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3.人と違う重荷

 一週間後の早朝。


 ナオトは風呂場でカミソリを手にして浴槽の縁に腰掛けていた。


 試しに二日ほど前に剃った足の毛がちくちくと細い頭を出しているのを見下ろし、それほど体毛が濃い方ではないとは言え元気なものだと感心する。


 何はともあれ、さっさとこれを処理しなくてはいけない。今日もあと数十分のうちにサクラがやってきてしまう。


 ナオトはなるべく皮膚を傷つけないよう丁寧に毛を剃り落としていく。


 太股の真ん中あたりまで来たところで「どうせここまでは見えないだろうし、このくらいでいいか」とカミソリを放り投げて石鹸をシャワーで流した。


 風呂場を出て化粧水をぺたぺたとつけ、スウェットをはき直して脱衣場を出た。


 そこにちょうどサクラがやってきた。


 彼女は呼び鈴を二回鳴らすし、合い鍵を使って玄関のドアを開ける。そして薄暗い廊下の先にナオトの姿があるのを見て、キャッと悲鳴を上げた。


「おま、ひどい奴だな」


「まさかこんな時間から起きているとは思わなくて──」


「それで思わず悲鳴を?」


「だっていつもならまだ寝てる時間じゃないですか。そりゃあ驚きますよ」


 サクラは脱いだ靴のかかとを揃えながらそう言った。ナオトは立ち上がった彼女がこちらに歩いてくるのを見て、ダイニングのドアを開けて先に入るように促す。


「今日はベナさんと待ち合わせだっけ?」


「はい。ユイカさん、今日は部活の朝練がないそうなので」


「したらちょうど良かったな。俺ちょっと寄るとこあるし、別で行くわ。食器は自分で洗うから、構わず先に出てくれ」


 ナオトがそれを伝えると、サクラはどこかホッとしたような表情になって頷いた。


「そ、そうですか? では先に行かせてもらいますね」


 教室にブリザードが吹き荒れたあの一件以来、サクラは例の女子とすっかり友達同士になっていた。


 彼女は手早く朝食を作り終えて空いた時間をナオトの食事風景を眺めて潰し、時間になるといそいそと玄関へ向かった。


 ナオトはその後ろ姿を微笑ましい気持ちで見送り、玄関ドアが閉まるとほんの少し寂しさを覚えた。


 ここ最近でナオトとサクラの関係は少しぎくしゃくしたものになっていた。


 ナオトは小さくため息をつき、頭を振ってキッチンに戻った。


 シンクの前に立ち、食器についた薄い油汚れを泡立てたスポンジで丁寧に洗い落としていく。


 泡の残りがないようすすぎ、布巾で隅々まで水気を拭き取って食器棚の所定の位置に整然と片づける。雑に重ねた皿の端を揃えて一直線にして戸を閉める頃には覚悟が決まっていた。


