16話 いい人仮面はめっちゃアサシン推し
「失礼するよ」
リヒャルトがいい人仮面の控え室のドアを開けると――。
裸の背中が目に入った。
いい人仮面が上半身の服を脱いでベンチに座り、なんとか背中に軟膏を塗ろうと手を首の方から回して苦労していたのだ。
アレリアはばっと一歩出て立ちはだかり、両手を上げてディフェンスの構えでリヒャルトの目からいい人仮面を隠した。男性であるのリヒャルトに女性であるいい人仮面=エメリーヌの上半身裸を見られるわけにはいかない。
「殿下、殿下! リヒャルト皇太子殿下! これはもうお取り込み中の最たるものですわ! 皇太子たるものやはりドアを即開けというのはいかがかということではないかしら!? マナー違反ですわよ!!!」
「いや男同士だし。ねえ、背中って塗りづらいよね。手伝おうか?」
ひょいと横に顔を突き出していい人仮面を見ようとするリヒャルトの動きに合わせ、アレリアも腰から上をスライドさせて妨害する。
呑気に手伝いを申し出るリヒャルトを見るに、アレリアの行動が早くていい人仮面の上半身裸は見られてはいないようである。
「じ、自分で塗る。いや、もう塗り終わったところだ。ありがとう、リヒャルト」
さすがに焦るいい人仮面。そそくさと服を着付ける衣擦れの音がする。
「よし、もういいよ。あっ、仮面、仮面付けないと」
仮面も外していたようだ。危なっかしい……。
「……うん、これでよし、と。大丈夫……もう大丈夫です、アレリア様」
「そう、よかったわ」
と胸をなで下ろしていい人仮面を振り返るアレリア。
すっかり服を着て仮面も付けたピンク髪の騎士が、立ち上がって深呼吸していた。
背はアレリアより少し高いくらいで、男性としては低い。が女性なので高い部類である。
「ふーう。ええと。……何の用かな、リヒャルト。それにアレリア姫も」
「勝者を讃えにきたんだよ。決勝戦進出おめでとう。君は強いね、二刀流はどこで習ったんだい?」
とリヒャルトは握手の手を差し出した。
いい人仮面は微笑みながらその手を握り返す。
「ありがとう。あれはボクのオリジナルで犬牙剣、犬爪剣というんだ。牙も爪も持たぬ人間が犬に倣うならそれぞれになぞらえた剣を二振り持つしかないからね。……どうかした?」
「いや……」
とリヒャルトは握手したままの手をしげしげと見つめている。
「なんだか柔らかくて、女性の手みたいだな、と……」
「っ!」
いい人仮面は慌てた様子でぱっと握手を解いた。
アレリアも、バレたか!? と心臓がドキドキする。
「よ、よく言われる。ボクのコンプレックスなんだ、それ以上言わないでくれたまえ」
「これは失礼をした。しかし、犬牙剣に犬爪剣か。確かに人間は犬のように牙も爪も持たないしね。犬は人間より遙かに感覚が鋭いし、それに倣うとするならば……。……うん?」
また小首を傾げる青髪リヒャルト皇太子。
「なにか?」
「なんだかごく最近、犬に関心を持ったような、犬に詳しい人にしてやられたような、犬って凄いなって、なんだかそんなことを思った感じがするんだけど……」
うん気づく、これは気づく。仮面を付けている時くらい犬推しはやめたほうがいいのにエメリーヌ。
これはさすがのアレリアも庇いようがない。むしろ何故今まで気づかなかったのかが不思議なレベルだ。というかなんで仮面付けて男装しただけなんて簡単な仮装で誰も正体に気付かなくなるんだ。これだけヒント出てるのに気づかないリヒャルトもリヒャルトだ。手が柔らかいのがなんだっていうんだ。そんなのパッと見て分かるだろうが。
「犬が凄いのは人類共通の認識だからね。学者たちもみんなそう言ってるから間違いない。だからそう思うのはしょうがないんだ、それが人間の性だから」
ああそう、そう来るの。もう好きにしてよ。アレリアは静かに眉間を揉みはじめた。
そういえばなんでわたくしはいい人仮面の正体を隠しているのかしら? と自問するが答えは出ない。
まあ本人が隠そうとしているのだし、それをわざわざ暴き立てる必要もないだろう。
「君は犬は好きなのか、リヒャルト」
「好き……いや、むしろライバルというか?」
「そうか、だが犬に勝つのは大変だぞ。ボクも勝てるようになったのは最近だしな」
やはり犬に勝つのかエメリーヌ。そりゃあね、野犬の群れの王だものね。あの双剣を振るって犬と戦う女騎士……。確かに強かろう。
「僕も犬相手に訓練したら君のように強くなれるかな」
「リヒャルト、君は犬に倣ってはいけないよ。犬の動きは君の良さを妨げる。猫に倣う方がいい」
猫。こんどは猫。
エメリーヌは猫にも詳しいのか?
