13.デバフ勇者、謎の刻印
狂乱した者達が大修道院内で暴れ回る頃。
巨大な水晶に封印されていた魔王・ギンコは、封印級の重罪人を捕える無人隔離室で外の騒動に気が付いた。
今更人族が何をしようと興味などないのだが、眠りを妨げられたことで少し眉を顰める。
「何やら騒がしいのう」
どの道、自害すら出来ない身。
ゆっくりと眠らせてほしいものだ。
そう思いながら再び目を閉じようとした瞬間、唐突に部屋の扉が開かれる。
何重にも錠が施されていた扉を開けたのは、見知らぬ一人の少年だった。
大修道院に住んでいる信者の一人だろう。
俯いたまま、ゆっくりと魔王の前に進んでくる。
しかし部屋の前には、警備のための神官が複数人いた筈だ。
「全く、今度は何用じゃ? 言っておくが、これ以上貴様らと話すことなどないぞ」
投げやりに突き放した言葉を放つ。
だが、暫く待っても返答はない。
妙だと思い、ギンコが逸らしていた視線を前に向けると、少年と目が合う。
そして彼の目は明らかに正気を失っていた。
「ま」
「ぬ?」
「ま、魔王……サマままままま……!」
やっと会えた。
そう言わんばかりに、次第に少年の目が大きく見開かれる。
黒く濁っていたそれは、歓喜に近い感情へと変わっていく。
「まさか、お主……!?」
心当たりはあった。
ギンコは思わず口を開こうとしたが間に合わない。
次の瞬間、少年を中心に室内全てが眩い光に覆われる。
封印されているギンコに抗う術はない。
身動き一つ取れない中で、彼女は光の中へと呑み込まれていった。
●
洗脳された信徒たちが起こした暴動は、大司教・フェーネラルも察知していた。
大修道院の最上階にある自室で異様な空気を感じ取った彼は、駆け込んで来た神官の方へと振り返る。
神官もかなり焦った様子で事態の報告を始めた。
「大司教様! 門下の者達や商人が突然暴れ出し、他の者達を襲い始めています!」
「大よそは把握しています。これが、暗殺と関係があるならば……」
フェーネラルの脳裏に浮かぶのは、持ち切りになっていた暗殺予告。
人々を洗脳し、どさくさに紛れて殺しにかかる気だろうか。
だがそれとは関係ない暴動という可能性もある。
自分の身だけでなく、信者達の身も優先して保護しなければならない。
彼は即座に神官へ伝令する。
「内外含めて戦線を引きつつ、皆を一つの場所に集めます! 院外にいる者達へ、修道院内の聖堂に集まるよう鐘を鳴らしなさい! 聖堂内で暴れる者は優先的に拘束! 先ずはそこを安全な区画として確保するのです!」
「分かりました! しかし、大司教様は!?」
「私の事は心配ありません! 行きなさい!」
先ずは事態の収拾に当たる。
神官達の中にも魔族を倒せるだけの実力者はいる。
洗脳された者達の拘束は彼らに任せるべきだ。
今は自らが戦線に赴くよりも、事態を俯瞰することが重要になる。
それは先代勇者パーティーで戦いに挑んだ頃と変わらない、フェーネラルの立ち位置でもあった。
ただ、一つだけ疑問に思う事もある。
「何故、結界を通過できた? 私の探知には一切引っ掛からなかった」
伝令を受けた神官が退室すると共に、彼は意識を集中させる。
やはりと言うべきか、結界が破られた形跡はない。
そして結界が敵を検知した様子も全くない。
フェーネラルはその状況に首を傾げるしかなかった。
結界は大修道院を包み込むように、球体状に展開している。
地中から潜り込もうとも必ず探知には引っ掛かり、オスカー達が魔王を連れて足を踏み入れた際も、彼は魔王の存在を探知していた。
どんな洗脳であっても、敵意がある以上は結界を通った瞬間に分かる筈なのだ。
「何か特殊なスキル……私達の知らない未知の技術を使っているのか?」
本来ならば有り得ない事態に、彼は未知の力の存在を予期する。
それでも、今展開している結界を無くすことは出来ない。
探知できなかったからと結界を消せば、大修道院内は完全な無防備状態になる。
更なるリスクを負う意味はない。
