9.デバフ勇者は諦めない
そんな、馬鹿な事があるか。
兵士達からの伝達を聞いたウィルズからすれば、その話は酔いが吹き飛ぶには十分だった。
血相を変えて、夜深い王都の街を走り抜ける。
ギルドマスター邸にあった、得体の知れない地下空間。
そこで先程まで酒を飲み交わしていた戦友が斃れていた。
周りの警備兵が彼を取り囲む中、それらを掻き分けて駆け込んだ。
「嘘だろ、ディアック!? 目を開けろ、おいッ!!」
ウィルズはディアックを抱えたが、返事は帰って来なかった。
完全に息の根が止まっている。
ついさっきまで飲み交わしていた戦友は、物言わぬ遺体と化していた。
何故、と疑問ばかりが浮かんだ。
何でなんだ。
さっきまであんなに元気だったんだぞ。
こんなことが、あっていい筈がない。
混乱の果てに、ウィルズは叫んだ。
「ディアックゥゥゥ!! うわああああぁぁッ!!」
「ウィルズ様……」
「どうして! どうしてなんだよおおおッッッ!?」
地下空間内に、嘆きの声が響き渡る。
その場にいた兵士達は、誰一人口を挟むことが出来ない。
しかしその直後、急に沈黙した彼はおもむろに立ち上がる。
激情に駆られた瞳のまま、一人の兵士に問う。
「オスカーが逃げたってのは……本当か……?」
「あ……は、はい! 現場に居合わせた所を問い詰めましたが、意味の分からない弁明をするだけで……」
「弁明……だと……? アイツ……! アイツだッ……!」
既にウィルズは、この場で起きた事を理解していた。
殺されたディアックとギルドマスター。
そして逃亡したオスカーの存在。
何があったかは明白である。
まるで全て分かっているかのように、彼の瞳は殺意へと変わり、両腕の拳を震わせた。
「間違いない……! 俺達にパーティーを外されたから、こんなことを……こんな凶行に及んだんだ……!」
「ま、まさかそれだけで!?」
「許せない……! そんなに俺を苦しめて楽しいのか……ッ!? よくも、ディアックを!! それにギルドマスターまでッ! 殺すッ! 殺してやるッッ!!」
動機はパーティーを追放された恨み。
始めはギルドマスターのみ殺すつもりだったが、勘付いたディアックが追って来たので、口封じに殺したという推理だ。
元々オスカーに対して嫉妬心を抱いていたウィルズに、それ以外の考えは浮かばなかった。
「お前達……ヤツを指名手配しろ……! 王族殺し……勇者殺しの勇者……! オスカー・ヒルベルトをッ!!」
「は、はっ! 直ちに!」
兵士達はウィルズの言葉を鵜呑みにし、その場を去っていく。
王族であるギルドマスターの殺害となれば、国家反逆罪に近い刑が適応される。
加えて勇者メンバーの一人すら殺めている。
情状酌量の余地などなく、死罪に値するだろう。
すると残っていた数人の兵士が、戸惑いの声を上げる。
「な、なぁ、本当にあの男が殺したのか?」
「確かに……二人は屈指の実力者だ。簡単にやられる訳が……」
「元々、奴は実力不足で追放された筈だぞ? アレは、間違いだったって事か?」
その言葉は聞き捨てならなかった。
ウィルズはゆっくりと兵士達に歩み寄り、一人の肩を軽く握る。
「何だお前達……? 俺の、俺達の判断が間違っていたって言いたいのか……?」
「い、いえっ! 滅相もありません!」
「チッ! クソッ……!!」
何故ここまで来て、オスカーの実力が本物だったと認めなければならないのか。
怯える兵士達を見て、ウィルズは舌打ちをする。
だがそれでは気が収まらない。
彼らを殺したオスカーだけは、必ずこの手で始末しなければならない。
そんな使命感が、彼を突き動かした。
「待ってろ! 必ず仇は取ってやるッッ!!」
瞼を閉じて横たえるディアックに決意を示す。
そして未だ混乱する地下空間内を、声で制した。
