5.姫、説得に心砕く(漢は相変わらず)
驚く者はプリムラだけではない。居合わせるツバキとキキョウも含んだ。
「お別れとはわたくし共だけではなく、ユリウスさまや他の御三方も含むのですか」
珍しく慌てるプリムラに、ベルは微笑むだけだ。視線は玄関広間の奥へ向かっている。足もまた動きだす。どうやら表玄関から出る気はないらしい。
「早まらないでください。ベル様はユリウスさまにとって無くてはならないお人です」
「僕がいなくなっても、姫様が充分に埋められるよ。いや、それは失礼だね。もうかけがえない人だった。これからのことは僕のほうからお願いする」
「なに勝手なことを言ってんだよ、おまえ」
親しげな声はベルが向かおうとした暗がりから発せられてきた。
ぼりぼり頭をかきながらヨシツネが玄関広間の明るみへ姿を現してくる。
「まったくぅ、姫さんに団長の状況について報せようと急いで来たら、これかよ。困ったもんだぜ」
「悪いね。でももう放っておける段階じゃないだろ」
「団長が言ってたぜ。今回の首謀格の連中を殺し尽くしたところで何も変わらないって」
ここまで無理やり冷静へ努めていたことを知らせるように、ベルが激昂した。
「わかってる、わかっているよ、それくらい! だけどもう見過ごせないよ。あんな大っぴらにエルフやドワーフの拉致が実行されているなんて我慢なるものか」
「だから売買の要人を殺すってわけか」
「ああ、そうさ。連中だって、亜人売買に関わる者が次々と暗殺されていけば考えるだろう」
「でもそれは商談を止める方向ではなく、より売買を行う者の身辺を固めるだけとなる」
ヨシツネの話し方が、いつものではない。
共とする時間を長く持つベルであれば察せられる。
「そう言ったのかい、ユリウス団長が」
「まぁね。うちの団長はベルがこれからの行動を予測していたぜ。だからハットリにイザークとアルフォンスにベルを止める言付けを頼んでいた。でもまさかオレがこんなに上手く出会すなんて思いも寄らなかったけどな」
今度は頭をかく仕草をベルが取る番だった。
「まいったな。ユリウス団長はすっかりお見通しなわけか」
「あの人、変に鋭いの、わかってんだろ。女が関わる時だけだよな、妙に頓珍漢になるの」
自分の指摘でヨシツネが笑い、ベルも釣られた。
玄関広間に悲哀を混ぜる笑いがひとしきり済んだ後だ。
ベルが独白のように周囲へ聞かせる。
「このタイミングで騒ぎを起こしたら、ユリウス団長に迷惑をかけるもいいところだった。そうさ、僕はあの人の腹心の一人だった。忘れちゃいけないことだった」
そっか、とヨシツネは微笑してから、プリムラへ向く。胸を手に当て片膝を床へ降ろせば、恭しく述べる。
「我が指揮官であるユリウスから伝言を預かっております。騎兵団の皆だけでなく親しくなった看守の立場を考え、獄中にて相手の出方を待つ。でもそのせいでしばらく帰れそうもないことが王女に、我が婚約者にすまない気持ちでいっぱいであるそうです」
ぷっとプリムラは噴き出す。
「本当にユリウスさまは、投獄された先で仲良しな方をお作りになったのですか?」
ヨシツネは苦笑を浮かべながら、うなずくしかない。充てがわれた看守と親しげに声を交わしています、と報告した。恋バナをしている点については、いちおう婚約者の手前として隠した。
まったくあの人は、とベルは感心やら呆れるやらである。
少し和んだ様子を見とったヨシツネは釘を刺す意味で意見する。
「そういうことだから、ベル。早まった真似はするな。それに取り敢えずエルフを狙った人身売買のシンジケートはしばらく鳴りを潜めると思うぜ」
「その根拠はなんだい、ヨシツネ」
「人身売買に関わっていた連中の全てを、団長は許さなかった。ただ頼まれただけとする者も今回ばかりは例外なしだ。ここで言う許さなかったとする意味は、ベル。おまえならわかるよな」
「つまり人身売買の実行を引き受ける者が当分の間出現しなくなるくらい、修羅となったんだ。団長はまた一人でやったんだね」
軽く目を閉じたベルの瞼が上がるのも直ぐだった。
顔つきに決意を閃かせていれば、ヨシツネの横へ行く。ユリウスの婚約者であるプリムラへ片膝を付いて頭を垂れた。
「感情に流されるまま勝手な行動を取ろうとしたことをお許しください。我が騎兵団騎士団長の意を応じ、またその婚約者であるプリムラ王女の言を汲むようにいたします」
ありがとう、とプリムラの感謝は安堵もあふれている。どうか畏まらず立ち上がってください、とお願いも付け加えられる。遠慮が返されたが、今後の話し合いに恭順の姿勢は不要とする説得が功を奏した。
「ベルが突っ走らなくて良かったぜ。イザークは貴族だし、アルさんはディディエ辺境伯からの派遣とする形だから派手に動けないだろう」
立ち上がりざまにするヨシツネの声は普段へ戻っていた。
「ヨシツネ様とベル様、お二方の立場は大丈夫なのですか」
プリムラがちょっと心配そうに尋ねた。
顔の前でベルがひろひら手のひらを振ってくる。
「ハーフエルフと貧民街出身の騎兵なんか発言力はないからね。団長を牢へ入れた連中は身分あるイザークとアルさんの動静に気を配るが精々じゃないかな」
「そうそう。オレ達は十三騎兵団に所属していればこその地位だもんな」
組んだ両手を後頭部に当ててヨシツネが言ってくる。
「ともかく今は姫様の安全だな。団長がしばらく牢で動かないとしたのは、僕らを信頼してのことだろうし」
ベルの発言は当座の目的となった。
お茶でも淹れましょうか、とツバキが提案してくる。
いいね、とヨシツネとベルが声を合わせて返事し、一緒にと誘われたキキョウも嬉しそうだ。
プリムラだけは違った。はっとした顔を見せてくる。それから誰ともなしに発してくる。
「そうね、そうだわ。この機会に帝国にとってユリウスさまがどれだけ貴重な人物かを思い知っていただきましょう」
言ってから、口許が綻ぶ。不敵な笑みだった。ユリウスに見せない類いの表情であれば、残りの四人は互いの顔を見合わす。何か企みが湧いているようだ。自分らを利する計画だろうが、正攻法ではないに違いない。
だが現在は牢へ繋がれている危機的状況ではある。帝国第十三騎兵団騎士団長の屋敷に集う者たちにすれば、プリムラの不適な笑みはむしろ心強さを感じさせた。
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ちょうどその頃、その身を案じられている者は、と言えばである。
「そんな女性の付き合い方、俺には承服できん!」
「しかしユリウス様。こちらの想いだけでは女性の心は繋ぎ止められません。時には刺激も必要なのです」
新人看守のリースもこれだけは引けないといった調子だ。
ヨシツネと入れ替わりで影から様子を窺うニンジャのサイゾウにすれば、報告に困る以外の何物でもない会話が交わされていた。