18.漢、寝顔に感動す(注意も受ける)
ふわぁ、と朝の陽射しを浴びながらイザークは大きな欠伸をする。
長身の二枚目で、身に付けた瀟洒な振る舞いが、貴族令嬢から好意を持たれること枚挙に暇ない。食堂のテーブルへ着くなり上げた欠伸をベッドの上で目にした貴族令嬢は複数に渡る。
貴族社会ではモテている男であった。
「寝不足とは、昨夜どこかへ出掛けていたのか」
テーブルを挟んで座るアルフォンスが笑っている。どこぞの女と遊んでいたか、との含みがある。
ないない、とイザークは右手を顔の前で振って見せた。
「あの後もずっとユリウスたちの話しに付き合っていた」
プリムラが父の好色ぶりを嘆いたところへ、客人のアランが男だけに責を求めるのはどうかと反駁する。第八とはいえ王女と騎士であれば、身分差を盾に一方が押し切ることは可能だ。けれどもプリムラはしなかっただけではない。男の人とはそういう者なのでしょうか? と自己の意見に拘泥せず尋ねた。
おかげでアランが口を割った。いきなり意見した点について詫びた後に、どうしても言わずにいられなかった自身の現状を打ち明ける。交際している女性がいるそうだ。だが二股をかけられているかもしれない。
詳しくお話しをお聞きしたいですわね、と、ここでツバキがいきなり参戦だ。
侍女にあらざる反応だったが、プリムラだけでなくユリウスも乗った。聞きたくてしょうがないとする本音を隠せない。そして切り出した方は聞いて欲しい。両者の思惑が合致すれば、話題はそれだけとなる。
恋愛事情についてひたすら語られる夜となった。
付き合っていられないとする四天のなか、イザークだけは残る。感情の勢い任せとする会話であれば重要な情報が得られるかもしれない可能性はある。
「それで、イザーク。なにか得難い話しは聞けたかのぉ」
朝のお茶が入ったカップを口許へ運ぶアルフォンスが訊く。
「いや、結局トラークー騎士団長の個人的恋愛事情から抜け出すことはなかった」
「そうか、それはごくろうだったのぉ」
しみじみ言ってはカップに口をつけた。アルフォンスの労いが本心からとわかるから、イザークはちょっとバツが悪い。
真実のところは、愉しかった。
気取った貴族令嬢と違い、プリムラとツバキの明け透けな女性側からの意見が新鮮だ。アランも男性側として一歩も譲らずの態度で臨む。そこへユリウスの微妙に的外れな指摘が笑いを誘う。大いに盛り上がった雑談だった。
イザークも部外者ではない。途中から情報収集など、すっかり頭から抜け落ちていた。その場に居合わせなかったアルフォンスが想像した生真面目さはなかった。
内心と真逆の表情を作る訓練を、イザークは常日頃からしている。
今朝も真向かいの僚友に悟られない鉄面皮で、出されたお茶を飲んだ。
「それにしてもヨシツネはともかくユリウス、遅いな」
カップから口を離したイザークは食堂内へ視線を泳がせる。はっはっは! とたいていは朝食前にやって来ては、うざいほどの快調を振り撒く漢だった。
探すようなパフォーマンスに、にやりとしたアルフォンスは顎髭を撫でる。
「どうやらユリウスと姫は一晩同じ部屋で過ごしたらしいぞ」
そうか、とイザークが一言で済ます。
反応の薄さにアルフォンスがやや拍子抜けしていた。
「なんだ、気にならんのか」
「ユリウスの部屋で寝ていただけの話しだと予想がつくからな。昨晩のプリムラ姫はこんなふうに夜通しおしゃべりするなんて初めて、と言っていたから、かなり疲れていただろう」
さすがだのぉ〜、と感心するアルフォンスがカップの湯気を顎髭に当てていた。
ついに主役も登場してきた。
「おおぅ、ベルは朝の偵察か」
入ってくるなりユリウスが元気いっぱいな声で確認を挙げた。いつもの通りと言えなくもないが、普段より陽気な感じがしないでもない。
こうした場面における対応をアルフォンスは心得ている。
「どうした、ユリウス。なんかゴキゲンではないか。いいことがあったようだのぉ」
すると回答を求めた相手が真っ赤になる。それが……、ともじもじしだす。熊かゴリラかとする図体にとても似合わない照れ方をしてくる。
イザークとアルフォンスの二人は、もしやと思う。夜中から今朝にかけて同じ部屋にいた婚約者同士である。自分らの知らない間に、予想外な出来事が発生したか。
朝から顔を赤らめたユリウスが囁く。誰にも言うなよ、と。
俄然とイザークの期待は高まる。ついにこいつも、と思う。
アルフォンスのほうは勘が囁く。突飛なことを言い出しそうな気がしてならない。
「プリムラは……妖精だったんだ、やっぱり」
らしいと言えばらしいが、中身はちっとも見えない。アルフォンスはいちおう身構えていただけに早く反応した。
「どうした、いったい。ユリウスにとって姫はいつも妖精ではなかったかのぉ」
「そんなわけないだろう。俺にダンスを教えてくれたり、戦略の提案をしてくれた際の王女は現実に存在する素晴らしい女性だと感じるぞ。お伽噺の中の存在じゃない」
どうやらユリウスはすっかり面倒なゾーンに入っているようだ。アルフォンスは辛抱強く続けた。
「それで、ユリウス。どうして今回は姫を幻想界の住人に例えたりしたのかのぉ?」
「寝顔が可愛かったからだ!」
ああ、そういうことか、と聞いた方はそれで納得した。ここまでの経験値が考えれば、これこそ平常運転だ。
まだまだ自分はユリウスを理解していなかった、と二人が悟るまで時間はかからなかった。真の意味で、いつもを知るのはこれからだった。
「プリムラが口を開けて涎を垂らしながら眠り惚ける顔は可愛すぎて、この世のものと思えなかったぞ」
いろいろ思うところはあるが、イザークとしては取り敢えずだ。注意を喚起することにした。
「おい、ユリウス。おまえの感性はともかく、寝顔がかわいいなどプリムラ姫に言うなよ」
「なんでだ。素晴らしきことは、相手に伝えてこそだろ」
今朝のユリウスはとてもテンションが高い。戦いの場ならば頼もしくなるが、私生活では単なる厄介者となる。ここは厳し目に言った。
「どんな親しい間柄にあっても、女性の寝顔について語るなどエチケットに反する」
「そそそそうか」
「だが一晩ベッドを共にして迎えた朝だけは例外に当たるかもしれない」
少し意地の悪い笑みがイザークに象られている。
ユリウスのほうと言えば、瞬間湯沸かし器になっていた。これ以上にないくらい真っ赤になる。それはもう懸命に訴えてくる。
「ない、ない、ないぞ。まだ結婚前だ、それはないぞー」
本当に寝顔を見て満足していたようであるのは疑いない。
イザークとアルフォンスは顔を見合わせた。どちらともなく噴き出せば、堪えきれない。四天の二人は笑い合う。
嵐の前の穏やかなひと時だったと、直後に思い知った。
「至急、お伝えしたいことが……みなさん、いらっしゃいますか」
当泊国の騎士団長が血相を抱えて飛び込んできたことが、波乱の第一歩となった。