「皆ッ! 正義は俺達にあるッ! あの男だけは、絶対に許すことは出来ない! 必ず俺が、勇者として奴を討ち取るッッ!!」
「おお……! 勇者様……勇者、ウィルズ様……!」
「どうか! 私達に救いを……!」
無論、それは完全な棚上げである。
しかし兵士達だけでなく、屋敷の者達までもがその言葉に縋りつく。
疑う者はいない。
最早全員が、オスカーこそが凶行の首謀者であると信じ込んでいた。
●
そんな中、二人の遺体を注意深く調べる者がいた。
現勇者パーティーの紅一点、フィリアである。
彼女もまた、王都外から帰還した直後、今回の一件を聞いて飛んできたのだ。
白魔導には、蘇生魔法という世界で数人しか使えない奇跡がある。
数日分の魔力と体力を対価に、死後時間が経っていない者を生き返らせる禁止級の術式。
そしてフィリアは、それを扱える者の一人だ。
しかしギルドマスターは、遺体の損壊が激しく蘇生が不可能。
ディアックについても、何故か蘇生が出来なかった。
周囲が悲観に暮れる中、彼女はその理由を調べるため、一人で遺体の状況を探っていた。
「どうして……こんなことにっ……」
原因が分かれば、ディアックの蘇生は出来るかもしれない。
そんな微かな希望を抱き、懸命に検視を続けた。
と、そこまで来てフィリアは気付く。
一つの違和感。
ある筈のない小さな変化。
「あれ? これって、黒魔導の残滓……?」
ディアックの身体にあった、本当に僅かな残痕。
得体の知れない、黒魔導の術式である。
今にも消えてしまいそうな程に小さく、どんな術式だったのかは分からない。
ただ彼は何らかの攻撃を受け、斃れたという事になる。
だが、それはおかしかった。
ギルドマスターを始めとして、勇者パーティーの面々は黒魔導を使わない。
五大元素を元にした魔導は一般的に使われているが、黒魔導はその危険性故に殆ど浸透していない。
そしてオスカーはそもそも、スキル扱いとなっているデバフ以外を一切使えない。
どう足掻いても、黒魔導が入り込む余地はないのである。
「もしかしてっ!」
一つの推測に辿り着いたフィリアは、近くにいた兵士に急いで問い掛ける。
「あ、あのっ! 警備兵さんっ! オスカーさんは、一体何を弁明していたんですかっ?」
「えっ。ええと……確か、魔族がギルドマスターに化けていたとか何とか……全く出鱈目なことを……」
「魔族が化ける……!?」
そこで彼女は理解する。
オスカーの弁明が真実ならば、この残滓にも説明がつく。
恐らくこれは、ギルドマスターに化けていた魔族が放った術式。
彼はその正体に気付き、単独で屋敷に忍び込んだのだ。
そしてディアックは、後を追ったことで戦闘に巻き込まれた。
蘇生が効かないのは、それだけ高度な即死魔術を受けたためと考えれば辻褄が合う。
フィリアは始めから、オスカーが疑わしいとは思っていなかった。
王都外へ出かけたのも、彼が前日に退治したと言われる魔族が確かなものか、調べるためだった。
何十体もの魔族の足跡や血痕。
そして戦った痕跡。
彼の発言が嘘偽りでないことは明白だった。
「あ……あ、あのっ! ウィルズさん……!」
思わずと言った様子で、フィリアはウィルズに進言しようとする。
だがその声をかき消す形で、彼の声が響き渡った。
「皆ッ! 正義は俺達にあるッ! あの男だけは、絶対に許すことは出来ない! 必ず俺が、勇者として奴を討ち取るッッ!!」
「おお……! 勇者様……勇者・ウィルズ様……!」
「どうか! 私達に救いを……!」
既に周囲は、オスカーが全ての元凶であると決めつけている。
今まで彼らが広めて来た差別が、冤罪に近い解を導こうとしている。
焦ったフィリアは声を振り絞った。
「皆さん……! ディアックさんの遺体に、黒魔導の残滓が……!」
「黒魔導? 何処にそんなものが?」
「た、確かにとても見辛いですけど……! この辺りに……!」
