第十三話:穏やかな気持ち
――服越しに伝わってきたささやかな圧迫感に意識が緩やかに呼び覚まされる。
上腕から肩、そして左胸へと駆け巡る感触。
どこかくすぐったいそれに身を任せていると、その時まであった遠慮……いや、怖れを振り切るかのような短い吐息。そして心臓の直上に確かな存在感が接触する。
――ドクンドクン。ドクンドクン。
普段は当たり前過ぎて意識することもない、自分の心臓の鼓動。
接触による圧迫により、その鼓動が曖昧な意識へと確かに届く。
性懲りもなく、しかし力強く自らの生を主張する音。自由意思を超えた意思によってひたすらに動かされ続ける、自らの全ての前提となる音。
そんな音に急速に意識が再編され、俺は自分が”どこの誰”で……そして”時の果てに”何を置いてきたのかを思い出す――。
…………。
…………。
…………。
――あっ、別に全く大層な話じゃないんすけどね。
要は”お金がまったくない錬金術師”が、”調合もせず”にすやすやとお眠りになられていたというだけの話である。例の森から戻って早々ソファに身を投げ出した俺は、そのままあっさりと寝入ってしまったのだ。
そしてようやっと意識を取り戻し、とてもとても”嫌な予感”を感じながらハッと目を開けたのが丁度今というわけである。
そうして俺が目を見開くと、俺の左胸に何故か耳を押し付けていたらしい弟子の少女が全く同じタイミングで顔を上げる。俺とシャルティアの、視線と視線がぶつかる。
「あっ……」
シャルティアが小さく声を上げる。
俺たちはそのまましばらく見つめ合っていたが……、やや間をおいた後、彼女は慌てたようにぴょこんと飛び上がると、手を上下させ、高速でまばたきをして、それからあたふたと起床の挨拶を投げかけてきた。
「おお、おはよう、ございます……っ」
「……ああ、おはよう」
何してるんだろう、こいつ。あと、何してたんだろう、こいつ。
俺は弟子の生態にいろいろと疑問を抱いたが、まぁ、とりあえず気にしないことにした。こいつの奇行よりも先に、俺には確認しなければならないことがあったのだ。
俺は渋々確かめたくないことを確かめるため、まだなんか変な動きをしているシャルティアの頭を捕まえて強制的に動作をストップさせた。
「まー落ち着け。――それはそうと、今は何時だ? 俺は……どのくらい寝ていた?」
「ひぅ! は、はい。えっと……。い、いまは、ゆうがた、くらいです。もどってきたのが、おひるすぎだから……」
「四時間位ってところか。おいおい……」
俺はシャルティアの頭から手を離し、今度は自分の頭を押さえながら立ち上がる。振り返って窓の外をみる。
シャルティアの言ったとおり、もう大分日は西に傾いていて、赤い夕焼けの光が部屋の中へと差し込んできている。……なんだか物悲しい感じだ。
うーん、おかしいなあ。今日中に風邪薬の方くらいは届けて代金貰うつもりだったのに……。納品自体は別に明日でもいいっちゃいいんだが、ほらね。驚いたことに、晩御飯代すらないから……。
てか、マジで今日どうしよう。今日は流石にちゃんとしたものが食いたいぞ。
それに帰ってからも、あまりに疲れすぎて何も食わずに倒れ込んだから、つまり俺たちは今日ふかし芋しか食べていないことになる。
……道理で腹が減っているわけだ。うーん、なるほどなぁ。そういうことかぁ。
俺はうんうんと頷いた。
「――って、納得してる場合じゃないッ!」
思わず吠えると、少し後ろからびっくりしたような声がする。
「ふわっ! ど、どうしたん、ですか……? あ。おこしたほうが、よかったですか?」
「ああ、いや……。大丈夫だ、問題ない! まだいけるはずだ! まだ間に合う!」
俺は不安げな彼女の方に向き直って、なんとなく見栄を張った。
なんで見栄を張ったかは自分でもよく分からない……。
だけど確かに、まだセーフかもしれないな。
自分の言葉に真理が含まれている気がしてきた俺は、腕を組んで考え始めた。
まず……。
今俺は確かに空腹ではあるが、しかし、これはまだ倒れるほどではない……。
俺は目をつぶって腹に意識を集中し、過去の経験と照らし合わせて、冷静に自分の状態を評価した。
それに眠ってしまったことで多少疲労も取れている……。
調合は、一応は魔導士が行う作業だから、過程に多少は魔力を使う。
そのため、いくつか手順を端折って急いでやってしまうと、コテリと倒れてしまったりするが……、うん。これはまだギリギリ倒れるラインではない気がする。
俺は念の為、もう一度身体の具合を言葉に出してチェックした。
「ふむ……。魔力……疲労……倒れる……。むむむ……」
急にブツブツと不審につぶやき始めた俺を、シャルティアがポカンと見てくる。
しかし、これはいける……! いけるぞ……!
