第3話 『日常』と書いて『ドタバタ』と読みます。
1.
木曜日の朝、階段式の教室に入った俺は、知り合いと軽く挨拶を交わしながら空いている席に座ろうとした。その時名前を呼ばれて振り向くと、サークル仲間の石松が手を振っている。応えて横に座った途端、奴の勢いが増した。
「高城、お前昨日の『水曜スペリオール』視たか?」
「え? なんだっけ? もしかしてカワグシ・チヒロ探検隊シリーズか?」
違う違うと首を振る石松の話を聞くと、どうやら『調停者』ネタらしい。それも『クマザワの地図』に新解釈!ってやつ。
『クマザワの地図』というのは、調停者の一人でクマザワと名乗ったアジア人風女性の遺品と伝えられている代物。その地図はこの地球上にある陸地を余すところなく記してあって一見何の変哲もないのだが、問題はその記載内容にある。日本は『日本』と漢字こそ同じだが、併記されたアルファベットによると Nippon 。ベスプッチがあるべき場所にはアメリゴ合衆国、ソレンポーはロスクヴァ連邦共和国と記載してある。ぶっちゃけほとんどの国名が合っていないのだ。
でもそれ、半年くらい前にもやってなかったか? 俺の記憶をたどりながらの質問にもめげない石松。
「今度は違うんだよ! 主要10カ国の頭文字を組み合わせるとな、『バビロニアエフウジタ』、つまり調停者の母船が最初に現れたバビロニア山へ調査隊を派遣すれば、調停者の真実が封じられた遺物が見つかるって言ってたんだよ!」
……石松って、頭も切れるいい奴なのに、なんでこんな世迷言信じちゃうのかね? まあ、かのドナン・コイルもソノ筋じゃ超ビリーバーとして有名だっていうし、頭脳とは無関係なんだろうけど。
気乗りしない俺の態度が剛腹なのか、必死に自説を交えて語る石松を適当に流していると、
「おはよ、高城君」
猿渡さんが来て、横に座ってくれた。今日はいい日だ。
石松が独り語りを突然止めたので見ると、めっさ猿渡さんをにらんでる。独演会を邪魔されたのがそんなに腹立たしいのか。ちっさいやつめ。猿渡さんは知らん顔で俺に聞いてきた。
「ねえねえ、高城君。昨日の『水曜スペリオール』視た?」
なにこの既視感。いや、石松の男臭さと猿渡さんのフレグランスの香りくらいは違うんだけどさ。この後俺はバビロニア山がいかに魅惑溢れる山なのかを、猿渡さんからもう一度レクチャーされることになった。
幸か不幸か御高説(猿渡ver.)を全部聞かされたところで講師登場。俺は意識を切り替えると、教科書とレポート用紙を開いた。
夜8時。バイトを終えて帰ると、うちの3体はすっかりコタツムリ状態。
「じゅんぺー、みかんほじゅーして」とだらけきったリオに言われてはいはいとキッチンへ向かう。
「お兄ちゃん、ここ教えて」とスミ。みかんを入れた籠を置く間もあればこそ、彼女の宿題を見てやる。むう、意外と難しいな。アマネに助けを乞い、なんとか終わらせた。
アマネに礼を言ったんだが、無反応。窓、というかカーテンを見据えてぼーっとしてる。おぅい!