何を言い出す気だろう。猫といえばしなやかな動きで足音を立てずに獲物に近づいて一撃で仕留める……ああ、そういうことね、とどちらかといえば猫派なアレリアには見当がついた。
「君はせっかくあれだけ気配を殺せるのにそれをまったく活かせてないじゃないか、勿体ない。持久戦に持ち込むのは駄目だ。しかもあの重装備、すぐに息切れするぞ」
「ははは、確かに。息切れしたところを足払いされて倒れて気絶だもんな。情けないものだ」
勝敗の付き方はそういうことだったらしい。確かにひっくり返って意識を失っていたっけ。
「君の戦い方はちぐはぐなんだ。鎧や楯で防御を固める必要はないんだよ。ロングソードもやめたほうがいい。動きを妨げない軽装と刺突性能の高い軽くて小さいナイフがベストだ。猫みたいに気配を殺して物陰に潜んで、神経を研ぎ澄まして、敵が前を通るときにここぞ! って襲いかかるんだ。それで一撃で仕留める。ナイフを深くしっかり首に刺す。しばらく刺したままにしておくんだよ。相手が動かなくなるのを待って、抜く。そういう戦い方が君には適している」
それ暗殺者て言わない? とアレリアは思った。
リヒャルトも同じことを思ったらしい。
「暗殺者……。いやあ、さすがにそれって帝国の皇太子としてどうなのかなあ、なんて」
「いいじゃないか、暗殺者。勝ちたいんだろ? 何を迷うことがある」
「うん、まあ……というか勝ちたいんであって殺したいわけではないというか……」
と乗り気ではない皇太子。
隠密皇太子を気取りはじめて日が浅いこともあるためか、そこまで影に徹するのには抵抗があるようだ。
確かに、いい人仮面が説く戦い方のほうがリヒャルトには向いている。いやむしろ天職。
しかし戦いにて皇太子に求められるのは、本陣にて作戦図かなんかを睨みながらああでもないこうでもないと頭を悩ませつつ部下の意見を取り入れて陣頭指揮をとる軍師ポジションであり、兵たちを鼓舞する将軍ポジションである。
それがなんで自ら暗殺しなくちゃいけないのか。そんなの国民からの人気もダダ下がりである。影が薄い上に国民から嫌われるとかどんな罰ゲームだ。
でも軍師ポジションも将軍ポジションも、悲しいことにまったく向いてない。本陣にいるのに誰にも気づかれずに探される、でも静かに暗殺したら無敵。そんな人だ。
惜しい。才能と社会的に求められる役割のこの乖離が非常に惜しい。
「ボクに言わせれば、君は暗殺者の無駄遣いだよ」
「あ、ごめんねアレリア。こんな話退屈だろ?」
とリヒャルトが急に話を振ってきた。相手をするのが面倒になってきたようだ。
「……いえ。お二人のお話は難しくて、聞いているだけでなんだか凄く頭を使ったような気がしますわ」
絶えず心の中でツッコミを入れつつ聞いたので退屈はしていない、とは言えず、言葉を濁した。
「そうか、それはよかった。……のか? まあいいか。ところで君、その双剣は決勝戦でも使うのかい?」
「ああ、これはボクの牙と爪だからね」
「牙だけの方がいいかもよ?」
「……それはどういうことだ?」
「剣って、けっこう重いだろ。まあ剣の一本くらい、僕の鎧の総重量の足下にも及ばないけどさ」
言ってから、リヒャルトは意味ありげに笑った。
「ふふ。まあ、ここから先は自分で考えてみて。一応君はアレリアを取り合う僕のライバルなわけだしね。ヒントの出し過ぎはライバルに失礼だろ? ……マルク君との対戦、頑張ってね」
とだけ言い、彼は踵を返して部屋を出て行こうとする。
「リヒャルト様……?」
「うん、これが言いたかっただけさ。なんだか疲れたよ。僕はステルスモードに入る。アレリア、出入り口まで送ろう」
「ありがとうございま……ええ……!?」
アレリアが声を上げたのは、すうぅー……っと青髪のリヒャルトの姿が見えなくなったからである。
この人本当に人間か? 凄まじい能力だ。これを目の当たりにするとやっぱりただの皇太子にしておくのは勿体ないと強く思う。絶対に暗殺者のほうがいい。
「さ、行こうかアレリア」
「声は聞こえるんですね……」
「存在感をある程度コントロールできるようになってきててね。それの訓練がてらさ。ではね、いい人仮面君。ご武運を」
「ありがとう。君の言葉の意味、よく考えておくよ」
と部屋の中でいい人仮面が真面目に頷くのが見える。ドアは自然と閉まった。――いや、そう見えるだけでリヒャルトが閉めたのだろう。
「いやあ、熱に当てられたな。人というのは好きなものには饒舌になるものだね。彼の場合、犬と戦術が好きなんだろうな。僕はなんだろうなー。アレリア、君についてかな」
なんて呑気なことを言っている。
その前に気付くことがあるだろ! とは思うが、それは言わないことにした。いい人仮面の正体……この問題はいつか解決するのだろうか。
それはいいとして……。
隣を歩いているはずのリヒャルト皇太子。
当然のように見えない。というか、いるようにすら思えない。自分一人で歩いているようにしか思えないのだ。なのに話す声は聞こえるというのはなんとも不思議な感じがする。
皇太子向きではないが、凄い才能ではある。
もう皇太子とかそういうのは別として、もしかしたらこの人はそのうち人間という枠を越るのかもしれない、とアレリアは思った。
凄いけど、皇太子がするべきことではない。
才能とはかくも残酷なものなのか。




