第六十九話
『にゃ、聞こえますかにゃダイス様』
僕らは全員が宇宙服のフェイスガードを下ろしていたが、その内側でティルの声が響く。
「ああ、聞こえてる」
『こちらで作戦部隊をモニターしてアシストさせていただきますにゃ。その位置から噴射ノズル最下部までは350キロ、自由落下状態で向かいますにゃ』
「地表から見えた外殻部分より深いのは分かるけど、そんなにあるのか……」
『キャリアージェットが地形探査しつつ降りてますが、障害物はありませんにゃ。便宜上、この作戦を大竜頸作戦と呼称いたしますにゃ』
通信はオープンで行われているらしい。ドラムががちゃりと武器を鳴らして動く。
「んなー、作戦目的は核融合エンジンのコントロール奪取なのなー?」
『第一にはそうですにゃ。核融合エンジンはスタンドアローンであり、操作は最奥のコントロールルームで行えますにゃ、その周辺はドラゴンたちにより占拠されており、夢の王もその場におられるはずですにゃ』
「ティル、みんな、夢の王という呼称は現時点で破棄する。以降、彼女のことはシオウと呼んでくれ、僕の妻なんだ」
「にゃ、わかったのにゃ」
一人の猫が手を挙げるのが見えた。分厚い宇宙服で体型が隠れているが、おそらくファミーだろう。
腰が重力に着地するのを感じる。キャリアージェットが逆噴射に入ったのだ。
「うにゃー、工作レーザー準備するにゃー」
「おもたいにゃー、超でっかいスイカぐらい重いにゃー」
猫たちが担ぎ上げるのは土管のような巨大なレーザー発振器である。想定してるスイカの大きさがよくわかんないけど。
やがて着地の手応えがあり、扉がすいと開く。ジェット推進機なのにヘリの何倍もスムーズな着地だ。
キャリアーの照明によって照らし出されるそこは、さながら焼き肉の網の上。広さが野球場の数倍はある円形の空間に、金属らしき橋が網目を描いて渡されている。その橋の一本だけでも高速道路ほどの大きさである。外縁部は闇と同化した巨大な壁であり、世界の果てのようにも見える。
『そこはイオン噴射口の一部ですにゃ。そのすぐそばの外壁を焼き切ればコントロールルームに続く通路へ行けますにゃ』
なんだか宇宙服がチリチリ音を立てている。警告音も鳴りっぱなしだ。センサーに切り替えてみると、周辺の金属類は400度近くに熱されている。出力4%とはいえ、さっきまでエンジンが動いていたのだから当然か。
金属の融点とか沸点の常識は21世紀までの長きにわたる停滞のあと、人類が原子レベルでの物質干渉を可能にしてから飛躍的に跳ね上がった。タングステンの融点は3300度だが、この規模の核融合エンジンならば1万度の熱に耐えられたとしても不思議はない。構成する物質が熱的に堅固であるほどにエンジンの効率化がしやすくなる。
兵士たちの何人かがすでに壁に取りついて作業を始めている。レーザー発振器を壁から数十メートルの位置に固定し、その周辺にミラーのような鏡面光沢を放つ衝立を並べる。おそらく輻射熱を反射する防壁だろう。レーザーの焦点温度は最大で数千万度にまで高まるはずだ。プラズマ化された隔壁が周辺に散り、真空内でエネルギーを解放しながら落下していく。
「にゃー、めっちゃ綺麗にゃー、花火みたいにゃー」
「見てたらお腹すいてきたにゃー」
「なんでだにゃ、関係ないにゃ」
「にゃ」
誰かの呟きとともにフェイスガード内部に警告表示。そして右方から噴煙が射ち上がる。
それは瞬時に音速に達する携行ミサイル。遥か上空にて何かと衝突して大爆発を起こす。真空に近い環境下ではあるが、周辺の部材を通じて振動が伝わる。
『敵襲ですにゃ! 真上に敵影多数! エンジンノズル周辺を徘徊していたドラゴンが集まってきましたにゃ!』
メットが自動で策敵モードに切り替わり、上空から無数の輝点が迫るのが分かる。
「んなー! いい的なのなー! 熱誘導ミサイル準備なのなー!」
ドラムはまだ一人の武人という意識が強いのか、「総員」とか「各自」という言葉を省略しがちになる。しかし周囲の兵隊も阿吽の呼吸でミサイルを上空に構え、数十の白煙が無音の中で射ち上がる。
そして上空を爆炎が埋める。国一つを滅ぼせるほどの破壊の重奏。網膜を焼く光はフェイスガードにより防眩処理される。
しかし警告がひとつ消えていない、これは――直撃予測?