結界の維持を結論付けると同時に、修道院の鐘が鳴り、その音に紛れるように部屋へ近づく気配を感じる。
現れたのは、剣を携えた司教のローファンだった。
彼もまた騒動に巻き込まれていたのだろう。
衣服の傷から争った様子はあるが、特に負傷している様子はない。
「大司教」
「ローファン。無事だったようだね」
「えぇ」
「君は他の者達と共に聖堂に向かってほしい。敵の狙いは、まだ見えない。全員が一ヶ所に固まっていては、敵の思う壺だろう。私は別の場所で身を守る」
わざわざここを襲ってくれと言うように、一つに集まる必要はない。
信者達は聖堂に避難させ、ローファンを対処に向かわせれば良いだろう。
後は自分の身を守るための術式を整える。
念には念をと、フェーネラルは立て掛けてあった両手杖を持って白魔導を行使。
無詠唱で魔力が溢れ、彼を守る強固な結界が新たに形成されていく。
するとそれを見ていたローファンが口を開く。
「そ」
「?」
「そう、ですか」
妙に途切れ途切れな言葉に不穏な空気を感じ、フェーネラルは手を止める。
ローファンは俯いたままジッと動かない。
何かを待っているようにも、様子を窺っているようにも見える。
しかし何をと考えた直後、慌しく部屋に入ってくる人物がいた。
その人物は血相を変えて叫んだ。
「大司教様ッ!」
「君はローファンの妹の……? 一体どうし……」
「兄さんから離れて下さい!」
テリアがそう言った瞬間、フェーネラルは見た。
突如として、ローファンが持っていた剣を振りかぶり襲い掛かってきたのだ。
寸前の所で彼は後ろに飛び退く。
剣の一太刀は空振りし、床に重々しい音を立てて突き刺さった。
形成されつつあった防御結界は破壊され、硝子のように崩れ落ちていく。
「ローファン!? まさか、君まで……!」
ローファンまでも洗脳の餌食になっていたようだ。
顔を上げて見えた眼は虚ろなまま、あらぬ方向を彷徨っている。
加えて全身に奇妙な模様が浮かび上がっている。
とても正気とは思えず、テリアが兄に向かって制止の声を上げる。
「目を覚まして、兄さんッ!」
「ぐ……アァ……!」
返答はなく、呻き声を上げるだけだった。
肉親の声だけではどうにもならず、それ程までに洗脳は強力らしい。
続いて護衛の神官達が武器を手に躍り出てくる。
彼らの矛先は、意識を失っているローファンに向けられていた。
「大司教様、ご無事でしたか! やはりローファン様も操られている! 皆で取り押さえるぞ!」
「いけません! ローファン相手に魔力を使っては……!」
武器の切っ先に魔力を貯める神官達を、フェーネラルは止めようとするが間に合わない。
五大元素を元にした魔導がローファンに向かって繰り出される。
だが彼はそれらの攻撃を避ける事もせず、引き抜いた剣で軽く振り払う。
たったそれだけで、神官達の攻撃は霧のように飛散した。
「な!? 術式が打ち消され……ぐあああァッ!?」
「何だ!? 一体何が……グハッ!」
驚く間もなくローファンが踏み込み、彼らを斬り捨てていく。
魔導を打ち払った先程の一閃は単なる剣術ではない。
彼だけが持つ固有スキル。
魔力で編まれた力を全て中和させる対魔耐性だった。
「ローファン固有のスキル、完全対魔耐性は健在か! だとしたら何故、彼は洗脳されたのだ!?」
「オ、オオオオッ!」
完全対魔耐性はフェーネラルの防御結界すら破壊する。
しかし全ての魔導に耐性を持つ彼を、一体どうやって洗脳したのか。
疑問は幾つも湧き上がるが、考えている猶予はなかった。
呻き声を上げるローファンが、フェーネラルに勢いよく斬りかかる。
どうにか両手杖で防御するが、老体という体格差もあって、徐々に追い詰められていく。
「流石に、武術では……!」
フェーネラルの本領は遠距離からの白魔導にある。
詠唱時間の掛かる強大な術式ならば、対魔耐性を突破できるかもしれないが、今のローファンがそれを許すとは思えない。
このままでは押し切られる。
焦りの色を浮かべていると、突如テリアが手斧で二人の間に割って入った。
