第四話:僕たちの箱庭
――あれは、僕があおいと出会った頃の話だ。
僕たちは一目で惹かれ合い、ごく自然に恋に落ちた。
あおいはとても純粋で、いじらしくて、狂おしいほど可愛かった。
無垢な瞳で僕を見つめるあおいは、いつしか僕なしでは生きていけないほど僕に依存するようになっていった。
もちろん、僕からそれを望んだわけじゃない。けれど、あおいは何をするにも僕を最優先にし、僕の意見に反論することなんて一度もなくなっていった。
「かずまの好きな服を着る」「かずまの言う通りにする」――。
あおいは僕に嫌われるのを病的なまでに恐れ、自分の感情をすべて押し殺して、僕の『理想の恋人』を完璧に演じようとし始めた。それがどれほど彼女の心を摩耗させているか、当時の僕は気づきもしなかった。
そんなある日のことだった。
ほんの些細な行き違いから、僕は感情のないロボットのようになっていくあおいに苛立ちを覚えてしまった。
『――そんな、機械みたいな返答しかできないの? 君の気持ちはどこにあるんだよ』
僕のその一言が、あおいの細い糸を完全に断ち切ってしまい、彼女は少しずつ、けれど確実に壊れていってしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」と、あおいは自分の頭を激しく打ち付けながら泣き叫んだ。僕の望む『正解の言葉』が見つからなくなった彼女は、狂ったように自傷行為を繰り返し、やがて僕の顔を見るだけで過呼吸を起こすまでになってしまった。
そしていつか、錯乱し暴れるあおいが冷たいベッドに拘束されるのを、僕はただ横で惨めに眺めていることしかできなかった。
――それからしばらくして僕の前に現れたあおいは、かつての面影もないほど様子が変わっていた。
記憶を失い、それでもなお僕を信じ、頼り、すがりついてくる彼女の姿に、僕は耐えがたいほどの悲痛と絶望を覚えた。
もう……以前のあおいには戻らないんだ。
僕はあおいの胸に、銀色のナイフを深く突き立てた。
あおいを殺して、僕も死のう。
壊してしまった責任を取って、二人で終わらせよう。
そのつもりだった。
しかし――。
気がつくと、僕は生きているあおいの目の前に立っていた。
まるで、時が巻き戻ったかのように。
どうしてそんな現象が起きたのかは分からない。けれどそれと同時に、「もしかしたら、あおいと最初からやり直せるのかもしれない」という狂おしい希望が、僕の心を突き動かした。
あおいは壊れてしまったけれど、僕がいれば。僕さえいれば、今度こそあおいを幸せにできる。
そう信じていた。
だけど、あおいは何度やり直しても、やっぱり壊れていく。
その度に僕はあおいを殺し、やり直した。
何度も。
何度も。
いつかは元通りのあおいと幸せになれると信じて。
気づけば僕は――同じ惨劇を三百回以上も繰り返していた。
◇◇◇
「こ……こ……」
あおいはいつものように、不安そうに辺りをキョロキョロと見渡した。
「おはよう、あおいちゃん。今日の気分はどうかな?」
僕の瞳を、怯えたような澄んだ目で見つめ返してくるあおい。
「……誰……なの……」
そうか。
そうだよね。
これだけ何度も繰り返してダメだったんだ。最初からもう、破綻していたんだ。
でも、僕はあおいを幸せにしたい。
僕にならできる。僕にしか、この子を愛してあげられないんだから。
「あおいちゃん……」
僕はそっと、あおいの白くて華奢な首元に両手を添えた。
「……え……っ?」
その手に、ありったけの力を込める。
次こそは。次こそは必ず――うまくいってみせる。
「……ぐっ……ぁ……」
あおいは僕の腕の中で、呆気なく力なく倒れ込んだ。
苦しかったよね、あおい。
でも大丈夫。次は絶対に、うまくいってみせるから。
幸せに……。
……幸せって、一体なんだろう。
何度も何度も同じ苦しみを重ねて、壊して。
僕とあおいの幸せは、この世界のどこにあるんだろう?
――そうか。
僕は懐に忍ばせていたナイフを取り出し、その冷たい刃先を自分の首元へ強く押し当てた。
きっと、こうすれば。もうあおいも、僕も苦しまずに済む。
あおい、愛してるよ。
きっと来世では、二人で本当の幸せに――
――なれ……る……。
意識が急速に黒く染まり、冷たい闇へと落ちていく。
これで、やっと終わる。あおいを解放してあげられる。
暗闇の中で、僕は確かにそう安堵した。
◇◇◇
「……えぅっ!」
気がつくと、私はいつものお花畑の真ん中に座っていた。
眠っていたのだろうか。それとも、長い夢を見ていたのだろうか。それすらも、よくわからない。
ただ、胸の奥のほうに、まだツンと冷たい刃を突き立てられているような、奇妙な違和感だけが残っている。不安になって自分のドレスを見下ろしてみたけれど、そこにはシミ一つない、お気に入りの真っ白なレースがふんわりと広がっているだけだった。
「――あおいちゃん」
私の名前を呼ぶ、優しくて、少し低い声。
びくっと肩を揺らして振り返ると、そこには男の子が立っていた。
彼は穏やかで、優しい微笑みを浮かべている。けれど、その瞳の奥が、ほんの少しだけ悲しそうに揺れているように見えた。
「どうしたの? そんなに震えて。また怖い夢でも見た?」
彼がゆっくりと近づき、私の前に膝をつく。
差し出された大きな、温かい手が、私の冷え切った頬をそっと包み込んだ。その手の温もりに触れた瞬間、さっきまで胸を支配していた正体不明の恐怖が、嘘のように溶けて消えていく。
「……誰……なの?」
私がぽつりと訊ねると、彼は頬に添えていた手を滑らせ、そのまま前のめりに派手な音を立ててずっこけた。
「……あのねぇ、あおいちゃん」
彼はよっこらしょと起き上がると、呆れたように、でも愛おしそうに眉を下げた。
「昨日も来てるし、毎日会ってるんだから、いい加減名前くらい覚えて欲しいなぁ」
そう言って、私の頭をポンポンと大きな手で優しく撫でる。
「かずま。かずまだよ?」
完




