第六十七話
ひとしきりの混乱も終わり。
僕たちは会議室のような場所に移動する。戦時下だというのにどの施設も広くて立派だ。ドラゴンの攻撃は主に地表の施設であり、地下には及んでいないらしい。
そこは真っ白な楕円形の部屋。壁は白一色でいくつかの椅子だけが並ぶ場所だ。長机が無いことに少し違和感を覚える。
スイカの花なども飾ってあるが、これはファミーの指示だろうかと何となく思う。黄色く可憐なスイカの花は平皿の花器に飾られていた。よく見ると表面がワックスのようなもので覆われている、プリザーブドフラワーのように薬剤で腐敗を防いでいるのか。
「では現状をご説明いたしますにゃ」
ティルが言い、両手の指で四角を作ると空間にディスプレイが浮かび上がる。
部屋の隅には飲み物だけ用意され、クーメルはホロ・スイカを幸せそうに食べている。なるほど、ここでは飲み物を除けばどこかに置いておくべきものは何もない。だから机すら排除してしまったわけか、先入観のない猫ならではの大胆さだ。
「うにゅー、いくら食べても満腹にならないって素敵ですにゅう」
「クーメル、ちゃんと聞いてないとダメだよ」
「ほっとくにゃ、そのうち飽きるにゃ」
ディスプレイには何種類かのドラゴンの画像が浮かび上がり、それと交戦する猫たちの姿も浮かぶ。
「月とはかつてドラゴンたちの造兵施設があった場所ですにゃ。ドラゴンは月より飛来し、猫たちを食らってまた月に昇っていましたにゃ。しかし森の王、雨の王の沈黙とともに月の造兵施設は沈黙しており、我々は施設から万能工作機を見つけ出して利用し、月を宇宙船に改造したのですにゃ」
「うう……いくら食べても満腹にならないって虚しいですにゅう」
「飽きるの早いにゃ!?」
トムとクーメルの漫才はさておき、ファミーがついと手を上げ、ティルの言葉を継ぐ。
「だけど一年半ほど前、造兵施設、つまり万能工作機とそれに繋がるプラントが暴走したのにゃ。戦乱期にあったような新種のドラゴンを次々と産み出して、月の地上施設を破壊しだしたのにゃ。居住区画。発電区画、工場区、スイカの木を育ててた農場まで、月にあった地上施設はほぼ全て壊滅したにゃ。ドラゴンは今も飽きもせず、無人の施設を爆撃し続けてるにゃ」
「万能工作機……見つけたときに破壊しなかったの?」
と問うてみる。ティルは苦い顔になって首のあたりを掻く。
「うにゃー、それを言われると耳が痛いですにゃ。あの機械が有用なことももちろんですが、まさか暴走するなどと思ってなかったのですにゃ。暴走の原因はまったくの不明。ともあれドラゴンの群れによって核融合エンジンの火が落とされ、それに繋がる施設が破壊されたのですにゃ」
「んなー! ドラゴンはもう倒せるのなー、すべて倒してエンジンの制御を取り返すのなー!」
ゴムバンドで拘束されたままのドラムが言い。トムが嘆息して言葉を漏らす。
「血の気が多いやつだにゃ、昔はもっと思慮深くて落ち着いた猫だったって日記に書いてあったのにゃ」
「んなー! ドラムは変わってないのなー! トムがドラムとの戦いから逃げるのがいけないのなー!」
ドラムといえば戦士タイプの筆頭だった猫だ。昔は落ち着いてたような気もするし、決闘や戦士の誇りを重んじる古風な性格だった気もする。基本的に猫はみな勇敢で好戦的だが、実はもっとも理解しにくい、つまり猫の本質に近く、人間の思考から遠いのがドラムなのかも知れない。
二人の間の因縁は僕には計り知れないけど、とりあえずそれは後にしてもらおう。
ファミーが手を上げて先を促す。彼女は仕切り役として要領よく会議を回していた。
「技長、どうなのにゃ? ドラゴンを殲滅できるのにゃ?」
