突然のファンファーレ
バニラはトイワホー国のプスタ県に住んでいる。トイワホー国は『愛の国』とも呼ばれている。そのため、バニラはマンションを住いとしているが、バニラの近所との付き合いはとても良好である。
例えば、隣に住む夫婦の車が破損していれば、バニラはその夫婦の身を心配してどうしたのかを確認したこともあった。ちなみに、その際は幸いにもケガ人はいなかった。
エレベーターはないので、重い荷物がある時はいつでも言ってくれと一階に住む太った女性によって言われていたので、バニラは何回かその女性に助けてもらったこともある。
トイワホー国は人と人の結びつきが強いので、バニラはおすそわけとしてご飯を作りすぎた時に近所の人から天ぷらやクッキーなんかをもらうのも日常茶飯事である。これらの例はまだまだ序の口である。どんな局面に立たされても『愛の国』トイワホー国では必ず誰かが助けてくれる仕組みになっている。
今は午前の7時であり、今日は金曜日である。OLのバニラは出勤のための準備をしている。朝には強い方なので、バニラは学校でも仕事でもあまり遅刻をしたことはない。それはプライベートな待ち合わせでさえも同じである。バニラは顔を洗ったり着替えたりしてご飯を食べて歯を磨くと家を出ることにした。独学とはいえ、バニラはそこそこに料理ができる。バニラは今日も簡単に調理をしていた。バニラの今日の朝食のメニューはご飯やシャケやみそ汁や目玉焼きといったものだった。
バニラはゴミを持って外に出ると擦れ違った会社員の男性に対して挨拶をしてゴミを出した。バニラは早速に最寄り駅へ向かおうとしたが、その途中にて見逃せない発見をすることになった。
というのは駐輪場で自転車がドミノ倒しになっていて女子中学生がそれを立て直すために奮闘していたのである。心のやさしいバニラはそれを手伝うために女の子に声をかけようとした。
時間に関しては余裕を持って家を出ているので、そのくらいのロスはなんら問題はないのである。しかし、中学生の女の子はバニラに気づくと自分の方から先にバニラに対して話しかけてきた。
女の子は『お助けカード』を出してバニラに対して自転車の立て直し作業を手伝ってくれるようにお願いした。バニラの方は快くその役目を引き受けることにした。駐輪場には10台もの自転車があるのだが、女の子の自転車は一番下にあった。バニラは手際よく作業を行って女の子からお礼の言葉と『お助けカード』をもらうと駅へ向けて歩き出した。ここでは『お助けカード』の説明をしておくことにする。
『お助けカード』とはトイワホー国の独自の制度であってこのカードを差し出すと余程の無茶なお願いでない限り、トイワホー国の国民は困っているところを助けてくれるというものである。
だから、先程は女の子が助けを求めたら、バニラはそれを快く引き受けたのである。トイワホー国の国民なら、この傾向は特に顕著だが、困っている人はつい人に迷惑をかけるのは申し訳なく思ってしまうものである。困っている人はそこで『お助けカード』を持っていれば、その際にはこちらからもお返しができるので『お助けカード』はそういう意味でも便利な代物なのである。
バニラの住んでいるこのマンションから最寄り駅までは約三分で行けるが、乗り換えは二回しないといけないので、バニラの通勤時間はなんだかんだ言って一時間くらいはかかってしまうことになる。
とはいえ、今日のバニラはなんだかいい感じである。先程はいいことをしたのだから、バニラは気分がいいのである。バニラは銀行員をしている。現在のバニラは26歳だが、実はすでにつらい過去を経験している女性でもある。それはルーと言う名の兄の死である。当時のバニラは高校三年生の時の出来事である。兄のルーは大学4年生の時の出来事だった。事件は殺人だったので、トイワホー国ではかなり珍しく同時にとても残酷なものだった。その事件はバニラに対して大きなショックを与えた。
バニラは先月(7月)にスミレとシランという親友の二人と共にクリーブランド・ホテルという場所に行ったのだが、そこではルーに関して衝撃の事実を知ることになった。その事実は二つあった。
一つ目は兄のルーが殺害された時に親身になってバニラの話を聞いてくれていたクローブという男がルーを殺害した張本人だったのである。バニラはこれについて『お悩みアドバイス』を利用する程にショックを受けてしまった。『お悩みアドバイス』とはトイワホー国の政策のことである。
もう一つの衝撃の事実とは実はバニラの親友のシランが麻薬に手を出していたということである。シランはその結果として8月の今月一杯まで刑務所で過ごすことになったとバニラは聞いている。シランは別に麻薬の常習者ではなかったのだが、トイワホー国の法廷はしっかりと最後までシランの面倒を見るという意味を込めてシランが刑務所で過ごすということを決定したのである。
しかし、バニラとスミレはシランのことを見捨てたりはしないので、シランが釈放されたら、その時は同じ失敗を繰り返させないようにちゃんとシランの面倒を見てあげるつもりである。
上記したとおり、バニラはプスタ県に住んでいるが、スミレはピーター県に住んでいるし、シランはポンメルン県といったようにしてそれぞれが離れたところに住んでいるので、頻繁には会うことはできないが、その代わり、バニラとスミレは電話を有効的に活用しようと思っている。
トイワホー国の国民は皆がやさしいからと言うのもあるが、バニラとスミレとシランの三人の女性の友情はとても固く結ばれたものでもある。そのことはあとで詳しく述べることになる。
バニラは悲しい時にはスミレとシランと話をするし、うれしい時も同様にしてスミレとシランと話をする。バニラは気の置けないスミレとシランのことを心から大事に思っており、いつでもかけがえのない友達としてスミレとシランのことを思って日々の生活を送っているのである。
バニラは比較的にしっかりとした性格をしている。ただし、バニラはスミレがいると少し後退してしまうことになる。スミレはそれ程にバニラよりもしっかりとしているという訳である。シランは麻薬に手を出してしまったことも然りだが、シランの性格には少々はっちゃけたところがある。
三人の立ち位置はしっかり者のスミレとはっちゃけたシランとそのどっちつかずのバニラというものになっている。ただし、当然のことながら、個性はバニラにもある。バニラの個性は活動的なところである。中学と高校の頃は陸上競技をやっていたとおり、バニラは仲良し三人組の中で一番に活発でフット・ワークが軽いと言ってしまっても過言ではない。それこそはバニラの長所である。
時計の針は冒頭の時から進んでいる。今は午後の5時30分を過ぎている。バニラは仕事が終わったという訳である。ところが、この日のバニラはそのまま家には帰らなかった。
朝のバニラは機嫌がよかったはずだが、今のバニラは少し落ち込んでしまっている。メレンデーラはバニラを慰めるためにバニラをミルク・ホールに誘ってくれた。メレンデーラとはバニラの上司である。現在のメレンデーラは独身の女性である。メレンデーラは今度の誕生日で37歳になるので、内心では密かにお局さんとか、あるいはオールド・ミスになることを危惧している。トイワホー国の国民なら、基本的にはそんなことを口にする人は正面からにしても影からにしてもいないはずである。
「まあ、今までのバニラはすごくよくやってきたんだから、私はバニラが落ち込む必要はないと思うよ。人間は機械と違って失敗しちゃうものだもの。失敗は成功の元って言うでしょう。失敗して得るものだってあるものよ。そもそも、この国の人は皆が寛容だから、誰もバニラのことを責めたりはしなかったでしょう?」メレンデーラは言葉を切った。「もちろん」メレンデーラは少し茶目っ気を見せた。「それは私も含めてだけど」一旦は「はい」と頷くと、バニラは素直な姿勢を見せた。
「それはすごくうれしく思っています。ですが、私は仕事で人との待ち合わせ時間を間違えるなんて本当に申し訳ないなって思います。他人は許してくれても、私は自分が許せないんです」バニラは苦虫を噛み潰したような顔をしている。バニラは自分に対して厳しいのである。
「ふーん。バニラはやっぱりまじめなのね。バニラはいつも話してくれるスミレちゃんっていう子の影響を受けているのかしら?」メレンデーラは言った。「スミレちゃんは相当にまじめそうだものね」
「バニラには特別にいいことを教えてあげようか?」メレンデーラは秘密めかした。「昔の私は仕事で待ち合わせに遅れることなんて一度や二度じゃないのよ。私は今でこそしっかりしていると自分で言うのもなんだけど、私ってけっこうルーズだったのよ。つまり、下には下がいるっていう訳なの。バニラはたった一度のミスでめげていてはダメよ。それに、私はバニラが辛気くさいところを見ているのなんて耐えられないもの」メレンデーラは言った。バニラは顔を上げて「そうですか?」少し持ち直した。
「私はメレンさんがそう思って下さるなんて感激です。それじゃあ、私はまた明日から気持ちを切り替えて行きます。もっとも、明日は休みですけど、明日は大事な日ですから」バニラは元気を出した。
「その意気よ。それじゃあ、私はもう一つ年長者としてアドバイスしてあげる。人は失敗した時に『次は繰り返さないようにしよう』って思うだけじゃまだ足りないのよ。それなら、どうすればいいのかと言うと、自分には他人が失敗した時に少しはその気持ちがわかるはずなんだから、失敗を経験した人はその他人の失敗を許してあげられるようにならなくてはダメなの。バニラちゃんはおわかりかしら?」
「はい。よくわかりました。メレンさんはひょっとして先生になりたかったんですか?」バニラはとりあえず聞いた。バニラはちなみに適当なことを口にしただけである。
「よくわかったわね。先生は先生でも私は幼稚園の先生になりたいと思っていた時期があったのよ。ただし、試験では撃沈よ。私はあいにくピアノも弾けないしね。そう言えば、スミレちゃんって子は幼稚園の先生なんだよね。スミレちゃんとは会ったことはないけど、私は羨ましいな」メレンデーラは遠い目をした。「そうそう」今度はなにかを思い出した。「バニラはさっき明日が大事な日って言っていたよね。明日はなにがあるの?」メレンデーラは詰め寄った。「私とバニラの仲でしょう?」メレンデーラは好奇心の旺盛な女性なのである。「教えてよ」メレンデーラは興味津々である。
「もちろんです。明日はスミレと一緒にシランのところに行くんです。明日はシランが収容されてから初めての面会なんです。今のシランはどうしているかは知りたいですけど、私は少しの不安もあります」バニラはまじめな顔をしている。メレンデーラは同じく真剣な態度になった。
バニラとメレンデーラの二人はとても仲のよい間柄である。しかも、バニラはメレンデーラのことを会社で一番に信頼している。そのため、バニラはシランの麻薬問題についてもメレンデーラに洗いざらい話をしている。その際のメレンデーラはバニラに対してやさしく慰めの言葉をかけてくれた。
「そっか。それじゃあ、シランちゃんは喜ぶだろうね。私はバニラの相談を聞いてあげたから、実は私もバニラに相談しようと思っていたんだけど、今日はやめておくわ」メレンデーラは自粛した。
「え?」バニラは少し慌てた様子で主張した。「私は別に今でもいいですよ」
しかし、この日のメレンデーラは結局『急ぎではないから』と言ってバニラに対して相談を持ちかけることはなかった。バニラの方はやさしいメレンデーラが自分のことを気遣ってくれているのなら、今回はその好意に甘えた方がいいのかもしれないと判断をした。メレンデーラは天体観測のために望遠鏡を買ったとか、バニラの方はうどん屋に凝っているといった他愛のない話をした。バニラはやがてメレンデーラと別れることになった。女の子からは今朝『お助けカード』をもらっていたので、バニラはメレンデーラに対して相談に乗ってくれたお礼としてそのカードを上げようとした。しかし、メレンデーラは自分が先に提案したのだからと言い張ったので、結局はカードを受け取ることをしなかった。ただし、バニラは『親切スタンプ』を押させてくれるように頼むと、それはメレンデーラも拒まなかった。
これこそは親しき仲にも礼儀ありというやつである。『親切スタンプ』というのは誰かに親切にしてもらったら、親切にしてもらった人は親切にしてくれた人の台紙に押してあげるスタンプのことである。そのスタンプは10個ほど溜まると、トイワホー国からは景品が貰えるのである。『親切スタンプ』とはトイワホー国の政策の一つである。『親切スタンプ』は国民に対して国が親切を推進しているのである。
家に帰ると、バニラは早速に明日の準備をしてスミレとも電話で集合場所や集合時間の確認をすることにした。明日の準備はこれにて万端である。
バニラはハムや挽き肉や玉ねぎを加えたオムレツとフランス・パンを食べてテレビを見ると就寝することにした。バニラにはきちんと早寝早起きの習慣がついている。バニラはちなみに無趣味ではない。
バニラは一週間に一度はスポーツ・ジムに行ってそこで汗を流すようにしている。バニラは活動的で社交的な性格をしている女性である。そのため、最近のバニラはジムで知り合った女性とスカッシュをすることも多い。バニラはそのことを毎週の楽しみにしている。
しかし、本人も言っていたとおり、明日は休日の土曜日にも関わらず、バニラはスポーツ・ジムへと行かず、シランに会うということはバニラにとってシランとの再会はそういった趣味よりも、優先されるものであることを意味している。バニラはそれ程にシランのことを大事な友達だと思っているし、シランの方も逆にバニラのことを同じようにして想ってくれている。
翌日である。バニラは目を覚ますと早速に郵便受けから新聞を取りに行った。郵便受けには昨日に取り忘れていた電気屋のダイレクト・メールと『幸せギフト』の商品券が入っていた。
『幸せギフト』というのは誕生日のお祝いとしてトイワホー国が粗品をプレゼントしてくれるという制度のことである。ただし、中身はそれだけではない。ものは同じだが、プレゼントはもう一つ入っているので、そちらは自分の幸せを人にわけ与えるという意味で誰か他の人にプレゼントしてあげるというものである。その相手は知人でも他人でもどちらでもいいとされている。
バニラは『幸せギフト』の商品券も荷物の中に加えることにした。バニラはいつも『幸せギフト』を渡す相手にはスミレやシランではなくて知らいない人にしようと決めている。
バニラは一つのトート・バッグに荷物をまとめることができているのだが、その中には実のところ『幸せギフト』の商品券の他にもシランへの差し入れとスミレへの贈り物も入っている。
今日のバニラの朝食はベーコンの入ったズッキーニ炒めである。バニラは健康に気を使っているので、一応は色々な食材の料理を食べるようにといつも心がけている。
