第三十一話
「ティル……ティルというと、建国の三英雄の一人?」
「んにゃー、そうだにゃー。マグヌスは英雄の生まれ変わりなのにゃー」
トム、ティル、ドラムという三匹の猫が、百年前にこのカラバ王国を作ったと言われている。ドラムは王となり、ティルは大臣となった。そして旅人だったトムはまた世界のどこかへ旅立った……というお話だ。
もっとも、その三匹の名前を持つ猫はとても多い。英雄にあやかっているということもあるし、猫人が生殖によって生んだ猫は無限の魂はないが、親の能力は受け継ぐので、親の名前を名乗ることもあるのだ。かくいう僕のダイスという名も、建国の頃にいた猫の一人だという。どのような猫だったかは伝わっていないが。
「よいですかにゃ、みなさん」
猫たちのイベントに余計な前振りは無い。まず演説を始めるのは水鏡の代表。よく伸びる声で広場の隅々にまで呼びかける。
「猫とは、水なのですにゃ」
いきなりすごいこと言い出した。
「万物の根源は水なのですにゃ。水はどのような形にもなり、あらゆるものを溶かして取り込むことができますにゃ。植物は水がなければ育たず、獣も水を求めるのですにゃ。水こそがすべての大本であり、敬うべき大いなる存在なのですにゃ」
おおー、という声が上がる。
本で知っていたが、水鏡は「万物の根源とはなにか」を考えたことが画期的なのだという。この世はある一つの要素が枝分かれしたものであり、遡っていけば、たった一つの根源に行き着くはずだ、と。
「黒猫を思い出すのですにゃ! あれは頭が通る場所ならどのような隙間でもくぐり抜け、高いとこから飛び降りても音も立てず、どんな形状の容器にもすっぽりと収まり、全身どこを触っても柔らかいのですにゃ。すなわち猫は液体! 我々は水から生まれた水の申し子なのですにゃー!」
観客の間に歓声が上がる。何となく説得力のある話に盛り上がってしまうのは猫たちの習性だろうか。
「かくいうスイカはどうかにゃ。あれは四角い容器には収まらず、頭に当たればめちゃくちゃ痛いですにゃ。どう見ても水ではない。岩に近いものですにゃ。猫たちの本質とは違うのですにゃー」
水鏡の代表はうやうやしく礼をして、ぱちぱちと拍手が広がる。
「にゃっはっは。では次は私の番ですかにゃ」
と、次に声を発するのはマグヌス・ティルである。やはり腹に力を入れたよく響く声、これは宗教家に必須の技能と言えるだろう。緑の衣が日差しに映え、ロングストールの漆黒がアクセントの妙を生み出す。
「まず一つ否定させていただきますにゃ。スイカが四角い容器に収まらない、という話がありましたがそれは違うにゃ。あれを見るですにゃ」
びしり、と鋭い動きで指差すのは広場の片隅。討論会を聞きに来ていた農夫の横、スイカを積んだ荷車である。
「あのように、スイカは四角い器にもぎっしりと詰め込むことができますにゃ。隙間には小玉スイカを詰め込めばさらに隙間は小さくなる。樹木スイカなどは指先ほどに小さく、どんな隙間にも収まりますにゃ。また、砂時計を思い出してほしいですにゃ。あれは硬い砂粒でありながら、水のように狭い隙間を流れる。すなわち硬いものであっても液体のように振る舞うことができる。スイカもまた液体。いや、スイカこそが液体も固体も内包した完全なる存在なのですにゃ」
再び猫たちのどよめき。
「一理あるにゃー」
「うにゃー、難しくてよくわかんないにゃー」
「聞いてたらいいのにゃー。聞いてたらそのうち賢くなれるにゃー」
演説は続く。
「我々はスイカがなければ一日も生きられませんにゃ。水だけ飲んでいても腹は減ってしまうですにゃ。水とはスイカのほんの一部に過ぎないのですにゃ。すべての生き物はスイカを食べ、スイカによって育つのですにゃ」
「その通りにゃー」
「巨視的な視点が新しい観点をもたらすにゃ―」
「賢くなるの早いにゃ」
マグヌスは群衆に向けて手を振り、ざわめきを抑える。
「かくいう岩の王。あれはスイカを食べない! 生き物の道理から外れた存在なのですにゃ。我らはスイカの申し子として、岩の王を討たねばならぬのですにゃー!」
それこそが岩の王との戦争の理由らしい。猫たちをスイカに属する存在と考え、生き物をスイカを食べるものと食べないものに分ける。スイカを食べないものは敵であり、交わることのない排除すべき存在であると……。
実際はもう少し複雑らしいが、ともかく広場の流れは見えつつあった。