「各個撃破は可能にゃ、でもやはり万能工作機を壊さねばなりませんにゃ。それは核融合エンジンの奥深く、採掘区画にありますにゃ。エンジンの建設も、岩盤の掘削もそこを中心に行っていましたにゃ。そして核融合エンジンと噴射ノズルはあまりにも強固で破壊は不可能ですにゃ。潜入するとすればこのルートにゃ」
空中に月の模式図が浮かぶ。そこに突き刺さったダーツのような噴射ノズルが拡大され、断面の空洞が奥に延びていることが示される。それは見た目の巨大さと同時に、地下に埋まっている部分もかなり深いと思えた。ティルが空中に指を走らせ、噴射ノズルから内部機構へと逆行する矢印が描かれる。
「噴射口から入って核融合炉内部を進み、燃料供給機構から採掘区画まで逆行するルート。途中の隔壁は非常に強固とは言え、噴射ノズルの外殻ほどではなく、大出力の工作用レーザーなら破壊可能ですにゃ。万能工作機まで何とか進めますにゃ」
月の模式図を見ているとよく分かる。これ以外では岩盤を何十キロも掘り進むコースしか無いのだ。この噴射ノズルは植物の根のように、地中深くの万能工作機を起点として建造されている。
そこまで聞いて、僕はゆっくりと手を上げる。
ここまでの説明で、ティルは明らかに語っていないことがある。あるいはそれこそが、猫たちにとっても最も重要なことかも知れないのに。
「ティル、夢の王と呼ばれた人物は、僕の妻はどこにいるんだ」
「……」
一瞬の沈黙があった。物憂げなような、痛ましいような感情のゆらめきがミリ単位で表情をこわばらせる。だが今さら沈黙しても詮無きこと。ティルは意を決したように語る。
「万能工作機の周辺。ドラゴンの巣の最奥ですにゃ」
月の断面図に輝点が生まれる。その一点が、突如として拡大されて視界いっぱいに広がるように思えた。
無数の竜を足下に従え、鋼の御座にて眠りにつく姫君、なぜかそのようなイメージが浮かぶ。
「ドラゴンの殲滅と工作機の破壊だけならば、噴射ノズルから純水爆を投下するなどして可能だったのですにゃ。しかしできなかった。万能工作機が惜しいということもありますが、最大の理由は彼女なのですにゃ。我らが王と頂く存在、その身柄がそこにある以上、爆撃はできませんにゃ」
「なぜドラゴンたちは彼女を抱えている? 偶然とは思えないが」
「人質のつもりかも知れませんにゃ」
ティルはそう言うが、それは違うだろう。
スイカの星とそこに浮かぶ月。それは最果ての四王たちが作り上げた楽園なのだ。全てが人間のためにあり、人間が神として世界の中心になるためのシステム。そのシステムの産物であるドラゴンが、人間に危害を加えるとは思えない。たとえ暴走しているとしても。
「……」
僕はしばらく思考に沈み、そして親指の爪を噛みながらファミーに問いかける。
「ファミー、あのモールス信号を打ったのはなぜ?」
「うにゃー、そのとき月も混乱してたにゃ。外部向けアンテナが壊される前に信号を送る余裕が少しだけあったけど、すでにカラバを遠く離れて援軍の望める状況じゃなかったにゃ。だから昔の記憶にあった信号を、藁にもすがる思いで打ったにゃ」
「それだけじゃないだろう? ファミー、君はこの事態を解決しうる手段が、あのモールスだと直感で思ったんだ。僕か、あるいは最果ての四王が受け取ることに意味があると。月に人間を呼び寄せることが打開に繋がると」
つまり。
「造兵機構の暴走の原因は、人間である僕の妻にあると」
「……」
ファミーは押し黙ってしまう。実際、ファミーがそこまではっきりとイメージできていたとも思えない。一種の直感なことは本当なのだろう。言語化に至らない連想、過程を説明できない思考の末、僕に助けを求めたということか。この自体を打開できるカギが僕にあると。
そしてそれは、僕も漠然と感じていることではある。
理屈ではないし、直感でもない。
