3.目覚めの城
それは幼少期の記憶。
物心がつき、オスカーが自分の身体を理解し始め、暫く経った後の事だった。
寂れた診療所の窓から、彼は外の光景を見続ける。
視線の先には、同年代の子供たちが和気藹々と遊んでいる姿があった。
「もう、疲れたよ」
不意に少年の彼は口走った。
単に体調が優れないだけではない。
先の展望が、何も見えない。
そんな暗闇の中を歩くことに、諦観を感じ始めていたのだ。
ザカンはその言葉を聞いて、複雑な顔をするだけだった。
「オスカー……」
「どうせ頑張っても、意味ないよ。皆が普通に出来ることだって、何も、何も出来ないじゃないか。どうせ僕なんて……」
今のオスカーには何もなかった。
何の才能もなかった。
努力しようとしても、直ぐに周りの人と比べてしまい、呆気なく折られる。
実の両親も名も、顔も知らない。
恐らくこんな自分の身体を知って捨てたのだろう。
寄り添う者も、頼る者もいない。
ただザカンの作る薬で生きているだけの状況。
そんな今に、どうして希望が持てようか。
「もう、良いんだ。薬も飲まない。飲みたくない。どうせ、死ぬんでしょ? だったら、僕が生きている意味なんて、ないじゃないか。早く、苦しまずに死ねる薬でも作ってよ」
子供心の僅かな癇癪も込めて、彼は投げやりな態度を示す。
もう生かす必要もない。
仮に安楽死できる薬を作ってくれるなら、それでも構わないと言い放つ。
それを聞いて、ザカンは視線を逸らした。
オスカーの苦悩を一番間近で見ていたからだろう。
半端な優しさで接したとしても、余計に反発されるだけだ。
しかし、それでも答える。
「生きる意味なんてものは、誰もが始めから持っている訳じゃない。色々なものを見て、触れ合って、そこから見つけていくんだ」
「……そんなの」
「見つからないかもしれない。それはとても、難しい事だからな。でも、これだけは覚えていてくれ。お前がどんな人でも、生きていてほしいと思う人がいるって事を」
「……」
「俺が、その一人だ」
ザカンは薬師である。
赤子だったオスカーを拾い、ここまで生かし続けたのも彼のお蔭だった。
どれだけ世話になっているか、重荷になっているかは考えなくても分かる。
赤の他人の面倒を見続けるなど、普通ならば有り得ない。
両親と同じように、切り捨てるのが道理だ。
切り捨てれば、こんな寂れた診療所を続ける必要もなくなる。
何故そこまでの事をしてくれるのか、幼いオスカーには分からなかった。
「……どうして、そんなことが言えるんだよ。本当の家族でも、何でもないのに」
か細い声で呟く。
精一杯の抵抗だったのだろう。
ザカンはそこで腰を下ろした。
諦めかけている少年と目線を合わせ、そして寂しそうにしながら、微かに笑う。
「お前は、俺の――」
それから先の言葉は聞こえない。
夢から醒めるように、全てが光に包まれた。
●
意識が覚醒する。
横になっている感覚を取り戻し、オスカーは瞼を開ける。
見えたのは、見知らぬ天井だった。
漆黒に塗られた壁から、豪華絢爛なシャンデリアが垂れ下がっている。
各々の蝋燭に火が灯り、部屋全体を薄明かりに包んでいる。
「ん……?」
何が起きたのだろうか。
オスカーはぼんやりとした頭の中、半身を起こす。
どうやら自分は、巨大なベッドの上で寝かされていたようだ。
随分大きく、数人が横に並んでも事足りる位はある。
柔らかいマットレスと、掛布団の感触も確かに伝わってくる。
しかし、このような場所に覚えは全くない。
どこぞの寝室らしいが、貴族のように豪著に溢れた此処は、何度見ても記憶と繋がらない。
「ここは、一体……? うっ……!」
ベッドから勢いよく飛び出そうとして、その反動で頭痛が起きる。
