59.漢と姫、これからー第1部・了ー
プリムラが宣言する姿は神々しい。
ユリウスに身命を賭ける、とする声は特にイザークへ感銘を与えた。滝行からの戻りがもう少し遅ければ、片膝を付いていたかもしれない。
「もうユリウス、ぜんぜん効果ないんだもん」
ずぶ濡れの褌一丁の少年が上げる文句は、水辺に集う者たちの間で漂う空気を変えた。
「すまんすまん、せっかくハットリが俺の煩悩退散する方法を提案してくれたのにな。まったく残念な結果に終わってしまった」
とても残念そうには見えないユリウスである。水を滴らせる腰巻一枚の逞しい肉体を陽光に煌めかせている。
事情を知らないイザークだから当然ながら尋ねる。
「滝へ向かったと聞いてやってきたが、ユリウス、これは一体どういうことなんだ?」
「いやなに、滝に打たれれば心と身体が鍛えられるらしい。これをニンジャの言うところではシュギョウなるものらしいぞ」
飛び出てきそうな筋肉を水滴で光らせるユリウスが、はっはっは! と笑う。
付き合いが長いイザークだから、大体の事情は察した。
この頑健な漢が滝に打たれる程度で苦行なるはずもない。ニンジャのハットリは共に心身の鍛錬へ臨んだが、肝心のユリウスにしたら行水である。現に、あーさっぱりしたぁー、と口にしている。
なぜ滝に打たれる修行をする気になったか、質す点はそこだ。
「それにしてもユリウス、いきなりどうしたんだ」
いやなにな、と聞いた相手は照れたように濡れた頭をかきだす。
熊かゴリラかと表現したくなる漢だから、似合わない仕草だ。だから意外にも、かわいいと言えた。
「それは我が婚約者があまりに愛らしいからだ」
恋心は知られたくないと言うわりには、本人の前で堂々と上げている。しかも回答とするには説明不足もいいところである。なに言ってるんですか? とヨシツネが上げていれば、どうやらイザークに限らず、それだけでは訳わからんとなっているようだ。
そっかそっか、とユリウスも言葉足らずを自覚したようだ。すまん、とプリムラが差し出すタオルを受け取りながらだ。
「なに馬上の王女を見ていたら、無性にかわいく思えてな。これは大事にしなければ、とお守りをもらった時の気持ちを思い出せば、問題に気づいたわけだ」
「それで、どうした。なにも問題はないように思えるが」
イザークがこの場にいる全員の疑問を代弁する。
「それは問題だろう。大事したいは守りたいとする気持ちに通じるような気がしたんだ。つまりこれは訪れた救護院の女の子にお礼と抱きつかれた時と同じだ」
「それに何の問題がある。むしろ謎が深まるばかりだ」
「わからんか。俺は王女と子供に対する想いを同じくした。その姿まで重ねたんだ。しかしだ、子供同様に見た相手に恋しているときている。まずいだろ、これは」
本人の前で言っちゃってるね、とベルが小声でする確認に、四天の他三人は微妙な顔つきをしている。四人とも子供とする婚約者の告白を聞いたプリムラの様子が怖くて見られない。
ユリウスが頭を抱えだした。
放っておけないイザークがなぐさめに入る。
「別に気に病むことはないだろう。実際の王女は結婚適齢期にある」
「そういう問題じゃないぞ。俺は王女に子供の姿を見ながら、恋しているというんだ。これは幼児趣向ではないか。軽蔑されても仕方がない自分の嗜好を発見すれば絶望しかない」
はいはーい、とヨシツネが手を上げた。
「もしかして団長がさっき、いきなり吼えたのって、これですかね」
「充分だろう、理由として」
普通の者ならば意見したくなっただろう。が、ユリウスの気質を心得た者たちは、もういいやとなって何も言わない。
それよりも、と四天の四人はプリムラが気にかかる。
子供にしか見えないなどと言われた婚約者である。黄金の髪に透き通るような白き肌をし、愛くるしい目鼻立ちをしている。年齢相応としなくても、大変な美少女なのである。ユリウスが潔癖すぎるだけで男性を魅了してやまない女性である……はずだった。
あのさ、とベルが同僚たちへささやく。姫様がユリウス団長にあげたお守り、見た? と質問を振る。
なにかあったかのぉ、とアルフォンスが顎髭を撫でている。
ずいぶん派手な色彩だった記憶はあるな、とイザークが左手で顎をつかんでいる。
なんか文字が書いてあったよな、とヨシツネが思い出すような上目遣いをしている。
聴覚だけでなく視覚まで突き抜けているベルがおずおず切り出す。
「あのさ、あのお守りの布地。間違いなく髪の毛で編み込まれたものなんだよね」
げっ、となるイザークとヨシツネだ。
ほほぉー、とアルフォンスだけは興味深いとしている。
おいおい、とヨシツネがビビりながら質す。
「あのお守りって、金色だったよな」
「そして王女の髪は高貴の令嬢にしては短い」
追随したイザークも珍しく声を震わせている。
うん、とうなずいたベルはさらなる解答をもたらす。
「そこへユリウスと姫様の名前が相合傘で書かれているんだ」
「ほほぉ、かわいい話しではないかのぉ」
アルフォンスが、それの何が問題か、とする調子で訊いてくる。
今度こそベルは怯えを隠さずに言う。
「だって、あれ、血で書いているよ。絶対に血文字で、二人の名前が書かれているよ」
四天の四人の間に会話は失われた。声をなくしている状態である。
うおぉおお! とユリウスの唸りが響く。
どうやら婚約者を幼女と見てしまう己の感性に苦悩しているようだ。頭を抱えた両手が激しく動き出す。たぶんかきむしっているつもりだろう。が、タオルも一緒だから髪を拭く作業が並行している。結果は急いで身支度を整えようと頑張っている姿へなっていた。
一方、ユリウスの目が届かないプリムラは尋常でなかった。
婚約者の逞しい裸体を目の前にして、何やらである。
はぁはぁはぁ、鼻息が荒い。顔どころか首まで紅潮している。
先ほどの高貴さはどこへやら、興奮のあまり下品極まりない姿を曝け出している。
ツバキが評する『ヤバい女』が、そこにいた。
少し変わった最強の戦士と聡明ながら淑女か疑わせる高貴な王女。
この二人の歩みが、やがて大陸全体を揺るがしていく。
婚約破棄を三回された騎士と第八王女の姫がもたらす新しい時代は、これからであった。