菊 弐
「待ち人か?」
彼は尋ねた。
二か月前のあの日と同じ、山高帽の青年は少女に目線を合わせた。
「いいえ」
少女は、あの日と同じ白いワンピースで微笑んだ。
菊の花も、握りしめたまま。
「探しているの」
山高帽の青年は、駅に汽車の泊まる音を聞きながら少女を眺めた。
「またそれか」
彼は視線の先の少女を見て言った。相変わらず、何を考えているのかよくわからない目だ。
「二か月前もそれだったじゃないか」
「二か月前のことをご存じなのですか」
少女の目が揺れた。青年が少女に出会ってから、初めて見る表情だった。
「そりゃ、二か月前にも君と同じ話をしたからな。覚えていないのか?」
少女に自分のことを思い起こさせるように、彼は山高帽をとった。
「…」
しばらくの間があってから、少女は小さく微笑んだ。
「…貴方でしたか」
「久しぶりだな」
青年は山高帽を頭にのせて少女に微笑む。
「ところで君、こんなところで何をしているんだ」
「どういう意味ですか?」
「二か月前と同じ理由でここに立っているわけを尋ねているんだ」
「そういうことですか」
少女は、ちょっと息を吸って答えた。
「探し物ですよ」
青年は、これ以上聞いても答えは出ないと判断し、少女に尋ねた。
「君、名前は?」
「…え?」
明らかに、彼女は童謡した顔を見せた。
「名前だ」
「ええと、…すずと申します」
「すず、だな」
「はい」
「そうか、いい名だ」
ふわり、やさしく笑った山高帽の青年に少女の瞳が揺らいだ。
「ところですず、お前、家はどこだ?」
「…家?」
「父や母は、心配しているのではないか?」
「…」
すずと名乗った少女は、また困った顔をして言った。
「…おりません」
「え?」
素っ頓狂な声が、彼の口から飛び出した。
「父や母は、私にはありません」
少女は、なんとも取れないような顔をした。
青年は、何と言ってよいかわからず立ち上がった。
「もう行かれるのですか」
静かな声で、すずは彼を止めた。
「私の話、聞いてくださらないのですか」
青年は振り向いてすずの目をみた。
「話、か。…何かあるのか?」
そこですずはにっこり微笑んで、青年に名を尋ねた。
青年は、花宮渡と名乗った。
「ワタルさん」
「ああ」
「いいですか、お話しても」
「もちろん」
「それでは」
すずは、ちょっと息を吸って話し始めた。
「ひとつ、お伺いします」
すずの幼げだった目が、一気に冷たくなった。花宮に問う。
「私が見えるのですか?」
「…え?」
「貴方には、私が見えるのですか?」
「…」
花宮は迷った。見えると答えても見えぬと答えても、返事が想像できなかった。
今更見えぬと言ったところでもう遅いのはわかっていたのだが。
「見える」
「そうですか」
花宮は初めて、彼女がいったい何者なのかと疑い始めた。ただの少女だと思っていたのに。
違和感。
「見えるのが、どうかしたのか」
「いえ、…ただ」
少女は言った。
「私、見えるものではないのです」
耳を疑った。見えるものではない。…ということは、
「…幽霊」
「いいえ、その類ではありませんが、見る人にこそ見えるというものです」
「幽霊ではないと、…では何なんだ」
「これです」
少女は、握りしめていた菊の花を花宮へ差し出した。
「菊の花?」
「私、花の化身なんです」
「…化身?」
「はい」
花宮は目を数回しばたたかせた。
化身というものを、初めて聞いたのだ。
「…本当に、見えないものなのか?」
「はい。試してみますか?」
少女は花宮を見上げて、それから通りすがりの男に「もし、」と声をかけた。
男は反応しない。
「もし、そこの旦那」
やはり、男の反応はなかった。聞こえていないのだろうか。
「落し物ですよ」
男を振り向かせようとしてすずはいろいろと声をかけるが、やはり男は振り向かない。
男は結局二人のうちどちらにも気づかずに去ってしまった。
「…本当に、私しか見えていなんだな」
「言ったでしょう、私は見える人には見える存在だと」
「ああ」
彼はあいまいに返事をし、しばらく駅前を行きかう人の流れを見て、それから少女のいた場所に視線を戻した。
少女は、いなかった。