「んなー!」
ドラムが飛ぶ。数トンもの重量を背負ったままキャリアージェットの屋根に飛び乗り、全身を回転させながらさらに跳躍。皆の上を舞い、そして振り回される高密度物質のハンマーが数千トンクラスのクルーザー、いや羽をもがれたドラゴンと衝突。その体を大きく吹き飛ばす。ドラゴンは落下の軌道をそらされ虚空へと落下していく。
「なっ……ドラゴンの巨体を吹き飛ばす、とは」
『第二波来ますにゃ! 大型ドラゴン多数!』
「うにゃー! ドラム司令、貫通できましたにゃー!」
猫たちの一団はすでに衝立を撤去し、消火剤のようなものを噴射している。おそらくは泡状の断熱物質だろう。切断面は急速に冷えるとはいえしばらくは千度を下回ることはないはず、兵士が通れる程度の断熱空間を確保しているわけか。
「先に行くのなー! ここで敵を食い止めるのなー!」
ドラムと、それに従う親衛隊の猫たちが残り、上空に向けてミサイルランチャーを連射する。
「トム、死んだら承知しないのな。この作戦が終わったら勝負するのなー」
「うにゃ……」
そのとき。
鳩の群れのようなミサイル群をすり抜け、巨大な赤熱する球体がドラムに降り落ちる。輻射熱によりフェイスガードの内側に警告音が鳴り響く、それはいつぞやの油脂火炎弾とは次元が違う熱量。融溶している重金属の固まりだ。それがドラムのいた場所を直撃する。
「にゃっ! ドラム!」
「待てトム!」
すんでのところで引き留める、奇妙な粘性を保って通路の上に留まるそれは、まさに小型の太陽。防眩処理されていなければ一瞬で失明するほどの光を放っている。小山のような高熱の金属体の真上にドラゴンが翼を広げて降り、他の兵士たちが怯む一瞬。
「んなああああ!!」
金属塊から突き出すのは白い大槌、融解金属を広範囲に飛ばしながらドラゴンの首に突き刺さり、ものの見事に頸部を粉砕しながら吹き飛ばす。そして織り込んだ装甲板が溶けて地面に流れ、フェイスガードを半ば溶かしながら叫ぶ声。
「早く行くのなー!」
「くっ……無事でいてくれよ、ドラム!」
そして遮熱された穴に兵士たちが駆け込み、数メートルもの通路状の空間を出た直後。もといた闇色の空間は輝くような白光に覆われて見えなくなった――。
※
出た先はパイプと配線が這う作業用通路のような場所。
先ほどの高温環境とは違い、壁や天井に霜が張っている。網状の足場が渡されており、下方の床には白い冷気が漂う。
「ティル、どちらに行けばいい?」
『うにゃ、そこは超電導レールが隣接してる配管通路ですにゃ。まっすぐ進んで、突き当たりを右に折れてくださいにゃ、通路に出られるエアハッチがあるはずですにゃ。それと、周辺の配管は切断しないでくださいにゃ』
「なぜ?」
『どれかのパイプに液体ヘリウムが循環してますにゃ、切断したらマイナス269度の蒸気が吹き出してきますにゃ』
「猫たちはほんといろいろ無茶するよな……」
「にゃー! なんだか寒いにゃー」
「耳の先っぽが痛いにゃー!」
液化ヘリウムの噴射か、この宇宙服の防御力はそれなりにあるとはいえ、あまり経験したくない事象なことは違いない。
ファミーが猫たちに向けて指示を飛ばす。
「分かったにゃ、みんな銃器にセーフティをかけるにゃ。電磁ロッドとテザーガンのみ使用を許可するにゃ」
「はいだにゃー」
「にゃー、セーフティってこれかにゃ」
「そこ、いま発言した兵から銃を取り上げるにゃ」
高度な文明を持つ猫たちではあるが、いつまで経ってもどこか不安がぬぐえない。塀の上を歩く猫を眺めるような心境である。
そのとき、足元に感じる振動。同時に警告音が鳴る。
「にゅっ」
