協力要請
魔石が目に触れない所へ下げられた為に、ナリシフィアはやっと人心地つくことができた。
「そなたにとって嫌なものを見せてしまったようだね。顔色が悪い。少し横になって休むか?」
「いいえ、大丈夫です。お気遣いいただき、感謝いたします」
ゆっくりと首を横に振り辞退すると、サヴェンヒェルは僅かに表情に心配の色を滲ませながらも、そうかと納得した。
ナリシフィアは食事をそれ以上続ける気も起きず、そっと弁当を遠ざけたが、それに気付いたサヴェンヒェルの指示で、事前の宣言通り彼の侍従が片付けを申し出てくれた。
気分を落ち着けてくれる作用があるという紅茶まで淹れてもらい、ナリシフィアは恐縮しながらもそれを一口飲みほぅと息をついた頃、サヴェンヒェルもいつの間にか食事を切り上げたようで、向かいで一緒に紅茶を飲んでいた。
「時にナリシフィア。そなた最近、学園内における違法賭博の噂を耳にしているか?」
次にサヴェンヒェルが話題にしたのは、密かに校内で囁かれている校内の問題事だった。ナリシフィアも気にしていた為調べ始めてはいるが、まだ情報があまり集まってはいないので全容は掴めていなかった。
「私も気になり調べ始めたところなのですが、生徒会案件なのでしたら手を引かせていただきます」
「いや、その必要はない。寧ろ協力してほしいくらいだ」
「どういうことでしょうか?」
日頃の皇太子らしくない発言を怪訝に思い、ナリシフィアはおっとりと首を傾げた。
何か問題があり生徒会で対処するような事態となっていたなら、一般生徒を巻き込まないように配慮はすれど協力を求めてくるようなことはないはずなのだ。
「少し厄介な相手の名前が浮上してね、まだ不確かな話なので口には出来ないのだが」
「まさか、隣国ガザスダーニアの第3王子殿下のことでしょうか?」
ナリシフィアも手元にある少ない情報からあたりをつけて口にその名を登らせれば、サヴェンヒェルは我が意を得たりというように頷いた。
「やはりそなたの耳にも入っていたか。隠すまでもなかったね」
「私の方で現在までに把握している情報は、揃え札の遊戯でより得点を得た方に、金品を差し出すというものでした。主に朝組の生徒が行っており、他国からの留学生も関わっているとか」
札を使った遊戯は幾つかあるのだが、揃え札はその内の遊び方の1つだった。札には5種の記号があり、其々10枚ずつの札に1から10まで番号がふられていた。
遊戯の法則としては、参加者に最初に5枚の札を配り、その手札の記号が全て一致、もしくは全種類の記号が揃った状態等が得点が高い。より記号の揃っている者が勝者となるのだが、最初に配られたままで記号が揃っていることはまずないので、2回までなら手札の入れ替えが可能だった。配られなかった札の山の上から、捨てた枚数分だけ札を引くのだ。
そうして何度か勝負をし、最も得点の高かった者に負けた者達から金品を引き渡す。それが違法賭博だった。
「関わっている者はもう炙り出したか?」
「いえ、まだどれくらいの規模のものかは把握しかねているのです。しかしそれだけのことを学園内で堂々と行おうと思うのでしたら、何かしらの後ろ楯があると考えるのが自然かと。その後ろ楯の候補として名前が挙がっているのが、彼の第3王子殿下だった、と」
「左様。生徒会からあからさまに探りを入れてしまえば、警戒もされるからね。もしそれで何の証拠も掴めなければ、国際問題にされかねない相手でもある」
「頭の痛いことですね」
ナリシフィアは扇子で口元を隠して嘆息した。
隣国とは今は特に何の問題も浮上せず良好な関係を築いてはいるが、それはあくまで表面上のことだ。
ガザスダーニアは魔法大国を自認しており、ナタースヒリア皇国の自国とは違う魔力の在り方や宝具といった解明されない魔法技術に対し、並々ならぬ興味を示していた。
数十年前に研究の為に幾つか宝具を譲ってほしいと要請もあったが、神から賜った物であり他国への持ち出しを禁止していることを理由に断っていた。その際は穏便に納得してもらってはいたのだが、簡単に引き下がるとは思えない。
定期的に魔法研究の名目で留学生を送り込んでくるが、その留学生は成績優秀とは言えない者達の集う朝組に常に割り振られている。何年も留学生が送り込まれているのだが未だに優秀者が現れていないのは、研究が進んでいないためなのか。
魔法大国としては苛立ちも募る一方だろう。
「そこでだ、そなたは彼の者と面識があるようだったね。一時期追い回されていたようでもあったが」
細めた目で意味ありげに見られ、ナリシフィアはそっと視線を逸らした。
あまり思い出したいことではないのだが、確かに彼の王子からはよく声を掛けられ続けた時期があった。国際問題に発展しないよう当たり障りなく接して、近しくなり過ぎないように距離をなるべく保つように苦心した時期でもある。
「第1学年の時、尋ねられて学園内の道案内をさせていただいたことがありますが。追い回されたというほどのことはございません。何度か食事にお誘いいただいたことや、学園の外で会いたいとお言葉を賜りましたが、道案内のお礼などは気になさらないでいただきたい、とお断りさせていただきました」
「そうか。賢明だね。おそらくそなたがメイダース家の者であるため、興味を惹かれるのであろう」