いつものとおり、バニラは朝が早くスミレとの約束の時間もそれ程には早くないので、家ではゆっくりとしてからお気に入りのパンプスを履いて家を出発することにした。
バニラの今日の目的地は現在のシランが寝起きしているところである。その目的地はバニラの家からおよそ二時間もかかることになっている。ただし、シランのためなら、それは決してバニラにとって苦ではない。ちなみに、バニラの住むプスタ県とシランのいるポンメルン県は隣接している。
今のバニラは電車に揺られている。バニラはその際にドア付近で外を眺めている若輩の男性に対して『幸せギフト』の商品券をプレゼントすることにした。その青年は『幸せギフト』の商品券を受けるとバニラの誕生日に対してお祝いの言葉を述べてちょうど次の駅で降りて行ってしまった。
バニラは今日もトイワホー国の政策のおかげで朝から気分がよくなることができた。バニラはトイワホー国という国をとても気に入っている。トイワホー国はとても慈愛に満ちた国なのである。
ここでは時間を早送りにしてしまうが、バニラはいよいよポンメルン県のインパール市にあるルコール駅という場所に到着した。このルコール駅には初めてやって来たのだが、バニラは案内板に従って西口の改札から外に出て早速にスミレとの待ち合わせ場所へと向かうことにした。バニラとスミレの待ち合わせ場所はシャム・ネコの像の前である。全部の駅前という訳ではないが、大抵のトイワホー国の駅前には動物の像が立てられていてそれを待ち合わせ場所にできるようになっている。そこには他人への気配りが垣間見えているので、それはトイワホー国らしい配慮である。
バニラはかくしてシャム・ネコの像の前にやって来た。すると、スミレの姿はすでに見受けられた。今は午前の11時20分なので、時間的には集合時間のぴったり10分前だが、上記のとおり、スミレはしっかりとした性格をしている。そのため、スミレはいつでも時間にはかなりの余裕を持って行動する女性なのである。バニラは元気よくスミレに声をかけた。
「ごめん。待たせちゃった。でも、スミレは相変わらずきっちりとしているね」
「え?」バニラは不思議そうにしている。「どうしたの?」
スミレは突然「会いたかったよ」と言ってバニラをハグしてきたのである。
「ああ。ごめん。バニラはびっくりしたよね。私は柄にもなくバニラに甘えちゃったね。でも、今はシランがあんな状態だから、私達は友情の名の元に結束力を高めなくちゃね。それじゃあ、私達は早速に行こうか?」スミレはそう言うと歩き出した。そのため、バニラは返事をしてスミレのあとに続いた。先程のスミレの行動にはバニラもはっきりと言ってびっくりしたが、そうなることは理解できなくもなかった。スミレはとても心配性で寂しがり屋さんだからである。
「スミレはシランのことだけじゃなくてお父さんのことも心配なんだよね。スミレにとってはシランの逮捕とスミレのお父さんの手術なんて大変なことが続いちゃったね。似たようなことは私達が高校生の頃もあったけど、私達はまたあの時みたいにして乗り越えられるよ」バニラは明るく言った。
「うん。ありがとう。私のお父さんの手術は生死に関わるものじゃないから、心配はいらないと思うけどね。それよりも、ホントはバニラの方こそショックだったでしょう?」スミレは真剣な顔をしている。
「クリーブランド・ホテルでの旅行はシランが提案して私が企画したものだけど、バニラは楽しめなかったかな?」スミレは正直に不安な気持ちを露わにした。「私はずっとそれが心配だったの」
「あの旅行は確かに楽しいだけじゃなかったけど、私にとっては逆に悲しいだけじゃなかったよ。私はヤツデさんとビャクブさんっていう人たちとも友達になれたし、なにより、お兄ちゃんは殺人者じゃなかったっていうことも判明した訳だしね」バニラの口調は落ち着いている。それはスミレのことを思いやっているからである。そのバニラの想いはきちんとスミレにも届いている。
これまでは説明していなかったが、最初はバニラの兄であるルーはアイという看護師を殺害してその罪を償うために自殺したことになっていたのである。しかし、ルーとアイの二人はクリーブランド・ホテルにおいてクローブという男性によって殺害されていたということが判明した。クリーブランド・ホテルではどうしてそんなことが今になってわかったのかというと、それはヤツデとビャクブという一般人の活躍の賜物である。ヤツデとビャクブは素人ながらも犯罪の捜査をして一連の事件の謎を全て解き明かしたのである。しかも、ヤツデはシランが麻薬に手を出していることにも気づいた張本人である。
「私は刑務所に行くなんて初めてだから、今は少し緊張するな。シランはどんな感じだろう?」スミレはいかにも心配そうにして聞いた。「シランは今も元気にしているかな?」
「シランは適応能力が高いから、シランはきっと大丈夫だと思うよ。刑務所には私も初めて行くけど、ここはトイワホー国であることに変わりはないでしょう?」バニラは安心させた。
「たぶん」バニラは憶測した。「刑務所は怖いところではないよ」
「そうだよね。トイワホー国の刑務所は世界で一番スカスカだっていうから、私の思う程には圧迫感もないんじゃないかな?」スミレはインターネットから取った地図を手にしながら言った。「あの信号は右みたいだね」しっかり者のスミレは『刑務所の場所は自分が案内する』と言ったので、バニラはそのことについて全面的にお任せしている。スミレはやはり頼りになるのである。
バニラとスミレの二人はルコール駅を離れてから15分ほど歩いた。バニラとスミレの二人はいよいよシランの収容されているインパール刑務所という場所に到着した。目的地には無事に着けたので、スミレはとりあえず一安心である。バニラとスミレの二人は早速に窓口でシランとの面会の申し込みをすることにした。トイワホー国の刑務所では受刑者に対して基本的に月に二回まで面会することができる。
受刑者の面会はトイワホー国では親族だけではなくて誰にでもできる。ということは元受刑者にも可という訳である。トイワホー国という国は度量が広いのである。
トイワホー国には暴力団という組織は存在しないので、暴力団の組員が刑務所にやって来て面会を申し込むということはあり得ないということも意味している。
バニラとスミレの二人はやがてシランと面会する部屋の前にやって来て刑務官から注意事項を言い渡された。シランとの面会における会話の内容は刑務官の立会いの下で記録されることになる。面会時間は一人につき15分が与えられることになる。バニラとスミレは十分にその説明を理解した。
まずはスミレからシランとの面会の部屋に入って行った。その間のバニラは文庫本を呼んで待っていることにした。バニラはさっきスミレから本を貸してもらっていたのである。
スミレはいくつかの穴の開いたアクリル板を挟んでシランと面会することになった。つんとすました顔のシランはすでに部屋で待機していた。スミレはシランよりも先に口を開いた。
「最近のシランは元気にしている?」スミレは最も聞きたかったことを聞いた。「私は相変わらず元気よ。シランはそんなに長く服役している訳じゃないけど、この生活にはもう慣れた?」スミレはシランから目を反らさずに聞いた。「ここでの生活には慣れたって仕方ないとは思うけど、今日はとにかく9月4日だから、シランはここに来てから二週間は経った訳よね」スミレは確認した。
「そうね。私はもう慣れちゃったかな。スミレとは違ってデリケートじゃないから、私はどんな生活にもすぐに慣れちゃうみたい。私は別にスミレをバカにしている訳じゃないのよ。スミレの繊細なところは私が見習わないといけないところの一つだものね。私も元気よ。私は自分がこんなことになってスミレの方こそ発狂でも起こすんじゃないかと思っていたけど、スミレは意外と大丈夫そうね。私はどうやら自意識過剰だったみたい」シランは言った。シランはぶっきらぼうな話し方をするのである。
「ええ。考えたくはないけど、もしも、シランが誰かに迷惑をかけたなら、私は平常心じゃいられなかったと思うけど、シランは幸いにも誰にも迷惑をかけていないからね。私はかといって今回のことでショックを受けていないっていう訳じゃないけどね。シランはくれぐれも体を大事にしてよね。それと、シランはもう絶対に麻薬には手を出さないっていう約束を忘れないでね。もしも、破ったら、私はシランと絶交するかもしれないからね」スミレは言った。普段はやさしいスミレだが、今は少し語調を強めている。
「ええ。そんなことはわかっている。こんな約束はいかにバカな私でも破る訳はないでしょう?」シランの態度はふてぶてしい。もっとも、スミレはそんなことには慣れっこになっている。
「それより」シランは急に意味深なことを聞いた。「バニラの件はどうなったの?」
「今日はバニラと一緒に来ているんでしょう?」シランは一応の確認をした。
「私達はいつバニラと関係を断つの?」シランはさらっと聞いた。「バニラのことは私だってかわいそうに思っているんだから、こんな不安定な状態は耐えられないのよ。ホントはスミレだってそうなんでしょう?」シランは割と軽い調子で聞いた。シランは基本的にクールなのである。
「ええ。それは全く持って私も同感よ。それじゃあ、すっきりさせるためにも、関係を断つのは今日にしましょう。私は別に今になって考えついた訳じゃないのよ。私はここに来る時には決心していたの。私は今日限りでバニラと会わないし、バニラとは話もしないことにする。だから、シランもがんばってよね」
「任せておいてよ」シランは請け負った。「どちらかと言うと、私はスミレの決心が変わるんじゃないかってそっちの方が心配だけどね。それより、私はこんなところにいるから、でかい顔はできないけど、スミレはちゃんとメレンデーラさんの件も計画を進めているの?」シランは詰問の口調になった。
「ええ。ばっちりよ。シランはそれこそ任しておいてよ。私はしくじったりしないから、シランは大人しくしていればいいのよ。そうそう。今日は差し入れを持ってきたから、シランは受け取ってね」
「ありがとう。スミレはやっぱり気が利くのね。何を持って来てくれたの?」
「絵本よ。図書館は刑務所にもあるって聞いたけど、シランにはどうせ読める本はないでしょう?」
「言ってくれるのね。そのとおりだから、反論はできないっていうのが悲しい事実なんだけどね。この際だから、本を読むのもいいかなって思っていたんだけど、私はやっぱりスミレの持って来てくれた本を読むことにする。うれしいものね」シランはそう言うと微かに笑みを浮かべた。シランは滅多に笑わないので、これはかなりレアなケースである。シランは常につっけんどんなのである。
「そう?」スミレは言った。「シランがうれしく思ってくれているのはいいけど、本は読んだ方がいいと思うよ。集中力がないのはシランの弱点でしょう?」スミレはシランの弱みをよく知っている。
「本を読むと、シランは弱点を克服できるかもしれないよ」スミレはアドバイスした。
「そうね。いつか、気が向いたら、私は読書もしてみる。そうだ。私達はもう一つバニラの件で重要な話をしていなかったじゃない」シランはそう言うと忘れてはいけない用件を切り出した。
スミレはその話をすませるとシランとの面会を終えた。本当はもう少し雑談を交わしていたかったのだが、それではシランのためにならないだろうと思ったので、スミレは思い切って面会を止めることにしたのである。そのことについてはシランにも異議はなかった。
スミレはある理由からシランとの面会時間を短すぎないようにしようと注意していた。さらに、スミレはもうシランが釈放されるまではシランと会うつもりはない。それはシランも了解している。
スミレに借りた本を返すと、バニラは入れ代わり立ち代わりシランとの面会の部屋に入って来た。今のバニラは柄にもなく少し緊張してしまっている。シランはバニラより先に口を開いた。
「今日は私のためにきてくれてありがとう」シランは聞いた。「バニラは元気そうね?」
「まあね。そこそこは元気よ。なんだ。私はシランがもっと元気をなくしていると思っていたけど、シランは意外と普通なのね。シランらしいと言えば、シランらしいけど」バニラは強い口調で釘を刺した。「反省はしっかりとしているの? 同じ失敗をまた繰り返したら、私は許さないからね」
「ええ。そんなことはわかっている。私は十分に反省しているのよ。ここを出る時には私も少しはましな私になっているはずだから、バニラは安心してよ。私は退薬症状で不眠になっても負けずに立ち向かっているんだからね」シランは少し気だるいような様子で自分の意志を主張した。
「それは確かにわかるけど、シランのその鼻っ柱の強さはなんとかならないの? もっとも、鼻っ柱の強さを矯正したら、シランは別人になりそうな気もするけど」今のバニラは少し緊張が解れている。「話は変わるけど、シランは刑務所で何をしているの? 何もしていないの?」バニラは聞いた。
「本当は何もしなくてもいいんだけど、私は自分から申し出て仕事をさせてもらっているのよ」
「どう?」シランは最初からリラックスしている。「私は偉いでしょう?トイワホー国では近々『仲良しトラベル』っていうのが始まるらしいんだけど、バニラは知っている?」シランは聞いた。
「ええ。新聞は取っているし、私はテレビのニュースも見るからね。シランはどうせここに来るまで知らなかったんでしょう?」バニラは皮肉を込めて旧友に問うた。シランは「バレた?」と応じた。
「とにかく」シランは余裕綽々である。「来月には『仲良しトラベル』っていうのが始まるらしいから、私は選ばれた人の最寄り駅から目的地までの行き方と時間を調べる仕事をしているっていう訳なの。その人の名前と家の住所は伏せられているのよ。私はそういうことをあんまり生まれてからやったことがなかったから、私にとってはいい経験になっているんじゃないかしら? 人生には無駄なことはないって確か高校生の時にスミレも作文にしていたじゃない?」シランは少し誇らしげである。
「へえ」バニラは感心した。「シランにしてはよく覚えているのね。あの頃はごたごたしていたから、シランの印象に残っていたとしても、それは不思議じゃないかもね。私としてもスミレの意見には賛成をしたい気持ちだから、シランはがんばってね。そうだ。私はシランに差し入れを持ってきているのよ。シランはなんだと思う? というか、シランは休み時間に何をしているの?」バニラは興味深そうに聞いた。
「私は別に何もしていないわよ。しいて言えば、自分のしたことの反省かな。あとは絶対に同じ失敗を繰り返さないようにしようって決心を固めてもいるけどね。バニラは何を持ってきてくれたのかだったわね? バニラのことだから、私にはルーム・ランナーでも持って来てくれたの? バニラはスポーツ・ジムが好きだものね?」シランには一切も冗談を言っている様子はない。
