オマケのその後
グレイルたちに泥を引っ掛けられた女王は、車の消えた方に向けて持てる限り最大の攻撃魔法を叩き込んだ。
「おのれぇ……おのれぇ!!!」
そんなことをしても無駄とは分かっていながら、それでも彼女は怒りを抑えることができなかった。魔力の限界まで氷を撃ち出し、自らもまたそのために傷つきながらも。
やがて怒りの炎が消えたとき、彼女の中に残ったのは、諦観と深い後悔だった。
女王は考えた。夫であるヴァニーユが裏切ったのは、彼女が人質を取って彼を縛り付けているからだと。
足枷をはめ、魔法を奪い、無理やり自分のものにした。そんなことをしても心までは手に入らないのに。それでも彼が欲しかった。あの、美しい男が。
冷たい玉座に独り君臨していた自分と、玉座を喪った囚われの王である彼とは、よく似ているように思われたから。彼ならばこの虚しさと孤独を癒やしてくれるのではないかと思えたから。
だが結局は、権力で逆らえないようにして手に入れた夫は、女王に心を開かなかった。
いつも微笑みを浮かべ、不平を言わず、決して逆らわなかったが、その実、腹の底にはぐつぐつと煮えるような怒りを抱えていたのだろう。それが自由になったことで解放されたのだ。
きっともう、戻っては来ないだろう。
当然のようにそう思えた。
女王は独り頭を垂れ、地に伏したまま目を閉じた。もう立ち上がることも億劫だった。いっそこのまま、この見知らぬ土地で死んでしまえれば、すべての苦しみから逃れられるのではないか。そんなことを考えていた。
思えばずっと、苦しいことの連続だった。心残りといえば、まだ小さい息子のことだけ。腹を痛めて産んだ、たった一人の息子、クリエムハルトのことだけだ。
(すまない、クリエムハルト……)
そのとき、草を踏みしめる足音がしたかと思うと女王の頭上から、呆れたような声が降ってきた。
「アルジャン、貴女、何をしているんですか?」
「戻って、来たのか……」
女王が視線を上げると、そこにはどこかへと走り去ったはずのヴァニーユが立っていた。月光に照らされた白髪は柔らかな金色で、女王の髪と同じ色に染まっていた。白金の髪に赤い瞳のその姿は、まるでクリエムハルトが成長した姿のように見えた。
ヴァニーユが跪き、女王に手を差し伸べる。女王はおそるおそる、その掌に右手を重ねた。
「なぜ……」
「なぜって、グレイルさんのお見送りが終わったからですよ。今度は貴女を城まで連れ帰らなくてはなりませんからね」
「……お前は、どうするのだ」
引き起こされ、立ち上がり、泥も落とさぬまま、女王はまっすぐにヴァニーユの瞳を見上げて言う。
囚われの星読みの王はその端正な顔を一瞬、憎しみに濁らせた。その激情に女王は慄く。だが、彼女は退かなかった。ヴァニーユは重く息を吐き出し、穏やかな表情に戻って女王に告げた。
「帰りますよ。王都には息子がいるのですから。それに、奴隷の身の上になっても耐えている同胞たちもね」
「…………」
「けれど、忘れていないですよね? 私は元の立場に甘んじるつもりはありませんよ。貴女は負けたんです。私には、貴女に要求を通す権利があると思います」
女王は静かに頷いた。
彼がまだ自分の下へ留まってくれるのなら、どんな望みも叶える用意があった。
「何でも、お前の望むとおりにしよう。ただひとつ、反乱を抑え込むための隷属の輪を再びはめること以外は」
「異存ありません。ただ、あの足枷だけはやめてください。できれば他の輪がいい。あれ、本当に重いんですよね」
「……逃げないのなら」
「この期に及んで逃げるわけないでしょう。残ると言っているんですから、少しぐらい信じてほしいんですけど〜」
ヴァニーユが困ったように笑うので、つられて女王も笑みをこぼしていた。二人が出会って十年以上の月日が過ぎていたが、こんな風に互いの顔を見て笑ったのは、実はこれが初めてだった。
女王がハッと息を飲む。ヴァニーユもまた、何かに気づいたように黙った。おかしな沈黙。
「妾、は……」
「アルジャン」
ヴァニーユは困惑に後退りする女王の腕を取り、自分の方へと引き寄せた。身を固くする女王の抵抗を解きほぐすように、抱きしめ、顔を寄せて囁く。
「私たちの出会いは、確かに幸せではなかった。でも、時が経ち、日々の積み重ねの中に、私は幸せを見出しましたよ。それは貴女とでなければ得られなかったものだ」
「ヴァニーユ……」
「ここから、新しく始めませんか?」
「な、にを……」
「夫婦としての生活を。私と、貴女とで」
女王の金の瞳が満月のように円くなった。
その頬にヴァニーユの指が触れ、唇が重なる。
「アルジャン、貴女のことを愛してみてもいいですか?」
「……なんと言えばいいか、わからない……」
「ただ、頷いて」
女王の首が縦に揺れた。金の月から銀色の雫がこぼれていく。その涙は温かかった。
女王とヴァニーユの幸せは長くは続かず、それからすぐにヴァニーユは何者かに暗殺された。女王は正式な夫とその親族、逆らう者すべてを粛清し、血の恐怖政治を敷くこととなる。
女王自身も病に倒れ床に伏しがちにはなったが、締め付けは一向に緩まず、さらに何人もの人間が処刑されていった。他国は沈黙を守り、厳しい冬の時代が到来する。
王子クリエムハルトは女王ワフアル七世を支え、自身もまた、隷属の首輪と恐怖で臣下を従え軍事を拡張していくこととなる。




