時空の鍵
6月20日 金曜日 午後7時04分 商店街
あの、緑の封筒が配られた日から2日経っていた。あの日、屋上で詩音と話して以来ハヤテはずっと詩音のそばにいた。二人は絶望の世界の中、希望を見いだせないままだったが幸せだった。僅かな時間と知りながらも二人は話し合い、笑いあった。その時間はどんなに長い時間を過ごすことよりも二人にとっては濃く、かけがえのないものになった。
そして今日、サンライズ最後のライブをすることになっている。詩音の提案で葵と由紀が集まってくれた。そして二人の宣伝もあり商店街には人が集まってきていた。
「おめぇらの歌もこれが最後かと思うとなんだかさみしぃねぇ。」
ケンおじさんは相変わらず陽気に言う。
ハヤテはこのライブを最後にISROに向かうことを決めていた。決して時空の剣を渡しに行くのではない。すべての人を助ける方法を探りに行くのだ。決して誰も死なせやしない。ハヤテの決意は固かった。ハヤテは時空の剣を持っていた。
これを持ち出すときに詩音がそれは何かと尋ねた。ハヤテはすべてを守るためのものだと説明すると詩音はそれ以上は追及しなかった。人目に付くと都合が悪いので今は服で隠している。おかげで6月の蒸し暑い中、厚着をする羽目になったのは仕方のないことだ。
「今日はあたしたちのために集まってくれてありがとう。」
サンライズの最後のライブが始まった。
「実はな、詩音のちゃんとした歌を聞くのはこれが最初なんだ。」
ハヤテの隣で辰郎が言った。最初で最後になるなんて、なんて皮肉な話なんだろう。今日のサンライズのライブには辰郎や三和子、看護師の折原にケイスケ、リュウスケやクラスの仲間、商店街の人たち、町の人たちなど今までにないくらいの人が集まっている。それほどまでにサンライズというバンドは人を引き付けることのできるバンドなのだ。本人たちが思っている以上に彼女たちは、少なからずこの街を動かしているのだ。この街の人々の心を動かしているのだ。
そんなバンドが今日で最後だなんて、明日になれば世界が終わるなんて誰も信じてはいない。ただ、怯えるだけの人なんてこの街にはいない。
選ばれた人も選ばれなかった人もそれぞれに前を向いていた。少なくともここに集まった人々はサンライズを通して前を見ていたのだ。サンライズの歌はその名の通り彼女らの歌を聞いた人たちの心に夜明けをもたらしたのだ。
一曲目が終わった。
商店街の『長谷川八百屋』の前は興奮の熱気で異様な盛り上がりを見せていた。すぐに二曲目が始まった。詩音たちは精一杯、目一杯演奏し、歌った。
その歌声が、その音色が空高く響き渡り、それを聞いた人すべてを優しく包み込んだ。そこにいる誰もがサンライズに虜になっていた。ハヤテもその一人だった。
だから、初めはその存在に気付かなかった。
肩を叩かれ振り返るとそこにいたのはシデンだった。ISROのメンバーにして元暗殺四天王の一人、永久の昏睡シデン。黒いフードを深くかぶり顔を隠していた。そこまでして、ハヤテの元まで来たのだ。ハヤテは瞬間的に時空の剣に手を伸ばした。時空の剣の柄をつかんだところでシデンはハヤテの手首をつかんだ。
「動くな。俺は君に危害を加えるつもりはない。」
信じられるか。こんなタイミングでやってきて用がないわけはない。何かあるからこそやってきて、その何かとは時空の剣のことだ。
つまり力づくで時空の剣を取りに来たと、そう考えるのが普通ではないだろうか。
「何の用だ。」
ハヤテは訊ねた。
「もちろん、時空の剣をもらいに来たんだよ。」
やっぱりそうじゃねーか。
「それと、君自身も必要なんだよ。それから、詩音ちゃんも。」
シデンの口から思いもよらない人の名前が吐き出された。
「詩音?詩音は関係ないだろ。」
「関係ないことはないよね。辰郎さん。」
シデンはハヤテの隣にいた辰郎の方へ顔を向けた。
「お前、何者だ。」
