
安堵する声を聞き、ようやく顔を上げた。
潤んだ瞳が微かに揺れている。
かつての面影が、オスカーの脳裏に思い起こされる。
思わず少しだけ笑みを浮かべると、彼女はハッとしてまた視線を逸らした。
「素直に受け入れてはどうじゃ。彼がお主を守り、お主が彼を守った。それだけの事ではないか」
後を追ってきたようで、ギンコが二人の前に現れる。
境海の事態は大よそ知っているので、励ますような言葉すら投げ掛ける。
両者ともに、信頼しているからこそ出来る態度だった。
恐らくギンコはオスカーだけでなく、傷を負ったエイダも匿った。
五体満足であることも踏まえると、彼女の手当てもしたのかもしれない。
魔王の助言を聞き、ようやく彼女はその場から立ち上がる。
そして名残惜しそうにオスカーの手を放した。
「この一ヶ月、決して短くはなかった。オスカーだけではない。エイダにも、大きな変化があった」
「確かに、その姿は一目瞭然だけど。なぁ、ギンコ。本当にあれから一ヶ月しか経っていないのか?」
「あぁ、無論じゃ」
大きな変化、とは考えなくても分かる。
今あるエイダの姿はどう見ても不自然だった。
成長したこと自体に難癖など付ける訳もないが、何をどうすればこうなるのか。
それともう一つ。
一ヶ月経っているのは間違いないので、自身の身体に関しても疑問がある。
彼はその事情を一番知っているであろうエイダに、問い掛けた。
「一体、何があったんだ?」
「……わたしはただ、貴方を助けたかったの」
簡潔に答えるだけだった。
それ以外に言葉がないようにも思えた。
感じられるのは後悔と罪悪感。
そこまで見ると、彼であっても認めざるを得ない、一つの予感を抱かせる。
言い淀む彼女に変わって、ギンコが独り言ちる。
「もう、気付いているかもしれんな」
「……父さんは、いないんだな?」
「あぁ。その通りじゃ」
冷静に頷かれ、少しだけ衝撃を受ける。
薄々勘付いていた事だった。
父、ザカンの姿が一切見当たらず、今までの話にも全く出てこなかった。
そこから話題を逸らしているようにすら見え、或いはという推測は浮かび上がっていた。
「神の裁きが起きたあの時、深手を負ったエスゼリクが、お主の父を連れ去った」
「!」
「何を思って、何の目的があって、そうしたのかは分からぬ。妾も死を偽装していた手前、エスゼリクに仕掛けるのはリスクが大き過ぎた。奴だけではない。あの場では、神々も目を光らせていた筈じゃからな」
父は神の裁きには巻き込まれていない。
紋章を自力で解除して、巻き込まれに行ったオスカーと違い、彼にその力はなかった。
唯一、あの場では無傷だったに違いない。
しかしその後、エスゼリクが攫っていった。
危害を加えるのではなく、何らかの意味があって身柄を拘束したのだ。
零式を解放した余波でオスカーは気を失い、エイダも動けない状態だった。
そして気配を消していたギンコだけが、その様子を見送った。
「そうして妾は、海に落ちたお主達二人を助け、魔王城へ運び入れた」
「なら……どうして、俺は生きているんだ?」
境海上の戦い、その顛末は理解できた。
故にオスカーは第一の疑問を口にする。
自分が今も尚、生きている理由だ。
この身体は一人では生き続けられない。
父が作る薬を定期的に摂取しなければ、日に日に衰弱して命を落とす。
エスゼリクに攫われた現状、そんな薬が手に入る筈もない。
月日が経った中、こうして生きていられる訳がなかった。
「一ヶ月間、俺の身体が父さんの薬なしに保てる筈が……」
「血を、与えたのだ」
「血……?」
「エイダの血を。正確には、竜族としての血じゃ」
思いもよらぬ答えが返って来て、オスカーは目を丸くする。
それは竜の血を、この身体に摂取させたという意味に他ならない。
振り返ると、エイダは目を逸らしたままだった。
「お主達人族は知らぬじゃろうが、竜族と人族は互いに近しい存在なのだ。かつて深手を負った人族を救うため、竜が血を与えて命を繋ぎ止めた事があった」
「そんな事が……」
「故に妾がエイダに提言したのだ。意識を失い一歩一歩死に近づいていくお主を、血を分け与える事で救えるかもしれぬ、と」
ギンコは竜族に関して、知識を持っている。