「ねえ」バニラは白けている。「よく考えてみてよ。私はルーム・ランナーなんて大きなものを持ってこられる訳がないでしょう? そもそも、シランは刑務所の中でルーム・ランナーを使ってランニングって明らかにおかしいとは思わないの? シランは相変わらず突飛なことを思いつくのね。私は絵本を持って来てあげたのよ。シランは文字ばっかりの本なんて読めないでしょう?」バニラはスミレと同じようなことを言っている。すると、シランはずっこけそうになった。そばにいる刑務官は少し笑みを浮かべた。この刑務官はシランと同じくスミレの話も聞いていたからである。シランは珍しく動揺している。
「ちょっと待ってよ。バニラとスミレのその無駄な意見の一致はなんなの? バニラとスミレは申し合わせていたの? バニラは私のことを幼稚園児だと思っているでしょう?」シランは焦りながら聞いた。
「うん。思っているよ。だから、今のシランは善悪の判断もつかずにそういうことになっているんじゃない。スミレは私と同じことを考えていたんだ。それは私もびっくりしたけど、たまにはそういうこともあるのね。それじゃあ、シランは私の差し入れはいらないの?」バニラは悲しげにして聞いた。
「いいえ。私はしっかりと受け取るわよ。バニラの言うとおり、文字ばっかりの本は読めるかどうか、私はわからないしね。とりあえず、その好意には私も感謝しているのよ。ありがとう。最近のバニラはどうなの?」シランはショックから立ち直ると余裕のある口調になって聞いた。
「私は可もなく不可もなくっていう感じよ」バニラはそう言うと簡単な近況報告をすることにした。昨日は仕事でミスをしたが、先輩のメレンデーラは自分を慰めてくれたこと、最近は検事や弁護士が出てくる裁判のドラマを見始めたこと、つい先日はおいしいうどん屋を見つけたことをバニラは話した。
「そう」シランはそっけない口調で言った。「まあ、バニラはなんとかしてやっていけているのなら、それはホントによかった。私には言われたくないかもしれないけど、バニラは程々にがんばってね。それと、これだけは言っておかないといけないんだけど、バニラはもう私に会いにこないでくれる?」シランは少し不安そうにしながら質問した。「言い方は少し強すぎたかもね。ごめん。バニラもよく知っているとおり、私の性格はちょっと粗雑だから、今のセリフはあんまり気にしないでいいわよ。私は罰を受けている訳だから、バニラと頻繁に会っていたら、意味はないと思うの。雑な言い方だけど、バニラなら、私の言いたいことはわかるでしょう?」シランは整った顔をバニラから離さずに言った。
「ええ」バニラは理解力のあるところを見せた。「よくわかる。ただ、シランの考えにしては少し違和感があるから、言いだしっぺはスミレなの?」バニラは問うた。「シランはスミレとも会わないつもりなの?」
「ええ」シランは即答した。「もちろんよ。この話はさっきスミレともしたのよ。発案者は確かに私じゃなくてスミレよ。スミレにしたって悪意があってのことじゃないから、バニラはこの話に乗ってくれるでしょう?」シランは聞いた。今のシランは少し高飛車なくらいに落ち着いている。バニラは応じた。
「ええ。シランのためには確かにその方がよさそうだものね。シランの釈放は来月の上旬だったよね?私はそれまでシランに会いに来ないことにする。約束するよ。その代り、シランは寂しいからってめそめそと泣いたりしないでよ」バニラは笑みを浮かべながら冷やかすようにして言った。
「当然よ。バニラは私がそんな女だと思っているの?」シランは聞いた。「とはいっても、バニラとスミレと会えなくなれば、さすがの私だって悲しむけどね。バニラにはまだ話したいことはある?」
「ううん。今のところはないよ。それじゃあ、シランは元気でね。シランは他の受刑者とトラブルを起こしちゃダメだからね。それはくれぐれも注意をしてよね」バニラは少しばかり辛辣な言葉を述べた。
「はいはい」シランは吐息をついた。「私は相変わらず信用されていないのね。バニラだってしっかりしてよね。もし、バニラがまた仕事でミスしても、そばにはいてあげられないけど、私は遠くから応援しているからね」シランの口調は真剣である。シランはやさしい性格の一面を垣間見せた。
「ありがとう」バニラはうれしそうである。「私はシランが無事に刑務所を出られるようにお祈りしているからね。またね」バニラはそう言うと刑務官に対して声をかけて面会室を出ることにした。
バニラは外に出て来た。すると、スミレは自分の文庫本を読んで待っていた。シランは本を読まないという話が出たが、バニラとスミレの二人は結構な読書家なのである。
インパール刑務所での用事はもうすんだので、バニラとスミレの二人は必要な手続きを終えると再びシャバの世界に足を踏み入れることになった。スミレは深呼吸をしている。
しかし、バニラはインパール刑務所を出てから三分もしない内にスミレに対して申し訳なく思いながらも少し待っていてもらって再び駆け足でインパール刑務所に帰って行ってしまった。
不思議そうにはしていたが、性格はやさしいので、スミレは素直にバニラの言葉に従った。気はとても長いので、スミレは人を待っていてイライラするようなことは決してない。ただし、スミレは気にはなっていた。バニラはおよそ5分後にスミレのところに帰って来た。
バニラはスミレに対してすぐに謝った。上記のとおり、バニラは何をしに行ったのか、気になっていたので、スミレはその旨を聞いた。バニラはすると面会室に忘れ物をしたのだと答えた。そのため、スミレはそれを聞くと疑いを挟まずに納得をした。ところが、当のバニラは少し心が痛んでいた。実は忘れ物を取りに行ったというのは嘘っぱちだったからである。本当は刑務所の人に対してある一つの質問をしに行っていたのである。スミレはバニラに対してそれ以上にこの件で突っ込んだ質問をしなかったので、バニラは少し安堵した。スミレは信じやすくて気もやさしいのである。
午後のバニラとスミレの二人はミュージカルを見る予定になっているが、それまでには時間があったので、二人は簡単な話し合いの結果としてルコール町の散策をすることになった。バニラとスミレの二人は散策を終えて午後の一時になると食事を取るために予め目をつけておいたチェーン店であるファミリー・レストランに入ることにした。バニラとスミレの二人はウェイトレスによって席を案内されるとメニューを見てすぐに自分の食べたいものを注文した。バニラとスミレの二人は即断即決ができる。シランはちなみにバニラとスミレと同様にしてことあるごとにすぐに行動に移れる女性である。
「とりあえず、今日はシランと無事に会えてよかったね。もちろん」スミレはバニラの方を見た。
「私はバニラと会えたこともよかったよ。絵本の件は私もびっくりしたけど、シランとはどんな話をしたの?」スミレは聞いた。スミレはなんの気なしに情報を収集しようとしている。
「シランは刑務所でどんな風にして過ごしているかっていうことも話したけど、私としては一番に印象的だったのはシランが出所するまで私と会わないって言っていたことかな。シランからはスミレも同じことを言われたんでしょう? というか、言い出しっぺはスミレらしいしね?」バニラは料理を待ちながら聞いた。バニラはなんの気なしに聞いている。スミレはさらりと受け答えをした。
「ええ。寂しくはなるけど、全てはシランのためだから、そのくらいは私達も我慢しなくちゃね。私はお父さんの件以外では特に何もなかったけど、最近のバニラにはなにかあった? バニラは公私共にうまく行っている? バニラなら、普通にうまくやっていそうな気はするけど」スミレは言った。
「スミレはそう思う?」バニラは難しい顔をした。「実際はそんなことはないのよ。私はちょうど昨日に仕事でミスをしちゃったの。でも、メレンさんは私を慰めてくれたのよ。何回か、話したことがあるから、メレンさんのことはスミレも知っているでしょう? 私は今まで大きなミスをあんまりしてこなかったから、あの時は凹んじゃったの。いいえ。私はメレンさんのおかげで立ち立ち直れそうなんだけど、多少は今もそれを引きずっちゃってるかな。話は変わるけど、私はスミレのお父さんのために千羽鶴を折ってきたのよ。もしも、よかったら、スミレは受け取ってくれる? 実際には20羽くらいしかいないんだけどね」バニラはそう言うとバッグの中から千羽鶴を取り出してスミレにその千羽鶴を手渡した。スミレの方は快くバニラの折った千羽鶴を受け取った。
スミレの父親は口の中に骨が出てきてしまったので、その骨を削るための手術を近々受けることになっているとバニラはスミレから聞いていたのである。バニラとスミレは小学生の頃から知り合いなので、当然と言うべきか、バニラはスミレの父親と面識があるという訳である。
「ありがとう。バニラは千羽鶴を作ってくれるなんてやさしいね。お父さんはすっごく喜ぶと思うよ。そうだ。バニラは登山に行きたがっていたよね? それなら、シランが晴れて出所できたら、私達は皆で登山をしない? そうなると、私達は色々な準備が必要になってくるのかな? バニラは登山用の靴を持っている? バニラの足のサイズはいくつなの?」スミレは立て続けに質問した。スミレは千羽鶴のことで恩義を感じているのかなと、バニラは考えた。バニラは少しそれに気圧されながらも答えた。
「登山用の靴は持っていないし、足のサイズは23センチだけど、もし、スミレがお父さんへの千羽鶴のお返しとして靴をくれようとしているのなら、それは別にいいよ。靴はもちろん買ってもらえるのなら、私はすごくうれしいけど、千羽鶴くらいはどうってことないからね。でも、皆で登山に行くのは楽しみだね」バニラはスミレの行為をさりげなく往なした。スミレはそれに対して柔軟に応じた。
「そうだよね。それじゃあ、バニラに靴を買ってあげるかどうかは考えとくね。バニラは念のためにまだ靴は買わないでいてよ。靴と言えば、私は服のブラシにもなるクリーナー付きの靴ベラを見つけたんだよ。それはすごく便利だから、なんなら、私は上げてもいいけど、もしも、バニラはそれが嫌なら、今度はバニラもお店に行った時に探してみてよ」スミレは楽しげな口調で言った。
「ええ。わかった。別に貰うのは嫌じゃないから、もしも、私の気に入ったものがなければ、スミレはその靴ベラをちょうだい。スミレの気に入ったものなら、私たぶん気に入ると思うしね。スミレはセンスがいいものね。少なくとも、私はシランの気に入ったものよりは気に入ると思う」バニラは笑みを浮かべた。とはいっても、それは決してシランへの悪口ではない。シランは派手なものが好きなので、バニラはそれについて行くことができないというだけの話である。それはスミレもよく承知している。
ウェイトレスはバニラとスミレの注文した料理を給仕してくれたので、バニラとスミレの二人は料理を食べながら話をすることにした。バニラは天丼を頼んでいた。一方のスミレはグラタンを頼んでいた。変動することはあるが、現在のバニラの好物はうどんと天丼なのである。
「スミレの方には本当にお父さんのこと以外は何もなかったの? いくらかは話すことがなにかあるでしょう? 私は仕事のミスのことを話したんだから、なんか、スミレも話してよ」バニラは促した。
「わかった。バニラは少し強引なのね。バニラはシランに影響されているの? でも、私の話は大しておもしろくはないとは思うけど、話すことは確かに些細なことなら、少しは私にもあったのよ。例えば、仕事場の幼稚園では鳥籠で鳥を飼うようになったし、家では汚れたから、私は新しいコンロを買ったりもしたの。ほらね? 大した話ではないでしょう?」スミレは些か自虐的になって聞いた。スミレは謙虚な性格なので、普段はあまり自分のことは話さないのである。バニラはスミレのことを気遣った。
「ううん。そんなことはないよ。スミレの話してくれることなら、私はどんな話でも耳を傾けるに決まっているでしょう?鳥っていうのは何の鳥を飼い始めたの?」バニラは聞いた。
「鳥の種類はセキセイインコよ。大きさはスズメくらいでかわいいから、今では園児のアイドルになっているの。その子のことはもちろん私も好きだけどね」スミレは遠慮がちに思ったことを口にした。
「そうなんだ。そのインコは私も見てみたいな。でも、スミレの働く幼稚園に押しかけるのは変だし、私はスミレの家にコンロを見に行ってもいい?」バニラは少々突飛なことを口にした。
「え?」スミレは虚を突かれた。「どうしたの? バニラはわざわざ内に来てまでコンロを見てもおもしろくないよ。ああ。そっか。バニラはシランがあんなことになって寂しいんだよね? それは私も同じよ。だけど、それはダメよ。今はなにかと忙しいから、私はバニラを家に招待できないの。ごめんね」スミレは心から申し訳なさそうにして素直に謝った。
スミレはそう言うとバニラから視線を逸らした。バニラは応じた。
「ううん。そうだよね。私も無茶なことを言ってごめん」バニラは少しばかりしょげてしまった。
バニラが急にスミレと慣れ合おうとした動機は確かにさっきスミレが言ったとおりだが、バニラはなんとなくスミレの対応の仕方について違和感を抱いてもいるのは事実である。
どちらかと言うと、本来はバニラよりもスミレの方が心細くなってもおかしくないのにも関わらず、なぜか、今回はスミレがどっしりと構えていてバニラの方が動揺してしまっているような感じを抱いたからである。それでも、スミレはきっと今回のシランの件によって今までよりも大人になったのかもしれないと、バニラはそう思ってそのことを深く気にするようなことをしなかった。
そもそも、今日はバニラがスミレと会った時にスミレによってハグされたことを思い出したので、スミレもやはり動揺はしているのかもしれないと、バニラは考え直すようになった。ただし、これはここだけの話だが、あのハグにはバニラの想像とは違う理由があった。話題はバニラとスミレとシランの三人でビーフ・シチューを作った時のことやタッパー・ウェアに入れてそれぞれ自分で作った食べ物をバニラとスミレの二人が交換して食べあった時のことなど専ら食べ物のことばかりだったので、この時ばかりはバニラもスミレのある思惑について気づけそうな気配は全く見ることはできなかった。
バニラとスミレの二人は調理されたものを食べ終えると、実は抜け目なくクーポンを持ってきていたので、スミレはそれを使って会計をすませた。バニラとスミレの二人はやがて店を出ることにした。
開場の時間になると、バニラとスミレの二人はミュージカルの行われる会場へ向かった。実のところ、バニラもスミレもミュージカルを見るのは今日が初めてなのである。