辰郎はシデンをにらみつける。サンライズの歌は続いている。しかし、ハヤテの周りだけ異次元にいるような感覚にとらわれた。ハヤテや、辰郎の耳には最早、詩音の声は届いていない。
「時空の鍵。詩音ちゃんはそれを持っているんだよね。」
シデンはフードで隠れた顔の奥から笑みを浮かべた。
「何言ってんだ?詩音が鍵を持っているわけないだろ。」
ハヤテは反論する。
「それを知っているのは辰郎さんなんでしょ。」
シデンは余裕を見せる。
「シデンの言ってることはでたらめだよな。」
ハヤテは辰郎に詰め寄った。辰郎は答えず、代わりにうつむいて見せた。
「答えてよ。ねえ。答えろよ!!」
ハヤテの叫びとほぼ同時にサンライズの二曲目が終わった。拍手喝采が起きる。
「すまない。いつかは言わなければならないことはわかっていた。でも、俺にはそれが出来なかった。俺は詩音を守りたかったんだ。」
由紀がマイク越しに何かいい場を盛り上げている。しかし、何を言っているのかなんてハヤテは考えもしなかった。
「守りたいなら、なおさらだよ。俺だって詩音を守りたいんだ。おじさんもおばさんも由紀も葵もみんな守るんだよ。俺がみんなを守るんだよ。」
ハヤテは感情的に言う。
「時空の剣の適合者そして、時空の鍵を持つものは西園寺の血のもとに闘い続ける運命なのだ。それを知っているからこそ俺は……俺は……」
「ちょっと待って。」
ハヤテが言うとサンライズの三曲目がスタートした。三曲目はバラードのようだ。
「今、西園寺って言ったよな?」
「あぁ。言ったが。」
辰郎は少しの戸惑うを見せる。
「詩音は西園寺の血を引いているのか?」
「あぁ。」
辰郎は答える。そういえば、いつの日か、詩音は辰郎たちの本当の子供ではなく養子だという話を聞いたな。
ハヤテはふと、先日のことを思い出した。でも、だからと言って……
「俺も、西園寺の血をひいてるんだよな?」
「あぁ。お前たちは双子の兄妹だ。」
ハヤテは唖然とした。それはシデンも同じだった。ハヤテと詩音が双子の兄妹?
「でも、俺たちそんな似てないし、それに俺たちは……」
ハヤテは動揺を隠せない。
「お前たちは二卵性双生児だ。だから、一卵性と違ってそっくりというわけではない。」
「でも、この前の話ではそんな話、一言もしてなかったじゃないか。」
そうだ。西園寺が生んだ子供は二人だなんて聞いてない。
「しかし、一人だけなんて一言も言っていない。それに、子どもたちという言い方をしていたはずだ。」
ずるい。ずるすぎる。こんなの卑怯だ。
たとえそんな言い方をしていたとしてもこんな情報の伝え方があってたまるか。ハヤテは辰郎に対し怒りの感情を覚えた。
「すまない。」
辰郎は頭を下げた。
「詩音を巻き込みたくなかったんだ。ハヤテが適合者とわかった時から詩音には危険が及ぶ事はわかっていた。いつかは二人が力を合わせ、西園寺の血の元に正義のさばきをしなくてはならない。でも、もう少しだけ、詩音にもハヤテにも普通の生活をさせたかったんだ。普通の生活を知ってこそ、守るべきものを理解できるのだって俺は思ったんだ。
でも、どうやら間違っていたみたいだ。俺は俺のためだけに黙っていたんだろうな。俺は卑怯な人間だな。」
謝られたら、何も言い返せなくなる。辰郎は本当に卑怯だ。
「だからハヤテと詩音は時空の剣の適合者と時空の鍵の持ち主で同じ西園寺家の兄妹なんだ。」
辰郎が言いきった。そんな馬鹿な話が信じられるのだろうか。ハヤテという殺し屋四天王と呼ばれた殺し屋とごく一般的な女子高生が双子の兄妹でお互いが気付かぬまま二人は仲好くなっていったのだ。こんなことが起こるなんて一体どんな確率なんだろう。もし、これが偶然の産物ならば神様は大したものだと感心してしまう。こんなこと、神様でもセッティングできないだろう。
「詩音ちゃんが鍵を持っている事が確認できたところで本題に入ろう。」
シデンはハヤテの手首をつかんだまま言う。
「もし、君たち二人がおとなしくついてきてくれるなら危害を加えるつもりは一切ないよ。