ということは、なんとか気合を入れてやれば、まだギリギリ夜中とは言えないくらいの時間には調合を終わらせて、無事、今日中に依頼先へ届けに行けるんじゃないか?
あそこは娼館だからもともと夜が本番みたいなもんだし、近所の酒場も深夜まで営業しているしな……。そっちの問題はない……。
おっと……?
ということはつまり、俺たちは今日、無事マトモな晩御飯にありつけてしまうんじゃないか?
これはいけてしまうんじゃないか?
――思考を終えた俺は、フフと口元に笑みを浮かべた。
さすがは俺だ……!
限界までサボって、ギリギリ間に合う、絶妙な時間に目が覚めたな……!
フフハハ……!
俺はシャルティアに向かって、ややオーバー気味に宣言した。
「これから――調合を始める! 俺たちの、今後がかかっている調合だ……。平穏な明日を掴むため、迅速に、かつ正確に、作業を進めるぞ! しっかり俺の指示にしたがえ!」
「は、は、はい……っ!」
シャルティアは震える声で、しかししっかりと返事をした。
よしよし。緊張感があっていいことだ。
§
”瑞光の森”での成果物をずらっとテーブルに並べる。
目的の”薬草”以外にも、途中で道草を食いまくっていたせいでやたらと種類が豊富だ。特になぜか10本位あるキノコとか……焼いて食べたら……腹は満ちるんじゃないかと……。
ジュルリ。口の中に涎が満ちる。
「……ハッ」
ってそうじゃねえ。キノコはあとだ。
まずいな、脳が食欲に支配されている……。俺はいま錬金術をしようとしているんだよ。寄り道はしない。しないったらしない。
とりあえずキノコは置いておいて……。
「あの森で取れる物は、どれも比較的、魔力が”芳醇”に含まれているものが多い。使おうと思えば大抵何かには使えるから、とりあえず鮮度が落ちる前に処理してしまうぞ」
「はいっ」
緊張した面持ちで頷き、ぐっと拳を握るシャルティア。
そんな彼女とともに、くんできた井戸水を使って素材を洗っていく。
……しかし魔力が芳醇、か。
瑞光の森には、魔法師の連中が魔法師としての”魔素感覚”を磨くための巡礼地の一つとして使われるくらいには、光の力――彼らの分類でいう”光素”が満ちているとは聞いたことがあるが……。
俺は思った。
それってさ……あの連中、ライトウィスパー共の魔力だよな……。多分。
つまり穿った見方をすれば、あの森で巡礼して感覚を磨くということは、ライトウィスパーから零れる魔力……つまり”垢”みたいなものを感知してやっている、ということなんじゃないか……?
そして、この今洗っている素材に含まれている魔力にも、少なからず連中の”垢”が……。
うげぇ。俺は顔をしかめた。
あの変態チックな格好をした奴らの、身体の一部か……。
なんかまるで連中の風呂上がりの水を、俺たち人間は嬉々として使っているみたいな感じじゃん。
イヤだなぁ……。
「よいしょっ、よいしょっ……」
腕をまくりあげたシャルティアがせっせと薬草から土を落としている。
何故か一瞬、薬草からピンクのおっちゃんが浮かび上がったような気がして、公衆浴場でおっさんの背をゴシゴシと洗っている少女の姿みたいだなと、俺は思った。……病気かもしれない。
大体こうやっておっちゃんのことを思い出すとさ、あの異様な森のアレとかコレとかも……思い出して……。…………。
「ううっ……」
あ、頭がぁっ……! うっかり思い出してしまったせいで、俺のナイーブなハートが激しい悲鳴を上げる。思わず頭を抑えて顔をしかめる俺。
そんな俺を、作業を中断したシャルティアが心配そうに見上げ、声をかけてくる。
「お、おししょうさま……? どうかしましたか……?」
「ん? 別になんともないぞ」
瞬間的に某花屋の店員さんによしよしと優しく甘やかされる妄想に耽り、既にとても穏やかな気持ちになっていた俺はしれっとそう答えた。
……しかしこれだけではまだ不足かもしれないな。俺はそう静かに自分を見つめ直す。
こうして一見、元気になったとはいえ未だ俺の心の傷は深い……。
これは妄想だけではなく、本物の店員さんに慰めて貰う必要があるだろう。
そのためにも、一刻も早くお金を貯めてどこかイイ感じのお店に行かないとな。
おっと……。なんだかモチベが上がってきたぜ。
俺は、俺のことを健気に心配する子供の前でソッチ系のお店に行く計画を立てた。
しかしそんなろくでもないことを考えている俺に対し、シャルティアは本当に心の底から安心したように胸をなでおろし、ふんわりとした笑みを見せる。
「よかった、です。なんとも、なくて」
「……お、おう」
おいおい、やめろよ……。まるで俺がクズみたいじゃないか。
俺は内心で狼狽えた。
そうか、これが真っ当な人間というものか。遊び人通りでの暮らしが長すぎて、すこしばかり感覚がずれていたかもしれない……。なんということだ……。すこしばかり俺は反省する。
……だけどまぁ、反省するにも時間というものが必要だよね。
