第六十八話
「回転……?」
誰かがそうつぶやくのに呼応するように、会議室の天の一角から声が降りる。
『にゃー! ティル技長! 核融合エンジンが動いてますにゃー!』
「うにゃ!? 本当ですかにゃ」
『確かですにゃ―、励起用原子炉が稼働を初めて冷却水が循環を始めてますにゃー、出力4%ですにゃー』
「こちらにモニタリング回すですにゃ」
すると壁一面に模式図らしきものが出現する。先ほどと違ってデフォルメされていない。専門家でなければひと目ではわからない略図、エネルギー経路図、何かのレベルメーターなどがトランプをばら撒いたように並ぶ。
「うにゃー、えらいことですにゃ」
「ティル、みんなに分かるように説明してくれ」
僕の言葉に、ティルはせわしなく眼球を動かしながら言葉を紡ぐ。
「核融合反応を引き起こすために、プラズマをドーナツ型の電磁石で封じ込めるのですにゃ。そのための電力は周辺に配置された核分裂炉から供給され、今は最大稼働の4%ですにゃ。しかしすでに噴射ノズルからイオンが射出されて月の姿勢に影響を与えていますにゃ」
月を1Gで加速させる核融合エンジンだ。プラズマを封じ込める電磁石だけで一国に匹敵する電力消費量だろう。詳しい構造は分からないが、本体となる核融合炉の周囲に小さな発電機がある、と考えるべきか。
さらに模式図の中で、噴射ノズルを示す図の一部が赤く点灯する。
「この光は?」
「ノズル内の姿勢制御用フリッパーが稼働してるのですにゃ。最大で進行方向に対して1度の舵を切ることができますにゃ。このままだと月が回転を始めますにゃ」
「うにゃー、全然わかんないのにゃ」
回転に気づいたトムですらそんな有様である。ティルとしてはかなり噛み砕いて説明しているのは分かるが、ここらへんが一般人と科学者の壁だろう。
「つまり、ここまま放置していると何が起こる?」
「おそらく、噴射ノズルが進行方向に対して正面を向き、逆噴射状態になりますにゃ。いや、最悪なら月が回転速度を早めて遠心力で全ての施設が吹き飛びますにゃ!」
そして僕たちは外側に向けての遠心力で押しつぶされる、あるいは宇宙に向けて投擲される、というわけか。
そこにドラゴンたちのどのような意思があるのか、あるいは意思などないただの暴走なのかは分からない。
しかし、僕らの意図していた作戦に真っ向から反する事態なことだけは分かる。
「ティル、ということは噴射ノズルからの下降はできなくなったのか?」
「……」
ティルは少し考えに沈む。この僅かな思考こそがティルの科学猫たる所以だと思う。いかなる場合でも可能性を排除せず、計算で是非を求めようとする態度だ。
「すでに噴射ノズルからは光速のイオン風が吹き出してますにゃ。まともに降下すれば船外活動服ごと一瞬で蒸発ですにゃ。しかし、外部からの干渉によって一時的に原子炉をストップさせ、核融合炉を停止させることは可能ですにゃ」
ティルが腕を動かすと、模式図の線に沿って矢印のアイコンが這う。
「この地点、冷却水路に熱核弾頭を打ち込み、流路に乱れを生じさせますにゃ。原子炉は8つあるので通電経路を切り替え、安全確認後に再稼働は可能ですが、突入して底部まで行く時間は十分に稼げますにゃ」
「突入するのなー」
ドラムが立ち上がって言う。
「噴射ノズルから降下して、隔壁を焼き切って内部に侵入するのなー」
「だが危険なことも確かだ……ティル、シールドマシンで地殻を掘り進んで核融合炉まで行くとか、冷却水の流路から侵入するとかできないのか」
「うにゃー、実現可能な距離と角度から地殻を掘り進むと100時間以上かかりますにゃ。それに地殻貫通弾頭などをドラゴンたちが使ってこないとは限らないですにゃ。他のルートも似たようなものですにゃー」
「うにゅう……もう一度作戦を練り直しますにゅう、きっといい考えが浮かびますにゅう」
「……」
僕は瞬間、凝集された時間の中に彷徨う。決闘の最中のように熱を帯びて脳が動き、そして脳髄の中できしむ。
「いや、行こう」
その言葉が、意思に先んじて出るような感覚。
「なぜ核融合エンジンが動き出したのか、おそらく地上でドラゴンが落とされたことに反応したんだ。この動きはドラゴンたちの焦りの現れかも知れない。ドラゴンが噴射口からの侵入を読んで手を打った可能性もある。つまりこの作戦はやつらの急所かも知れないんだ。ティル、噴射ノズルの直上まで行ける輸送機はあるな」
「ご、ございますにゃ、しかし……」
「進行方向に対して1度の舵なら、月が回転を始めるまでそんなに時間はない。なるべく早く決行するべきだ。ティル、出撃の準備と同時に、ギリギリまで他に有効な手だてがないか考えてくれ」
「ダイスさま……」
「大丈夫、僕は死なない、必ず目的を果たす」
すべてが、この時のためにあったと思おう。
これまでの170年あまりの旅は、彼女に再会するためだったのだと。これまでの長い旅路に比べれば、何ほどの試練でもない。
今この時に、踏み出せなければ意味はない。
「ティル、作戦の概要を確認したい、おおよその時間も」
「はいですにゃ、噴射ノズル外殻の高さは地上217キロ。物資運搬用のキャリアージェットでそこまで移動し、降下。工作用の大出力レーザーで隔壁を焼ききって突入、通路をしばらく進むとして、150分あれば可能な作戦ですにゃ。機体や装備の準備には30分」
