覚悟を決める
「お嬢、どうしますか? ゴーマン殿下に手を下すのは無理です。でもターナー公爵令嬢なら、馬車の事故に見せかけ、消すことはできますよ」
この知らせを届けてくれたのは、私の専属従者であるアントニー。五歳で王宮に迎えられ、そこで暮らすようになった私は、専属侍女と専属従者を一人ずつ、伯爵家の屋敷から連れてきていた。
ダークブロンドに碧眼のアントニーは、私より六歳上で、男爵家の令息。最初は我が家で見習い騎士をしていたが、騎士で終わるには惜しい人材だった。というのもアントニーは誰からも好かれやすい性格であり、それはつまり人の懐に入り込むのがうまかったのだ。
そういう人間は諜報活動に向いている。よってアントニーには従者となってもらい、王宮に籠る私に代わり、様々な情報収集を行ってもらっていた。そのアントニーが、ゴーマンとマーガレットのとんでもない計画をつかみ、私に教えてくれたのだ。
用意周到のゴーマンとマーガレットが動いていた計画で、それは漏れがないよう、かなり秘匿された状態で動いていた。さすがのアントニーでもこの情報を掴むことができたのが、直前となってしまったのは、もはや仕方がないこと。それよりも今、考えるべきは……。
「公爵令嬢を消すなんて……それは無理よ。しかもゴーマンがあれだけ気に入っているのだから。それが今日と言う日に事故にあったとなれば、ゴーマンは絶対に事故ではなく、仕組まれた事件だと疑うわ。徹底的な捜査がなされるし、何よりお父様を断罪する計画は、日を改めて実行すると思うもの。腹いせに」
「だったらスチュワート伯爵が断罪されるのを、指をくわえて見ているだけなのか?」
アントニーの悔しそうな表情に、私はやるせない気持ちになる。言うまでもなく、父親の断罪は回避したい。だがゴーマンとマーガレットが周到に立てた計画なら、付け焼き刃では太刀打ちできないと思ったのだ。
ただ、分かっていることは一つ。
ゴーマンとマーガレットが望むことは、私との婚約破棄だ。
だったら……。
覚悟を決めるだけだ。
◇
この王宮にゴーマンの婚約者として初めてやってきた時、私は魔女に出会った。
本当に魔女なのか。
魔法を見せられたわけではない。でも幼い私には、彼女が魔女に思えたのだ。
グレーのフードを目深に被り、顔の半分は隠れており、口元しか見えない。
真紅のルージュがひかれた唇はとても色っぽく感じた。
ローブを着ていてもメリハリが分かる体のボディラインは、今の私とそっくりだった。
「あなたが第二王子の婚約者ね。キャメロン・スチュワート、まだ五歳。そんな幼い年齢で家族と離れ、これから厳しい妃教育に取り組む。それは……険しい道のりよ」
魔女はそう言うと、私に不思議な言葉を告げた。
「人間は苦しみを自分の中に溜め込み過ぎると、いつか爆発してしまうわ。だからね。もう限界――となる前に、誰かに聞いてもらいなさい。でも誰かに言いにくい話もあるでしょう? そんな時はここで叫ぶといいわ」
魔女は私を王宮の裏庭の、シデの木の生垣のさらに先にある隅まで連れて行った。
こんな場所が、王宮の敷地内にあるなんて!
そこは城壁と生垣の間の、猫の額ほどの空間だった。でも青々とした芝が生え、蝶がふわふわと飛び、紫色の小さな花……雑草だと思うが、咲いており、なんだか落ち着く場所だ。
そんな場所に唐突に見えたのが井戸。
え、井戸?
「この井戸は遠い昔に使われていたけれど、今はもう、使われていないの。そしてこんな場所でしょう。誰も来ない。だからもし、人には言えないけれど、ぶちまけたいことがあったら、この井戸に向かって叫びなさい。溜め込むのは禁止」
そう言われ、井戸を覗き込むと……。
前世日本人の私は、井戸と言えば思い浮かぶのは、怪談やホラー。よってなんだか怖い……と思って見たのだけど。
そんなことはなかった。
井戸の底には青空が映りこみ、まるで鏡のようだ。不思議なことに、まったく怖くない。
「夜にここに来ると、沢山の星や月が映りこんで、それはそれで美しいのよ。でも夜に部屋を抜け出してこんなところへ来るのは、王族の婚約者であり、由緒正しい令嬢がすることではないわよね。だから日中に。こっそり来なさい。そして嫌なことがあったら、この井戸に向けて叫んで、楽になるといいわ」
魔女はそう言うと私を王宮へ連れて帰り、そして気づいたら、姿が消えていたのだ。
こんな風に突然、姿を消すなんて。魔女に違いないわ。そう、思うようになった。
その後、魔女と会うことはない。
でも妃教育でストレスが溜まった時。ゴーマンが日に日に冷たくなり、お茶の席ではマーガレットについて話すようになった時。ゴーマンが私の誕生日にマーガレットとデートしていると分かった時。
私はその怒りを、井戸に向けて打ち明けていた。
そして今。
「ゴーマン殿下の大馬鹿野郎! 婚約者がいるのに、別の女に尻尾を振る、最低浮気男! それにトンビ女のマーガレット! あんたヒロインだからって人の婚約者に手を出しているんじゃないよ! 可愛かったらなんでも許されるなんて思うな!」
そう叫んだ直後だった。
その前に、ゴーマンとマーガレットの企みについてもぶちまけていた。父親を断罪しようとするなんて、ヒドイと散々文句を言った。
一通り自分が受けた理不尽について叫び終えると、覚悟ができた。