走り出す影はクーメル。前を進む猫たちをすり抜けて走り、突き当たりの角から出てくる白い物体に爪先を叩き込む。
靴の先で電撃が炸裂し、八本の腕を持つ銃装竜が全身をこわばらせて沈黙する。
「敵が迫ってますにゅう! クーメルが撹乱しますにゅう!」
言うが早いか、クーメルは肩にくくりつけてあった小型手榴弾を投擲、そして銀色の爆煙が起こる。
多数の微細金属片と煙幕を含んだ撹乱弾だ。クーメルが駆け出して煙の中に消え、そして銃撃の音が響く。
「クーメルを援護するにゃ!」
ファミーとそれに追随する一段が突き当たりまで行き、ランチャーからカプセル状の弾を打ち出す。それは粘着型テザー弾。導電体を含む粘着物質で相手に貼り付き、その上で生体かドラゴンかを認識した上で40万ボルト、6000アンペアの荷電により全ての機械類を破壊する。
クーメルのスタンガンシューズ、それに宇宙服には絶縁体が織り込まれているとはいえ、かなり危険な作戦には違いない。クーメルが通電しているドラゴンを避けながら動いていることを信じるしかない。
僕たちも通路の突き当たりに至る。銀の白煙の奥からスタンガンシューズの反応。どうやら無事のようだ。
「よし、みんな行くにゃー」
すでに僕たちは捕捉されている。慎重に動いていては敵を集めるだけだろう。無茶でも突貫するしかない。
通路を進むとエアハッチが開かれており、兵士たちがそこになだれ込む。
「うにゃ、広いとこに出たにゃ」
そこは地下鉄が走行できそうなほどの広大な通路だった。ほぼ直進に見える通路が左右に伸びており、
どうやら湾曲しているのか視界の果てでカーブして見えなくなっている。そして足元や壁にはやはり配管。それは古代遺跡に刻まれた神話のように、何らかの幾何学的意図を感じさせて壁面を埋め尽くす。
「ティル、コントロールルームはどっちだ」
『右手に向かって進んで下さいにゃ』
「配管に危険なものはあるのかな」
『有害物質に、高圧電線に、冷却材。宇宙服にとって致命的ではないですにゃ』
かといって警戒しないわけにも行くまい。
僕が通路の先を警戒しつつ歩を進めようとしたとき。
「にゅ……ごめんなさいにゅ、クーメルはここに残りますにゅ」
メットの中に声が響き、僕が振り向けば、そこにはスパゲティ・コードの上にうずくまる猫人が。
「クーメル!」
「ちょっと足をくじきましたにゅ……大丈夫ですにゅ。ここで敵を食い止めるぐらいはできますにゅ」
健気にも大口径無反動砲を構え、ガッツポーズの構えを作る。
「にゃ、じゃあトムも残るにゃ」
「トム……」
「クーメルとは長い付き合いだから一緒に戦うにゃ。どちらにせよ、このエアハッチの向こうからまだドラゴンが来るにゃ。ここで部隊を二分して食い止める必要があるにゃ」
「……」
トムが僕の手を取り、うやうやしく礼をしてみせる。それは僕を安心させようとしてのおどけた仕草だったはずだが、どこか童話のような、けして忘れ得ぬ一瞬。僕と猫たちの間にある特別な関係を象す場面のように思えた。
「トムたちはダイスに育てられて幸せでしたにゃ。だからこれからもずっと世話してもらうのにゃ。こんなとこで死んでられないにゃ」
「……そうだな。せっかく昔馴染みの猫たちにも会えたんだ。またみんなで集まって、一緒に暮らそう。必ず」
猫たちの別れに多くの言葉は費やせない。僕はファミーを振り向き、指示を出す。
「ここで部隊を二つに分けよう。ファミーと残りの兵士たちは僕と来てくれ」
「了解だにゃ」
そして残った武器と人員を手早く二分し、僕とファミーと、ほんの数人だけ残った兵士たちを引き連れて走る。
目指すは最後の場所。彼女の眠る御座――。