「ガザスダーニアは我が国の建国神話や宝具の在り方に、大変興味関心を持たれていらっしゃるご様子ですからね」
「解っているなら話は早い。それを利用して、そなたから彼の者に接触してはもらえないだろうか。無論危険のないように、わたしも常に行動を共にさせてもらう」
皇太子が護衛の真似事のようなことをするという破格とも言える申し出を受け、ナリシフィアは滅相もございませんとゆっくり首を振った。
「協力させていただくのは良いのですが、危険が想定されるような事態なのでしたら、殿下においでいただくわけにはまいりません」
「一応王族相手なのだから、私も共に居た方が良いと思うけど?」
「それは、そうですが。でしたら私は必要ないのではないでしょうか?」
王族同士でやりとりするというのなら、かえって自分の存在は邪魔になるのではないか。
両国の友好をはかる為の交流ということにするならば、生徒会からの介入とは認識されないだろうと思われる。
困惑を声に滲ませるナリシフィアに、サヴェンヒェルは笑みを深めて言い聞かせてくる。
「必要だ。そなたが居た方が、向こうの注意がナリシフィアに向くからね。ボロを出すやもしれぬ」
「そう、なのですか?」
「無論。無理強いはしない故、よく考えるように」
「はい」
話が一段落したところでノックの音が響き、サヴェンヒェルが入室の許可をだした。
侍従により開けられたドアから姿を現したのは、生徒会役員の1人であり、サヴェンヒェルの右腕として側近くに常に控えているドゥトイエ・ヴァンドレール公爵令息だった。
「失礼します。殿下、遅くなりました……何故ナリシフィア様がここに?」
何かの書類か資料だろうか。片手に紙の束を抱え颯爽と入室してきた青年は、長椅子に座るナリシフィアを見留めると片眉を跳ね上げ怪訝な表情をつくった。
髪の色は鮮やかな青で、瞳は氷碧色。冷淡な雰囲気を湛える目元と理知的に整った顔立ちは、密かに憧れる令嬢も多く人気を博しているのだが、どういうわけか未だにドゥトイエは婚約者がいなかった。
まだ特定の相手がいないというのはサヴェンヒェルと同じではあるが、彼の場合は言い寄ってくる女性に対して常にキッパリとした断りの言葉と態度を貫いており、春は遥かに遠そうだった。
もしや揃って異性に興味がないのではないか、と下世話な邪推をする者も現れるほどである。
「一緒に昼食を摂っていた。ナリシフィアが是非ともわたしの力になりたいと言うものでね、いろいろ話していたところだ」
笑みを崩すことなく白々しくサヴェンヒェルが言い切れば、ドゥトイエは納得するどころか更に眉間の皺を深めて皇太子をねめつける。
「まさか、ナリシフィア様を巻き込むおつもりですか?僕は反対ですよ。ただでさえ今日、あわや大怪我を被られる所だったのですから」
「だからこそ、手の届く範囲に置いておきたいのだ」
「承服致しかねます。わざわざ危険な場所に近づけてどうなさるおつもりなのですか」
「そうは言うがな、ドゥトイエ。もう既にナリシフィアは独自に、学園内賭博疑惑については調査を始めていたようだぞ?別々に動き回る事になるより、手を取り合った方が効率的だと思うが」
「生徒会案件として手を引いていただけば済む話です」
「それで済めばいいけどね。彼の者が関わっているとしたら、またナリシフィアに関心を寄せ良からぬことをするやもしれぬ」
「そうならないように早期解決、早期対処をするのではないですか」
「言うは易し、だね」
ナリシフィアそっちのけで言い合いを始める2人に、ともかく紅茶をゆったりと飲んで成り行きを眺めるナリシフィアであった。
なるほど、サヴェンヒェルが強引なやり口でナリシフィアを昼食に誘ってきたのにはこういう訳があったのだ。
隣国の第3王子の関与が懸念され、一時期とはいえ第1学年ではその王子から執着のような扱いをされていたナリシフィア、いや、メイダース家の人間が巻き込まれる可能性を考慮して目の届く所に置いておき、万が一の時には早期に対処したいということなのだ。
餌となる可能性のあるナリシフィアを活用したいサヴェンヒェルと、餌としては確実性のないナリシフィアに余力を割きたくはないドゥトイエ、という構図なのだろう。
ナリシフィアは表情には出さずに頭の中で思考をまとめて、ひとしきり納得した。
「ともかく、僕は反対ですから。ナリシフィア様、殿下が失礼致しました。教室まで送らせていただくので、今日のところは」
いきなり話を振られて、ナリシフィアはいずまいを正した。
さも話を予期しておりましたという微笑を浮かべ、おっとりと首を横に振る。
「いえ、1人で戻れますので、お気遣いなく」
「そういうわけにはまいりません」
手に持つ紙の束をサヴェンヒェルの目の前に置くと、ドゥトイエはすっかりナリシフィアを送る態勢となりドアへ向かう。
因みに持参した弁当はドゥトイエの侍従が代わりに持つと申し出をされた為に、有り難く受けることにした。
ナリシフィアは恐縮しながらも立ち上がると、皇太子に向かって優雅に淑女の礼をとった。
「では殿下、失礼させていただきます」
「ああ、また後で話そう」
ニッコリと穏やかな微笑に送り出され、ナリシフィアの緊張の皇族との面談は終了したのだった。
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