番外編・もう一つの世界
身体と心がバラバラになるような感覚はない。 痛みや苦しみ、悶え狂う恐怖も何も。
ただ閉じていた目蓋を静かに開けて、そこに見渡す景色が懐かしみを感じるだけだ。
産まれ育ち、喜びや嬉しさを噛み締め、悲しみを味わった本来いるべき場所。 そしてお母様を失い、お父様を絶望に陥れた世界。
過去のお母様を救えたからといって、この世界が変わるわけではないし、お父様を楽にできるわけでもない。
それでも、あの世界でお父様とお母様が幸せに暮らせるのなら、きっと私のした事は間違いではなかったと思えるはず。
だって今、私がこうして戻って来れた事が何よりの証だから。
丘の上から見下ろすと、遠くにお父様の待つ我が邸がある。
ずっと寂しげだった。 それでいて、お母様によく似た私をいつも大事にしてくれた。
もうすぐ私は愛する人の妻になるのだ。
身分の差はあれど初恋だったから、どうしても叶えたかった。 その想いがようやくお父様に通じ、結婚の許可を得られたのだ。
なんとかしたかった。 お父様がお母様のいない寂しさに耐えられなくなる前に、私の手で。
本当はお父様は反対していた。 転生させられたお母様の元に行く事に。
もしも私までお母様と同じ目に合ったら……そう考えたのだろう。
だが、コゼットが協力してくれる。
彼女は魔術の使い手として強力な味方で、これほどに優れた人材は他に類を見ないと聞く。
一方、私の転移能力はコゼットほどではないが、お祖父様から受け継いだ遺伝のおかげでそれなりに苦もなく使えている。
若かりし頃のお父様に初めて会った時、当然だが全く信じてもらえず。 死んだお母様が目の前で生きている事を再確認した時は涙が出そうになるほど嬉しかった。
ところが、お母様には転生の記憶はない。 もちろん殺された事も私の事もわからない。
そうするしかなかったとはいえ、ヒタヒタと近づく地獄への足音がお母様を脅かすのが怖くもあった。
デュークとジャクリンの存在は審判者にとっても生かすべきでないと判断された。 今後は二人に対する記憶も全てが消去の対象だ。
ジャクリンがコーンエル家の養子だったのは僅かな間。 実はお母様はその存在自体を知らされていなかったようだ。
可哀想な彼女の境遇に同情はするが、私の大切なお母様を殺し、お父様を苦しめた罰は受けてもらう。
「お母様、お元気で」
せめて風に乗って伝えられたら、そんな気持ちで呟いた。
きっともう、私のこの力を使う事はない。 封印するのだ。
☆ ☆ ☆
「お父様、ただいま帰りました」
邸の玄関ポーチで私を迎えるお父様は、留守をした少しの間に年を取ったように見える。
それは向こうの世界のお父様があまりにも若く、美男子だったせいだろう。
「エマヌエル、お帰り」
「お父様、もう大丈夫です。 何もかも」
それだけ言うと、お父様は安心したのか、ホッと肩が下りたようだ。
「フロタリアは元気だったかい?」
「えぇ。 とてもお綺麗で、儚ささえ感じてしまうほどでした」
「そうか……元気で暮らしているのか……」
「お母様はきっと、お父様と幸せに暮らしていらっしゃいますわ」
「だが、できる事なら……」
「そうですね……。 私も……」
「向こうではフロタリアは若い俺と結婚するのだろう?」
「あら、お母様だってお若いのですよ?」
「それはわかっているのだがな……」
「お父様ったら、ご自分に嫉妬していらっしゃるわ」
「俺はフロタリアを心から愛していたのだぞ」
もう繋がる事のない世界。
お母様はきっとこれから幸せに生きて行く。
向こうの世界で関わった人の記憶は次第に薄れ、数年後には何も起こらなかったかのように日々が過ぎていくはず。
それでいい。 それがいい。
「さぁ、エマヌエル。 中に入ってお母様の話を聞かせておくれ」
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