13.妄執勇者の崩壊
エスゼリクの宣戦布告は、黒魔導を通して人族の地に伝えられた。
王都の上空から鳴り響いたその声は、民衆を恐れ戦かせるには十分だった。
境海から攻め込むという魔王を名乗る者の存在。
怒りに満ち溢れた、殺意とも呼べる宣告。
始めは悪戯だと信じていなかった者達も、大掛かりに過ぎる状況を理解して俄かに騒ぎ出した。
すぐさまその一件は王宮に伝わり、クレイロード王の耳に入る。
「ど、どういう事だ!? 魔王が侵攻を開始するなどッ……!」
突然の事に、王ですら理解が及んでいなかった。
魔族との闘争は幾度となく、繰り広げられてきた。
境海を挟んでの防衛線、人知れず領土に忍び込んできた魔族との闘争。
戦いでのいざこざは数えきれなかったが、魔族から直接声明を下す事態は、王国建国以降ないものだった。
王配下の者達も、戸惑いを隠せない。
当然、フィリアも事態の最中にいた。
直ぐに現場に到着した彼女は、黒魔導の気配を探索。
しかし相手側から一方的に打ち切られ事により、逆探知は叶わなかった。
本当に魔族によるものなのか、それとも別の何者かの仕業なのか。
何にせよ、今の宣言は真実と仮定した上で動くのが懸命である。
そう判断した彼女は、周囲が混乱する中、冷静な思考を維持したまま王に進言する。
「国王様。魔王を自称する事ならば、どのような魔族にも出来るでしょう。恐らくこれは陽動。ただ魔王を名乗るだけの力があると仮定し、王国全域への厳戒態勢は敷くべきかと。私も力をお貸しします」
「う、うむ。仕方があるまい。先ずは、兵力を集めよう。各地の状況を今一度調べ、要所に騎士団を派遣する」
王もそこで冷静さを取り戻す。
王としての責務の一つは、王国全体の安寧だ。
脅威を知らしめる魔族から、国民を守らなければならない。
まだ見えぬ脅威に対して被害を減らすため、兵力の増強を容認する。
そしてもう一つ気掛かりな事実。
つい先日、王都の中心で行われた魔族の磔について思い出す。
「となれば、ウィルズ・ヴェンダルの報告にあった、魔王打倒とは……」
「魔王を名乗るエスゼリクは、同胞と名乗っておりました。私個人の推測ですが、磔にされた魔族は、恐らく魔将。そして少なくとも、魔王ではないかと」
「……馬鹿な事を。欲に目が眩み、大口を叩いたという訳か」
既にフィリアは、オスカー達との通信でカイツェルが魔将であると理解している。
磔にされた魔族は魔王ではないと、彼女は明言する。
それはつまり、凱旋を果たしたウィルズの言葉が嘘だという事に他ならない。
だがクレイロード王は失望したように、重く息を吐いた。
どちらが真実か、考える間でもないようだ。
周囲に控えていた従者に向け、右手を上げて指示を出す。
「至急、ヴェンダル家の当主、ロラン・ヴェンダルを呼び出せ。あの間抜けな子息を連れ戻すように伝えるのだ」
「はっ!」
「この度の遠征は、神剣あればこそだったと言うのに……よもやあの剣、贋作という事はあるまいな……」
彼も神剣の存在を認めたからこそ、大灯台への遠征に力を貸した。
あの神々しい光は、確かに神話に語り継がれる伝説の剣だと信じていたのだ。
とは言え、それは剣に限っての話。
使い手によっては薬にも毒にもなり得る。
そして虚言を振るうウィルズの存在は、薬から毒になりつつあった。
巷で聞くウィルズ・ヴェンダルの様子のおかしさ。
宮廷騎士団が報告した、オスカー・ヒルベルトの助勢。
それらを総括した上で、客観的に事実を元に王は判断を下す。
かつてギルドマスターを殺され我を失いつつあったが、時間が経ってようやく冷静さを取り戻しつつあったのだ。
「フィリア・アーノルド。パラミナとの交渉は後に回させてもらう。王としての立場故、今のパラミナを妄信する訳にはいかんが、敵対している余裕はない。そして、其方個人の力は信用している。どうか、手を貸してほしい」
「分かりました。白日の勇者として、その使命を全う致します」
フィリアにとっても、ウィルズの暴走は目に余っていた。
己の利益だけを考え、そのためならばどのような暴挙にも出る。
最早自分の言葉が届いているようには思えない。
自分一人で止められないのであれば、より目上の人から止めてもらうしかなかった。
そして彼女の進言は王に届けられた。
心苦しい話だが、直ぐにでも彼の元に勅令が下るだろう。
「ウィルズさん……これで落ち着いてくれれば……」
今、彼に必要なのは自分を見つめ直す事。
それを気付かせてくれる場や環境がなくては、暴走する一方だ。
どうか、この一件で心を鎮めてほしい。
フィリアは以前のウィルズ、彼女が勇者パーティーに参入した当時のリーダーシップを、取り戻してくれることを祈るしかなかった。