ということでちょうど作業が一段落したことをいいことに、俺は次の指示を出した。
「これ……。”エドラム草”以外は今は使わないから、この素材の魔力が散逸するのを防ぐための薬液、”ルマリホン溶液”を満たしてあるあっちのタルに放り込むぞ」
ちなみに一日くらい漬けたら、タルからだして素材棚やコンテナに移し替えても、魔力はあまり散逸しなくなる。また、薬液に含まれる保存系の魔法概念を取り込むことにより、素材自体も長持ちするようになる。
食べても大丈夫なんだから、たとえ錬金術に使わないとしても便利な薬液だ。
「わかりましたっ」
シャルティアはふんすと返事を返し、使わない木の根などをタルへと運ぶ。
俺はその間に部屋の中央で熱を発している錬金釜へと近寄り、かき混ぜ棒を介して窯の中の状態を確かめた。
「んー……。骨がやっぱり残ってるなコレ……。ああ、そういえば骨油の分離をしかけていたんだったか」
例のドクロを作ったあまりの骨で、ランプにでも使おうかと思っていたんだったか……。
フツウに邪魔過ぎる。そもそもの話、商売道具をなんで俺は暖を取る方面にばかり使っているんだろう。すごくフシギ。
あー、それにしてもコレ、取り除くの面倒くさいなぁ。流用してなにか作れないんだろうか。あきらめ悪くそう思った俺は、窯から離れて本棚から薬のレシピ集を引っ張り出し、テーブルについた。
すると移し替えが終わったのか、隣の席にシャルティアもちょこちょことやってきてレシピ集を覗き込んでくる。
「おわりましたっ。あの……それは、なんのほん、なんですか?」
「お疲れさま。これはまぁ、薬のレシピ本だな。王国錬金術師協会というところが出している、公開レシピ集だ」
「わぁ……。きれいなえが、いっぱいです」
「ああ、今の協会のトップが画家でもあるらしくてな。しばらく前からやたらとイラストが増えているんだ。……いや、増えているどころか、最近のはもはや絵本じみてるかもしれないな」
なにせ、使われている素材に吹き出しが付いて喋っていたりする……。
一体、うちの国の協会はどこへ向かっているのだろうか。誰か止める奴はいないのか。大陸でも錬金術師の組織では最大勢力の一つのはずなんだが。
「なんだか、かわいいですっ」
「そうね」
目をキラキラとさせているシャルティアに、俺は適当に返事をする。
ぺらぺらとページをめくって、それっぽいのを探す。
「おっ、これがいいかもしれないな……。”一薬万骨”」
骨素材をじっくりと時間を掛けて溶かし込むことで、”支える”効果を徹底的に抽出し、まとめ上げることで、加える薬草の薬効を強化する、みたいな薬らしい。
生物は大なり小なり、常日頃からある程度の”身体強化”を行っている。
そのため一般的に骨という生体素材からは”硬化”の類の力が染み付いていることが多いが、それも元を辿れば”身体を支える”役割から来ている。
書いてあることをざっと読むに、その根本の方の力を、長時間グツグツとやることで分解、抽出する~みたいな理屈、みたい?
他にも、使う骨の種類や品質にももちろん影響は受けるみたいだが、量や分解時間で完成品の品質をカバーできる~みたいなことが書いてある。
おいおい、探せば意外とあるもんだな。
結果的にだが、まさに今の俺が作るものにぴったりじゃないか。
大量の骨を溶かし込む過程は、既に何故かクリアしてしまっていることだし……。
誰が考えたのか知らんが、そいつには感謝してもいいかもしれない。
イラストの骨から『熱いよ~、溶ける~、助けて~』って吹き出しが出てるのは正直どうかと思うけど。
……でもぶっちゃけ、ちょっと経ったら存在ごと忘れてる気しかしないなコレ。だって、わざわざ薬草の効果を高めるためだけに、こんだけ骨用意するとか普通しないだろ……。
まーとはいえだ。
俺は一応師匠らしいので、書いていることはざっとシャルティアにも読み上げて教えてやることにした。書いてあること以上のことは全くもって知らないが! ブツが作れりゃそれでいいんだよ。
「というわけで、今からこの薬を作る。あー」
どうしようかな。
真剣な顔で本を見つめ、俺の説明にうんうんと頷いているシャルティアを見ながら、俺は彼女に何をさせるか、実はあまり考えていなかったことに気づいた。
……まぁ、ノリでいいか。
いや。良くはないが、ちゃんと教えるのはまたそのうちね。
今はそれどころじゃないからね。
「むぅ……」
しかし。
シャルティアは真剣な眼差しで目に焼き付けるように、イラストで描かれた手順を睨みつけている。
――あまりに情けないことを、言い訳をしながらのたまっている俺とは違って。
…………。
…………。
…………。
…………やっぱり今度協会行って、指導用の手引書ないか探してこよう……。
いくらなんでもそこまで適当は、半ば拒否権なく連れてきたコイツに対して流石に悪いか。
俺が適当なのは別に今に始まったことじゃないが、その性質すらコイツにも押し付けるのは何かが違う……はず……だ?
