21.神の目算
竜人であるエイダが零度の海水に落ちようとも、危険はない。
凍死する気温であろうと、意に介さない耐久力がある。
そして魔力によって生み出されたものであるなら、全て帰属下に置かれる。
エイダも彼が何をさせようとしているのかは理解していた。
だからこそ動揺はない。
海中でゆっくりと息を吐き、辺りを見渡す。
目の前に広がるのは、重力を受けて身動きが取れない魔族の群れだった。
「貴方達の事はよく知らないわ……でも、負ける訳にはいかないの……!」
そうしてエイダは、帰属させた海中で渦を巻き起こした。
始めは小さな渦だったが、直ぐに巨大な渦潮へと変わり、一帯の海中全てを絡め取る。
絡め取られたモノは全て圧縮し、押し潰す。
その勢いは竜巻のように押し上げられ、空中へと高く上っていき、オスカー達の視界の先まで届いた。
「竜水渦!」
巨大な水柱、渦潮が撒き上がっているかのようだった。
巻き取られた魔族が、重力と圧縮の果てに消えていくのが見える。
これが竜人であるエイダの全力だった。
魔将・エスゼリクの娘であると言っても、理解は出来る程に。
間近でそれを見たことがなかったザカンは、あまりの光景に思わず声を漏らす。
「何て、馬鹿デカい渦潮だ」
「あぁ」
「でも……やり過ぎじゃねぇか……?」
「……降りよう。あの竜巻に巻き込まれる前に」
石化した氷河はまだ残っている。
浮遊剣の効力を徐々に弱めながら、二人はそこに着地した。
周りを引き寄せる程の風圧が、未だに渦潮の中で巻き起こっている。
魔族が必死の思いで喰らい付いたように、彼女自身にも相当の覚悟がある。
荒れ狂う感情の如きそれが収まるのを沈黙の中で見届けていると、罅割れた氷塊から黒い影が這い上がる。
残されていたクラーケンの触手の欠片が意識を保ち、背後からオスカーに飛び掛かったのだ。
「!?」
「薬星の加護!」
オスカーが反応するよりも先に、ザカンの手中から緑色の光が放たれる。
薬草を利用した結界だったらしく、二人を守るように包み込み、襲い掛かって来た触手を弾き返す。
魔力ではない物理的な防御壁。
それによって触手は最後の力を出し切ったように、その場で動きを止めていった。
まさか守られるとは思わなかった。
間に合わなかった訳ではないが、不意を突かれたものの的確に防御したザカンに、彼は驚きを隠せなかった。
「あ、危ねぇことをしやがる……」
「い、今のは?」
「……ただの防御術さ。薬師として一般的なモン、そう驚くことでもないだろ」
「そ、そうだったのか。知らなかったよ」
「まぁ、薬師が前線に出る事なんて滅多にないからな。知らないのも無理ねぇかもな」
そう言いながら、ザカンはふうっと息を吐く。
一時的なモノのようで、緑の防御壁も直ぐに消失した。
薬師の知識に詳しくはないが、読んで字の如く、薬草とは薬という意味以外の効力を持たない筈。
壁を形成できる力があるなど知らなかった。
薬師が戦いの場に出ることは殆ど無いので、実際に知られていないだけで、そういうモノもあるのかもしれない。
しかし知識が足りなかった事と、殆ど無力な父に守られた事に対して、オスカーは反省するしかなかった。
続いて水中から飛び上がったエイダが、纏わりつく水を全て弾き飛ばしながら、二人の元に近づいてきた。
既に渦潮は止まっており、身体には掠り傷一つない。
あれだけの魔族を相手にして、多少の魔力を消費しただけに留めている。
代わりに彼女の表情は真剣でありつつ、少しだけ冷たく見えた。
こればかりは、周囲の冷気のせいでない。
「辺りの魔族は全て倒したわ」
「ありがとう。助かった」
「ううん。普通の事をしただけよ。それよりも、先を急ぎましょう」
