第四十八話
「まあそれはともかく、今日はまだメシを確保してないにゃ、明日のぶんの仕込みをしなきゃいかんにゃー」
トムが立ち上がり、クーメルもコンテナの奥から背負いカゴをいくつか持ってくる。
「ああ、僕も手伝うよ」
ともかくも食事を確保しなければ何もできない、食事は人生の重大な場面にすら優先する、それがこの緑土の鉄則だと、空気から伝わってきた。
まず僕たちは川へ行く。川と言っても地上に露出した蛇の怪物のようなコンクリートパイプから、だくだくと流水が出ている場所だ。そこから紙のように薄い緑色のものが流れ出ており、トムはそれをトングで回収していく。
「これはスイカの皮?」
「そうだにゃー、一番外側の外皮、緑土だにゃー」
トムたちが言うには、この地表部分、地名としての緑土はそもそも猫たちが住むことを想定してないという。
確かに戦乱期のドラゴンが徘徊する土地で、埋設コンテナで息を潜めて生きるのは難儀なことだった。
ここに住むのは何らかの理由で都市を放逐された者、世間から隠れて生きる世捨て人、そしてトムたちのようなハンターだけだ。彼らは戦乱期の基地や、ドラゴンの遺骸などを集めてひとつ上の階層、翡翠に売る。戦乱期から40年あまり、それでもまだ遺跡が見つかっているのは戦争の規模の大きさを物語っている。
そして緑土の猫たちは、地下都市の猫たちが捨てたものを食料とする。
「んにゃっ、集めたら処理するにゃ」
僕たちは背負いカゴいっぱいのスイカの外皮を集めて、それをまず石窯に入れる。最初に内部で燃料を燃やし、炎を止めると同時にスイカの皮を突っ込むという余熱窯である。
およそ30分、じっくり熱されたスイカの皮を熱いうちに木鉢に盛り、すりこぎでゴリゴリとすり潰し、たっぷりの灰と混ぜて二時間ほど煮る。
ブクブクと緑色のアクが出てくるのでそれを何度も取り除きながら煮詰めていき、やがて水分が尽きてから冷ますと薄緑色の粘土状になる。
それをさらに塩水に入れて二昼夜置く、ここで前日から同様に仕込んでいたものを取り出す。
粘土状のものは塩水でアクが抜けており、水を捨ててから小さくちぎって天火で堅焼きにする。こうして通算なら三日の時間をかけ、出来上がるのはスイカの外皮で作られたクッキーだ。味の方はというと。
「うう……くそまずいにゃ……」
「あれだけ手間かけてこれなんだね……」
もさもさした粗雑な舌触りに、べっとりとして後味がきつい苦味。匂いが無視できない自己主張を放って鼻の中で踊る。ダンボールやセメントを食べるよりはマシだろう、という程度である。
本来は廃棄されるべき最後の最後に残った外皮。渋くて苦くてとても食べられたものではないが、それをどうにか我慢できる味にまで加工しているわけだ。
調理に使われる水もすべて緑土を入れて煮込んだ水である。とどのつまり苦さの原因はそれなのだが、この地表ではどうしてもこの苦味から逃げることができない。
クーメルはというと、パイプから流れてくる川に沿って歩きまわり、そこでスイカの種を探していた。見つかるのは一日に20粒ほど。しかも未成熟な黄色い種や、割れた種も多いが、ク―メルは目を皿にしてそれを集める。
これもまた汚染されているので、一度煮込んでからさらにフライパンで炒めて食する。緑土のクッキーに比べれば遥かにマシな食料だが、いかんせん見つかる数が少ない。さらに今日からは僕という食い扶持が加わるわけだ、食料集めだけで一日の大半が浪費されてしまうだろう。
「じゃあ、トムとクーメルは……」
クッキーをなんとか嚥下して、僕は二人に問いかける。
「僕を探すために、この緑土に住んでたの? こんな環境で……」
「んにゃー、それだけじゃないにゃ」
トムは立ち上がって言う。小人の実年齢はよく分からないが、二人のあまり進行してない進化がこの場所の厳しさを物語っている。
「都市はいろいろ決まりごとが多くてめんどくさいにゃ。それに外側の階層の猫に対してみんな横柄になってるにゃ、住みたくないのにゃ」
この星の生態系の根幹とも言えるスイカ生産システム。それは星の中枢にあり、スイカは主に地下の最下層、芯果にて生まれる。
それらは下の階層にも公平に分配される……というのが建前だが、どうしても地下深く、つまり星の中枢に近づくにつれて果肉部分が寡占状態となり、外側には有用な部分が回ってこなくなる。そもそもの話、猫の数に対してスイカが足りていないのだという。
「そうなんですにゅう、昔はそうでもなかったのに、だんだん、下層の猫たちがおかしくなってきて……」
それは知識として知っている。かのスタンフォードにて行われた忌まわしき実験だ。
人間のグループを二つに分け、一つを囚人役、一つを看守役とする。すると実験であるにも関わらず、次第に看守役は役柄を越えて横柄になり、囚人役は権力に服従するか、あるいは精神の錯乱を見せたという。