「よし、では30分後に作戦開始だ」
「にゃー、トムも行くのにゃー」
「もちろんドラムも行くのなー」
「ドラム司令、軍司令が自分で動いてどうするのにゃ、ここはあたしが指揮して精鋭を連れてくにゃ」
「うにゅ……」
クーメルのみ、少し縮こまるように見えた。
無理もあるまい、月までの行軍で疲弊しているだろうし、あまりにも急な作戦だ。僕は彼女の方へ声を向ける。
「クーメル。緑土からこちら、命の保証がない作戦はいつものことだったが、今回ばかりは本当に何の予測もつかない決死行だ。留守を守ることだって立派な役目なんだ。無理について来なくてもいいんだよ」
「うにゅ、そうじゃないんですにゅう。もちろん一緒に戦いたいけど……」
クーメルは恥じ入るように肩を狭め、俯きながら言葉をこぼす。
「高いところ怖いんですにゅう」
「えぇ……」
※
事態は迅速に進みつつあった。
僕たちは船外活動服を着こんで格納庫内に待機する。目の前では多くの猫たちがキャリアージェットとやらの準備をしていた。四本足の噴射ノズルを持つ箱形の汎用輸送機であり、輸送人員は24人、同様のジェットが三機用意されている。
兵員輸送用なのか物資輸送用なのか判然としない機体で、なんだか洗練されてない印象まである。進歩とはそういうものかも知れない。どんなものでも輸送できる推力を簡単に確保できるなら、用途に合わせて最適化する必要すらないのだ。
ドラムは結局ついてくることになった。説得の時間が足りなかったとも言う。
彼は重火器を背負うと同時に白一色のハンマーを装備する。それは超高密度物質のハンマーであり、強度計測は困難だがモース硬度では15に相当するとか。しかし背中から武器をやたらに生やし、そこからひときわ大きなハンマーが飛び出してる様は、いつか見たベンケーとかいう武人の絵を思い出す。
トムのチタン刀も科学猫たちにより研ぎ直しが加えられた。考えてみればこの剣も百年以上も朽ちていない。おそらく単一なチタンではなく、岩の王の手による合金なのだろう。
ファミーは完全武装した兵士たちを前に連携の確認をしている。月には戦闘に特化した猫はあまりおらず、一年にわたるドラゴンとの戦いのために何度か生まれ変わりを繰り返してもいた。連れていく兵士は30名、レベルは平均して70ほど、ファミーは100前後。この時代の猫たちとしては高いとは言えない。
かつて砂漠で最初に見いだされた猫。彼女と僕の繋がりは、結局は偶然のことでしかない。
しかしあのとき、ごく短い時間でも彼女を娘と思い、また父と呼ばれた記憶を忘れるはずもない。彼女が立派に成長したことを思うと胸が一杯になる。惜しむらくは、感傷に浸るには余りにも時間が無かったことか。
ちなみにドラムは370はある。彼はいつの頃からか自分でチャンネルを開くことができたらしく、食事以外でも何度かレベルアップを遂げたらしい。
「んなー、腕がなりまくるのなー」
「ドラム司令、あとバズーカとガトリングガンも持ってってくださいにゃー」
「にゃー、宇宙服に装甲板を織り込んでみましたにゃー」
科学猫たちは短い時間でいろいろ用意している。ドラムは次から次へとそれを装備する。そろそろ縦だか横だか分からなくなってきたけど大丈夫かな。
やがて僕たちは輸送機に乗り込み、それはジェットの噴気を放ちながら上昇していく。遠目に見れば光る四本の足を持つ獣に見えただろうか。
「うにゃ、ダイス、難しい顔してるにゃ」
「ああ……」
僕は漠然と猫たちのことを思う。
猫たちは基本的には好戦的だ。無限の魂のこともあるし、死地に向かうという緊張は感じられない。僕だって、今さら死を恐れているつもりはない。
だからきっと、緊張しているのは別のことだろう。彼女に会えば何が起こるのか、彼女とどのように向き合えばよいのか、それが分からない、そのことが。
「怖いのさ」
僕は素直に認める。
ここまでがむしゃらに走ってきて、そしてゴールテープはおそらく見える位置にある。その前でわずかに立ち止まるような感覚。そのゴールテープから先は無限数の領域、想像の及ぶ以上の無限の未来に分岐しているような感覚がある。
そのことが、怖い。
「にゃっ、未来は誰だって怖いにゃ」
トムは言って、自分で納得するように何度もうなずく。
「でも未来がないのはもっと怖いにゃ」
「……そうだね」
そう、生きとし生けるもの、畏れを抱かざるはなし。生まれ落ちて死ぬまでの恐れを、未知なるものへの畏怖を、種のやがて行きつく先への崇敬を。
人間は、宇宙の果てまでも行ってみせた。
では、それよりも進化の早い猫たちは、どこまで行けるのか。
地表の一角で光が上がる。熱核兵器が地表面で炸裂したのだろう。輸送機は噴射ノズルの壁面に沿って上昇を続ける。窓からは均一な闇にしか見えない壁である。後方にはわずかな星明かりがあるので、やはり正面には何かがあるのだと分かる。
やがてノズルの上端を越える。そして重力に引かれて、最低限の姿勢制御を加えるだけの自由落下状態となる。
数分にも及ぶ無重力の中で、僕の胸はなぜか高鳴っていた。
恐れよ、未来を。
そして夢見よ、猫たちの進化の行き着く果てを。




