16.神の勅令
女神・アナスタシアなる者が顕現して以降、大修道院は別の意味で混乱していた。
何せ信奉していた神々の一柱が、現れたのだ。
動揺しない方がおかしい。
かん口令を敷くよりも先に情報はあっという間に広まり、院内にいた信徒たち全員が、大聖堂に一斉に集まっていた。
「女神様! 女神・アナスタシア様!」
「やはり、私達の信仰に間違いなどなかった!」
「どうか! どうか私めに一目、その御姿をッ!!」
辺りは人でごった返している。
女神の姿を拝謁しようと、我先に飛び込もうとする。
パラミナの騎士団が当然それを阻止するが、その過程で怪我人すら出る始末だ。
顕現から一日が経った今でも、この有様なのだ。
当分、この熱は収まらないだろう。
しかし、アナスタシアが自ら姿を現すことはなかった。
大聖堂から一歩も外に出ることはなく、普段も人前に姿を見せようとはしない。
大司教を含めた、力ある者以外には用はないという事だろうか。
一人一人に言葉を投げ掛けていてはキリがない、その考えは理解できるが、少し冷酷にも感じられた。
「やっぱり、どうかしてるぞ」
元の客室に戻っていたザカンが、微かに響く歓声を聞いて反論の声を上げた。
結構に感情の込められた声色で、あからさまな反抗心が現れている。
オスカーは振り返ることなく聞き返した。
「どの辺りが?」
「そりゃあもう、今までの事が全部さ。お前もそう思ってるんだろう?」
「……」
「罰当たりなことを言うモンじゃねぇのかもしれねぇ。でもよぉ、あの女神様が言っている事は、かなりのモンだぜ?」
彼は女神から受けた神託について異議を唱えていた。
彼女が顕現したのは、魔将・エスゼリク討伐のため。
力を持つオスカー達に指示を出すのも当然ではあった。
だが、託された意志は彼らにとって納得のいかないものだった。
「助けも援軍も必要ない。必要なのは、オスカーとエイダの二人だけ。いやいや、流石におかしいだろう? 何で、二人だけに任せなくちゃならねぇんだ」
「父さんの言いたいことも分かる。でも、外の様子を見れば仕方ない気もするよ」
エスゼリク討伐に当たるのはオスカーとエイダのみと、アナスタシアは宣言した。
他の者は足手纏いだと言わんばかりの発言。
二つ返事で承諾できるものではなかったが、理屈が分からない訳でもない。
オスカーは部屋の窓から外の光景を見る。
既に空には薄い雲が覆い、しんしんと雪が降り続けていた。
「季節外れの雪。これがエスゼリクの魔力によるものだって、女神様は言っていた。これだけ広範囲に届く力なら、それに対抗できる力を持つ人じゃないと相手にならない。だから、俺達二人が選ばれたんだと思う」
「そんなモン、わざわざ二人に行かせずに、女神様が行けば良いじゃないか」
「まぁ、確かにそうなんだけど……」
正論である。
魔将を倒すために現れたのなら、女神自身が倒しに行けば良い。
何故ここまで来て、オスカー達に武器を取らせるような行動をさせるのか。
そんな考えを見抜いていたのだろう。
女神は惑う彼らに続けてこう言っていた。
『……案ずる必要はない。お前達には神の加護がある。戦場に赴いた時、必ずや魔将に神の裁きが下るだろう。ワタクシは常に、お前達の傍にいる』
本当に傍にいるのだろうか。
オスカーはその時の言葉を思い出して、周りを見渡してみる。
無論、そんな事をしても女神の気配など感じられない。
そしてそれをただの適当な言い訳だと思っていたのだろう。
椅子に座っていたザカンが、思い切り立ち上がった。
「ったく、仕方ねぇ! こうなったら一発、言いに行ってやる!」
「ちょっ!? もしかして、女神様の所に!? だ、駄目だって!」
流石にそれはマズい。
神様相手に直接食って掛かれば、何をされるか分かったものではない。
彼は思わず父を止める。
「相手は神様だ! 幾ら何でも、父さんの意見が通る訳が……!」
「だったら、指をくわえて見てろってのか!? 今までは黙ってたが、これ以上、二人に無茶なんてさせられるかよ!」
ザカンからすればこの反応も当然なのかもしれない。
二人はもう十分に頑張ってきた。
冤罪を掛けられ殺されそうになりながら、ようやく此処まで辿り着いたのだ。
今まで見守ってきた側からすれば、到底容認できるものではなかったのだろう。