ミュージカル(ミュージカル・シアター)とは音楽や歌やセリフやダンスといったものを結合させた演劇の形式を言うのである。ミュージカルはミュージカル・プレイやミュージカル・コメディーやミュージカル・レビューといったものの総称を指している。バニラとスミレの二人はミュージカルに感銘を受けることになった。ミュージカルが終わってしまうと、バニラとスミレの二人は帰宅することになった。上述のとおり、バニラとスミレは別の県に住んでいるが、二人は電車できているので、途中までは帰り道が一緒なのである。スミレはピーター県のトアート市にあるレンプール町というところに住んでいるので、今日はシランに会うためにルコール駅まで2時間30分もかけてやって来ていた。
「シランにも会えたし、スミレとも遊べたし、今日はすごく充実した一日だった。私達はまた今度も会おうね?」バニラは言った。今のバニラとスミレの二人は走っている電車の中にいるのだが、スミレは電車を乗り換えるためにバニラと違って次の駅で下車しなければならないのである。
「うん。バニラと会えたことは私もうれしく思っているよ。でも、私はバニラとはしばらく会えないかもしれない。私は仕事が忙しくなってきたから、よっぽどのことがない限りはバニラとは会えないの。本当にごめんね」スミレは謝った。この時のスミレは本当に悲しい気持ちになっていた。
「ううん。そんなことは別にいいのよ。スミレにはスミレの事情があるんだものね。でも、電話くらいはしてもいいよね?」バニラは当然『イエス』の答えが返ってくると思いながら聞いた。
「ううん。実は電話もダメなの。スマホは別に水没した訳じゃないんだけど、私は仕事のことだけじゃなくてお父さんのお見舞いで病院にも行かないといけないから、できたら、連絡は私の方からバニラにするね。本当にごめんね」スミレは最上級の申し訳なさを伝えるために再び謝った。
「そっか。スミレは謝らなくてもいいよ。それじゃあ、もし、困ったことがあったら、スミレは私に電話してね。私には何ができるか、わからないけど、とりあえず、私にも話を聞くことくらいはできるから」バニラはなるべく明るい声音を作って言った。「元気でね」
「うん。ありがとう。バニラも元気でね。連絡はなくても、私はきっと元気にしているから、バニラは心配しないでね。それじゃあ、バイバイ」スミレはそう言うとイスから立ち上がった。
バニラとスミレを乗せた電車はちょうど駅に着いた。そのため、走っていた電車は減速し始めた。バニラはスミレに対してお別れの言葉を述べた。スミレは電車を降りてしまった。
電車は再び動き出したが、スミレは外から手を振ってくれていたので、バニラはスミレに対して手を振り返した。バニラはこうしてスミレの思惑を知ることができずにスミレとお別れをした。
一人になると、バニラはなんとなく悲しい気持ちになっていた。なぜなら、スミレから連絡しないでほしいというようなことを言われたのは初めてだったし、バニラはシランからも面会には来ないでほしいというようなことを言われてしまっていたからである。
バニラはスミレとシランとの友情の厚さを信じている。そのため、まさか、バニラはもう二度とスミレとシランに会えなくなるなんてことは全く思ったりはしなかった。
一週間後である。その間は仕事でも順調だし、スポーツ・ジムでも気分よく過ごすことはできていたので、バニラはスミレとシランと会えなくても特に寂しくはなかった。
とはいえ、あくまでもそれは一週間だけだったからなので、例えば、一年とか、二年とか、スミレとシランに会えないなら、バニラはさすがに途方もなく寂しくなってしまうことは間違いない。
話は変わってしまうが、バニラは仕事でミスをした時に女上司のメレンデーラによって慰めてもらっていたが、あの時はメレンデーラにもバニラに対して相談したいことがあると言っていたので、バニラはすでにある日の昼休みにその相談を聞いていた。バニラはそれを聞くと少しだけ驚くことになった。心の強いメレンデーラにしてはちょっとそぐわないような相談だったからというのも理由の一つである。
ある日のバニラとメレンデーラの二人は仕事が終わると居酒屋へと向かった。バニラとメレンデーラはプライベートでもよく一緒になることが割と多い方なのである。
バニラは早速に好物の白ワインを注文した。一方のメレンデーラはウイスキーと焼き鳥を注文することにした。バニラは酒豪だが、メレンデーラは割とお酒に弱い女性である。
「なんにしても」メレンデーラは話を切り出した。「バニラは完全に立ち直ってくれてよかった。バニラは元々そんなに長く仕事のミスで落ち込んでいるような女ではないと思っていたけどね。でも、人生にはこれからも何があるか、わからないから、もし、バニラはまた凹むようなことがあったら、今度はスミレちゃんやシランちゃんに相談するといいかもね」
「もちろん」メレンデーラは茶目っ気を見せた。相談には私も乗るっていうことは言うまでもないけど」メレンデーラは完全にリラックスしている。バニラは感謝した。
「ありがとうございます。でも、一度はメレンさんにもお話ししましたけど、しばらくの間はスミレとシランとは会えないんです。シランとは刑務所から出たら、会えるのかもしれませんが、スミレといつ会えるようになるのか、それは無期限なので、私は少し不安です」バニラは言った。メレンデーラは「それもそうね」と応じた。ところが、メレンデーラは次の瞬間にはつっこみを入れていた。
「って」メレンデーラは一拍を置いてから言った。「バニラはもう凹んでいるじゃない!」
「私は別に不安に思う必要はないと思うよ。人と人は会えなくても本当に大切な人とはその絆が切れることはないはずだもの。どう?」メレンデーラはまた茶目っ気を見せた。「私もけっこう格好のいいことを言うでしょう? もっとも、誰かの受け売りなんだけど」
「って」バニラは拍子抜けした。「ふざけていたんですか?私は深刻な顔をして聞いちゃったじゃないですか。でも、メレンさんのおっしゃるとおりですよね。会えないのなら、それは仕方がないんだし、私はスミレとシランと次に会える日を楽しみにしていればいいだけの話ですものね。そう言えば、メレンさんの話して下さった相談はどうなったんですか?」バニラは聞いておかなければならないことを聞いた。バニラはずっとそのことが気になっていたのである。
しかし、このタイミングでバニラとメレンデーラの注文したものが来たので、バニラとメレンデーラの会話には少しの間ができた。メレンデーラはなんとなく落ち着かない様子である。
それ程には酒に強くはないし、来たものもまだ飲んでいないにも関わらず、メレンデーラは二杯目のウイスキーを注文した。とりあえず、バニラとメレンデーラの二人はお互いの健康を祝して乾杯した。
「話は途中になっていますが、それよりも、メレンさんはどうしてもうアルコールを追加で注文されたんですか? メレンさんはそんなに飲んでも大丈夫なんですか?」バニラは心配そうにしている。
「いざとなったら、私はバニラに担いで帰ってもらうから、大丈夫よ。いえ。今のセリフはもちろん冗談よ。バニラには私の相談を思い出させられたから、私はちょっとやけ酒を飲みたくなったの」
「そうですか。メレンさんはそこまでされなくてもいいとは思いますが、すみません」バニラはとりあえず謝っておいた。バニラの言うとおり、メレンデーラの相談というのは確かに客観的に見てもそれ程に深刻なものなのかどうか、それは判断の難しいところである。というのも、メレンデーラの相談というのは母親から電話がかかってこなくなってしまったというものなのである。
その話を聞くと、今は自分の方もスミレとシランの二人と音信不通の状態になっているので、バニラは驚いた。つまり、バニラとメレンデーラは同じような境遇に立たされているという訳である。ここではメレンデーラの悩みという相談についてもう少し詳しく述べておくことにする。
メレンデーラの母であるビオラは常日頃からメレンデーラを溺愛しているので、一週間に一回はメレンデーラに対して電話をしてきていたのだが、ここ二カ月では一度しか電話がかかってこなくなってしまったのである。だから、その事実こそがミステリアスなのである。
とはいっても、メレンデーラはビオラからの電話を心待ちにしていた訳でもなくて疎ましく思っていた訳でもないので、ビオラからは別に電話がかかってこなければ、それはそれでいいと思っている。ところが、メレンデーラは三ヶ月前にメレンデーラの祖母(ビオラの母親)のお墓参りに行ってきた旨を報告するためにビオラに対して電話すると新婚のようにしてメレンデーラの父と暮らしたいから、これからはあまり電話をかけないでほしいと、ビオラはメレンデーラに対して言ってきたのである。
しかし、メレンデーラはその理由について女の勘とも言うべきもので100パーセントの確率で嘘だと思っている。ここは『愛の国』と称される程のトイワホー国なのだから、その国民は基本的にそんな理由で人に冷たくするはずはないのである。そもそも、ビオラという女性はそんなことを考える性格ではないということも、娘のメレンデーラは誰よりもよくわかっている。
「電話のかかってこなくなった時は母になにかあったのかと思って心配をさせられたし、今回は電話をしたらしたで謎めいたことを言われて最近の私って母に振り回されてばかりなのよ。バニラにはこの気持ちがわからない?」メレンデーラは焼き鳥のモモをむしゃむしゃと食べながら聞いた。
「その気持ちはなんとなくわかります。私もしばらくはスミレとシランとは会えないから、私は少し不安なんです。でも、便りがないのは元気な証拠って言うじゃないですか。メレンさんのお母さんが嘘をおっしゃったことは確かに気になりますけど、メレンさんは待っていれば、その内にお母さんの方から事情を打ち明けてもらえますよ。メレンさんとお母さんはお話を聞いている限りでは仲がよさそうですし、私は間違いないと思いますよ」バニラはメレンデーラを安心させるために割と気楽な感じでそう言うと焼き鳥のつくねを手に取った。バニラはできるだけ明るく振る舞った。メレンデーラは応じた。
「バニラはそう思う?」メレンデーラはちらっとバニラを見た。「でも、母は昨日にかかってきた電話では何も言ってなかったのよ」メレンデーラには神経質な一面もある。
先程はメレンデーラに対してここ二カ月で一度しかビオラからは電話がかかってきていないと述べたが、その一度というのは昨日のことを言っていたのである。
「ああ。そうだったんですか。ですが、お母さんは何もおっしゃってなくても、それはとりあえずいい兆候なのかもしれませんよ。お母さんはその時になにか謎を解く手がかりになりそうなことをおっしゃっていなかったのですか?」バニラはまじめな口調である。バニラは真剣に話を聞いている証拠である。
「どうだかね。私は鈍感なのかもしれないけど、母は大したことは言ってなかったと思うよ。私はちゃんと元気にしているかとか、変わったことはなにかなかったかとか、テレビはどんなものを見ているのかとか、どうでもいいようなことばっかりでしょう?」メレンデーラは投げやりになって聞いた。
メレンデーラの頼んでいたウイスキーはこのタイミングで来たので、メレンデーラは早速にそのウイスキーに口をつけた。メレンデーラはすでに一杯目を飲みきっていた。メレンデーラとしてはやはりやけ酒のつもりである。一方のバニラは冷静だった。バニラは少し考えたあとで言った。
「そう言われると、それは確かにそうかもしれませんね。例えば、最後の質問ですが、メレンさんはテレビについてなんて答えたんですか?」バニラはそう聞くと焼き鳥のレバーを手に取った。
「歌とか、ニュースとか、私はそんなものを見ているって答えたのよ。そう言えば、そのあとは父も電話に出て『結婚はしないのか』って言うのよ。父親からそんなに急かされると、私はもっと追いつめられちゃうじゃない。父にはそんなこともわからないのかしら? 私は『結婚の予定はない』って言ったら、それを察したのか、父は気まずそうにして謝っていたけどね。でも、父からはそんな風にして謝られたら、私はますますみじめになると思わない? はあ。なんだか、私は泣けてきた」メレンデーラはそう言うとしょんぼりとしてしまった。メレンデーラは確かに涙目である。バニラはとりあえず励ました。
「大丈夫ですか?」バニラは一応のやさしい言葉をかけた。「そのくらいはなんてことないと思いますよ。メレンさんは元気を出して下さい」バニラは自分このセリフが無意味であることを知っている。なぜなら、メレンデーラは酒に弱い上に笑い上戸でもなければ、怒り上戸でもなく泣き上戸だからである。
その後のバニラはメレンデーラが凝っている天体観測の話をしてみたり仕事でのメレンデーラのいいところを上げてみたりもしたが、結局のところ、メレンデーラは泣いてばかりいた。メレンデーラは挙句の果てにはバニラに対してお姫さま抱っこをせがんできたが、それはさすがのバニラも拒否すると、今度は自分の体重が重いせいだと言ってますます泣いてしまった。
メレンデーラの扱いには困ったが、バニラは別にそれを苦には思わなかった。バニラは心のやさしいトイワホー国の国民だからである。なによりも、バニラはメレンデーラという女性を尊敬しているし、メレンデーラから迷惑をかけられても十分な好意を持っているのである。
メレンデーラをなんとかして自宅への電車に乗せると、バニラは自分も帰路に着くことにした。バニラはメレンデーラの母であるビオラについて少し考えてみることにした。
今のスミレは忙しいから、バニラとは会えないことになっているが、ビオラはもしかしたら同じ理由でメレンデーラと話ができないのではないだろうかと、バニラは考えた。ただし、ビオラはどうしてそんなにも忙しいのか、それはバニラにも全く思い当たるものはなかったので、バニラの推測はそこで行きづまってしまった。やむを得ず、バニラはこの考え事を中止することにした。
その後のバニラは人のことを能天気に考えていられる状況ではなくなってしまうことになる。それにはスミレとシランの二人が絡んでくることになる。バニラにとっては悲劇である。
一週間後の話である。今日は休日だが、バニラは朝からある決断をしていた。その計画は夜に実行しようと、バニラは心に決めている。朝のバニラはオート・ミールを食べて気楽にテレビと新聞の両方でニュースを見ることにした。その後のバニラは掃除や洗濯といった家事をして電車で一駅目のところへと出かけた。今日の出先はダーリントン市だが、バニラはダーリントン市のソーレント町というところに住んでいる。つまり、ダーリントン市は大きいという訳である。
まずはスミレに勧められていた靴ベラを探してみたが、その靴ベラはあいにく見つからなかったので、バニラは主にウィンドー・ショッピングで時間を潰してベーカリーで昼食をすませた。
バニラは最後に本屋に寄って料理のレシピを購入すると帰路に着いた。その際にはメタル・フレームのメガネをかけた中年の男性が電車の乗り換えについて聞いてきた。その答えはたまたま自分でもわかることだったので、バニラは説明してあげると『親切スタンプ』を押してもらうことができた。