不信そうな声を上げる一兵士に、彼女はディアックの遺体を指し示す。
だが指を差した先は、残滓が消えた直後だった。
あっ、と声を上げたが遅かった。
暴走する彼らの推論を抑える証拠は、もう何処にもない。
「フィリア様……お二人を奪われて混乱しているのでしょう? 心中お察しします」
「い、いえ……ですから……!」
「安心してください。ウィルズ様が、必ずあの蛮族を討ち果たすと約束しました。今はお辛いでしょうが、あの方の言葉を信じましょう……!」
兵士はフィリアが動揺していると勘違いしたらしい。
怒りによって奮起するウィルズを指し、励ますだけだった。
そしてそれ以上、彼女が口を挟むことは、場の空気が許さなかった。
皆が一体感という名の紛い物に沸き立ち、懇願する。
異論は存在しない、してはならない。
或いはオスカーも同じような気持ちだったのかもしれない、と彼女は思った。
「一体、どうすれば……」
彼は今、何処で何をしているのか。
一人取り残されたフィリアは、持っていた杖を強く握りしめた。
●
「痛たた」
「あまり動くなよ? この位なら、直ぐに治る」
「ごめん、父さん……」
「なーに、謝ってんだ。しかしまぁ、軽傷で良かった。嬢ちゃんは、どうだい?」
「オスカーが守ってくれたから、平気」
「ふむふむ。じゃあ一先ず、安心って所だな。いやぁホント、血の気が引いたぜ」
王都から外れた場所にある森の中。
そこでオスカーは、ザカンからポーションによる簡易治療を受けていた。
アリアスによって貫かれた傷は、軽度ではあるが唾を付けていれば治る、というものでもない。
塗り薬のように傷口に当て、蒸気が立ち昇る中、傷を徐々に塞いでいく。
掠り傷はあれど、これだけの手傷を負ったのは始めての事だった。
油断をしていた訳ではない。
それだけアリアスが強敵だったという事だ。
物珍しそうに見るエイダと合わせて、オスカーは父が無事であることに心底安堵した。
ザカンはオスカー達がギルマス邸に潜入したと同時に、王都から抜け出していた。
王都の皆から追われる最悪の結果を考えてのことである。
彼には戦闘能力がない。
腕っ節には自信があるようだが、兵士達に囲まれればなす術もないだろう。
故に合流場所を予め決め、屋敷を脱出したオスカー達は彼と再会したのだった。
「王都の方は騒がしくなってる筈。今頃、俺達を血眼で探してるだろうな」
「結局、誰も俺の言葉を信じてくれなかったよ」
「お前は悪くないさ。ギルマスに化けていた魔族を倒して、王都の皆を出来る限り守ったんだ。誇っていい」
「……」
「それに、誰もって言うのは語弊があるぜ。父さんは、お前のことを信じてるからな。ホレ、これで一人目だ」
簡易治療が終わり、ザカンは軽くオスカーの肩を叩く。
こんな状況にも関わらず、彼は変わらず笑顔を見せた。
「当然、俺だけじゃない。この子も同じさ」
「拳の人は、残念だった。でも、オスカーはエイダだけじゃない。皆を守ったわ」
「そら、これで二人目だな!」
エイダもコクリと頷く。
先の戦いでは、ディアックを助けられなかった。
だがアリアスを倒したことで、王都に住む人々の命は救われた。
それだけは確かな事実である。
周囲からの差別と冤罪で混乱するオスカーとしては、その言葉に少しだけ救われた気分になった。
それでも二人に気を遣わせていることは確かなので、申し訳なく感じる。
「……ごめん」
「謝るのは悪い癖だぜ、こういう時は感謝の言葉じゃないか?」
「あぁ……ごめ……」
「んん?」
「……ありがとう」
「ヨシ!」
満足げなザカンに対して、オスカーは頬を掻きながら辺りを見回す。
今の所、追手は来ていないが、このままジッとしている訳にもいかない。
進む道は幾らでもある。
聞き分けのない者達への復讐。
勇者としての関係を切って、雲隠れしてしまっても良い。
