第六十六話
取り囲んだ猫の一人が、銃をぐいと押し付ける。
周りは月面の岩肌。取り囲む宇宙服姿の兵士たちの後ろに灰色の建物が見える。気密式の住居か工場か、そんなところか。
宇宙服が彼らの使っている無線を察知し、自動で周波数を補正する。誰が発言しているのか分からないが、今は目の前にいる銃を構えた人物だろう。
「何者にゃー、抵抗するなら撃つにゃー」
「君たちは猫か?」
「だったら何だにゃ」
「僕たちは敵じゃない、カラバから来たんだよ。君たちの代表に会わせてくれ、ドラムかティルがリーダーなんだろう?」
「リーダーはあたしだにゃ」
人垣を割って、出てくるのは女性型の猫人である。他の猫より少し上背があり、スレンダーな体型で線が細い。しかしよく見れば肩や腹部にしっかりとした筋肉を感じる。球形のヘルメットの向こうから切れ長の目が覗いていた。
「とりあえず気密区画まで行くにゃ」
どれほど宇宙服に信頼がおけるとしても、真空の宇宙に長居したくないのは誰でも同じである。猫たちの背後で地面がせり上がり、地下への斜路が口を開ける。
「カラバからの援軍にしては少ないにゃ」
少し降り、ゲートを二つほど抜けたところでその女性はヘルメットを脱ぐ。腰までの黒髪が美しくなびいた。ここはもう与圧されているらしい。
「弦転跳躍システムを使ったんだ。詳細は省くけど、万能工作機で一括成形できるサイズの船しか跳躍できなかったんだ」
援軍、という言葉に少し不安を覚える。
「武器は持ってきてくれたにゃ?」
「90ミリ無反動砲、12ゲージショットガン、あとは個人兵装」
これは説明するだけ無駄なことは分かっていた。あのドラゴンとの戦いで見た地対空レーザー群、あの一基にも及ばない。
「おもちゃみたいな武器だにゃ。といっても月で戦術核だって作れるにゃ、あまり期待はしてないにゃ」
「月で何が起こっているんだ? あのドラゴンは」
「暴走してるのにゃ。月の造兵機構が敵に回ったのにゃ。ドラム軍司令は負傷して、猫たちは地下に潜ったのにゃ。ティル技長がひそかに建造した防衛システムで攻勢に出ようとしてるところにゃ。以前に森の王、雨の王との戦争でやった流れと同じことにゃ」
テキパキと淀みない説明、指揮官らしい落ち着きが感じられる。たどり着くのは指揮管制所のような場所で、背後の大型モニターに月の地図が浮かび、その左右にあるモニター群が次々と切り替わって月の各部を映す。管制官らしき猫たちがマイクで指示を伝えている。
「にゃー! A-6Eの電灯が切れてるにゃ、取り替えるのにゃー」
「うにゃー! 3-2Gのポスターが剥がれてるにゃー、新しいの貼るにゃー」
庶務課ではないだろう、たぶん。
指揮官の猫は大型のデスクに陣取り、僕たちを振り返って言う。
「ともかく敵じゃなさそうだし、歓迎するにゃ。あたしは作戦指揮官のラスタ・ファミー、あんたらは?」
「うにゃー、トムだにゃー」
「クーメルですにゅう」
「僕はダイス」
僕はおもむろに歩みより、指揮官の両肩に手を置く。
「それはともかくファミー、ハグしていいかい?」
「変態?」
※
「驚いたにゃ、半年前に打ったモールスがほんとに届いてたにゃんて」
「あれはシオウから教わったんだね?」
「そうだにゃ。霊薬を飲んで、おぼろげに思い出した信号にゃ。あれがカラバに届けば誰かが来てくれる気がしたのにゃ」
ファミーはそう言って、銃器を解体清掃しながら語る。タンクトップ姿なので若い女戦士という印象が強い。体つきも少しがっちりしており、腰までの髪は筒状にまとめて盆の窪に置かれる。あらゆる場面において猫たちの習熟度は人間の数倍は早いように思える。彼女もまた10年を戦い抜いたベトコンの有志か、あるいは共産圏のレジスタンスか、そんな熟練の気配を備えていた。