「大司教様は下がって下さい! ここはあたしが……!」
「止めなさい! 今のローファンは暴走状態にある! 例え相手が肉親であっても、彼は容赦をしません!」
例え近接戦闘に持ち込んだとしても、ローファンは高い剣術スキルがある。
多少腕のある程度では彼を抑え付ける事は出来ない。
恐らくそれは妹であるテリア自身が、よく分かっている筈だ。
それでも彼女は微かに震える手を奮い立たせ、兄の剣と拮抗する。
甲高い金属音が響く中、迫りくる剣を何回も防御するが、瞬く間に体勢を崩されてしまう。
「あうっ!?」
不意を突いた足払いを受け、テリアはその場に尻もちをついてしまう。
見上げると、剣を構えた兄がジッと此方を見下ろしていた。
その目は大きく見開かれ、眼孔も正気とは思えない程に開かれていた。
「ジャマ……ダ……!」
「兄……さん……」
目の前の人物が兄ではないナニカであると気付き、テリアの胸中に恐怖が込み上げる。
落とした手斧を握ることも出来ず、思わず目を瞑った。
すると直後、突風と共にローファンが吹き飛ばされる。
何が起きたのか分からずに彼女が目を開くと、見覚えのある青年の背中が見えた。
「間に合った、とは言い切れないか……!」
「勇者様!? どうしてここに!?」
蹴り上げていた片足を降ろし、オスカーがゆっくりと息を吐く。
地下牢獄に囚われていた筈だが、魔力封じの拘束を解除して駆けつけて来たのだ。
フェーネラルも彼の助勢に驚きを隠せないようだった。
混迷極める中で脱獄したとなれば、どういう扱いを受けるかは分かる筈だ。
剣も取り上げられ、まともな装備もない中で、彼は二人を背中で庇う。
一方、立ち上がったローファンは新たな敵を認識し、強烈な殺気を放った。
「任せてくれ! あの人の動きは俺が封じる!」
「駄目です! 兄さんには魔導が通じません! このままじゃ……!」
基本的に、デバフも魔力で編まれた攻撃ではある。
幾ら彼が優れたスキルを持っていようと、固有スキルの前に中和されてしまう、と考えるのが自然だった。
そしてオスカーもローファンの対魔耐性は理解していた。
だが頷くだけで退くことはない。
振り上げられる剣を前に、右手の拳を握りしめる。
「退くことなんて出来ないさ。俺は勇者だからな」
自信と確信に満ちた声だった。
それもその筈、オスカーは平民かつ無名の冒険者という立場から勇者に選抜された。
他者を圧倒するだけの、インチキと呼ばれるだけの力があったからだ。
対魔耐性如きで弾かれるようなら、始めから勇者になど、なれていない。
ローファンが大声を上げて剣を振り下ろす。
彼の剣技に付き合う気は毛頭なかった。
寸前の所で躱し、次に斬撃が来るよりも先に右拳を突き出してデバフを行使する。
「不動拳」
「グ!? ググッ……!」
瞬間、相手の動きを止める力が、対魔耐性を貫いてローファンを縛り上げる。
斬り上げようとした剣も止まり、指先一つ動かせなくなる。
狙い通りだった。
武器がなくとも、デバフのキレに衰えはない。
「どうにか、なったか」
あれだけ苦しめられていた対魔耐性を易々と突破する。
目の前で起きている事が信じられず、テリアは呆気に取られる。
改めて勇者としての実力を見たフェーネラルも、安堵したように構えていた杖を降ろす。
そこに敵意の視線は感じられなかった。
「耐性貫通能力……久絶の勇者は本物、でしたか」
「大司教様。脱獄の罰は後で受けます」
「いえ、私は君に謝らなければならない。王国からの要請があったとは言え君を拘束し、あまつさえ命を救われるとは」
「……自分の判断が間違っていなかったのなら、それだけで十分です」
何を言われても謙虚に振舞うだけだ。
実際は処罰を受けることを覚悟の上で、大司教の元まで飛び込んで来たのだ。
周りが安堵する以上に、彼自身が内心胸を撫で下ろしたい心境だった。
しかし、騒動はまだ終わっていない。
間髪入れずに、フェーネラルが自身の足元に巨大な術式を展開する。
「ならば次は、私が役目を果たしましょう。少しの間だけ、周囲を見張ってくれませんか?」