それでもオスカーは、自分が成すべきことを忘れてはいなかった。
「で、これからどうするよ?」
「魔将と呼ばれている魔族を倒す。今まで、魔王を倒すために色々な魔族と戦ってきたけど、魔将なんてヤツはいなかった。きっと俺達の知らない陰謀が隠されているんだ」
「魔将は一体だけじゃないのか!?」
「アリアスは、我ら魔将と言っていた。複数体いるのは間違いない」
「魔王だけじゃなく、魔将……しかも、王都の連中はそれを全く知らない。真相を知っているのは、俺達だけってことか」
「きっと、簡単な話にはならないと思う。でも、俺を引き抜いたあの人の、ギルドマスターの言葉は嘘じゃなかった。だから俺はあの人の言葉を信じる。見て見ぬフリをして、放っておくことなんて出来ない」
人々から追われながら魔族を倒す。
言うだけでも困難を極めることは分かっている。
それでも此処で投げ出せば、人族は魔族に滅ぼされる。
確信に近い予感がオスカーにはあったのだ。
だからこそ、彼はエイダに向き直る。
「だからエイダ。ここでお別れだ」
「え……?」
唐突にそう言われ、彼女は目を見開いた。
「君を捕らえていたアリアスは倒した。これ以上、俺達といる必要もない。というか俺達といれば、皆から追われる立場になる。今ならまだ、逃げ切れる筈だ」
「……ここで、さよならってこと?」
「あぁ」
同行する理由はない。
下手をすれば、王族殺しの汚名を着せられる可能性すらある。
これは彼なりの、身を案じた結果の言葉だった。
すると彼女は少しだけ俯いた後、小さく呟いた。
「やだ」
「えっ」
「やだ」
「そ、そんなことを言っても……」
「オスカー達がこうなったのは、きっとエイダのせい。エイダが巻き込んだ。だから、一緒にいるの。それに、帰る場所もないから」
責任を感じているのか、その場を立ち去ろうとはしなかった。
彼女は自分の身が危険になろうとも、同行する道を選んだのだ。
もう一度上げたその顔は、確かに決意に満ちていた。
「良いのか? きっと、辛い旅になるぞ……?」
「いいの。今までずっと、隠れて生きて来ただけだから。そんな誰かも分からない亜人を貴方達は助けてくれた。だから二人が大丈夫になるまで、一緒に行くわ」
オスカー達の罪が晴れるまで、共に行動するという事だろう。
事の重大さが分かっていない訳ではない。
ザカンが腕を組み、それから問う。
「君、家族はいないのか?」
「……いないわ」
「そうだったのか……」
「父さん、大丈夫かな?」
「こんな状況だ。信用してくれる誰かがいるってのは心強い。それに……」
「?」
「今はまだ、誰も耳を傾けてくれないかもしれん。でも、オスカーが誰かのために戦い続けるなら、きっとお前の事を分かってくれる人が現れる。今の彼女のようにな」
今の状況は四面楚歌。
何を言った所で、周りを逆撫でするだけだ。
それでも言葉ではなく行動で示すことで、少しずつ何かが変わるかもしれない。
残ると決意したエイダが、その証拠である。
「諦めない、か……」
少しの間の後、彼は彼女の透き通った瞳を見た。
「分かった、訂正するよ。エイダ、俺達と一緒に来てほしい。魔族の陰謀を止めるために」
「ん! 任せて、勇者さま!」
「えっ、勇者? 俺が?」
「……? ダメだった?」
張り切っていた彼女が不思議そうに首を傾げる。
今のオスカーは、ただ勇者を名乗っているだけの似非である。
殆ど無名のような存在。
それでも誰かから勇者と呼ばれることに、嫌悪感は一切なかった。
「そうだ……俺は、まだ勇者なんだ。やっと、思い出した」
オスカーは微かに笑みをこぼす。
エイダとザカンも、その様子を見て少し安堵したようだった。
ただ、己の信じる道を歩む。
自分が自分であるために。
「よし! 行こう!」
もう悲観はない。
三人は、闇に紛れるように森の中を歩き出した。