「とりあえず技長を呼びに行かせたにゃ、スイカでも食べるにゃ?」
「スイカあるの?」
まあ、猫たちが生きていくならあるに決まっているけれど。ティルが生命の方舟も持ち出していると聞いてるし。
しかしファミーはコンソールのボタンを押しただけだった。すると空中に半透明のスイカが出現し、ファミーの手にふわりと落ちる。ファミーがそれを手刀で斬る真似をすると、見事に三日月型のスイカになって華のように広がった。
「それは……?」
「ホロ・スイカにゃ。電気的刺激と空間振動でスイカの食感を再現できるにゃ。この月では栄養はナノ受容体から直接得られるから、ものを食べる必要はないにゃ」
「にゃー! うまいにゃー、スイカ食べてる感じと変わらんにゃー」
「うにゅー、透明なのに歯ごたえとかみずみずしさを感じますにゅー、不思議ですにゅー」
僕も食べてみる。確かに歯ごたえもあるし水気も感じる、甘さも冷たさも感じる、よく冷えたスイカだ。
僕はナノ受容体を持っていないはずだから、栄養は何かしら別に取らないといけないけど。
しかし何というか虚しさだけは否定できない。スイカも進化を極めると半透明になるのか。食べ物は進化を極めると食べる必要がなくなるのか。不射之射ならぬ不食之食。霞を食べて生きる仙人の話を思い出す。
「ファミー、古王国時代はどこにいたの?」
「あまり覚えてないけど、スイカ村で普通にスイカ作ってたと思うにゃ。大半の猫はそうだったにゃ」
ルートーンと一緒に王国中を回ってたら彼女とも出会えただろうか、そんなことを思う。あの時代、スイカ村の猫たちはみな一様であり、豊かで、忙しくて、充実していたように思える。
「今はこの月で作戦指揮官をやってるにゃ。この半年の間は戦いづめだったにゃ」
「一体どうして暴走なんて……」
「鋭意調査中ですにゃ。調査をしようにも造兵機構にはまったく近づけなくなり、我々は地下で力を蓄えたのですにゃ。ようやく地上を飛び回るドラゴンを撃退できるようになった頃ですにゃ」
声に振り向けば、指揮所の入り口に立つのは白衣の猫。女性らしく張り出した胸とくびれた腰つき、それでいて凛々しさを保つすらりとした立ち姿。丸メガネをきらりと光らせる科学猫である。
何世代経とうとその印象は忘れない。進化の最前線に立ち続けるようなそのたたずまい。
「ティル!」
「うにゃー、来てしまったのですにゃ、ダイス様」
僕はとりあえずつかつかと歩み寄って、その130センチほどの体を抱きしめる。左腕で腰をしっかりと抱いて頭をわしゃわしゃと撫でつける。
「にゃー!? なんですにゃー!?」
「いやまずこうしようと思って。過去にはいろいろあったけど、ともかく無事で良かった。よしよし怖かったろうな。よく頑張ったぞ」
さらに体を持ち上げつつ頬ずりを加える。元が猫のせいかあるいは肌の手入れができないほど忙しいのか、わずかに産毛を感じる。しかし女性らしく柔らかな肌である。ティルは両腕を突っ張って逃れようともがく。
「やめて下さいにゃー! 今は副司令相当の技長なのですにゃー!」
「恥ずかしがるな、総排泄孔まで見せあった仲じゃないか。君たちの食事も服も僕が作ってた頃もあったんだぞ。よしよし可愛いなティルは、おまえは本当に美人に育つな何時の時代でも」
「排泄孔なんか見せあった覚えありませんにゃ! というか実は70年前のこと恨んでますにゃー!?」
まあ多少ないとは言わない。
ともかくティルとの過去のことを精算しておきたかった。猫かわいがりが丁度いいだろう、という作戦である。