バニラはそのおかげで気分よく家に帰ることができた。当然と言えば、当然だが、バニラにはこれから少々の酷な運命が待っているということも知らずに家に到着したのである。
現在は午後の6時である。バニラは家に帰って来てうがいと手洗いをすませると早速に家にある食材と料理のレシピを照らし合わせてサツマイモとリンゴのバター煮を作ることにした。
しかし、バニラはその前に朝から考えていた計画を食事より先にすませておくことにした。何をするのかというと、バニラは刑務所にいるシランに対して電話をするのである。
バニラはスミレとインパール刑務所から帰ろうとしていた時に一旦はスミレに待ってもらって道を引き返していたが、あれはシランとの電話の連絡方法を聞きに行っていたのである。
シランは自分に会いに来てはいけないと言っていたが、あの時は『電話してはいけない』とは言ってなかったので、バニラは少しの悪知恵を働かせてサプライズのつもりでシランと話をしてみようと思ったのである。という訳なので、バニラはシランのいるインパール刑務所に電話をかけた。バニラはなんとなくそわそわしながら待っていた。刑務官はやがてシランに電話を繋いでくれた。
「もしもし」シランは開口一番に言った。「ちょっと! どういうつもりなの? 話はもうしないっていう約束でしょう? 私に電話してきたら、ダメじゃない!」シランは相変わらず少し高飛車である。
「ああ。ごめん。でも、話はちょっとだけだから、そのくらいはいいでしょう? それとも、シランは私の声なんて聞きたくもないっていうの?」バニラは挑戦的な口調で聞いた。
シランには確かにやさしいところもあるが、トイワホー国の国民としては些か気の強すぎるところがあるので、多少はバニラが強く出てもシランにとってみると、どうってことはないのである。
「私は別にバニラのことを嫌いになんてなっていないけど、その、私が反省するためにも、バニラとは話をしない方がいいかなって思っただけよ。今は確かに言いすぎたかもしれない。ごめん。それで? どんな用事があるっていうの?」シランは少しぶっきらぼうな調子で聞いた。
「シランには怒らないで聞いてほしいんだけど、実は大した用事なんてないのよ。まさかとは思うけど、シランは寂しい思いをしているんじゃないかって少し気になっただけなの。シランは元気にしていた?」
「ええ。もちろんよ。私は無駄に生命力だけはあるからね。用件はそれだけなの?」
「シランは冷たいのね。それじゃあ、要件は手短にすませるけど、スミレはもしかしてシランのところに行っていないよね? どちらかと言うと、スミレは私よりも心配性だものね。スミレはお父さんの手術でそんなにあっちもこっちも構っていることはできないかもしれないけど」バニラは何の気なしに言った。
「バニラの言うとおり、スミレは心配性だけど、約束はちゃんと守ってくれているわよ。それよりも、手術ってなんの話をしているの? スミレのお父さんの手術はもう一週間も前に終わっているじゃない。バニラの方は元気なの? ちょっと! バニラは私の話を聞いているの?」シランは問いかけた。
「え?」バニラは我に返った。「ああ。ごめん。そっか。スミレとは話に食い違いがあったのかもね。ええと、私は元気かって?ええ。私は元気よ。それでね。実はこの前」バニラは途中までしか言えなかった。
「ああ。その話は機会があったら、また今度にしてくれる? バニラには悪いけど、私は受刑者だから、今は罰を受けている最中なの。何度も言うようだけど、罰を受けている人は友達と楽しげに話をしている訳にはいかないのよ。今日はこのへんで通話を終わりにしましょう。バニラはもう私に電話をかけてこないでよ。わかった? それじゃあ、切るわよ。電話」シランは少し不機嫌な様子で言った。
「あの、ちょっと待ってくれる? シランの釈放される日はもしかして私の教えてもらった日にちじゃかったりするの? スミレとは話が食い違っていたから、一応は確認なんだけど」バニラは言った。
「さあ?」シランはすっとぼけた。「どうかしらね。私はたぶん間違っていないと思うけど」
「とにかく」シランは有無を言わさぬ口調である。「バニラはもう私に電話したら、ダメよ。それじゃあ、さようなら」シランはそう言うと、バニラには本当に有無を言わさず通話を切ってしまった。バニラは通話が切れたあともしばし呆然としていた。最近は爪楊枝で指を刺してしまったこと、先日はタンスを整理していた時に幼稚園の時に被っていたベレー帽が見つかったこと、バニラは同時にそんな下らない話をシランにしようとしていた自分がすごくまぬけに思えてきた。
今のバニラの状況をまとめてみると、スミレは嘘をついてバニラと距離を置いている。一方のシランは刑に服しているということを理由にしてバニラと距離を置いているという訳である。
バニラの頭の中には『絶交』という単語が思い浮かんだ。バニラはつい最近になって高校生の時にした約束を破ってしまっているので、スミレとシランからは絶交されるとしたら、実はその理由にも思い当たる節がある。そのため、バニラはこの事態を楽観視できないのである。
しばしはじっとしていたが、バニラはやがて晩ご飯を作ることにした。自分は確かに約束を破ってしまったが、バニラは幼稚園の時からずっと仲良しだったスミレとシランがそのくらいのことで縁を切るはずはないと渋々ながらも自分に言い聞かせることにしたのである。
多少の不安な気持ちはどうしても拭えなかったので、バニラは自分が約束を破ってしまった時にはスミレとシランもこんな感じで不安になっていたのかなと知らず知らずの内に考えていた。もしも、そうだとするなら、バニラはスミレとシランに対して本当に申し訳なく思った。スミレとシランはバニラにとって本当に大切な友達だから、バニラはスミレとシランのことをできればではなくて絶対に失いたくはないのである。だから、バニラは離れた場所で生活して違う環境で日々を過ごすことになっても、スミレとシランとは今までずっと密に連絡を取るようにしてきたのである。
ここではバニラとスミレとシランの高校時代の話を書いておくことにする。その目的はバニラがスミレとシランと交わした約束を紹介するためである。
バニラとスミレとシランの三人は中学生の頃にも約束を交わしている。中学生の頃のバニラとスミレとシランの三人の交わした約束は『おばあちゃんになっても死ぬまで友達でいよう』というものである。
バニラはつらい時や悲しい時によくそのことを思い出して直接にスミレとシランと話をしなくてもその約束によって慰めてもらうことが何度もあった。その約束はバニラの高校時代にも持続していた。バニラは今でもその約束に訂正はないと信じ続けている。
本題に話を戻すことにする。これからの話はバニラが高校二年生だった時の話である。バニラとは同級生なので、当時のスミレとシランは同じく高校二年生である。高校二年生の時のバニラとスミレとシランの三人は幸いにもクラス・メートだった。高校一年生の時はバラバラだったし、小学校と中学校は同じだったとはいっても、バニラとスミレとシランは当然のことながらいつも同じクラスになれていた訳ではないので、当時の三人はそのことについて大喜びしていた。
スミレは一時間目の倫理の授業が終わるとバニラのところへとやって来た。ここはトイワホー国なので、バニラとスミレは誰とでも仲良くするようにしようと心がけていたが、バニラとスミレの二人にとって話をする頻度が高かったのはやはりシランを入れた仲良しの三人だったのである。
「ねえ。バニラって隠し事が下手だよね?朝は遅刻ギリギリだったから、バニラは先生に『自転車がパンクしました』って言っていたけど、その後はひどかったものね。先生は自転車を見てくれるって言ってくれたら、バニラは『もう直りました』って言っていたけど、普通はそんなに簡単に直るものじゃないと思うよ。バニラはそれ以前に電車通学だしね。バニラはどうして嘘をついちゃったの?」スミレはやさしい口調で聞いた。スミレはバニラのことを気遣ってくれているのである。
「あの言い訳には別に大した意味はないけど、あれは弾みよ。それよりも、スミレは弁論大会に出ることになっているんでしょう? スミレはそれについて自信が」バニラは途中までしか言えなかった。
「ちょっと待った!」スミレの追及は続いた。「話を逸らさないでよ。今日のバニラはどうして遅刻しそうになったの? 今のところ、バニラは高校二年生になって遅刻をしたことがないから、これはレアなケースだよね?」スミレはバニラに一人で問題を抱えて欲しくないのである。
「あの、実は家を出ようとしたら、玄関のドアの前にネコが倒れていてその子を介護していたら、学校に来るのが遅れちゃったのよ」バニラは観念したようにして事情を打ち明けることにした。
「ふーん。そうだったんだ。それじゃあ、バニラはどうしてそのことを先生に正直に言わなかったの?」スミレは真剣な顔をして質問を発した。「私はそのネコを見に行ってもいい?」
「ダメよ。というか、それは無理よ。お母さんはもう保健所に電話してネコを保護してもらっているはずだもの。それに、嘘をついたのは『弾みだ』ってさっき言ったでしょう?」バニラは信じてもらいたそうにして言った。バニラは必死になって抗弁をしているが、スミレは半信半疑だった。
「ふーん。そっか。シランほどではないけど、バニラは珍しい性格をしているんだね。シランは何があってもポーカー・フェイスだけど、なにかあったら、バニラの場合は必要以上に騒ぎまくるタイプのような気がするけど」スミレは中々に冷静な人間の分析の能力を発揮した。
「なんだか、私はバカにされているような気もするけど、シランは確かに冷たいと感じる程に物事に動揺しないし、スミレはスミレでしっかり者だものね。私はその点では太刀打ちできないかもね。話は戻るけど、スミレの弁論大会の準備は万端なの?」バニラは平常心になって聞いた。
「うん。ばっちりよ。原稿はいつでも発表できるように仕上がっているから、放課後になったら、一応はバニラも目を通してくれない?」スミレは親友に対して心置きなくお願い事をした。
「ええ。もちろんよ。少しくらいなら、部活は遅れてもいいと思うからね」バニラは言った。
「部活を送れた時はまた朝みたいな変な言い訳をしないでよ。バニラの言い訳って逆効果だからね。バニラの言い訳はむしろ傷を大きくする可能性が大っていう感じよ」スミレは鋭い指摘を入れた。
「わかった。わかった。今度は遅れた理由を隠さないから、スミレは安心していいよ。そのスミレの原稿はシランにも目を通してもらうでしょう? もし、原稿にあんまりにも難しいことが書いてあると、シランには理解できるか、疑問だけどね。ああ。私は失礼なことを言っちゃった。ごめん」
バニラはシランに対して謝ったが、その声は当のシランには聞こえていない。シランはここから少し離れた席にいる。シランは帰宅部だが、イラストと切り絵が上手なので、休み時間はそのどちらかで遊んでいるのである。シランは今もクラス・メートに見られながら切り絵を作っている最中である。
シランは無口ではないのだが、その性格には少しばかり一匹狼な一面がある。とはいっても、シランはもちろんトイワホー国の国民なのだから、話しかけられれば、その話には当然のことながらちゃんと耳を傾けるし、差別や村八分は決して許すような性格ではないくらいの正義感は持ち合わせている。
その日の放課後である。バニラとスミレとシランは自分たちの教室の掃除が終わると三人だけで密談をすることにした。バニラは二時間目の授業が終わったあとで放課後に残ってくれるようにとシランに対してお願いしていたのである。シランはもちろん快くそれを受け入れた。
説明は遅れてしまったが、バニラは陸上部に入っている。一方のスミレは家庭科部に入っている。バニラとスミレとシランの三人は中学の頃に入っていた部活と同じものを高校でも続けているという訳である。バニラとスミレとシランの三人の人柄はなんとなく部活動にも現れている。
先程は密談と言ってしまったが、今回の集まりについて言うと、バニラとシランの二人は正確にはその前にスミレの弁論大会の原稿を読むことから始まった。
まず、この学校の弁論大会では各学年で三人が選ばれることになっている。その選ばれた9人は体育館で多くの生徒たちを前にして発表することになる。体育館には入れない生徒も出てくるので、そういった人たちは教室のテレビを通して弁論の内容を聞くことになる。つまり、この学校はマンモス校なのである。スミレにとってみると、今回の弁論大会は十分な晴れ舞台である。
「スミレってすごいよね。スミレはしっかりしているけど、実はこんな立派なものも書けちゃうんだものね。悪いところは私の読んだ限りではどこにも見当たらなかったよ。スミレの原稿はもはや完璧っていう感じだね」バニラは早速に手放しで褒めた。バニラは確かにその言葉に偽りはなく感心をしている。
「これは少し抽象的な話だから、私にはよく理解できないところもあるけど、これなら、どこに出しても恥ずかしくないかもね。っていうか、私達はここでスミレの原稿を呼んじゃったら、明日はスミレの弁論を聞く意味ってないんじゃないの? 私は別にスミレの弁論を聞きたくないっていう訳ではないけど」シランは言った。シランは高校生の時から生意気だったのである。
「シランは相変わらずいい加減なのね。私達はスミレが一生懸命にがんばっているところをきちんと見てあげようよ。それとも、シランはスミレが嫌いになったの?」バニラは厳しい追及をした。
「わかった。わかった。私はスミレを嫌いになる訳がないでしょう。明日はちゃんと遊びながらじゃなくてちゃんとスミレの弁論を聞いているわよ。ん?」シランはなにかを思い出した。「ああ。ごめん。そう言えば、それは無理なんだった」シランは飄々としている。スミレは敏感に反応した。
「え?」スミレはあまり動揺をすることもなく落ち着いて聞いた。「どうしてなの? 明日はシランにはなにかの用事があるの? それなら、仕方ないけど、明日は何があるの?」
「なんて言ったかしら? あれは確か忌引きだったかな? 実は今日の三時間目におばあちゃんが病気で亡くなったってお母さんからメールがきていたの。だから、少しの間は学校を休むことになるの。私はスミレの雄姿を見ることができないの。ごめん」シランはまじめくさった顔をして謝った。
「気にしなくていいよ。そうだったんだ。私は気づいてあげられないでごめんね。っていうか、シランはどうして今までそんな大切なことを黙っていたの?」スミレは不思議そうにしている。
「なんとなくよ。というか、今までは忘れていた。私は親類が亡くなるのは初めてだから、私にはまだ実感もないしね」シランはあっけらかんとしている。シランは実際にまだ信じられないような気持ちなのである。その後は亡くなった祖母との思い出を話したが、シランはそれでもスミレを激励することは忘れなかった。バニラは一通りの話が終わるとスミレとシランを励まして部活へと行ってしまった。