でも、仮にそうでないのだとしたら少々荒っぽい手段を取らしてもらうよ。」
ハヤテは背中越しに危険な感触を感じ取った。
注射器だ。注射器の中には無色透明な液体が入っている。ハヤテは一瞬にして身の危険を感じた。なんてったて相手は永久の昏睡シデンだ。いつ、永久に眠らされるかわかったものではない。
ハヤテの背筋に一筋の汗が流れた。
「ぐずぐずしている時間はない。さあ、一緒に行こう。」
ハヤテは黙り込んだ。ハヤテの後ろにぴったりと張り付いたシデンはいつでもハヤテを殺すことが出来る状態だ。
「わかった。」
ハヤテは渋々答えを出した。どのみちISROには行かなくてはならなかったのだ。
「でも、この、ライブだけは最後までやらせてやってくれないか?」
ハヤテは背中越しのシデンに頼んだ。
「そんな時間はない。今すぐ移動してもらう。」
そういうとシデンはハヤテの背中から離れた。ハヤテは一瞬安堵するがさらに背筋が凍るような光景が目の前に現れた。気が付くとシデンは詩音の真横に立っていた。それはほんの一瞬の出来事だった。
あまりにも突然だったので詩音は歌うことをやめてしまった。
いまだ気付いていない由紀と葵による伴奏だけが流れる。そして数秒後そこに静寂が訪れた。
「えっと……あなたは……?」
詩音は戸惑いながらも訊ねた。
「詩音ちゃんちょっとごめんね。」
そういうとシデンは詩音の右肩に注射を打ち込んだ。
「詩音!!!」
ハヤテの叫び声が商店街に響き渡った。詩音は徐々に目を閉じていき、そしてひざから崩れた。それをシデンは優しく受け止めた。
「てめぇ!」
ハヤテはその場の地面を強くけりシデンのそばまで飛んだ。しかし、シデンは詩音を抱え上げそしてより遠くへ飛んでいた。ハヤテは時空の剣を取り出す。
「ハヤテ?何がどうなってるの?」
葵が混乱の表情を浮かべている。葵だけでなくここにいるすべての人が何が起きているのかが理解できていない。
「悪いが説明している時間がない。」
ハヤテは言うとシデンの方へ飛び上がった。
『キィン』
金属音がした。ハヤテの持つ時空の剣とシデンが持つ短い鉄骨のようなものがぶつかった音だ。
「詩音から手を放せ。」
「そんなに怒るなよ。でも時間がないからね。」
そういうとシデンはハヤテを片手で払いのけた。ハヤテはバランスを崩す。その一瞬でシデンは詩音を抱え込み商店街の道を走り出した。ハヤテもすぐに体勢を整え後を追う。サンライズのライブを見に来たはずの多くの人はその光景をただただ唖然と見つめる他なかった。しかし、シデンは数秒で走るのをやめ、立ち止まった。
ハヤテは好機とみて背後からシデンに時空の剣を振り下ろした。
シデンはそれを間一髪で避ける。
「君という人間は容赦というものを知らないのか。」
そういうシデンの目はハヤテの方を見ていなかった。それで、やっとシデンの目線の先にあるものに気付いたハヤテはゆっくりとその方向へ剣を構えなおした。
「アンダーでは容赦なんて教わらなかったからね。」
「確かに。」
シデンとハヤテは同じ方向を向いていた。詩音はシデンの隣に優しく寝かされている。
「久しぶりだな。疾風の雷撃。永久の昏睡。」
二人の目の前にいたのは暗殺四天王唯一の生き残り、凍結の水面、ミゾレだ。ミゾレは両の手に銃を構えている。ミゾレはハヤテとシデンめがけてそれを打ち込んだ。
シデンとハヤテはそれぞれ鉄骨と時空の剣で難なく防御する。
「今の話、俺たちも聞かせてもらったよ。そこの女の子が鍵を持っているんだってね。ひゃっひゃっひゃ。」
ミゾレは声高々に笑い声をあげる。でも、どうしてそれがミゾレにばれているのだ。
「やはり、お前たちだったか。」
ハヤテの隣にいるシデンが声をあげた。
「どういうことだ。」
「ここに来る途中から尾行されているような嫌な気配がしていたんだ。
だからこそ、細心の注意を払ったつもりだが……。お前が俺の後をつけたのか?もしそうならお前はただもんじゃないね。」