ようやくティルを開放すると、彼女は部屋の隅に飛び込んでコンソールの影に隠れる。
「うう、油断ならん人ですにゃ。これだから人間というのは」
がるるる、と牙をむき出して威嚇するティルから目をそらす。周囲の兵隊たちは目を丸くして驚嘆していた。
「うにゃー!? あの鬼のティル技長をなでなでしてたにゃー!」
「何者にゃー!? ただもんじゃないにゃー!」
「お前たち! いま見たこと忘れるですにゃー!!」
「にゃー、ティル、ご先祖様から話は聞いてるにゃー。聞いてた通り美人だにゃー」
「む、トムですにゃ。まだそのチタン刀を使ってるのですにゃ」
そのとき、廊下の奥からがたん、どかんという引っ越しのような音が響く。
「! そ、そうだった! トム! すぐに逃げるんですにゃ!」
「うにゃ?」
「にゃー、お待ち下さいにゃー」
「うにゃー、まだキズが塞がってませんにゃー」
そんな声を引き連れて現れるのは巨大な猫人。
身長はクーメルよりもさらに高く150ほど。まるで石臼のように重心が低く、手も足も風船のように膨れ上がっており、巻かれた包帯がぎちぎちに張り詰めている。体積で言えば他の猫の二倍はある巨漢だ。
「うなー! トム! 勝負するのなー!!」
スチール製の点滴台を振り上げ、力まかせに振り下ろす。
「ほにゃっ!?」
トムがすんでのところで飛びのき、点滴台が一撃でへし折れて回転しながら飛ぶ。その踏み足の一歩ごとに何かが砕け、腕を払うごとに重いものが押しのけられる。
「にゃー! 聞いてるのにゃ、さてはドラムにゃー!」
「うなー! 逃げるんじゃないのなー!」
ドラムは興奮しきっている。その全身と言わず頭と言わず包帯でぐるぐる巻きにされ、右腕は三角巾で吊られているのに、目だけがぎらぎらと血走っている。大股でコンソールをまたぎ超えてトムを追う。重力が小さいためにドラムの巨体でもやたら軽快な動きだ。広く作ってある司令室を二人が飛び回る。
「勘弁してくれにゃ。トムはドラムの知ってるトムとは別人なのにゃ」
「関係ないのなー! ここで会ったが百年目なのなー!」
「おいティル! ドラムはどうしたんだ!」
「あ、暴れるなんて想定してなかったですにゃ。トムが来たと告げたら急にベッドから飛び起きて」
「とにかく止めてくれ!」
「そ、そう言われてもドラムが暴れたら誰にも止められませんにゃ。兵士の武器だと威力がありすぎて……」
「止まるですにゅっ」
そのドラムの前に立ちはだかる影がある。
大腿部がぎちぎちと鳴っている。宇宙服が張り裂けそうなほどの血流を集めたパンプアップ。腰を落として床に両手を付け、今にも空に跳ね上がるバネのような構え。クーメルだ。
「どくのなー!」
ドラムがグローブのように大きな手を広げ、目の前の猫人を打ち据えようとする刹那。
クーメルの姿が煙のように消え、周囲の壁にダンと踏み足の音が散って。
「とうっ」
そして背後から、見事にドラムの腰を爪先で射抜く。狙いあやまたず第一腰椎に突き刺さってスタンガンシューズを解放。ドラムの全身を4万ボルトの電圧が突っ走り、目と口を開ききって声も出せずに悶絶。そしてばったりと前に倒れる。ぶすぶすと白煙を上げるのは汗の蒸発だろう、たぶん。
「退治しましたにゅー」
「よ、よし、とりあえず拘束するですにゃ、ゴムバンドで三重に縛るですにゃ」
まあ色々あったが、とりあえず僕たちはまた出会えたようだ。
トム、ティル、ドラム。この星の歴史とともに歩んできた三人の猫は、また一つ所に集まった。今はただ、その事に称賛を贈りたい気分だった。