「えっ?! あ、ああ、風呂ならもう入ったぞ」
違うとツッコむと、ぷいと横を向いてしまった。なんだろう。
1、2、3。よし、いるな。今日は大丈夫。俺は風呂に入る。いつもやれよって? そのうち忘れちゃうんだよ。
温かいお湯につかって息を吐く。残念ながらうちのユニットバスは古く、断熱効果があまりない。俺が天井に向かって吐いた息は見事な白さ。その白さが消えていくのを眺めながら、今日の疲れをいやすべく回想ターイム。お題は『今日の猿渡さん』。
隣に座った猿渡さん、良い香りがしたな。服といい好みの音楽といい、センスがいいと思う。というか、俺とバッチリなんだよな。話もよく合うし。今日の調停者ネタはちょっとついていけなかったけど。俺も見ときゃよかったな、水スペ。
この間横に座ったときは……ああ、ドラゴンの話したな。楽しそうに話してるのを聞くと、俺も楽しくなる。石松もちょうど猿渡さんの隣にいて、ドラ幼のあの先生がいいとかトレーニングセンターのあの教官はどうとかいちいち口を挟むもんだから、最後ちょっと険悪になってたけど。
風呂から出ると、テレビが点いていて騒がしい。ひょいとのぞくと、サッカーを見ているみたいだ。珍しいな。
「ああ、あたしら今、学校のチームでフットサルの大会の予選に出てるから」
ヒトの試合だけど、動きとか憶えるために見といてくれと監督に言われたらしい。フットサルの大会ってなんだっけ? ああ、この間広報に載ってた、区と新聞社が主催の大会ってやつか。区長が元フットボーラーなこともあって熱心で、さすがに区内のチーム限定のエントリーだが大層な大会になってるんだよな。
試合を見ながら、夜食を食べさせる。といっても今日は買ってきたグリーンサラダのみだけど。
「うちらぁバッタじゃないって言っとるんに」とアマネは不満げ。
「ほう、じゃあみかんを食うのはドラゴンらしくないから禁止な」
「いやぁ!」リオが絶叫。うるさい。
「みかんのないコタツなんて、ハンバーグのないハンバーグ弁当と同じじゃない!」いやそれ、もうハンバーグ弁当じゃないだろとチョップ。はっしと受け止め、すかさず空いた手でカウンターを繰り出すリオ! って、食らうのは俺――
「ぐほっ!」
猿渡さん、メグとこの暴力娘、トレードしてください。
「きゃあお兄ちゃん!」
「リオやりすぎ」
「ごめんつい反射で」
とテヘペロする赤いドラゴン。冷静に(でもあくまでこたつから出ず)救急箱を尻尾の先で引き寄せるアマネ。自分が殴られたかのように涙目なスミ。今日も今日とて暮れゆく養育生活であることよ。
おかしいな。こんなに生傷の絶えない生活を望んだはずはないのに。
2.
翌朝。石狩汁(夕方タイムセールで勝ち取ったサーモン切り身増し増し)を寸胴一杯に作ったはずなのに、ああ、はずなのに。
「お前ら、汁をわんこそばみたいに流し込むのはやめろ! アマネ、ご飯も飲み物じゃねぇ! リオ、さりげなく里芋残すな! スミ、中身を空にしてからお代わりだ!」
ぜ、全滅?!! 石狩汁24リットルが全滅だと??! ご、5分も経たずにか!?
「ふう、お腹膨れたの」とアマネが満足げにお腹をさすり、
「んー、リオ的にはもうひと塩味」とリオがなにやらすまし顔でコメントし、
「あははは! メグちゃんそっくり、それ!」とスミはお腹を抱えて笑ってる。
こいつら、猫舌が存在しないんだよな。俺用に1杯だけ確保した汁をすすりながら思う。
「アマネちゃん、この間してたカチューシャ貸して」とスミがおねだりを始めた。
「ん? いいが、お子ちゃまに似合うかの?」アマネがちょっと意地悪。とたんにスミの鼻が赤くなる。
「むー! スミはお子ちゃまじゃないもん! ね、リオちゃん?」
「それよりさ」とリオがスミのほうをちらと見ながら言った。
「この間買ってきたかんざしのほうが、アマネには似合うと思うけどな。まだ学校まで時間あるし、付けてみたら?」
リオにおだてられて、すまし顔を維持しつつ、いそいそと自分のジュエリーボックスのほうへ向かう黒ドラゴン。リオがスミにウィンクして、2体で忍び笑いしてる。ああそうか、アマネに別のアクセサリーを付けさせて、カチューシャはスミが貸してもらう腹なのか。
年齢が一番上なこともあってお姉さん面しがちなアマネと、やはり5歳という低年齢なこともあって幼げな言動が多いが、いっぱしの女の子気取りのスミ。この2体でよくケンカ、というかスミが泣きだすパターンが多く、その間を取り持ってバランスを取ってるのが(コタツには一番メロメロだが)しっかり者のリオという構図。俺の周りにはいなかったが、三姉妹ってこんな感じなんだろうか。
一応フォローしておくと、アマネはオットコマエな凛々しい部分もあって頼りになるし、スミは決断が早くてはきはきしてるから、3体で悩んでるときは大抵彼女が結論を出して上2体が追従する格好になることが多い。
ま、そんなにうまくいくわきゃないですけどね、毎日。3体の利害が一致しなかった場合はどうなるかって? そりゃあもう、往年の名作『三大怪獣 地球最大の決戦』ですよ。俺? 始まったらパソコンとテレビをキッチンに運ぶ役です。力仕事には自信があります。
ふと気が付くと、3体がこちらを薄目で見てる。
「なんか最近、お兄ちゃんがぶつぶつ言ってることが多いんだけど、何アレ?」いやスミ、これはだね、
「ああ、あれじゃろ、飼い主殿にしか見えん妖精に向かって話しかけてるっちゅう」なぜそうなるんだアマネ?