シデンの言葉にミゾレは笑い声をあげる。
「残念ながら尾行したのは俺じゃねーよ。新しい暗殺四天王。暗闇の閃光、シノブだ。」
「シノブ?聞いたことないな。」
ハヤテは自分の記憶の中からシノブという暗殺者を検索してみる。が、それと一致するようなものはいなかった。
「おい。こっちに来いよ。暗闇の閃光。先輩方にあいさつしねーとな。ひゃっひゃっひゃ。」
ミゾレが言うとどこからかミゾレの横に何かが現れた。その風貌はまさしく忍者そのものだった。シノブはミゾレの横で片膝をついている。
「暗殺四天王が一気に減ってアンダーも大変なんだよ。だからとりあえず一人だけは確保したんだ。こいつはお前らなんかよりもはるかに役に立つ。なんてったて忍者の末裔だからな。」
忍者の末裔。今の時代にそんなものが残っていたなんて驚きだ。
だからこそ、いくつもの修羅場を乗り越えた、シデンですら尾行に完全には気付くことが出来なかったのだ。
そして、サンライズの歌が鳴り響く中の辰郎の告白も聞き取ることが出来ていたのだろう。
「恥ずかしながらお前の殺気は感じ取る事が出来なかったよ。ほかのやつはバレバレだけど。」
ハヤテは視線をぐるりと一周させる。
「なぁーんだ。ばれてたか。流石は疾風の雷撃。ひゃっひゃっひゃ。」
ミゾレが言うと商店街のあちこちから様々な武器を手にした殺し屋が顔を出した。
「俺には今、時間がないんだ。雑魚は引っ込んでろ。」
ハヤテは力強く言い放った。その一言で迫力のあまり身震いしてしましそうなほどだった。
「俺たちはその剣が手に入ればいいだけだ。おとなしく渡せば時間は取らせないぞ。ひゃっひゃっひゃ。」
ミゾレは高々と笑い声をあげる。
「うざい奴だな。」
ハヤテは呟いた。
「やれ。」
ミゾレの一言で、四方から現れた殺し屋が一斉にハヤテとシデンめがけて襲い掛かってきた。銃声や剣のすれ合う音、金属音に掛け声、様々な音が重なりそれらのすべてがハヤテとシデンを囲んだ。
数十秒後、そこに立っていたのはハヤテ、シデン、ミゾレ、シノブの三人だけだった。
「な……。あいつらは少なくとも二級暗殺者以上、ほとんど一級暗殺者ですよ。それを……一瞬で……?」
シノブは驚きのあまり目を見開いている。
「ひゃっひゃっひゃ。流石は疾風の雷撃と永久の昏睡だな。」
ミゾレはそれでもなお余裕の表情を浮かべている。実力ではハヤテ以上だと思い込んでいるからだろうか。自分でもこれくらいはできるだろうと過信しているのだろうか。真相はわからないが、ミゾレは勝ち誇ったような顔をしていた。
「それにしても、甘くなったものだな。疾風の雷撃。」
ミゾレが言うとそこで倒れていた男の一人がむせ返った。ハヤテが相手したすべては急所をはずした攻撃により気を失っているか戦闘不能な状態にあるのかのどちらかだった。
「まさか、あの一瞬で急所だけをはずして……?」
シノブは更なる驚きにより我を失っている。その様子をハヤテの隣で見ていたシデンもまた驚きの表情を見せていた。シデンは何人か相手をしたものの相手のことを気に掛ける余裕もなく容赦なくお得意の毒物を浴びせていたのだ。
「俺はもう殺し屋じゃないんだ。だからその名で呼ぶな。ミゾレ。」
ハヤテはミゾレににらみを利かせる。
「ひゃっひゃっひゃ。お前が殺し屋を辞めただなんてことはどうでもいいことなんだよ。疾風の雷撃。」
ミゾレの言葉にハヤテの怒りのボルテージが上がってゆく。
「じゃあ聞くが、殺し屋を辞めたお前がなぜ人殺しの道具を手にしている?」
ミゾレの問いにハヤテは時空の剣を強く握りしめる。
「答えろよ。疾風の雷撃。」
「これは、この剣は人殺しの道具なんかではない。」
ハヤテは手の中の時空の剣を見る。
「この剣は人を守る剣だ。誰一人傷つけない剣なんだ。」
ハヤテはまっすぐミゾレに向き直った。
「ひゃっひゃっひゃ。笑わせてくれるな。疾風の雷撃。」