スミレは実を言うとずっとこの時を待っていた。付け足しておくと、家庭科部の活動は毎日ある訳ではないので、今日はお休みなのである。シランは帰り支度を始めたが、スミレはシランに対してもう一つ大切な話をした。バニラはなんらかの隠し事をしている。それこそはスミレの大切な話の内容である。
スミレの鋭さは知っているので、シランはそれを事実として受け入れたが、その事実はバニラが話したくなるまで待った方がいいのではないかとも言った。少しは不安な気持ちもあったが、シランはせっかく相談を聞いてくれたので、スミレはその案を採用することにした。
今日はやたらとスミレとシランに話しかけてきていたので、バニラは寂しい思いをしているのかなとスミレは考えたのである。だとすると、本当はバニラの助けになってあげたいが、スミレはバニラのことを信じているので、いつかは必ず隠し事を話してくれる時が来るだろうと思うようになった。
翌日である。とはいっても、現在の翌日ではない。今はまだバニラの高校時代の話が続いている。シランは学校を休むことになったが、スミレはしっかりと弁論大会で発表をした。バニラはそれをしかと聞くことになった。スミレの発表は結果的には成功した。バニラはスミレの雄姿に感銘を受けてスミレが自分のところに返ってくると惜しみのない賛辞の言葉を送った。スミレはうれしそうにしていた。
スミレは弁論大会で何をしゃべったのかというと時間についての話をしたのである。ここでは少しそのスミレが弁論大会で主張した内容を紹介しておくことにする。
人生に無駄なことはないというが、それは本当なのか、スミレは本当だと考える。なぜなら、今は無駄な時間だと思ってもそれを学んだのなら、それはすでに無駄ではないということになるからである。
誰しもベストな選択だと思ってやれば、本来はそれでいいのである。時間は巻き戻せないのだから、人はあとで後悔をしてもその時の選択がベストにならざるを得ないからである。時間は止まったり、巻き戻したりはできないが、何も嘆いてばかりいる必要はない。それを逆手に取ると、過去に後悔したものと全く同じシーンが二度もやってくることはないし、そうすると、人は時間の経過によって忘れることもできるからである。忘れるということは記憶していることと同じくらいに大切な時もあるという訳である。
スミレは概ねそんな感じのことを話した。上述のとおり、スミレの弁論は大成功に終わった。そうなると、皆からの評判は必然的に悪くなかった。スミレはやはり優等生なのである。
次は時間を早送りする。これはスミレが弁論大会で発表をしてからちょうど一週間後の話である。シランは当然のことながら学校に来るようになっていたので、休み時間にはせっせと切り絵に熱中する日々が続いていた。実を言うと、シランにはそうしなければならない理由もあった。完全ではないとはいえ、少しはスミレとシランの気持ちも落ち着いてきていた。一方のバニラは変わらずに隠し事を続けていた。
ある日のことである。スミレとシランの三人はいつかと同じようにして放課後にバニラと教室で居残りをすることにした。今回はスミレとシランがバニラに対して残ってくれるようにお願いをした。
「人前では言えないようなことなのかもしれないから、一応は放課後にしたけど、単刀直入に聞くと、バニラの隠し事っていうのはなんなの?」スミレは問いかけた。「バニラには隠し事があるんでしょう?」
「え?」バニラはきょとんとした。「スミレはどうしてそう思うの? まあ、それは確かに認めるけど、今はまだ言わない方がいいのかなと思っていただけなの。この話は実際にあんまりいい話には分類されないと思うよ」バニラはきちんとした理由があってスミレとシランに隠し事をしていた。
「私は別にそれでもいいわよ。バニラはやたらとクラス・メートに話しかけるようになったし、最近はあんまり私とスミレに部活の話もしなくなっているわよね。まあ、それは私じゃなくてスミレが気づいたことなんだけど」シランは恥ずかしげもなく言った。この間のスミレは黙秘していた。
「とにかく」シランは言った。「バニラは隠し事をしゃべってくれないとこっちが心配しちゃうのよ。どちらにしても、厄介事を一人で抱え込んでいるのはよくないことでしょう? それとも、私達の仲は隠し事をしなくちゃいけない程によそよそしいものなの?」シランはぶっきらぼうな程の詰問口調である。
「そんなことはないに決まっているでしょう。それじゃあ、話すけど、実は高校三年生になったら、私は他の学校に行かないといけないの。私はお父さんの仕事の関係で転校しなくちゃいけないの。スミレは弁論大会があったし、シランはおばあちゃんが亡くなって大変な時期だったから、今までは話さないでいたの。それに『おばあちゃんになっても死ぬまで一緒』っていう約束を破ることになっちゃうのかなって思ったから、私はなんとなく言い出せなかったの」バニラは悲しげな口調で言った。
「ふーん。そういうことなのね。まあ、私達は確かにバニラがいなくなっちゃったら、それはショックだけど、なんだか、バニラは勘違いをしていない? 私達の中学生の時にした約束って『死ぬまで一緒』じゃなくて『死ぬまで友達』だったんじゃなかったかしら? どちらにしても、私達はもう会えなくなる訳でもないんでしょう? それなら、例え、私達は離れ離れになっても、友達でいることはできるじゃない。バニラはもうどこに引っ越しするのか、決まっているの?」シランは落ち着いた口調で聞いた。
「ええ。引っ越し先はピーター県の中であることには変わらないんだけど、私はシエナ市のナミール町っていうところに引越しをするの。ここからは電車でも二時間以上かかるらしいの。でも、スミレとシランはどうして私がそれを隠していることに気づいたの?」バニラは我に返ってみると不思議そうにした。
「言ったでしょう?」スミレは悠然としている。「バニラは隠し事が下手なのよ。いつだったか、バニラは遅刻しそうになった時に弱っているネコを見つけたとか言っていたけど、あれはかなり怪しすぎる話だったもの」スミレは冷静である。シランはというと、この話にはあまり興味がなさそうにしている。
「ましてや」スミレは続けた。「私はその前に電車通学のバニラが自転車のパンクで遅刻したっていう下手な嘘を聞かされていたしね。あの時は『弾みだ』って言っていたけど、そもそも、バニラは本当にネコを介護していただけなら、そんなことを隠す必要性はないんだから、例え、弾みだったとしても、バニラがそんなことを口走る可能性は低いでしょう? あの日の朝のバニラにはなにかあってそれを隠しているっていうことはバレバレだったのよ」スミレはそう言うと肩をすくめた。バニラは申し訳なさそうにしている。バニラはクラス・メートに頻繁に話しかけるようになったことと最近はあまり部活の話をしなくなったこと、実はその二つの事実もバニラが隠し事をしているということを裏づけていたのである。
前者はクラス・メートともう会えなくなってしまうからであり、後者はもう継続できない部活のことを話すと、バニラとしては寂しい気持ちになってしまうからだったのである。
「そうだ。もしも、私達のやりたいことが変わらなければ、私達は三人で同じ大学に入れたらいいよね。そうすれば、私達はまた毎日のように会えるようになるもの。私たちはそれぞれにやりたいことが違くなれば、それは諦めるけど」スミレはしっかりと分別を弁えながら意見を出した。
「まあ、私はスミレとバニラよりも学力では劣っているから、それは難しいと思うけどね。ああ。そう言えば、それは無理よ。私は高校を卒業したら、モデルになることにしたの。言い忘れていたけど、私はスカウトされたの。この間」シランは突然に突拍子のないことをあたかもなんでもないことのようにして告白した。バニラは当然のことながら驚愕している。スミレは途中までは普通に応じた。
「へえ。そうなんだ」スミレは「って」と言うと、今度は「えー!」とびっくりした。「シランはどうしてそんな大事なことを今まで黙っていたの? シランのことだから『なんとなく』って言いそうだけど、シランって本当に突飛だよね。それはそれで新鮮だから、それくらいのことは別にいいんだけどね。シランにはとにかくやりたいことが見つかってよかったね。おめでとう。それじゃあ、私達はもう一つの約束をしない?」スミレは少し秘密めかした口調で言った。
「スミレとシランとの結び付きがもっと強くなるっていうのなら、私はもちろん大歓迎だけど、それはどんな約束なの?」バニラは幾分かの期待を抱きながら話の先を促した。
「もし、困ったことや悩み事があったら、他の人には黙っていても私達の間では隠し事をしないっていう約束なの。言いたいことは言ってもいい。友達ってそういうものでしょう? モデルになるっていうのは悩みじゃないから、シランは別にいいけど、バニラの転校については一人で抱え込んで悩むより、私達は皆で乗り越えた方がいい壁でしょう?」スミレは少しばかり説得するような口調になって鋭く核心を突いた。スミレはやはり女子高生の頃からしっかりとした性格だったのである。
「それは確かにそうかもしれない。だとしたら、私はスミレとシランに悪いことをしちゃった。今まで隠し事をしていてごめん」バニラは暗い顔をしながら自分の否を認めた。シランは応じた。
「バニラは別に謝る必要はないんじゃない? この約束は今から効果を発揮するんだもの。それより、私は遠慮なくバニラとスミレに相談役になってもらうから、バニラとスミレは覚悟しておいてよね」
「それは確かに覚悟しておいた方がいいのかもね。シランはこれから先にとんでもない厄介事を持ち込んできそうだものね」スミレは笑顔を浮かべながら茶化した。
「それはまたすごい言われようね。そう言えば、私はスミレとバニラに渡しておきたいものがあったんだった」シランはそう言うとバッグから三人の女の子が手を繋いでいる切り絵を取り出した。
その女の子はバニラとスミレとシランのことである。高校を出ても『三人の気持ちは一緒だ』ということを忘れないようにするために、シランは学校の休み時間にその切り絵を作っていたのである。
シランにはエキセントリックなところもあるが、そのシランにも当然のことながらちゃんとしているところはある。バニラとスミレの二人はその切り絵を受け取ると大喜びした。
以上はバニラの高校時代のエピソードである。その後のバニラはスミレとシランと通う高校を異にすることになったが、バニラとスミレとシランの三人の友情は小まめに連絡を取り合って今に至っている。
バニラは高校三年生の時に兄のルーを亡くしてショックを受けて落ち込んでいたら、スミレとシランの二人はバニラを慰めてバニラの心の支えにもなってくれていた。
一応は述べておくと、シランは今もファッション・モデルの仕事をしている。シランは警察に捕まってもファッション・モデルの仕事を続けさせてもらうことになっている。トイワホー国の国民の度量は果てしなく広いので、例え、前科者というレッテルを張られたとしても、シランは変わらずにやさしくしてもらえるのである。それこそはトイワホー国の国民色である。
バニラとスミレとシランの三人の二つ目の約束はとにかくこれで判明した。一度はここでまとめておくことにする。バニラとスミレとシランの中学生の時の誓いは『おばあちゃんになっても友達でいよう』というものである。バニラとスミレとシランの高校生の頃の誓いは『もし、悩み事があったら、その時は自分たちの間では打ち明けて皆で解決しよう』というものである。
先月のバニラは高校生の頃の約束を破ってしまった。バニラはスミレとシランに対して悩みを打ち明けようとせずに隠し事を作ってしまったのである。ただし、それにはちゃんとした理由はあった。その時のバニラの悩みというのはそもそもルーを殺害したのが本当は恩人のクローブだったことを知って苦しんでいたことが一つである。もう一つはそのクローブを殺害した犯人の手掛かりをバニラが握ってしまったことだったのである。前者はともかとしても、後者の場合なら、バニラは警察に行けばいいだけではないかと思うかもしれないが、その時のバニラの心理状態は簡単にそうはさせなかったのである。
バニラはどうしてクローブを殺害した犯人の手掛かりを得たのかというとその犯人から手紙が届いたからである。その手紙にはルーを殺害したのはクローブであること、自分はそのクローブを殺害したということを仄めかすような文章が書かれていた。それではどうしてその男はクローブを殺害しようと思ったのかということも説明しておくことにする。
そもそも、クローブという残虐な男はルーだけではなくアイという女性も殺害をしていた。エノキはそのアイの息子だったのである。つまり、エノキは母親を殺害されたことによってクローブに復讐をしようと思ったのである。話は少しそれてしまったが、バニラはやさしくしてくれていたクローブを信じたい気持ちとエノキを警察に突き出してはならないような気持ちが交錯して警察には事情を打ち明けることができなかったのである。となると、バニラは必然的にスミレとシランにもその話をすることができなくなってしまった。もし、バニラがそのことを話すと、スミレとシランは常識的に考えてそのことを警察に言うべきだと主張される可能性は大きかったからである。
もっとも、スミレとシランはバニラの意見を尊重してくれる可能性もあったが、あの時のバニラは万全を期したいと思っていたのである。シランは性格からして重要な事実と言えども警察に隠すことを許容してくれそうなものだが、バニラはスミレとシランの片方だけに話すというのは嫌だったのである。
一度は言ったとおり、バニラは結果的にスミレとシランを頼らずに『お悩みアドバイス』を利用することにした。『お悩みアドバイス』とは『愛の伝道師』に対して一年に一度だけできる人生相談の制度のことである。『愛の伝道師』とは無差別の愛を広めるために雇われたトイワホー国の公務員のことである。クローブを信じていいのか、エノキを信じたらいいのか、バニラはそのようにして迷いが生じた時はどうするべきなのかを『愛の伝道師』に対して『お悩みアドバイス』で相談したのである。
結局のところ『お悩みアドバイス』の返事はその後の様々な事柄が終わったあとに届くことになってしまったが、ここでは少しバニラの相談の返事を書いておくことにする。
例え、どんなに迷ったとしても、そのあとにどんな結果になったとしても、それでも、決めなければならないのだとしたら、どんな時でもパーフェクトな選択ができる人はこの世にはいない。