 寝室のクローゼットを開け、昨日のうちに用意しておいた着替えをハンガーごと取り出してベッドの上に置く。


「……っし。さっさと着るか」


 ナオトは特別に仕立ててもらったその制服に手を伸ばした。


 しかしてナオトの姿は街行く人々の目を引いた。


 だが彼自身は構うことなく通学路をてくてくと歩き、改札を通り抜けて電車にも乗り、マイペースにいつも通りの道順をたどって学校へと向かった。


 無論、学校に到着しても刺さる視線は変わらなかった。それでもナオトは周りに構わず、すれ違う生徒と教師の度肝を抜きながら自教室へ近づいていった。


「はよーう」


 昨日と同じ調子で誰にともなく挨拶をして教室に入ってきたナオトを目にした瞬間、クラスメイトは誰もが言葉をなくした。


 細身ではあるがそれなりに筋肉質な体型の男子が女子制服(スカート)をはいてきたのだから、驚かないわけがなかった。


 それはサクラとて同じである。彼女は突如として変貌したナオトの姿を見て言葉を失い、そうかと思えば怒り心頭といった表情で立ち上がり、ナオトの方に足を向けた。


 しかしその一歩を踏み出したところで担任が教室のドアを開け、次いでホームルームを始めるチャイムが鳴った。


 担任が「みんな座れ~」と気の抜けた声で呼びかける。サクラは二歩目を踏み出せずに、大人しく席に逆戻りするしかなかった。


 間髪を入れず、ナオトのスマートフォンが振動する。


『一限が終わったら話がある』


 通常であれば話すのと同じように敬語で文字を打つサクラがこの口調で連絡を取ってくるあたり、かなり頭にきているようだ。


 呆れられることは予想していたが、よもや怒らせることになろうとは……覚悟を決めたというのに、ナオトは急に背筋が寒くなった気がして身震いした。


 誰にどんな目で見られようとも平然と街を闊歩する度胸はあるのに、サクラにだけはそんな目で見られたくない。そう考える彼の顔はだんだんと青くなっていった。


 かくしてナオトはホームルームから引き続いて一限の授業にも身が入らず、心の準備も出来ないまま最初の休み時間を迎えた。


 廊下に近い方に座るサクラが先に席を立ち、後方のナオトを振り返って眼鏡のレンズを光らせる。


 彼女はは真っ直ぐに立てた親指を背後に向かって振り上げ、ナオトに教室を出るよう要求した。


 はっきり言ってかなり怖い。


 とはいえ、無視するという選択肢など存在しないナオトは彼女に大人しく従うしかなかった。


 促されるがままに廊下へ出て、サクラの後ろを三歩と言わず五歩六歩と離れてついて行く。


 彼女は近くの階段を最上階まで上った。そのまま屋上に続く引き戸のクレセント錠を開けて外に出たので、ナオトも続いて屋上に出てドアを閉めた。


 桜は鋭い目つきでナオトを睨み付けた。


「まず初めに聞きます。その格好は何ですか」


「何って……女子の、制服……です……」


「どうして急に変えたんですか? 私が原因ですか?」


「……原因って言うと悪いことみたいに聞こえるけど、否定はしない」


 ナオトはしどろもどろになり、視線をさまよわせながら呟く。


「気遣ってくれてありがとう、なんて私が言うと思いました?」


「別に恩に着せようとか思ったわけじゃないよ」


「じゃあ何なんですか。幼なじみだから特別扱いですか? そういうのホンット、本当に……やめてほしいんですけど」


「……ごめん」


 ナオトの行動はどうにもサクラの意には添わないものだったらしい。


 彼女が気に入るかどうかなんて考えてもみなかった。


 ナオトはただ幼なじみのために何かをしてやりたいと思ったのだ。自分と一緒にいることで彼女が辛い思いをしないように……自分の選択を後悔しないように……何かできることはないのかと。


 だと言うのに、彼女はその思いやりに対して怒りでもって応えた。


「私が何で怒ってるか分かってます? 分かって謝ってるんですか?」


「……非常に申し訳ないが、皆目見当がつかん」


 サクラの怒りに呼応するようにして、ナオトの頭にも血が上ってくる。


 次第に彼女の態度を理不尽だと思い始め、だったら洗いざらいしゃべってやろうという気になってきた。


「分かったよ、そしたら俺は嘘吐くの得意じゃないからはっきり言っとくわ。俺はお前が幼なじみだからこうすることを選んだ。それだけだ」


「私が、たまたま貴方の幼なじみで……だから気を使って一緒に笑い物になろうと? そういうことですか?」


「笑い物になろうなんて思ってないぞ。俺はお前と並んだ時にこの前みたいなこと言われないようにするにはどうしたらいいかって考えて、この結論に至ったんだ」


「……そんなのお願いしてないです。特別扱いなんて」


「特別扱い? サクラはそれが嫌なのか? お前は俺に他のクラスメイトと同様に接してほしかったってことか?」


「私は誰とも違くない。みんなと同じです……同じなんです!」


 サクラは右足で地団太を踏み、その健常性を主張する。


「それなのに貴方は……ッ!」


 彼女は何をどう言えば自分の気持ちがナオトに伝わるのか分からず、制服の裾をぎゅっと握りしめて俯いた。

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