背中を預ける発言に、オスカーは無言で頷く。
構築されるのは先代勇者の白魔導。
恐らく人族の中で最高峰に位置する術式だ。
間近でその様子を見るオスカーとテリアは、周囲に白い光球が浮かび上がっている事に気付く。
眩い光の群れは徐々に高度を上げ、輝きを増していく。
そしてそれらに込められた力が収束したと同時に、杖が振るわれた。
「聖光線」
直後、光球が変化して何百もの光線が放たれる。
その全てが壁や窓を透過して大修道院全域に広がっていく。
鐘の音を聞いて避難し始める人々も、飛び交う光線に気付いて頭上を見上げる。
狙いは大修道院で暴れる暴徒達だった。
光線が輝く強靭な糸となり、彼ら達を次々と縛り上げていく。
逃げようとする者も先回りして退路を断ち、瞬く間に拘束する。
何十何百とあった争いの火種は、数分も経たずに沈黙した。
これがかつて『黎明の勇者』として名を馳せた人物の力。
窓からその様子を窺っていたオスカー達も思わず息を呑む。
一仕事を終えたのか、フェーネラルは力を抜くように息を吐いた。
「暴走する者は全て拘束しました」
「これが、自動追尾型の最上位スキル……」
「始めからこうすべきだったのですが、間者がいることを考えて安易に使用できなかったのです。この術は、発動中は無防備状態になりますからね」
今の白魔導は間近で襲われた場合に対処が出来なくなる。
つまりそれだけ信用されているという事だろうか。
どう反応して良いのか分からず、オスカーは頭を下げるだけだった。
兎に角、騒動は収まったので事後処理に動くべくテリアの方へ向き直る。
「一見落着、で良いのかな。取りあえず、負傷した神官達を手当てしないと……テリア、君は大丈夫?」
「は、はい! また助けて頂いて、本当に何と言えば良いか……!」
「その言葉だけで十分だよ。それに助けられて良かった。家族同士で傷つけ合うなんて、見てられないからな」
彼女に目立った外傷はない。
とは言え、実の兄に襲われたばかりだ。
心の持ちようが簡単に直る筈もない。
幾らローファンが操られていようと、血の繋がった者同士で戦うなど看過できない。
神官達の洗脳も含め、こんな真似をした外道は必ず見つけ出さなくてはならない。
家族を手に掛けたという事実が、オスカーの怒りに火を付ける。
声に出さないまま固く決意したが、ふと微かな声が聞こえる。
「だ……大司教……」
それは他の誰でもないローファンの声だった。
まさか洗脳が解けたのか。
異変に気付いたフェーネラルが真っ先に問いを返す。
「ローファン、意識が戻ったのかい!?」
「分かり、ました……。奴らは、境海の大灯台に……ウ、ウウウゥッ!」
どうやら完全に解けた訳ではなく、未だ術中にあるようだ。
抵抗しているようだが、意識がハッキリとしない。
フェーネラルは彼の身体に手を触れるが、表情は芳しくない。
最上位の白魔導を持つ力であっても、洗脳を解除することは困難なようだ。
「勇者様、お願いします! 兄さんを正気に戻してください! 兄さんはこれまでずっと皆から疑われ続けてきたんです! このままじゃ……!」
「それが……」
そしてそれはオスカーも同じだった。
テリアたっての頼みに対して、悔しそうに首を横に振る。
「他の人で既に試したけど……状態は戻らなかった。つまり……この現象はスキルや魔導の類ではない、ということなんだ」
「!?」
「ハッキリと見えるこの刻印。コレの正体を突き止めない限りは……」
今はデバフで動きを封じる事しか出来ない。
手掛かりがあるとすれば身体に浮かび上がった刻印。
捕えられていた盗賊達と同じように、ローファンの身体にも同じ模様が刻まれている。
やはりこれこそ、皆を狂乱させた元凶と見て間違いはないだろう。
すると別の神官が、慌てた様子で部屋に駆け込んでくる。
暴徒は捕えて事態は収束したように思えたが、神官は切迫した声で事態を告げる。
「た、大変です! 封印していた魔王がッ……!」
魔王の身に何かが起きたのだと、この場の全員が悟った。