「淳平、あなた疲れてるのよ」誰のせいだと思ってるんだスカ……じゃないリオよ。
「もういいから、ほれ、時計見ろ時計!」
わあきゃあ言いながら支度して靴履いて、疾風怒濤の飛翔登校。ご近所の皆さん、ほんとすんません。
3体の飛び立つ音を部屋の外に聞きながら、俺も大学へ行くべく支度を開始した。今日は猿渡さんと同じ講義がないけど、それでも地球は回るらしいからな。
真冬の朝一の教室はまだ暖房の暖気も回りきっておらず、俺はちょっと縮こまりながら、まだまったく埋まってない教室の一番後ろを選んで座った。漠然と教室を見渡すと、見覚えのある髪型の女の子を発見。凝視したのを察知されたのか、女の子が振り返ったので慌てて視線をそらすと、その子が俺の名を呼ぶではないか。
ドラゴン養育サークル仲間の坂崎魅琴さんが立ち上がって、ちょっと控えめに手を振っていた。彼女とはゼミも同じ。黒髪を、男の俺には想像もつかない複雑な方法で結い上げ、先を馬の尻尾のように後ろにちょこんと出している。小柄ですらりとした体に乗っている小顔は涼やかで、聡明そうな切れ長の目が印象的な子だ。
「あの、ここ、座っていい?」
手を振るだけでなく近づいてきた坂崎さん。あれ? さっき向こうに座ってなかった?
「うん、でも高城君が隣にいてくれたほうが気持ちが楽だから」
そう言いながら、すとんと横の席に座られてしまった。まあいいか、女の子がご指名で座ってくれるんだから。気持ちが楽ってのはよくわからないけど。
講義が始まるまでしばらく世間話に興じる。水曜スペリオールの話をしたら、一笑に付されてしまった。
「石松君もなつめちゃんも、陰謀論とか都市伝説好きだよね。この間も『ネバネバダ州に300万人の蒙古兵が潜伏してるんだって!』って真顔で話してたし」
そう言ってくすくす笑う坂崎さん。へえ、久しぶりにしゃべったけど、意外と明るい子なんだな。ゼミ仲間のこと、お互いの養育しているドラゴンのこと、俺の最近の失敗談。そんなこんなで盛り上がっていると、はっ!
教室の外を通りかかった猿渡さんが、こちらを見てる。やがて猿渡さんはにっこり笑うと去っていった。
まずい、見られた。頭の中がじわじわと炙られる感じにうなだれると、左隣から視線を感じる。
坂崎さんが、じっと俺を見つめていた。一見なんの表情も浮かんでいないように見えて、でも見つめ返すと激しい感情が垣間見える綺麗な瞳。
「おーいそこのお二人さん、見つめ合うなら外のベンチでやってくれ」
いつのまにか登壇していた講師の茶化しとそれに続く教室中の爆笑に、2人して赤面。そのまま講義に没頭する。没頭はしたけれど、さっぱり内容がわからない。うう……
「んじゃ、高城君。そこの定義について説明して」
なぜ俺。素直にわかりませんと言えばいいのに躊躇するちっちゃい俺。すると、うつむいた俺の視界の左端に、すっとレポート用紙が差し出された。
レポート用紙に書いてあることを棒読み。なお、講師はにやりと笑ったが追求はされずに済んだ模様。
(ありがと、坂崎さん)
左を向いて小さく手を合わせると、坂崎さんはくすりと笑う仕草だけして、講師のほうを見るように俺にうながしてくれた。
しばらくして講義が終わり、坂崎さんに改めてお礼を言ったら笑われた。
「高城君、この講義、試験結果が良くないと単位もらえないんだよ? もっと勉強しなきゃ」
そのレポート用紙あげるから。そう言って、坂崎さんは帰ろうとする。慌てて呼び止めて、
「じゃ、日曜にまた」
「あ……うん! トレセンだね!」
お互いに手を振り合って、笑顔の坂崎さんと俺は別れた。日曜日はトレーニングセンターでドラゴンの訓練だ。




