1.姫、侍女の野望を知る(風雲急も告げられる)
うふふ、と王女プリムラは笑う。
明るい陽射しの下ならば、春の妖精と感激してくれる婚約者がいる。
では暗くした台所では、どうだろう。
手にしたお玉杓子でかき回す大鍋は、ぐつぐつ泡立っていた。ずいぶん煮込まれて、やたら濃そうな茶色でもある。単なるスープに見えない。
「これであの方は、わたくしのもの……」
うっふっふっふー。妖しいとしか言いようがない笑みへ変わっていく。
「姫様、はしたのうございます」
言葉だけではない。ぽかり、頭も叩き、たしなめるメイド服の侍女である。
「いったーい。やめてよ、ツバキ。料理している最中よ」
料理のため被った三角巾から覗く髪は黄金で輝くようだ。高貴を象徴するような代物として、婚約者でさえ恐れ多いと余程の事態でもない限り触らない。お付きとしてやってきた侍女だけが遠慮なしである。
「傍から眺める姫様のご様子は、とても料理しているようには窺えません。毒よりヤバいものを作成中としか見えません」
「ユリウスさまにそんなことするわけないでしょう。変なものは口にさせません」
「そうは仰いますが、姫様のお作りなったものならば、毒になっても食べてしまいそうではありませんか、ユリウス様は」
う、うん、とプリムラは少し照れたようにうなずく。見た目は可愛らしいハナナ王国第八王女である。ロマニア帝国騎士であり第十三騎兵団騎士団長ユリウス・ラスボーンの心をつかむ愛おしさで溢れていた。
ただし侍従のツバキにすれば、主人はヤバい女である。追求の手は緩めない。
「それで姫様。いったいユリウス様へ何を盛ろうとなさっているのですか」
ちょっとぉー、とプリムラは唇を尖らせる。
「遠征からのお帰りであれば、ここは元気になるものを、と調理していただけです」
「その元気を精力に置き換えられることもできましょうか」
うっと言葉につまるプリムラである。
やっぱり、と顔に書いたツバキは嘆息を吐く。
「幼児趣向など以ての外と考えるくらい女性に対して潔白なユリウス様ですわ。婚前に変なものを盛られたせいで欲情してしまい、事へ至ったとしたら、きっと後々まで悔恨するでしょう」
うぐぐっと今度は息が詰まるプリムラだ。婚約者ユリウスの女性に対する潔癖さは大事にしたい。
「うん、そうね、ツバキの正鵠を射た助言には感謝します。この鍋は廃棄しましょう」
捨てるんかい、とツバキはツッコミそうになった。やはりヤバい代物だったらしい。けれどもここは普段と変わりなくだ。
「ご理解いただき、嬉しく思います。加えて申し上げさせていただければ、ユリウス様との仲をそれほど焦らなくてもいいではありませんか。姫様に恋している、と本人自ら申しておられますし」
ツバキとしては我が主プリムラが蒸気を立てそうな様相を示すと思っていた。それが何やら表情を曇らせてくるから、問わずにいられない。
「どうかしましたか、姫様。ユリウスさまの告白に裏でヤバいほど鼻息荒く勝利のガッツポーズを決めていた同一人物とは思えない消沈ぶりではありませんか」
「ちょっとぉー、わたくし確かにすごく嬉しかったけれど、ツバキが言うほど酷くなかったですぅ」
「それはどうでしょうか? なんなら姫様の狂態ぶりを目の当たりにしたキキョウにも確認を取りましょうか」
「そ、そこまで……しなくていいです」
プリムラの返事する声はか細い。どうやら自分が取った姿に自信はないらしい。
さてと、とツバキが気を入れ直して話しを元へ戻す。
「いろいろ人としても女としても問題がある姫様ではありますが、幸いにも婚約者の意中を射止めておられます。なのになにかお悩みを抱えていられるように見受けられますが、私の思い過ごしでしょうか」
「引っかかる部分はスルーします。ツバキの変化を見過ごさない眼力には感心しましょう」
「姫様にお褒めいただき、侍女として嬉しく思います。では主を心配する臣下の身として、いかがなされたのですか? と尋ねさせていただきます。どうか脱線せずにきちんとお話しください」
きっちりツバキが釘を刺してくる。
わかってます、とプリムラがちょっと意地になりながらだ。
「ユリウスさまのお言葉は物凄く嬉しい。嬉しいけれど、やっぱりいつまでも浮かれてはいられません。つい口にしてしまったであり、わたくしへ向けて言ってはいないからです」
「つまりユリウス様が姫様へ伝える意志を持っていなかった点を問題視しているわけですか」
「わたくしは聞こえる位置へたまたま居合わせただけで、きちんとお互いに気持ちを確かめ合ったわけではありません。だからユリウスさまはわたくしを一人の女性として見る目が持てないのかもしれない、と考えたの」
すっかり砕けたプリムラの言い方が本心と解釈できる。
ふぅ、と吐いたツバキの息は先と違う。かなり真剣さが入り混じっている。
「まったく、策を弄すことに躊躇ない姫様がユリウス様のこととなると不器用なほど一途となりますね。あ、でもヤバいスープを飲ませようとしたのでした」
いけない、いけないとツバキは自身の発言を慌てて翻す。
うん、もぅ、とプリムラは口許をへの字で結んだ後だ。
「ちょっと滋養強壮へ傾けすぎただけです。別に食べたからといって、わたくしを求めずにいられなくなるような媚薬に匹敵する代物ではありません」
「姫様ですからね。真に受けるわけにはいきませんわ」
もぉー、とプリムラはふくれっつらをすれば、ツバキはようやく表情をほどく。
「何事もなければ直に姫様とユリウス様の婚礼は取り行われるわけですから、焦る必要もないように思われます」
「そうよね。これからずっとお側にいられるのだから焦ってはダメね。でも先日の滝に打たれたユリウスさまの肌ときたら……」
「きめ細やかな美肌に走る傷跡が妙に艶かして、我が身を全て委ねたくなりますわ」
眉根が寄るプリムラだ。どう見ても侍女の興奮ふりは捨ておけない。
「ちょっとツバキ。仮にも主の婚約者である点は忘れないでちょうだい」
「もちろんですわ、あくまで姫様のサポートが私の役目です。ええ、婚約者が幼児に見えて手が出せないユリウス様がつい他の女性に欲情の捌け口を求めないよう、身体を張る覚悟は出来ております」
「ちょっとぉー、どさくさに紛れて自分の欲望を叶えようとしてない、それ」
「あら、イヤですわ。姫様へつなぎ留めておくために、敢えてです。姫様より先に頭をなでられたり、お姫様抱っこされたから、次いでにとする気持ちがあることにはありますが」
やっぱりー、とプリムラは頬をふくらませ唇を突き出す、なかなか器用な仕草を取っていた。
ふっと笑うツバキは冷静そのものである。ちなみに返事はしない。
プリムラからすれば、安心とは真逆の態度である。
捨てては置けないが、口にする前に、異変が認められた。
急にツバキが天井を向く。
「なにごと、ハットリ。何をそんなに慌てているのです」
気配だけで心境を読み取ったらしい。ツバキの優秀さもさることながら、暗躍すべきニンジャがそう簡単に存在を悟られるなどあってはならない。
ハットリの気づかれ方は早すぎた。
早すぎる理由は忍び装束のハットリが天井から降りてくるなりだ。少年のあどけなさが強く残る面立ちが青ざめている。非常に珍しい様子は、しかし次に告げられた内容によって合点された。
「た、たいへんだ。ユリウスが牢屋にぶちこまれちゃったよ」