一瞬オスカーの力が緩んだ隙に、彼は手を振り解く。
あっと言う間もなく、そのまま部屋を飛び出してしまった。
「もう……熱くなったら、直ぐにこれだ……」
オスカーは頭を悩ませる。
昔から感情的になったら考えるより行動する、父の悪い癖だ。
しかし、大聖堂は今も混乱の極致。
ザカンであっても、勝手に侵入できるとは思えない。
騎士団の兵士達に門前払いされるのがオチだろう。
どうせ肩を落として帰ってくると思い、オスカーは視線を別の方に向ける。
そこには部屋の端で、体育座りをしたまま考え事をしているエイダがいた。
「エイダ、大丈夫? 何か、温かいものでも飲む?」
「ん、ありがとう……。でも、大丈夫よ……」
エイダはオスカーを見上げて微笑む。
やはり、あれから彼女の元気はない。
例え過去に嫌悪されていた関係でも、父を滅ぼせと言われれば、そうならざるを得ない。
しかもまだ幼い少女だ。
大人びているように見えても、簡単に受け止めきれるとは思えない。
オスカーは彼女の傍に座り込み、問いを重ねた。
「エスゼリク……君のお父さんは、どんな方だったんだ?」
「……とても、怖い竜だったわ」
彼女は答える事に躊躇しなかった。
自分が経験してきた過去の通り、そのままを述べていく。
「竜の中でも強くて、冷たくて、エイダの事なんて見てもくれなかった。まるで敵を相手にしているみたいだった」
「どうしてそんな事を……」
「分からないわ。お父さんは、何も喋ってくれなかった。もし……お母さんが生きていたら、何かが変わっていたのかしら」
顔も分からない母親を思い浮かべるように、天井を見上げる。
その様子を見て、オスカーは胸を痛めた。
女神・アナスタシアは間違いなく、二人で戦場に赴くよう告げた。
だが、今の彼女が本調子でないのは明らかだった。
戦いに出たとしても、却って自分の身を危険にさせかねない。
自分の中に迷いを抱くのは、それだけ大きな隙になるのだ。
実の父を前に、迷いを抱くなと言うのは無理がある。
そのためオスカーは一つ決心し、彼女に提案した。
「……エイダ、君は此処に残るんだ」
「えっ?」
「この戦いは、俺一人で行く」
「そんな……!」
思わずエイダは身を乗り出したが、彼は首を振った。
「女神様は、俺とエイダの二人を選んでいた。でも例え君のお父さんが、どんな竜だったとしても、やっぱり家族同士で戦わせる訳にはいかない。それは、あまりに酷過ぎる」
「でもっ……!」
「それにきっと、エスゼリクは君がいる事に気付いている筈だ。彼自身が魔将であって、他の魔将を二体も倒したんだからな。その上で、戦いを挑んで来たんだ。多分、向こうは容赦なんてしない」
相手が手心を加える可能性は低い。
実の娘が現れたとしても、全力で討ちに来るかもしれない。
そんな状態で相対すれば、エイダの命が危険に晒される。
例え女神の意向であっても、戦意を持てない者を戦場に立たせる意味などないのだ。
そして彼女は、過去を知りたがっている。
以前、ギンコへ自身の母親について問い質した時もそうだった。
自分が何のために生まれ、これからどう生きていけば良いのか。
自問自答のように繰り返してきた問いを、彼は見抜いていた。
可能にするには、オスカーのデバフによってエスゼリクを無力化する以外にない。
そこでようやく互いの対話は成立する。
「大丈夫。俺の力に殺傷力はない。ギンコと同じように弱体化してしまえば、勝ち目はある……って、結局は父さんとやってることと変わらないな」
「オスカー……そんなの、一人だけじゃ……」
「そんな顔のままで戦いに出られる訳ない。きっと女神様も、分かってくれる筈だ」
所詮、あの選抜についても力関係だけを考慮したものだ。
エイダとエスゼリクの関係が、判断に入っているとは思えない。
もう一度、彼女に提言すれば思い直してくれる可能性もある。
そこまで考えて、オスカーは結局、やっている事は父と変わらないと気付く。
動機は同じ。
大切な人を傷つけさせないため。
見方が変われば考え方も変わる、という事だろう。
自嘲気味になりながらも彼はエイダを客室に残して大聖堂に向かい、時間を掛けて女神の元に辿り着く。
全ては彼女を苦しませないために。
だが。