「待ってくれ。さっきの戦いもそうだったけど、前に意識が行き過ぎている。ここは、慎重に動こう」
「……」
「気持ちが逸るのは分かる。でも急げば相手の思う壺だ。俺達は着実に進んでいる。それは忘れちゃいけない」
一応、忠告だけはしておく。
先程の渦潮も、これまでの戦い方も、ザカンの言う通り少し気持ちが先行しているように感じていた。
戦いの中で焦りを抱いたままだと、思わぬ所で足を掬われかねない。
自覚させるように、それでいて安心させるように言うと、彼女は少しだけ眉尻を下げた。
「……そう、ね。やっぱり少し、焦っているのかも」
目先で大きく泡立つ海水を見て、自分がした事の大きさを理解したようだ。
心なしか息も上がっている。
焦燥という意味が分かっていなくても、身体が既に反応を示していた。
彼女は息を整え、熱くなった全身を冷やす。
それ以上前進せず、距離を縮めようと近づいてくる。
その瞬間だった。
横撫での吹雪の向こうから、異様な気配を察知した。
単純な感覚ではない。
所謂、虫の知らせ。
勇者であるオスカーにしか分からない直感のようなものだった。
「ッ!? エイダ、下がるんだ!」
『絶氷界』
何処からともなく声が聞こえると共に、前方から手元さえ分からなくなる程の巨大な雪崩が押し寄せる。
背丈の十数倍はありそうな高さで、轟音と共に全てを押し流そうと迫る。
早い。
今までの攻撃とは訳が違っていた。
エイダも一瞬遅れて反応するが、間に合わない。
そう察知したオスカーは、彼女を呑み込みかけたそれらに対し、展開していた零魔剣を前方へ張り巡らせた。
魔力を絶つデバフによって、迫り来るそれらを消失させる。
しかし次から次へと魔力の渦が襲い、簡単には押し返せない。
脅威的な魔力濃度だった。
吸収した魔力を常時吐き出さなければ、身体の魔力貯蔵量を超えて破裂しかねない程だ。
即興で零魔剣の性質から吸収を除外し、無効化だけに絞りつつ、どうにか徐々に押し上げる。
そして手間取りながらも、全ての雪崩を打ち払った。
すると今までの雪嵐と連動していたのか。
雪崩が止むと共に、先の光景が見えなかった吹雪が止み、目の前が一瞬で晴れ渡った。
訪れたのは何もない雪景色と、今までとは一転する静寂だけだった。
微かな雪が降り注ぐだけで、天から陽光すら照りつけてくる。
一体何が起きたのか。
後方にいたザカンは取り敢えず無事なようだ。
「な、何が起きたんだ!?」
「分からない! 零魔剣で効力は打ち消した筈だけど……!」
だがエイダが何処にも居ない。
さっきの雪崩に巻き込まれたのか。
それとも何か別の攻撃を受けたのか。
思わずオスカーは周りを見渡しながら叫ぶ。
「エイダ! 何処にいるんだ!?」
凍結した境海に、彼の声が響く。
しかし返答はない。
他の生命体の気配も一切感じない。
あのエイダが何も言わずに居なくなるとは思えない。
先程の雪崩に巻き込まれたと考えるのが妥当だった。
「今の攻撃が、魔力によるものだとしたら……」
「どうする気だ!?」
「零魔剣で周囲の魔を絶つ! 何か手掛かりが掴めるかもしれない!」
原理は分からないが、魔導による隠匿の可能性がある。
零魔剣で粗方の魔力を絶ち、一帯の魔力行使を露呈させるしかない。
確かな情報を得る為にも、オスカーはザカンを守りつつ剣を構える。
『待つのじゃ』
「!?」
『今、彼女を探した所で何も見つかりはせぬ』
しかし不意を突くように呼び止められ、オスカーは動きを止める。
聞こえたのは古めかしい女性の声だった。
姿は全く見えないが、その声色には確かに聞き覚えがあった。
『また会ったな。久絶の勇者よ』
「まさか、その声は……!?」
大灯台で逃げ延びた筈の、魔王・ギンコだった。