万物の根源が何か、などという問題に正解があるとは思えない。ただ議論としてはマグヌス氏のほうが上手だ。とっさに近くにあるものに喩えて、猫たちにも分かりやすくしている。
「ふん、ティル様があんなこと言うはずないぞにゃ」
不意に耳に届くつぶやき。
振り返れば、そこにホームジー先生が来ていた。杖を突いて体を支え、厚ぼったい皮膚の隙間から壇上を見ている。
「先生、ティル様のことご存知なんですか?」
「会ったことはないぞにゃ。ティル様は百年も前の建国の英雄ぞにゃ。わしはせいぜい50歳ぞにゃ」
だが、と濁った声で区切って続ける。
「ティル様こそ知的タイプの祖であり、科学猫と学者猫の両方の素質を持つ猫だったと伝わっているぞにゃ。演説で猫たちを扇動するなど似合わんぞにゃ」
「でも、ティル様の生まれ変わりだって」
「名前なんかいくらでも名乗れるぞにゃ」
「……」
広場ではまだ議論が続いていたが、あちこちの道から続々と猫が詰めかけ、危険なほどの人混みになりつつあった。誘ってくれた猫も人垣に潜り込んでしまったことだし、僕はホームジー先生を連れて退散することにした。
「みなさん! スイカを食べぬものは敵ですにゃ! けして相容れることはないのですにゃ!」
そのマグヌスの言葉が、胃の腑に重く落ちるような気がした。
※
それから一月ほど、特に何事もなく日々は過ぎていく
「えー、小人たちは12個のスイカを食べた個体が二人いると潜砂による繁殖行動を行うですにゃ。猫人になるとこのような衝動は出にくくなり、生殖器による繁殖が主になりますにゃ。これは目や耳が2つあるように、どちらか一つの機能を失っても繁殖ができるように、体に備わった自然な――」
ある日は写本の山を抱えて大通りを歩き。
「カラバ山脈とは人工の山ですにゃ。常に吹き続けている西からの風が、山脈を駆け上がる時に水気を吐き出し、川の流れとなってカラバマルクに届くのですにゃ。このような山は大陸各地にあり、現在もなお都市計画に基づいて――」
ある夜は友達と一緒に新しい料理を試し。
「かつて獣たちはとても凶暴な生物であり、猫たちを食い荒らしたと言われてますにゃ。現在では家畜化が進み、おとなしく従順になっていますにゃ。生殖によって生まれた子供は従順な気質を受け継ぐけれど、元々いた無限の魂を持つ個体はそうではなく、古代の凶悪さを残していますにゃ。そのため、野生の獣はカラバ王国北東にある国有農場に集められていますにゃ。ここには屈強な猫人の戦士が何十人もおり……」
ある朝には壁新聞を読んで、どこかの公開討論の結果を見る。
「えー、今日はスイカの種を焙煎したお茶と、果肉を押し固めたお菓子を作りますにゃ、このお茶は種コーヒーとも呼ばれて、最近よく飲まれてるにゃ」
そうして日々は過ぎ。
街路には雨が降っていた。
写本を濡らさぬように油紙に包み、書店に届けた帰り道のことである。
「あの噂、聞いたかにゃ」
「うにゃー、また襲われたらしいにゃー。「鉄錆の館」の代表にゃー」
きのこの傘のような雨よけの帽子をかぶった小人たちが、あちこちでうわさ話をしている。
選挙戦が進むに連れ、街には不穏な噂が流れるようになった。
それぞれの団体への襲撃事件である。
具体的なことはよく分からないが、一人か、あるいは少数で移動している時に襲われているらしい。まだ大怪我をした猫などはいないらしいが、この噂のためにどの団体でも護衛をつけるようになり、街の衛兵もピリピリしていると聞いた。
しかし、そのように武力で代表を排除して何か変わるのだろうか。選挙戦で勝てなければ意味がないし、最大勢力の真円などはすでに何十人もの戦士タイプで身辺を固めていると聞く。仮に代表を排除できても、これは個人の選挙ではなく団体の選挙だ。代表の意思を継いだ人間が演台に立つだけではないだろうか?
「んにゃー、それよりメシ食いに行くにゃー」
「それもそうだにゃ、種コーヒー飲むにゃー」
「……」
街の小人たちはのんびりしている。もともと陰謀とか暗闘などは似合わないのだ。
そういえば僕も猫らしくなかった、と思い至る。こんなふうに毎日あくせく働いて、勉学に励む猫などあまりいない。生活費もそれなりに溜まったことだし、今日は観光でもしようかと思い直す。そう、猫ならば緊迫した時こそ遊ぶのだ。
僕は表通りから路地へと入り、まっすぐ街の中心へと向かう。
目指すは世界に名高き螺旋の城。うずくまる猫の城。王城ヨルムンガンドだ。