どれだけ眠っていたのだろう。
状況が掴めず、周りに誰もいないこともあって、オスカーは記憶を辿る。
そして思い出す。
境海で起きたエスゼリクとの戦い、そして天上から降下した神の裁きを。
あの時は、エイダ達を守る事しか考えていなかった。
今の自分が持てる全ての力で光の裁きを防ごうとして、それでも防ぎ切れず、血を代価に魔力の質を引き上げた。
確かに、守り通した覚えがあった。
だが、それ以降の記憶がない。
気が付けば、この寝室で寝かされていた。
オスカーはゆっくりと動きながら、ベッドから降りる。
身体に大きな怪我はない。
あったのかもしれないが、傷跡は見る限り残っていない。
「手当てされたのか? でも、この違和感……」
よく見ると、服装も変わっている。
普段来ていた服ではなく、やたら高価そうな魔導士の服にすり替わっている。
それだけではない。
自覚できる身体の違和感。
漠然としていて未だ明言できないが、何処か調子がおかしい。
それもその筈である。
オスカーの身体は簡単に維持できる体質ではない。
ザカンが毎日薬を作っているからこそ、均衡を保っていられるものだ。
あの戦いで、父には決して危険が及ばないよう、その場から動くなと指示した。
念のために不動剣による結界も張っていた。
光の裁きに巻き込まれた記憶はなく、無事な筈だ。
つまり今生きている自分は、父によって手当されたと考えるのが自然。
なのだが、身体の底から湧き上がる違和感は何なのか。
何かが、違う。
そんな奇妙な感覚を頼りに、オスカーは寝室から出るために歩き出す。
そうして手持ちが寂しいことに気付き、辺りを見渡すが。
「そうか……剣は壊れたんだったな」
今まで使ってきた長剣。
オスカーが冒険者になった時、父から買ってもらった祝いの剣は、あの裁きによって破壊された。
あの時、剣の耐久を考える余裕はなかった。
それを犠牲にしてでも守らなければならない仲間がいたのだ。
デバフ使いである彼にとって、剣の喪失自体は些細な問題だ。
それによってデバフが使えなくなる程ではない。
しかし、長年使い古してきた剣だ。
喪失感がない訳ではない。
彼は何度か右手を握り締めつつ、遂にそこにはない事を受け入れる。
後で怒られるだろうか。
そんな事を考えつつ、無手のまま、重々しい寝室の扉を開けた。
鍵は掛かっておらず、静かに扉は動く。
先を見渡すと、左右に伸びた一本の廊下が続いていた。
寝室と同じで、黒を基調とした外観だ。
床に敷かれているカーペットも、レッドカーペットならぬブラックカーペットとして真っ直ぐに伸びている。
仄かに灯る蝋燭の光だけが、ぼんやりと辺りを映し出している。
禍々しさこそないが、やはり異様だった。
今見える一本の廊下だけでも、隣接する扉が幾つもあり、広大な場所であることが分かる。
闇の神殿、闇の城。
一見、そう言ってしまうのが適切と思える。
「城の中、みたいだ。でもやっぱり、こんな場所は知らない」
気を許して良い空間ではない。
警戒を解くな、という方が無理な話だった。
当然、足踏みをしている暇はない。
今置かれている状況を知るため、オスカーは慎重にそこから歩き出す。
闇に包まれた城内を、ひたすら探索していく。
他の気配は一切なかった。
これだけ広い城の中なのだから、何者かがいても不思議ではないのだが、待ち構える者も出迎える者もいなかった。
先程の寝室と似たような個室、彫刻ばかりが置かれた美術室、暖炉だけが静かに燃えている応接間など、色々な場所を巡る。
そうして歩き続けていると、光が差し込んでいる開けた場所を見つける。
城内にあるバルコニーのようだった。