……いや……どうなんだ?
俺は本に食いつくシャルティアをじっと見つめながら、珍しくちゃんと頭を使って考えてみることにした。
そう。確かに俺は食っちゃ寝の生活をするために、この少女を弟子にした。
冷静になるまでもなく、俺の意図は善か悪かでいえば、悪だ。
そこに例え、結果論ではあるが『スラムから救い出した』みたいな見方を加えたところでそれは変わりはしない。
ひとりの人間の人生を自分勝手に、問答無用で決定づけようとしているのだから。
勿論、もともと”選択肢”なんてものが与えられるのは、ごく一部の恵まれた人間のみであることはわかっている。
ラクラシア王国という国は比較的豊かなればこそ、選択肢を持つ人間が多いように見えるだけで、世界を見渡してみれば、そんなもの、ない人間の方が多いことはわかりきっていることだ。
しかしやはりその”選択肢”の論からしても、やっぱり俺がやろうとしていることの倫理は問われてしかるべきだろう。
いくら貧乏とはいえ、俺は選択肢を、そして多少なりとも選択肢を与えられる側の人間であったのだから。
そう……。俺はもっと早く、できれば拾った段階で……線引きを考えなければならなかったのだ。
どこまでこの少女を道具として扱うか、そして人間として扱うかの線引きを。
どこまで俺は自分の我をこの少女に押し付けるのか、否かを。
――何が何でも俺は、目指す理想の生活を手に入れる。
そこに誰にどんな文句を付けられようが知ったことではないし、俺は、そこだけは絶対に譲ることはできない。
――『やりたいことをやりたいようにやって、好きに生き』るのが、『俺らしさ』だから。
それを前提とした場合、俺はこの少女をどう扱うべきなのだろうか。
徹頭徹尾、恩を傘に来て、半ば奴隷のように道具として扱うべきか?
それとも、鳥籠の中でも、ある程度の選択肢を彼女に見せるべきなのだろうか?
――俺が、ぐるぐると迷路にでも囚われたかのように思考をめぐらしていたその時。
あまりに集中して本を目で追っていたからか、シャルティアが『わわっ』と声を上げて、隣の椅子から俺に向かって倒れ込んでくる。
目を白黒させている少女の温かい身体を受け止めた俺は……思わず、小さく自嘲する。
「って、何をバカバカしい……」
よくよく考えるまでもなく、こうして妙ちきりんなことを考えているほうが『俺らしく』ないじゃないか……。やっぱダメだな。俺がマジメに何かを考えるとロクな考えが出てこないらしい。
適当に場当たり的に生きているのが、まぁ、俺の身の程に合っているということなのだろう。
そんなことを思って肩をすくめていると、腕の中の少女がおずとずと見上げ、顔色を赤と青でいったりきたりさせながら、しどろもどろに謝ってくる。正直、ちょっと面白い。
「ご、ごめん、なさい……っ! あのあの、その……っ! っっ~~」
「くくく。ああ、別に気にしてないから謝らなくていい。それよりも作業に入るぞ」
俺はそう言って、シャルティアを持ち上げ床に立たせると、背を押して錬金釜のところへと導き、そしてかき混ぜ棒をもたせると、背後から俺もかき混ぜ棒を握りしめた。
ギリギリ視界に入った、”機能を喪失しテーブルの上で体操座りの姿勢で放置されている天使人形”が、ヤレヤレみたいな表情でこっちを見ているような気が、なんとなくした。
Q.ルマリホン溶液に浸したものって、本当に食べても大丈夫?
A.王国錬金術師協会『今の所、健康被害が生じたという報告はありません。よって直ちに影響はないと思われますが、心配ならニンニク、キャベツ、ブロッコリーなどを同時に食すといいでしょう』
(ホルマリンじゃない謎の物質だから大丈夫! なにせ、【ホ】の場所が移動してるからね!)