そうして所変わって、王都中心部。
磔にされたカイツェルの前に、先程まで堂々とウィルズは立っていたのが、今はその面影はない。
理由は単純。
彼は王都中に響き渡ったエスゼリクの宣告に戸惑っていたのだ。
無論それは周りの民衆も同じだ。
恐れの声すら上げる人々を、王都の兵士達がどうにか鎮静化させていく。
喧騒で溢れかえっていた辺りは静まりつつあったが、彼の心は全く穏やかではなかった。
「魔王・エスゼリク? 何なんだ、それは! 何故、魔王が二体もいるんだッ!?」
ウィルズの動揺は本物だった。
嘘をついていたからではなく、嘘がバレたせいでもない。
彼は本気で、自分が魔王を倒したのだと信じて疑っていなかった。
神による神託を受け、それが正しいものだと妄信する。
自分が大灯台で騎士団を見捨てて先行したことも、最上階でカイツェルに手も足も出ずに敗北したことも、何も覚えていない。
端から覚える気がない。
信ずるのは自分、そして自分を認めてくれる存在のみ。
それ以外は神託を受けた自身を否定する、背徳者だと思っていたからだ。
だがそこで聞こえてきたのは、彼の行為を否定するような宣言。
暫くして、冷静さを取り戻した民衆達の声も聞こえてくる。
「国王様が、厳戒態勢を敷くそうだぞ」
「じ、じゃあ、ウィルズ様の言っていた魔王は?」
「あぁ、ただの嘘っぱちだったって事だよ」
「ひでぇ……。幾ら貴族だからって、こんな事が許されるのかよ……」
一斉に軽蔑に似た視線が注がれていく。
思わず後退るウィルズには、全く理解できなかった。
何故、自分がそのような目を向けられなければならないのか。
自分は確かに、魔王を倒して磔にした。
勇者として申し分ない実績を積んだ。
それだけは疑いようのない事実の筈だった。
敬われる理由はあっても、軽視される理由など存在しない。
「ま、待つんだ、お前達ッ! この魔族の異質さは、目の当たりにしているだろう!? どうせ、魔王を自称する脆弱な魔族に違いない! そ、それに、この剣の輝きを見ろッ!!」
思わず神剣を抜き、頭上に掲げる。
この剣が全ての証明。
自分の言葉が神に選ばれた、真実のそれであると物語ってくれる。
そう思い、周囲一帯に剣の光を放つ。
神々しい光が確かに包み込んでいったが、市民たちは少しだけ迷惑そうに目を瞑るだけだった。
何も変わらない。
何故だ。
何故誰も信じてくれないんだ。
ウィルズは声を震わせる。
「神剣・エフィルフィートッ! こ、これが本物だ……! お、俺は間違っていない……! 俺はッ……!」
正しいんだ。
そう言い掛けたが、その直後、ウィルズの前に兵士を連れた貴族風の男が現れた。
兵士達が全員気まずそうに視線を逸らす中、男は彼に向かって叫ぶ。
「ウィルズ、貴様ッ!!」
「あ……」
「よくも私の顔に泥を塗ってくれたな! お前のような大馬鹿者が、息子であると思うだけでも羞恥に堪えない! とっとと、その煩わしい剣を降ろせッ!!」
彼の父、ロラン・ヴェンダルである。
衆目の中であるにも関わらず、大声で息子を叱責する。
クレイロード王からの勅命を受け、それだけ腹に据えかねているという事だ。
今まで見た事もない雰囲気に、人々も一斉に押し黙る。
父親に激怒され、ウィルズはようやく剣を降ろした。
「父上……お、おれは……」
「黙れ! 貴様に父と呼ばれる筋合いなどない! 大言壮語も甚だしい、魔王を倒したなどと嘯くとは! お前達、あの馬鹿を捕えよッ!」
ロランが息子を拘束するように告げる。
ヴェンダル家の当主の命令でありながら、王の命令であるソレに逆らう者はいない。
兵士達はまるで猛獣を相手にするような姿勢で、ゆっくりと彼の周りを取り囲んだ。
彼らの視線はウィルズではなく、神剣だけに注がれていた。
「あ……あぁ……?」
「ウィルズ様、お願い致します……どうか大人しく、指示に従ってください……」
兵士達はウィルズに恐れているのではない。
ウィルズの持つ神剣を恐れていたのだ。
理由はそれぞれ違うのだろう。
ただ一つだけ共通しているのは、持ち手の事はどうでも良いという思いだけだった。
彼は呆気に取られた。
そして再び、何故と疑問ばかりが噴き出てくる。
神に選ばれた自分が、何故このような目に遭わなければならない。
まるでこれでは犯罪者ではないか。
俺は勇者だ。
勇者なんだ。
勇者として人々から羨望されなくてはならないんだ。
だと言うのに、今ここにあるのは人々の怯え、軽蔑、怒りの感情だけ。
羨望も憧憬の欠片も存在しない。
それを今一度理解し、彼の胸中に激情だけが湧き上がる。
直後、彼は耐えられなくなって天に吠える。
「あああああああああああああああああ!!!」
ウィルズの叫びが一帯に響き渡った。