いわば義務感のようなもの。僕は何がどうあっても月に来なければならなかったし、妻に会わねばならなかった。運命の引力とは血文字で書かれた呪文のごとく、時間も距離も隔てて僕を呼び寄せる魔法なのだ。
では僕は月で何をなすべきか、それは――。
「まず明確にしたいことがある」
意図的に重々しい声を出す。猫たちは耳を立てて、ぴしりと空気が引き締まるように思える。
「僕が妻を冷凍睡眠カプセルに入れたとき、彼女は遺伝子処理の不全による自壊遺伝子の暴走状態にあった。病気のようなものだが、僕の見立てではおおよそ数日の猶予しか残っていなかった。意識を保っていられる時間はおそらく24時間もない。もう寿命だったんだ」
それは厳然たる事実。症状は慣性航行の長い長い旅の間にも現れていた。医療マニュアルと首っ引きで何千回も検討したのだ。間違える余地はない。
「だから、というわけではないが、妻は一個の人間であり、君たちの神様じゃない。君たちがどんなに大切に思ってくれていても、また実際に君たちのメンタルに影響を与える存在だとしても、だからといって特別に尊ぶべきではない、君たちの生命の安全と天秤にはかけられない、つまり」
室内に浮かぶ月のビジョンを見上げる。彼女がそこにいるという感覚と同時に、彼女は物語や神話の上の存在であり、架空の存在であるかのような不思議な感覚があった。近づくほどに遠くなり想うごとに姿を変える。それが夢の王だというのか。
違う、彼女は人間だ。
その生命は特別ではない。誰もがそうであるように、いずれは死に、野辺に朽ちるべき一個の生命なのだ。
「……僕は彼女を破棄して、猫たちだけで月を脱出してもいいと思っている」
「うにゃっ!? ダイス、本気で言ってるのにゃ!」
「本気だともトム。それでティル、どうなんだ、カラバから連れて行った猫たちは800人あまりだと聞いている。無限の魂を司る機械を積むとしても、脱出艇を作れないほどの人数じゃないだろう?」
「うにゃっ……それは」
ティルはためらいつつも、身振りによってディスプレイの表示を切り替える。背後の壁に表示されるのは豪華客船のような大型の宇宙艇である。表示されるデータでは全長3.5キロメートル。その質量の半分以上は加速のためのエンジン機構である。
「月にはあらゆる施設が用意されておりますにゃ。例えばこちらはすべての猫を収容できる脱出艇。カラバまでの移動が可能なエンジンを搭載してますにゃ」
光速近くまで加速している天体から、逆方向に戻ることは容易なことではない。ここまで来る時間の倍近い時間をかけて加速せねばなるまい。
しかし、帰る手段はあるのか。
「万一のときにはその船で離脱するんだ。無限の魂があるとはいえ、無闇に死ぬことはない」
僕は彼女に会いに来たのではなく、猫たちを逃がしに来た、そう考えることもさほど不自然ではあるまい。神と崇める彼女から離れがたい猫たちも、僕という人間の命令ならば受け入れられるかも知れない。それは現実味のある提案だと思う。
だが、会えるならば。
無限にも思える時間の果て。もし妻に、シオウにもう一度会えるならば。
その予感は流星のごとく、繰り返し僕の胸に去来する。
それはやはり、今の僕の胸をも揺さぶるものがあった。
そのとき、ゆるやかな地揺れが響く。
四方八方から静かに押し寄せるような揺れ。
「……地震か? また地上をドラゴンが攻撃してるのかな」
「にゃ? あたしらが設置しているセンサーは警報を出してないにゃ。ドラゴンがこの施設の上に来たならとんでもない音の警報が――」
「うにゃっ……」
トムは茫洋とした顔で部屋を見ている。
その目に緊張が走っている。これはトムが時々見せるハンターの顔だ。どこを見るでもない、しかし何一つ取りこぼすまいとするように感覚を外側に開くような顔。
そしてその唇が、誰にともなく言葉を紡ぐ。
「これ……回転してないかにゃ?」