二人の内のどちらを信じるか、そんな選択に迫られたら、人は戸惑ってしまうのが当然である。しかし、選択をしなければならないのであれば、とりあえずはその重圧に負けないようにさえすれば、少なくとも、人は前に進むことだけはできる。仮に、間違った選択のことばかりが気になってしまったとしても、選んでしまえば、あとは前進あるのみなので、本来は別に決断を怖がる必要はない。その先に何が待っていようとも、間違った道だったとしても、人は必ずやり直すことができるようになっているからである。選択をする際は少し心を落ち着けることも大事である。なぜなら、人は切羽詰まった状態だと冷静な判断ができにくくなり周りのことも見えなくなってしまうからである。
『愛の伝道師』は重要な選択をする際には『どうしよう?』とパニックにならずに心を落ち着かせることが一番大事なことだとアドバイスしてくれたのである。話を戻すと、現在のバニラは高校生の頃の約束を破ってしまったから、スミレとシランの二人とは絶交しなければならないのだろうかと心配している訳である。バニラには運悪くもスミレとシランからはもう一つの絶交をさせられそうな理由に心当たりがある。とはいえ、バニラにはそれさえも悪気があった訳ではなかった。
その後のバニラはスミレとシランの関係について不安に思いながらも、それ以外のことでは順調に暮らしていた。つまり、バニラはメレンデーラとも仲良くできているという訳である。
ただし、メレンデーラの心中には穏やかではない出来事もあった。バニラよりは年上だが、メレンデーラよりは年下の女性社員が結婚することになったので、バニラとメレンデーラの二人はその女性の結婚式に呼ばれた。なんだか、メレンデーラはそのせいで落ち込んでしまった。
薄々は気づいているかもしれないが、メレンデーラは相当に感情の浮き沈みの激しい女性なのである。メレンデーラは酔っぱらっている時だけではなくシラフの時でさえもそうなのである。
その結婚式に出席した日のメレンデーラはやけ酒をあおって管を巻いた。メレンデーラはその結果としてまたもやへべれけになってしまったので、バニラは最後までメレンデーラの面倒を見てあげなければならない羽目になってしまった。とはいっても、メレンデーラのことは好きなので、バニラは全くそれを苦には思わなかった。しかしながら、迷惑のかけっぱなしはさすがのメレンデーラも嫌なので、メレンデーラはバニラをショッピングに誘い後日に好きなものを買ってあげるという約束をすることにした。
バニラは全く気にしていなかったので、一度はバニラもそれを拒もうとしたのだが、それではメレンデーラの気が収まらないかもしれないと思い喜んでその約束を受け入れることにした。
今日は9月30日である。バニラとメレンデーラの二人は大型のショッピング・モールにやって来ている。バニラとメレンデーラの二人が一緒に買い物をするのはこれで6度目である。
バニラとメレンデーラの二人は靴屋に向かったのだが、目当てのものはなかったので、バニラはファンシー・ショップに行ってそこでメレンデーラにあるものを買ってもらった。
その後はいくらかの店を見て回ると、バニラとメレンデーラの二人はフード・コートでイート・インをすることにした。バニラとメレンデーラはすっかり寛ぐことができている。
「最初は靴屋に行ったから、バニラはハイヒールでも買いたいのかと思ったけど、それは違ったのね。別にケチをつける訳じゃないけど、バニラは本当に私に買ってもらうものがそれでよかったの?」メレンデーラはバニラの持ち物を眺めながら聞いた。バニラは靴ベラを買ってもらっていたのである。
「はい。私はこれでいいんです。これはスミレも持っていてスミレに買ってみればって勧められていたものなので、私はこれを持っているとスミレとの友情の証になるんじゃないかなって思ったんです。私って変ですか?」バニラは不安になって聞いた。メレンデーラはあまりにも仏頂面をしていたからである。
「いいえ。私は別に変だとは思わない。私はむしろバニラがけなげだなって思う。それじゃあ、スミレちゃんからは相変わらずバニラには連絡がないの?」メレンデーラはお好み焼きを食べながら聞いた。
「いいえ。実は二日前にメールが来たんです」バニラはそう言うと詳しく説明を始めた。
スミレは嘘をついてまで自分を避けているということがわかり、これはシリアスな問題だとバニラが思っていたら、スミレからは絵文字が一杯の賑やかなメールが届いた。
そこにはスミレの手によって『私は元気だよ。すぐには無理でも、私はまたバニラに会える日が楽しみだよ!』といったような感じの文章が気楽に打ち込まれていた。メレンデーラは言った。
「へえ。そうなんだ。よかったじゃない。それじゃあ、問題はこれで解決ね。スミレちゃんとは会えるし、出所したら、バニラはシランちゃんとも会えるし、万事はOKでしょう?」
「はい。でも、事実は本当にそうなんですかね? 私には未だにスミレが嘘をついた理由がわかっていませんし、この間は電話をしたら、シランは妙に冷たかったし、スミレとシランは少しずつ私と縁を切ろうとしているのかもしれませんよね?」バニラは不安そうである。今のバニラの前にはクレープとたこ焼きがある。しかし、バニラは落ち込んでいてあまり食が進んでいない。
「それ以前に」メレンデーラは応じた。「私は疑問なんだけど、バニラってそんなにネガティブだったかしら? ああ。そうか。バニラは私に甘えたい年頃なのね。まあ、問題は私みたいにもうすぐ解決すると思うよ。そもそも、スミレちゃんとシランちゃんの行動の意味はなんとなく私にはわかるような気もするし」
「え?」バニラは目を瞠った。「それは本当ですか? メレンさんはぜひその崇高なお考えをお聞かせ下さい。メレンさんってやっぱり人の気持ちがわかる一級品の女性なんですね」バニラは少し滑稽なくらいに敬意を込めてメレンデーラを褒めた。メレンデーラはバニラの食いつきのよさに気圧されている。
「いえ。バニラはなにもそこまで私を褒めてくれなくたっていいからね。でも、本当のことを言うと、バニラは落ち込むだろうから、私は言わないことにする。ただし、私は別に意地悪をしたい訳でもないし、スミレちゃんとシランちゃんはバニラと縁を切ろうとしているだなんて思っていないから、バニラは安心していいわよ。ヒントを与えると、バニラは子供の頃の気持ちを思い出せばいいのかもね。まあ、でも、真相は三日が経ってもわからなければ、バニラには私の考えを教えてあげてもいいんだけどね」
「本当ですか?」バニラはパッと顔を輝かせた。「それじゃあ、その時はぜひ教えて下さい。私は大人しく待っていますから、この約束は絶対ですよ。あれ? そう言えば、メレンさんは先程『問題は私みたいに解決する』っておっしゃっていましたよね。ということはメレンさんの方にはなにかしらの進展があってお母さんから音信不通になった答えを教えてもらえることができたんですか?」バニラは興味を魅かれている。バニラは今のように自分が悩んでいても他人の心配もできるのである。
「ええ。そのとおりよ。でも、バニラはその前にあれを聞かせてよ。それとも、今はそんな気分じゃないかしら?」メレンデーラは問いかけた。メレンデーラの言う『あれ』というのはバニラの話のことを言っている。バニラはテレビで見たり本を読んだりしたことを他人に話すことを楽しみにしているのである。メレンデーラの方はその話を聞くことを密かな楽しみにしている。
「私は別にいいですよ。メレンさんは聞いて下さるというのであれば、私は喜んでお話します。ある小学校の一年生の女の子のお話をさせて下さい。ある日の話です。そのリサちゃんという女の子はおやつとして小学校の5年生のお姉ちゃんと一緒にアイス・キャンディーを食べていたんですが、そのアイス・キャンディーはお姉ちゃんのものの方が些か大きく見えたので、リサちゃんはそれを指摘して交換を要求したんです。ですが、お姉ちゃんはからかってやろうと思いそれを拒否しました。お姉ちゃんはその時に家のチャイムが鳴って玄関へと向かいました。用事をすませて元の部屋に戻ると、お姉ちゃんはびっくりです。リサちゃんは自分の分とお姉ちゃんの分の両方のアイス・キャンディーを食べちゃっていたんです。そのため、姉妹によるケンカの勃発です。それでも、お姉ちゃんは気を静めて自分の部屋へと帰って行ってしまいました。ところが、妹のリサちゃんの方はまだ人間ができていません。リサちゃんは気がむしゃくしゃしていたので、彼女は冷蔵庫にあった母親のラズベリー・パイも食べてしまったんです。リサちゃんは食べ終わってからようやく大変なことをしてしまったということに気づきました。リサちゃんは幼いなりに作戦を練りました。しかも、リサちゃんの考え出した作戦は姉への復讐と母への隠蔽工作を一度に実現させるすばらしいものだったのです。それというのも、リサちゃんはパイがあったところにお姉ちゃんのスマホを置きあたかもお姉ちゃんがパイを食べて迂闊にもスマホを置き忘れてしまったという状況を作り上げたんです。その後はどうなったと思いますか?」バニラは問いかけた。
「もちろん」バニラは話を続けた。「リサちゃんは撃沈です。ですが、お姉ちゃんとお母さんはリサちゃんの行動の全てを大目に見てくれたというのが落ちです。どうでしたか?」バニラはようやく長い話を終えた。その間のメレンデーラは静かにバニラの話に耳を傾けていた。
「話は中々おもしろかったし、エピソードはかわいいわね。それに、犯人は冷蔵庫の中にものを忘れたことにするなんてけっこう斬新なアイディアね。バニラは話を聞かせてくれてありがとう。それじゃあ、今度は私の話をさせてもらうけど、結論を言うと、私の母親はテレビに出演していたっていう訳なの」メレンデーラは驚くべき事実を口にした。バニラはやはり驚きの声を上げた。
「えー!」バニラは言った。「本当ですか? すごいじゃないですか。でも、テレビに出たと言っても、インタビューされたとか、芸能人になったとか、色々とありますよね? あれ? ですが、それはメレンさんにお母さんから連絡がこなくなったことと、どこでどう繋がるんですか?」バニラは質問した。
「順を追って説明すると、私の母親が出演した番組はのど自慢大会なの。母親は私をびっくりさせるためにそのことを私に黙っていていきなり自分がテレビに出てくるところを私に見せようとしていたっていう訳だったのよ」メレンデーラはいよいよ真相を口にした。となると、新婚のようにして暮らしたい云々はビオラの真っ赤な嘘だったのである。ビオラはかなりのおしゃべりなので、もし、今までのとおり、メレンデーラと話をしていると、ビオラはついテレビ出演のことを口走ってしまう可能性が大だったのである。そのため、ビオラは心を鬼にしてメレンデーラと連絡を取らず日々のボイス・トレーニングに励んでいたという訳である。だから、メレンデーラは一昨日にビオラから電話がかかってきた折に、次の日(昨日)は絶対に家にいるようにしてくれと言われていたので、強制的に家でテレビを見せられると、ビオラの思惑のとおり、メレンデーラは目が飛び出すかと思う程にびっくりさせられてしまったのである。これこそはビオラの計画していたサプライズである。
ビオラはメレンデーラに対してどんなテレビ番組を見るのかと聞くと、メレンデーラは歌番組を見ることもあるという答えを口にしたので、その時は少し喜んでいたのである。
「つまり、親しい人からは連絡がこなくなっても本当に親しいのなら、心配する必要はないっていうことね。だから、私はバニラもスミレちゃんとシランちゃんの件で深く思い悩む必要はないと思うよ。とはいえ、誰にだってついつい心配しちゃう時はあるわよ。バニラの気持ちは私にもよくわかるわよ」メレンデーラは理解を示した。バニラはメレンデーラに対して謝意を表した。
「メレンさんはお気使いをありがとうございます。メレンさんのおっしゃるとおり、私はできるだけ深刻になりすぎないようにしたいと思います」バニラはすごく素直な気持ちで言った。
「そうそう。私はそれがいいと思うよ。それじゃあ、私はこの食事が終わったら、バニラにはもう一つなにかを買ってあげる。さっきの私が買ってあげたものは安価だったし、そもそも、さっきの分は迷惑をかけたお詫びだったけど、今度は慰めの意味を込めたプレゼントっていうことなの。どう?」メレンデーラは判断を仰いだ。メレンデーラはとても親切である。しかし、バニラは慎み深かった。
「メレンさんはそれでいいんですか? ですが、私はそんなに買ってもらってばかりでは申し訳ないです。それじゃあ、メレンさんには私もなにかを買いましょうか?」バニラは提案した。
「それじゃあ、意味がないのよ。実は私がバニラにプレゼントしたい理由はもう一つあるの。今は言えないけど、明日には必ず教えてあげる。バニラは納得できない?」メレンデーラは聞いた。
「いいえ。メレンさんがそこまで親切におっしゃって下さるのでしたら、私はその好意に甘えさせてもらいたいと思います」バニラはメレンデーラの気持ちを汲んでうれしそうな口調で言った。
「OK」メレンデーラは話がまとまってうれしそうである。「そうこなくっちゃね」
一旦は話が決着すると、メレンデーラはバニラに対して何を買うかという話になった。候補としてはミキサーやピロー・ケースやバーベルといったようにして種々雑多なものが上がった。しかし、結局のところ、バニラはメレンデーラにフェルト・ペンを買ってもらうことにした。
その理由は大したことはない。なぜなら、バニラはフェルト・ペンを買うつもりでこのショッピング・モールにやって来ていたというだけの話だからである。その後のメレンデーラはバニラの悩みについて話題に出さなかった。バニラにはそのことで深く悩んでほしくなかったし、なにより、バニラの悩みはどうなるのか、実はメレンデーラにはそれがわかっているからというのもその理由の一つだった。
何も知らないバニラはショッピングをしながらメレンデーラによって悩みとは全く関係のない人事異動や更年期の話をしてはぐらかされてしまうことになった。
メレンデーラは時間を見計らい寄り道をしないように注意するとバニラを家に帰すことにした。自分の役割はこれにてようやく終了したので、メレンデーラは密かに安堵している。
バニラは帰路についているが、現在は割と楽しい気分である。バニラは尊敬するメレンデーラとショッピングができたし、そのメレンデーラはバニラのことを慰めてもくれたからである。
メレンデーラの悩みは解決したので、バニラにはそれもうれしかった。仮に、自分が苦しい立場にいようとも、むしろ、同じような立場にいるからこそ、相手の気持ちがよくわかるということもある。とはいえ、バニラは性格がやさしいから、バニラにはそう思うことができているという見方もできる。
ただし、トイワホー国の国民なら、もし、他人が悩んでいれば、大抵の場合はどんな立場の人であろうと周りの人がその気持ちを必死にわかろうとすることは間違いのないことである。