もしかしたら辺りの地形や様子で、何処なのか分かるかもしれない。
思い至ったオスカーは、そこへ歩みを進める。
蝋燭の火ではない、真っ直ぐに照り付ける日差しを受け、思わず目を細める。
聞こえるのは小鳥の鳴き声だけだった。
時間を掛けて目を慣らし、先の色を取り戻していく。
視界の中で形を成していく輪郭と広がる光景。
それを見て、彼は目を見張った。
「ま、まさか……!」
思わずバルコニーに向けて駆け出し、石造りの柵手前で立ち止まる。
見えたのは三角型に聳える多数の樹木だった。
深緑色の葉が、笠のように下へ広がり、日に照らされて鈍く輝いている。
城の周囲を覆っているのは、それらによって形成された樹林。
何も考えずに見れば、ただそれだけのように思えなくもない。
しかし、彼は知っていた。
かつて読んだことのある書物に記述されていた特徴的な樹木。
枝は強靭で曲がりにくく、折れにくい性質を持つ。
武器に利用できない事もないが、決して簡単に手に入る代物ではない。
理由は単純。
これら樹木は気候上、人族の地で育つものではないからだ。
「ここは、人の領土じゃない……」
導き出される答えを、オスカーは呟く。
人の地ではないのなら、今いるこの場所は何処なのか。
呆然としながらも、左右を見渡す。
書物でしか見た事のない樹林、巨大な漆黒の城。
これだけの判断材料があれば、認めたくなくても認めざるを得ない。
「魔族の地……魔王城……!?」
瞬間、後ろからゆっくりと迫ってくる気配を感じる。
反射的に振り返ると、そこにあったのは銀色の毛並みだった。
一体、いつからそこに居たのだろう。
音もなく忍び寄っていた巨大な九つの尻尾が、目の前で揺れ動く。
「居眠りが過ぎたな、オスカー」
「!?」
「何処に行ったのかと思えば、これだ。あのまま一生、目覚めぬかと思ったぞ」
この城の主、魔王・ギンコがそこにいた。
陽光を受けて毛並みを輝かせつつ、目覚めたオスカーの姿を呆れながらも見つめている。
敵意は一切ない。
それどころか、声色は何処か優しそうに感じられた。
境海で袂を分かった筈の相手が目の前にいる事に言葉を失っていると、ゆっくりとこちらの様子を窺ってくる。
「何を、幽霊を見たような顔をしておる」
「ギンコ……お前、生きていたんだな……!」
「勝手に殺すな。全く……言った筈じゃ。そう簡単に、妾は倒されたりはせん」
あくまで相手を気遣うオスカーに、彼女は毒気を抜かれたようだ。
確かに、尻尾の数も元に戻っている。
時間を掛ければ再生できるのだろう。
エスゼリクからの受けた筈も傷も、何処にも見当たらない。
元は戦い合った敵であるというのに、敵対する事もなく相対している事実に、不思議な感覚が湧き上がってくる。
するとギンコは息を吐きつつ、待ち侘びたように頭上の太陽を見上げた。
「やっと、時が動き出したな」
オスカーの目覚めを望んでいたような言葉だった。
境海の上で、迷いを抱きながらも話に臨んでいた頃とは全く違う。
一体、彼女の身に何が起きたのだろうか。
そして今、自分はどんな状態にあるのか。
ギンコを見上げると、その考えを汲み取ったのか深く頷いた。
「聞きたいことが、山ほどあるじゃろう。しかし……」
不意に別の場所へと視線を変える。
微かに城の中から物音が聞こえたのだ。
鎖を引くような甲高い音。
獣のような唸り声。
気配からして別の魔族が隠れ潜んでいるようだ。
そしてギンコには、それに心当たりがあるようだった。
「先ずは、少し手伝え」
「え?」
「行くぞ。詳しい話は、その後じゃ」
そう言って、彼女は城内へと戻っていく。
唐突に差し伸べられる協力の二文字。
行く当てもなく、オスカーはその後を追うしかなかった。