その血が人体に対して治癒能力を持つ事実も、知っていたようだ。
竜が人を助けた話など聞き覚えもないが、実際に目撃したからこそ、エイダの血を活用できると助言したのだ。
それによって、オスカーは知らぬ間に命を繋ぎ止めた。
しかし、たったそれだけで万全の状態に回復し、維持できる筈もない。
耐えかねたように、エイダが小さく呟く。
「わたしは亜人。純粋な竜の血じゃない。効果があるかも分からない。でも、貴方を救うにはそれしかないって思ったの。日に日に弱っていく貴方を見ていたら、もう考えている時間もないって。だから、迷わなかったわ」
「そう、だったのか」
「でも……でも、足りなかった」
大きくなった筈の背中が、やけに小さく見えた。
「最初は回復したの。でも少しずつ、少しずつだけど、効き目が無くなっていくの。貴方が弱っていくのが、分かった。きっと、わたしの血が竜じゃない、亜人だから」
それはオスカーも自覚していた。
ギンコに連れられて狂乱するベヒーモスを沈静化した時、既に身体の異変は感じていた。
能力自体に衰えはない。
ただそれに耐えうるだけに、身体が追い付いてこない。
零式である零攻剣を使うまでもなく、体調のバランスが崩れつつあるのだ。
間違いなく、正規の方法であるザカンの薬を摂取していないためだ。
竜の血にもかなりの回復力があるようだが、当然ながら万能ではない。
彼女が亜人であるために、余計に効力が薄まっているのかもしれない。
ただの延命処置、そう言えない事もない。
それでもオスカーは、ゆっくりと首を振った。
「もしかして、そんな事で顔を赤くしたり、青くしたりしていたのか?」
「そ、そんな事って……」
「あのな、エイダ」
やっと視線を合わせてきたエイダに、彼は言い聞かせる。
「さっき、俺に謝ったよな? でもそれは間違いだ。エイダは俺を助けたんだ。意識を失って、どうしようもなかった俺を、エイダが助け出したんだ。例えそれが付け焼刃だったとしても、それだけは確かな事なんだ」
竜の血で生かされていたのは意外ではある。
元々、彼女の自然治癒には並外れた力があった。
他者に付与する効果があっても不思議ではない。
そして、それ以外に方法がなかった。
エイダは自分を助けるために、断腸の思いで自分を傷つけ、血を流したのだ。
亜人であるからとか、血の効き目が薄いからとか、そんなものを責めても仕方がない。
それよりも彼女によって自分は救われた。
オスカーにとって、それこそが重要だった。
「今、こうして生きていられるだけでも、奇跡みたいなものだ。俺の命は、エイダやギンコが手を貸してくれたからこそ、在る事が出来たんだ。俺が神の裁きから庇ったことも、父さんが連れ去られたことも、そこに自分を責める理由なんてない」
「……!」
「ありがとう。今はこうして再会できた、それを喜ぼうよ」
互いに助け合い、そして生き延びた。
そこに違いも、程度の差もない。
生きていれば、何処からでも歩き出せる。
生きてさえいれば、何度だって立ち上がれる筈だ。
ザカンが連れ去られ、それでも再会を喜ぶ彼を見て、エイダは小さく息を漏らした。
「やっぱり、眩しすぎるわ。オスカーだって自分の身体の事、分かっている筈よ。分かっている筈なのに、どうしてそんな……」
「エイダこそ、眩しい位に成長したな」
「またそんな、変な事を言って……」
「変じゃないよ。いや、本当の所、何があったんだ? たった一ヶ月でそこまで……血を分けただけが、理由じゃないんだろう?」
そうしてようやく、第二の疑問に辿り着く。
オスカー自身が生き延びた理由は、一応理解できた。
それでもエイダの姿が変わった話とは繋がらない。
血を分けただけで身体が急成長するのは、幾ら亜人でも前例がない。
別の訳があって然るべきだった。
するとギンコが答える。
「それとエイダの姿とは、全く別の話じゃ」
「やっぱり、まだ何かあるんだな?」
「うむ。まぁ、折角帰ってきたのだ。二人共、そこに座れ。近況を聞きながら、事情を話し合おう」
室内にあった大きなソファーへ、顎を軽く向ける。
これ以上話が長くなるなら、身体を休めながらの方が良い。
オスカーだけでなくエイダの気も遣っているように見え、二人は顔を見合わせつつ、その言葉に甘える事にした。