それに、メレンデーラはその内にバニラの悩みの真相について話してくれると言ってくれたので、バニラはそれにも期待をしている。メレンデーラは鋭いところのある女性なので、そのメレンデーラの考えは当然のことながら当たっているのではないだろうかとバニラは思っている。
もっとも、バニラは今でこそ落ち着いていられているが、今までは兄のルーが急逝した時と同じくらいに落ち込んでいた。今のバニラは少しそのことがバカバカしく思え始めている。
例え、スミレとシランの気持ちが離れて行ってしまっても、自分の気持ちはスミレとシランが好きなのだから、ただ、それだけでいいと、今のバニラは思うようになってきている。そうすれば、そのバニラの純粋な想いはきっとスミレとシランにも届くはずだからである。
今のバニラは自分の部屋があるマンションの前を歩いている。現在の時刻はちょうど午後の7時5分である。今は秋なので、外は寒くもないし、暑くもない。その時である。バニラは4階にある自分の部屋を見上げたら、自分の部屋にはかすかに電気がついていたように見えたが、それはきっと気のせいだろうと思ってさして気にはしなかった。バニラは4階まで階段を上がって部屋の鍵を取り出した。
バニラはその前にさっきの電気の件を思い出し、空き巣でもいたら、その侵入者と鉢合せしてしまって怖い想いをすることになるので、一応はドア・ノブを回してみたが、部屋の施錠はしっかりとなされていた。となると、もし、自分の部屋に電気がついていたとしても、それはおそらく行く時に消し忘れたのだなとバニラは判断をした。バニラはそんなことを思いながらも慣れた動作で解錠して部屋に入って行った。奥の部屋の電気はやはりつけっぱなしになっていることが判明した。
バニラはゆっくりと靴を脱いで部屋に足を踏み入れた。その時である。バニらにはびっくりするようなことが起きた。右側の部屋からバニラには銃声のような破裂音が聞こえてきたのである。
まさかとは思ったが、バニラは銃で撃たれたのかと思った。しかし、それは違っていた。その代り、バニラの頭にはクラッカーから出たテープが乗っている。
「え?」バニラは混乱している。「どういうことなの? どうしたの? これは夢なの?」バニラはすっかりと動揺している。それは無理もない話である。
玄関を入ってすぐのところにはなんとバニラと距離をおいていたスミレとシランの二人がいたのである。しかも、シランは今月一杯まで刑務所を出られないと聞いていたので、バニラはそういう点でもびっくりしてしまった。当のシランは人の家に勝手に入り込んで悠然と構えている。
「おかえり」スミレは言った。「今日はバニラのお誕生日だよ。おめでとう! 最近は連絡を取らなくてごめんね」スミレは笑顔である。スミレは突然にファンファーレの代わりとしてクラッカーを鳴らしていたのである。先程の破裂音は銃声ではなくクラッカーの音だったのである。
「バニラは何をきょとんとした顔をしているの? まさかとは思うけど、バニラは自分の誕生日が9月30日の今日だっていうことに気づいていないの? バニラは今月『幸せギフト』を貰ったでしょう? バニラはもう忘れちゃったの?」シランは詰問口調である。シランの性格のきつさは相変わらずである。
「いいえ。それは覚えていたけど、それじゃあ、スミレとシランはわざわざ私の誕生日を祝いに来てくれたの? でも、スミレとシランはどうやって私の部屋に入って来たの? そもそも、シランはまだ刑務所にいないといけないはずでしょう? まさかとは思うけど、シランは脱獄してきたの?」混乱中のバニラは物騒なことを言っている。シランは心外だと言わんばかりにして即座に反論した。
「そんな訳ないでしょう。私はスミレの提案で嘘の出所日をバニラに教えていたのよ」シランは少し申し訳なさそうにして言った。バニラはそれを受けると呆然としてしまっている。
「そういうことよ。とりあえず、バニラは着替えてね。私はケーキも買ってあるんだよ。今日はバニラが主役なんだから、ケーキは皆で一緒に食べよう」スミレはやさしい口調になって提案した。
スミレに言われたとおり、バニラは手洗いとうがいをして着替えをすることにした。バニラはそれを終えるとスミレとシランと一緒にダイニング・テーブルのイスに腰を賭けることにした。
すぐには詳しい説明をせず、スミレはバニラにケーキのろうそくの灯を消してもらった。バニラとスミレとシランの三人は会食しながら落ち着いて話をすることにした。
「バニラの部屋の鍵は確かに私もシランも持ってはいないけど、私達はピッキングした訳じゃないよ。単純な話よ。私達は管理人さんに事情を説明してバニラへのプレゼントやバースデー・ケーキを見せて部屋の鍵を開けてもらったの」スミレは早速に事情を打ち明けた。トイワホー国は犯罪の発生率が低いこともあり、トイワホー国の人は皆が寛容なのである。このマンションの管理人も然りという訳である。
「スミレのお父さんの手術は終わっているのに、私にはまだ終わっていないって言っていたことも私の誕生日のお祝いと関係があるの?」バニラは疑問を呈した。
「ええ。そのとおりよ。しばらくは会わない方が劇的だから、私とスミレの二人はその演出のために心を鬼にしてバニラとは会わないことにしていたっていう訳なの」シランはさらっと受け答えをした。
「って」スミレは口を挟んだ。「したり顔で説明しているけど、シランはちゃんと反省してよね」スミレはここでバニラを安心させるコメントを口にした。「シランは私のお父さんの手術について本当のことを言っちゃったから、バニラは不安になっちゃったんだからね。もし、あの不手際がなければ、バニラはもっと平静でいられたはずだったのよ。私は嘘をついちゃって本当にごめんね。本当は私もバニラがシランと電話しようとしていることに気づいてあげれば、よかったんだけど」
「ほら」スミレはまるでお母さんのようにシランの謝罪を促した。「シランもちゃんと謝って」
「はいはい」シランは言った。「バニラは私が刑務所にいた時にせっかく電話をくれたのに、私はひどいことを言ってごめんなさい。私はもう友達にも自分の体にも悪いことはしないようにする。だから、私は麻薬だけじゃなくて禁煙もするつもりなの。私はとにかくバニラのことを嫌いになった訳じゃないのよ。私はむしろバニラのことが大好きよ」シランはケーキを食べるのを止めてバニラのことを見つめながらきっぱりと言った。シランはやはりトイワホー国のやさしい国民の一人である。バニラはお礼を言った。
「ありがとう。でも、大好きって正面を切って言われると照れるよ。ただ、言われてみれば、スミレとシランは今日のために前から計画していたのなら、確かに合点の行くこともいくつかあるみたい」バニラは考え深げにしている。バニラはそうしながら考えを巡らせた。
例えば、スミレはシランと面会するためにインパール刑務所に行く前にバニラに抱きついていたが、あれはスミレがこれからバニラに会えなくなることへの寂しさの現れでもあったのである。
スミレは『シランに会うためには刑務所にはもう二度と行かない』とバニラに対して言っていたが、あれは正確には行かないのではなくてただ単に行けなかっただけなのである。
トイワホー国の刑務所の面会は原則として二回までとなっているが、スミレはすでにインパール刑務所においてあの時よりも前にシランとバニラの誕生日を祝う計画を話していたから、バニラと一緒にシランに会った時点ではすでにシランの面会の制限の上限に達してしまっていたのである。
スミレはバニラに怪しまれないようにするため、シランとの面会時間が早くなりすぎないように気を使っていたのである。それは繊細なスミレらしい配慮である。もっと言うと、スミレはバニラに対して刑務所に行くのは初めてと言っていたが、あれは真っ赤な嘘だったのである。
出所すると、シランはすぐにスミレに会いに行ってバニラと電話で話したことを伝えた。すると、バニラはショックを受けているかもしれないと思ったので、スミレはそれを取り繕うために急いでメールを送っていたのである。これもまた先程と同じく思いやりのあるスミレらしい配慮である。
「それじゃあ、スミレとシランは本当に怒っていないの? 私達は高校生の時に『お互いの悩み事は打ち明けようね』って言ったのに、私はクリーブランド・ホテルでその約束を破っちゃったでしょう? それに、元はと言えば、シランは私のせいで捕まっちゃったんだし」バニラは不安そうである。
バニラはスミレとシランによって縁を切られるとしたら、一つは高校生の頃の約束を破ったこと、もう一つはバニラがヤツデとシランを対面させてシランの逮捕のきっかけを作ってしまったことの二つが原因なのではないだろうかと、しばらくの間は真剣に考えていたのである。
「そんなことは全く怒ってないよ。それに、私はエノキさんからバニラに届いた手紙を無断で見ちゃったんだから、私にだって落ち度はあるでしょう? 悪者はむしろ私の方がじゃない」スミレは言った。
「私達は傷の舐め合いをするようだけど、一番悪かったのは私よ。そもそもは私が麻薬に手を出したから、話がややこしくなっちゃったんだからね。しかも、あの時は今一自首するにしても踏ん切りがつかなかったから、私はヤツデくんに指摘されてむしろ感謝しているくらいよ」シランは言った。
「そっか。よかった。それじゃあ、私の一人相撲だったのね。あれ? でも、もし、私が今日一日をずっと家で過ごしていたり、あるいは夜の遅くまで帰ってこなかったりしたら、スミレとシランはどうするつもりだったの?」バニラは少し冷静さを取り戻すと気づいたことを口にした。
「ああ。その心配はいらなかったのよ。実はメレンデーラさんも私とシランと同じ仕掛け人だったんだもの。私はこの日のためにメレンデーラさんと接触していたんだよ。だから、今日はメレンデーラさんにバニラを外に連れ出してもらって時間になったら、バニラを帰宅させてくれるようにメレンデーラさんに頼んでおいたの。メレンデーラさんにはお世話になったから、私はきちんとお礼を言わないとね」スミレはさらっと言った。スミレはそこまで用意周到だったのかとバニラは驚きを隠せなかった。
メレンデーラはスミレとシランがバニラと連絡を絶っていることについてなんとなく理由はわかっていると言いていたが、なんとなくどころか、実は真相を知っていたのである。
だから、バニラに対しては真相を教えて上げたいのだが、教えてしまうと、スミレとシランの計画はおじゃんになってしまうので、メレンデーラは三日が経ったら、バニラに教えると言って宥めすかしていたのである。メレンデーラの『子供の頃の気持ちを思い出せばいい』というセリフはサプライズで誕生日を祝うことを示唆していたのである。このセリフは単なるメレンデーラの自己満足である。
ただし、メレンデーラの泥酔は計画的ではない。あの時はたまたまバニラに対して迷惑をかけてしまったので、メレンデーラはそれを理由にしてバニラを買物に誘ったというだけの話である。
メレンデーラは酔っ払って迷惑をかけたお詫びとしてバニラに靴ベラのプレゼントをしていたし、フェルト・ペンもプレゼントしていたが、あれはバニラへの誕生日プレゼントだったのである。
スミレとシランはドッキリを計画しているので、メレンデーラはあえて『誕生日』というワードを使わなかったのである。一応はメレンデーラも細かい点に気を配っていたのである。
「私とスミレはそろそろプレゼントを渡すことにする? うれしかったから、私は差し入れとしてバニラとスミレがプレゼントしてくれた絵本を毎日のように読んでいたのよ。絵本はやっぱり私のレベルにあっていたみたいね」シランはいくらか自虐的になりながらも言った。
スミレとシランの二人はバニラへの誕生日プレゼントを持って来た。バニラはその際にメレンデーラによってスミレとお揃いの靴ベラを買ってもらった旨を伝えた。スミレはそれを大いに喜んだ。そうなると、シランはそのことを羨ましがるようになった。
次はバニラが喜ぶ番である。スミレはバニラに『凹まない方法』という本をプレゼントした。バニラは仕事でミスをしてしまったということを聞いたので、スミレはその本をチョイスしたのである。スミレはバニラを心配に想う気持ちが強いのである。ただし、その本にはスミレによる手製の栞がついていた。それには『もし、この本を読んでも解決しなければ、私とシランに相談すること』とスミレの字で書かれていた。スミレはニッコリとしたが、バニラは内心でスミレの皮肉を感じ取った。
シランからバニラへのプレゼントは登山靴である。だから、スミレはファミ・レスにてバニラの足のサイズを聞いたり、登山靴はまだ買わないようにと言ったりしていたのである。
「どう?」シランはまじめな顔をして聞いた。「バニラは気に入ってくれた? でも、私達が一緒に登山に行った時にはいくら体力があるからといっても、バニラは私を置いてけぼりにしないでよ」
「シランは相変わらずデリカシーのないことを言うのね。でも、シランはせっかく靴を買ってくれたんだから、いつか、三人で登山に行こうよ。バニラは乗り気じゃない?」スミレは聞いた。
「ううん。そんなことはないよ。私はぜひ行きたい。ありがとう。私はすごくうれしいよ。私達は年を取ってもずっと友達だよね?」バニラはスミレとシランに対して聞いた。
当然のことながら、スミレとシランは笑顔で頷いた。バニラは高校生の頃にシランが作った三人の女の子が手を繋いでいる切り絵をシランから貰っている。その切り絵は今もなおバニラの家の玄関に飾られている。バニラとスミレとシランの友情はあの時もこれからもとわに続いて行くことになる。
例えば、家族や友達といった大切な人と離れて暮らしていると、その人はどうしているのかなと気になったり、心配になってしまったりすることは当たり前のことである。
だから、その時には不安に思ってしまっても、忘れてはいけないことがある。それは離れていたとしても、自分とその大切な人との絆は切れることがないと信じることである。
例え、相手はどう思っているのか、わからないとしてもせめて自分だけはその絆を信じ、例え、会えなくてもその大切な人を想い続けることができれば、それでいいのである。
さすれば、連絡は小まめに取ることができなかったとしてもその想いを大切にすることによってきっと次にその大切な人と会った時に、その想いは大切な人のところまで届くのである。
大切な相手を信じることはなによりも大切なことである。なぜなら、人は相手を信頼できることでこそ真に自分にとって大切な人になりうるからである。そこまでにはもちろんバニラのようにして時間のかかることもあるかもしれない。それでも、人間という生き物は複雑な心理を持っているものだから、多少は難しいことだが、一時の迷いはあったとしてもそれを深く気にしてしまってはいけないのである。
これから先のバニラは今回の出来事によってもう二度とスミレとシランの二人のことを疑うようなことをせずに一生の友として生涯をかけてスミレとシランの二人を大切にしてゆくことになる。