ミゾレは腹を抱えて笑っていた。
「時間がないんだ。」
ハヤテは一歩一歩ミゾレに歩み寄る。
「ひゃっひゃっひゃ。久々に本気が出せそうだな。」
「さっきの言葉覚えてるか?」
ハヤテはぼそりと呟いた。
「は?さっきの言葉?」
「雑魚は引っ込んでろって言っただろ?」
ハヤテの言葉でミゾレの怒りのボルテージがMAXに到達した。ミゾレは両手に持った銃をハヤテに向けて乱射した。何発も何発も打ち込む。
しかしハヤテはその銃弾の嵐をかわし、時空の剣で弾き、そしてミゾレに向かってゆく。
「うぁぁぁぁぁぁっ!!!」
ミゾレは叫び声をあげた。
『キィン!!』
ハヤテの剣がミゾレの銃を弾き飛ばした。気付けば二人の距離は1m以内になっていた。危険を察知したのかその時シノブは少し下がったところにいた。
ミゾレから弾かれた二つの銃は宙を舞いきれいな放物線を描き地面にたたきつけれた。
そして、ハヤテの剣はミゾレの首を捕らえていた。
「俺を殺すのか?」
武器をなくしたミゾレはこわばった顔で訊ねる。ハヤテはすぐに剣を下した。ミゾレは安堵からかしりもちをつく。
「俺はもう殺し屋じゃないからな。」
「とっとと失せろ。」
ハヤテはミゾレに言い放った。ミゾレはハヤテをまっすぐにらみつける。その表情からは悔しさがあふれていた。
「覚えてろよ。俺を殺さなかったことを後悔させてやる。」
ミゾレはそういうとよろよろと立ち上がり、商店街の奥へ消えていった。ミゾレの後を追うようにシノブもその場を去った。ハヤテに倒された暗殺者たちも肩を貸しつ貸されつその場を後にした。
「なあシデン。」
ハヤテが振り返り呼びかけた時にはもうシデンの姿はなかった。勿論さっきまで横たわっていたはずの詩音の姿もない。代わりに奥の方から辰郎や葵、由紀たちが走ってくるのが見えた。
「あの野郎。俺は逃げも隠れもしないって言うのに。」
ハヤテはシデンと詩音を追うために走り出そうとした。
「ちょっと待って。」
由紀の声でハヤテは立ち止まった。
「悪いけどのんびりしている時間はないんだ。詩音が連れていかれちゃったから。」
必死に走って肩で息をしている由紀や葵らにハヤテはあっさり言った。
「一体、何がどうなっているの?詩音を連れって行った人ってISROの人だよね?一瞬しか見えなかったけどあの時会見の時にいた人に間違いないわよね?」
葵がハヤテに質問攻めをする。
「ハヤテは何を知っているの?あなたは一体何者なの?」
由紀がさらに質問を追加する。
「俺は……」
ハヤテは手にしていた時空の剣に目線を落とした。
「俺はハヤテだ。それ以上でも以下でもない。それでいて俺は護らなければいけないんだ。だから俺を信じて詩音の帰りを待っていてくれ。頼む。」
ハヤテは頭を下げた。
「もう、わけわかんないよ。詩音が帰ってきてもこの先一緒に入れないでしょ?」
由紀が涙目で訊ねる。
「そんなことは俺がさせない。必ず、明日も明後日も来年も10年後も変わらない毎日を送れるようにして見せる。」
「ハヤテ。どうするつもりなんだ?」
辰郎が訊ねる。
「わからない。」
ハヤテは正直な答えを出す。いまだに答えの出ぬままこの状況まで来てしまった。それでも前へ進まなくてはならない。ハヤテは暗闇の中でも自信に満ち溢れていた。
「わからないけど、行くしかないんだ。」
ハヤテはそう言った。その言葉に一点の迷いもなかった。
「ハヤテがそう言うなら、俺たちはお前を信じて待つよ。お前たちの帰りを。」
辰郎は微笑む。
「私たちも待ってるよ。何がなんだかわからないけど、全部終わらせて普通の毎日に戻して。信じてるよ。ハヤテ。」
由紀も辰郎に倣う。
「私たちにできることは信じることくらいだからそれは全力でするよ。だから、詩音のことは頼んだわよ。」
葵がハヤテを叱咤激励する。
「ありがとう。全部終わらせてくるよ。」
ハヤテは笑顔を見せた。
そして、次の瞬間ハヤテはもうそこにはいなかった。