役割こそが人格を作る。少ないスイカがまず中央にのみ発生し、それを下層に分配していくという構図、これが施すものと与えられる者という立場の差を産み出し、やがてそれが人格として定着してしまう。星のシステムの歪みが、猫たちの歪みになっているのだ。
「にゃー、あんな都市なんか住みたくないのにゃ、せいせいするにゃー」
「そうですにゅう、音楽ばかりガンガン鳴ってて、明かりもチカチカしてて疲れるにゅうー」
「……」
二人はそのように言っているが、それだけだろうか。
かつて母として僕を育ててくれたクーメルの子孫。かつて共に戦ったトムの子孫。その二人とここで再会したことが偶然なはずはない。
そう、役割こそが人格を作る。トムたちが僕を探すという役割を負っていたからこそ、一度は地下に潜りながら、そこを捨てて地上に出る生き方を選んだのではないか、そのようにも思える。
それは、目で見えるほどに太い運命の糸。
トムたちがここで僕を探していたことは、つまりはホームジー先生が、反戦団体の仲間たちがどれほど僕を探していたかを想わせる。何世代にも渡って生き方を変えるほどの責務。
かつて反戦団体として、あるいは多生の縁として僕と行動を共にした猫たち、彼らは戦乱の時代をどのように生きたのか、そしてどのように……。
そこで僕は気付く。目の端に紛れ込んだトゲのように、そのことに気づいてしまう。
「……シオンは、どうなったの?」
「うにゃっ……」
さすがに60年も前のこと、トムもそのことを忘れていたのだろう。低い机をがたんと揺らして固まる。
「き、聞いてるにゃ、岩の王との戦争に反対していた団体、その主事だった猫のことにゃ?」
「……うん」
「ダイス……落ち着いて聞いてほしいにゅう」
クーメルはそのような癖があるのか、僕の手をはっしと握って言う。
「シオンという猫は野良猫だったにゅう。無限の魂は持っていない……彼女は森の王、雨の王との戦争が始まってすぐに、みんなを地下に逃がそうとしてるところをドラゴンに襲われたですにゅう……」
「そうか……」
すべてが、時の激流の中で失われていく。
共に生きた猫たちも、かの栄華の時代も、友情も親愛も、時がすべてを押し流してしまう。人間よりも遥かに世代交代の早い猫たちの世界で、数十年をまたぐということの恐ろしさで凍えそうになる。
半身が欠けるような喪失感。
二度と戻らざるものへの哀惜。
もはや、この星のシステムすら完全ではない。月は星の彼方に去り、大地は汚染され、猫たちはわずかなスイカを奪い合っている。
その上っ面を見ただけでも分かる。猫たちの社会にすら歪みが生じているのだ。
では、その中で僕は何をすればいいのか。この星の神ですらない、ただの矮小な人間である僕に――。
※
「トム、ただいま」
僕は背嚢を下ろし、中身を平たい岩の上にあける。ここはキャンプの入り口。すでに遠くから僕を見つけた小人が集まっていた。皆ハンターだったり、何らかの事情で都市を出た者だ。有り体に言えば犯罪者も多いが、彼らは都市の法から逃れたことと引き換えに、より厳格なる緑土の法に服することとなる。
ちなみに言えば、スイカは地下にしか現れなくなったが、無限の魂を持つ猫たちは死ねばその階層で復活する。猫の再生システムが健在であることを喜ぶべきか、一度上層に出てしまえば、死んでも下層には戻れないのだと嘆くべきだろうか。
トムが走ってきて、万歳のように伸びをする。
「おかえりにゃー、収穫あったにゃ?」
「ああ、250キロ先に観測基地があったよ。ドラゴンに破壊されてたけど、保存食とかは残ってた。まだ物資がありそうだ」
松葉杖を突いた猫がにゃあと鳴く。
「うにゃー、さっそく皆で行くにゃー」
「無理しないで、動ける猫だけで行くから」
また別の、眼帯をかけた猫も手を上げる。
「にゃっ、自分が行くにゃ」
僕が帰ったことがキャンプに伝わったのか、あちこちに埋まったコンテナから猫たちが這い出してくる。
「にゃー、ダイスが帰ったにゃー」
「相変わらずでかいにゃー、5メートルぐらいあるにゃー」
「ないよ、170ぐらいだよ」
猫たちは身長が130ほどで頭打ちになるので、人間である僕はどうしても目立ってしまう。いちおう、キャンプの猫たちには僕が猫ではなく、人間という種族なのだと説明したのだが、ピンと来てない猫が多かった。
だがとにかく、キャンプの仲間としては受け入れてもらえている。
僕は緑土にてハンターとなり、武器の扱い方や、様々なドラゴンに対処する方法を学んだ。
キャンプも少しずつ人数が増え、今は20人ほど。食糧事情は相変わらず最悪だが、どうにか餓死者は出していない。少しずつだが各個のレベルも上がっていた。
住めば都とは言うけれど、どんな環境にも人は順応できるものだと思う。
緑土のクッキーと、緑土で浄化した水の苦さだけは一生慣れそうにないけど。
僕が睡眠カプセルより目覚めて、はや六年。
僕は16歳になっていた。