『ならない』
アナスタシアは全く聞き入れようとはしなかった。
「ですが、彼女はとても戦える心境じゃありません。ここは自分一人で……」
『出来ない。これが主神・ゲイル王から下された勅令だ』
是が非でもエイダを連れて行け、と言いたいらしい。
オスカーの言葉も、耳に入れているようには見えない。
現れた当初から察していたが、どうやらアナスタシアは、主神であるゲイル王の命に従っているだけのようだ。
お互いに見えない所で会話をしているのだろうか。
言われたことを、ただ言っているだけ。
王の考えは絶対であり、そこに疑問を抱いたりはしない。
そう思わせるように、アナスタシアの表情は何処までも無だった。
『エスゼリクは絶対の零度を操る、人にとっては触れるだけで致命傷になる最悪の力を持つ。しかし竜の血を引く彼女は、それに大きな耐性がある。最も適任な逸材なのだ』
「……戦うだけの理由がなくても、ですか?」
『理由はある。人族を守るという崇高な理由が』
人々を救う事こそ、至上の命題。
血の繋がりを考慮する必要はない。
大事なのは、エスゼリクに対して有効打を放つ者がいるのかどうか。
その一点だけを理由に、エイダは選ばれた。
竜の血を持つ彼女の耐久力は、人族のそれを遥かに超える。
それでもオスカーには、納得し切れないものがあった。
頷くことが出来ず、ステンドグラスの陽光だけが照りつけ、互いに時間だけが過ぎていく。
するとアナスタシアが、不意に視線を横へと向けた。
『……そこまで不安だと言うなら、もう一人加えよう』
「もう一人?」
聞き返すと、彼女が見ていた先の柱から何者かが現れる。
協力者を一人増やして、戦力の増強を図る気か。
だとすれば、まさか老齢のフェーネラルを戦場に出すと言うのか。
思わず視線を向けるオスカーだったが、それは大きな間違いだった。
苦しそうな顔をして出て来た人物を見て、目を見開く。
そこにいたのは女神に直談判に行ったはずの父、ザカンだった。
「すまん、オスカー……こんな事になるとは……」
「ま、まさかっ!?」
予感、ではなく直感でオスカーは女神に振り返る。
依然として無表情のまま、彼女はザカンを指差した。
『その男を連れて行け。お前達の役に立つだろう』
「ま、待って下さい! 父さ……父には戦う力なんてありません! 幾ら女神様のお言葉でも、それは無茶が過ぎます!」
『無茶ではない。各々の力量、そして相互関係を見極めた上で、これが正しいとゲイル王が判断した。それに……』
話を区切ってザカンを見据える。
言いたいことが纏まらずに絶句するオスカーを置いて、彼女は言い放った。
『お守をするだけが、お前の役目ではないだろう? いつまで出し惜しみをしている?』
「!?」
『人族として、その責務を果たせ』
それだけだった。
それ以降、アナスタシアは光に包まれ消えていった。
もう会話をする意味はないと判断したのだろう。
静寂だけが大聖堂の中を包み込む。
歩み寄ってきたザカンに対して、オスカーは呆然と消えた光の先を見ていた。
意味が分からなかった。
一体どんな判断を下して、どんな考えがあって、父を連れていこうとするのか。
「本気で言っているのか……? そんなのは、あまりに……」
「オスカー君、貴方の気持ちも分かります。ですが恐らく私達には、想像もつかないお考えがあるのでしょう」
恐らく共にいたのだろう。
ザカンの後ろから大司教・フェーネラルが現れる。
彼は非常に複雑な表情をしたまま、オスカーを諭してくる。
無茶に近い指示であるにも関わらず、それでも否定するつもりはないようだ。
「アナスタシア様、そして主神・ゲイル王様のお言葉に間違えなどありません。貴方達には神の加護がある筈です」
「……」
「以前、私は自分の意志で行動し全てを失った。そんな私からすれば、貴方達は少し羨ましくすら感じるのです」
先代勇者の顛末は勿論理解している。
その上で、神という存在を信じているのも分かっている話だ。
今のフェーネラルの考えを否定しても意味などない。
何も変わりはしない。
抗議する相手を失い、オスカーは項垂れるしかなかった。
「行くしか、ないのか。でも……」
何かが、おかしい。
明らかに作為的なものを感じ、彼は両手を握りしめた。




