魔術に失敗して、婚約者のことを1日だけ忘れてしまった件。
ボンッ!ととても煙が上がっただけとは思えない破裂音がして、吸い込みそうになった煙を口からもわ〜んと吐いた。
「失敗した…?」
記憶はそこで終わっていて、次の目が覚めた時にはベッドの上だった。
「ヒサーナ、目が覚めたのね!」
「ああ、よかった。まったく、なんで魔術なんて試したんだい?」
すぐに母と父の心配そうな顔が飛び込んできて、私は首を傾けた。
「魔術…?専門職でもないのに、魔術を使うなんてバカじゃないですか」
「そのバカなことを地下室でしていたのは、あなたじゃないの」
「覚えてないのかい?」
「うーん、やったようなやってないような…?」
自分で言いながら、そういやそんなこともしたかもなあという気がしてくる。
でも、なんの魔術を実行したかったのかしら。
「姉様、頭でも打ちましたか?すごい煤だらけで運ばれてはきましたが」
弟まで心配そうにするから、私まで不安になってくる。
「そう言われると、魔女様におまじないを授けてもらって、実行したような。…でも、何をしたんでしたっけ」
「こちらが聞きたいくらいだよ」
両親が顔を見合わせて、弟が渋い顔のまま「医者を呼んできます」と部屋を出ていった。
魔術ねえ、そんなことしてまで何か手に入れたいものでもあったのかしら。
なんか、頭の中に靄がかかっているみたいで、思い出せない。
「姉様、コードネル様が見舞いに来てくれましたよ」
医者を呼びに行ったはずの弟がすぐに戻ってきて、大変美丈夫な男性を連れてきた。
……レディーの部屋に入ってきちゃうって、大丈夫かしらこの人。
「ヒサーナ、なんか実験に失敗したと聞いたが、大丈夫なのか?」
あまり抑揚のない声に、あまり変わらない表情の男の人はそう言って近づいてくる。
両親や弟と違って、心配そうにしているかはよくわからなかった。
「はあ、あなたはどちら様でしょうか?」
「は」
「え」
「な」
「どうしたの姉様、やっぱり頭がおかしくなりましたか?」
私の発言に弟以外固まってしまったから、仕方なさそうに弟が確認をとってくる。
「いや、この方知らない人だし…」
「あなた、何を言っているの…!?婚約者のコードネル様でしょうよ!?」
お母様が私に肩を掴んで、前後に激しく揺らした。
ブンブン頭を振り回されながら、婚約者と言われた彼を見たけれど、特になんとも思わなかった。
「ええぇ、随分顔のいい人が婚約者なんですねえ」
「ヒ、ヒ、ヒサーナじゃないっ、誰だい、君は!?」
「え?お父様の娘ですよ」
「医者よ!今すぐ医者を呼んでえっ!」
「はああ…、姉様何やらかしたんですかぁ…」
両親が取り乱している中、弟は深いため息をついて今度こそ医者を呼ぶために出ていった。
コードネル様という方は、なんとも表情が抜け落ちた顔で、何も言わずにぼんやりと私のことを見ていた。
「魔術の失敗による記憶喪失ですね。魔術の規模から見て、数日から数週間ほどで元に戻ると思いますよ」
魔術医師に診察してもらったけれど、婚約者のコードネル様以外のことはしっかり覚えているとわかった。
コードネル様のことだけ、ぽっかり忘れ去ってしまったらしい。
うん、だって会ったことがないもの。
そう素直に言ったら、また両親の悲鳴が飛んできたので、もう黙ることにした。
だって、そんなはずがない、そんなのあなたじゃないって言われるのよ?
「あんなに四六時中、コードネルくんのことしか考えてなかったじゃないかっ!」
「コードネル様のスケジュールを把握して、ストーカーしてたじゃないの!」
「コードネルくんに相応しくなるためにしか動かないのが、ヒサーナだよ!?」
「毎日早く会いたいしか言わないしっ!」
「姉様が婚約者離れできてよかったデスネー」
と、散々な言われようなんだもの。
そのコードネル様とやらは、じっと私を見るだけで何も言わないし。
「数日で戻るなら、まともになった姉様を楽しみましょう」
ドライなんだか、面白がっているのか、弟の冷静な一言でとりあえず様子見ということになった。
こんな感じになった姉に対しても態度が変わらないんだから、将来の領主として頼もしすぎる弟である。
「……ヒサーナ嬢と、お話ししてもよろしいでしょうか?」
婚約者だという彼がようやく口を開いたかと思うと、揺れた瞳でこちらを見ていた。
な、なんか、私が悪いことしている気分になるのですが。
「えっ、私は話すことないですが」
「もちろん!いいに決まっています!」
「庭にお茶を用意させるから、ゆっくりしていっておくれ!」
「ええぇ…、私、同意してな」
「姉様、さっさと移動してくださーい」
弟に腕を引っ張られながら、廊下に出される。
私、一応病人みたいなものじゃないの…!?
あ、いや、できやしない魔術を発動させたから、自業自得か?
使用人がテキパキとセッティングした席に向かい合って座ってはいいものの、気まずい。
「…お嬢様が、隣に座らないわよっ!?」
「…明日は雨かしら」
「…うわ、洗濯物係、かわいそ」
どうやら私の言動はおかしいらしく、目の前のコードネル様も戸惑っているようだった。
「ヒサーナ、隣に座らなくていいのかい…?」
「知らない男性の隣なんて座れないですよ」「
「そ、そうか」
目を泳がせているコードネル様は、また口を閉ざしてしまったので沈黙が続いた。
会話終了。
これ、何か意味あるのかしらね。
この空気に似合わない爽やかな風が吹いて、仕方がないからお茶を飲んだ。
婚約者としての会話って、何をしたらいいの?
お日柄もよく?
ご趣味は?
あなた、誰ですか?
うーん、こうなる前の私はどうしていたのかしら。
「…ヒサーナが来てくれないと、どうしていいかわからないものだな」
ぽそりと呟かれた声に顔を向けると、困ったようにはにかんでいるのが見えた。
あっ、かわいい。
「いつも、ヒサーナが私のところに来てくれるから、私は何もしなくてよかったんだな」
独り言なのか、反省なのか、本当に困ったように前髪を掻いていた。
わかりづらいが、とても動揺しているのだった。
それから項垂れて、自嘲気味に笑った。
「…甘えていたのは、私の方だったんだな」
この人、なんでも独り言で言うなあ。
「そんなに、その、私は積極的だったんですか?」
気になるから、訊いてしまった。
コードネル様は微笑を零しながら、頷いた。
「いつも突撃しに来てくれていた」
「その表現、よろしく聞こえないのですが…?」
「ふふ、ヒサーナは神出鬼没だから、いつ来てくれるのかがわからないところが楽しかったよ」
「…そういえば、ストーカーってお母様が言ってましたね」
「おかげで、私は愛されている自信しかなかったな」
そう言って、優しい顔で笑うから、こちらがきょとんとしてしまう。
「あの、私が言うのもなんですが、気味が悪いとかはなかったのですか?」
怪訝そうな顔で訊くと、向こうのほうがきょとんとした。
「なかったな。それがヒサーナの愛情表現だと思っていたし」
「ご迷惑をおかけしたりは?」
「ヒサーナは大胆だけど、常識はあるから。職場に踏み込んでくるようなご令嬢のようなことはなかったよ」
「基準がそこって、低くないです?」
「うーん、二階の窓から現れたときは、危ないからダメだよとは言ったけど」
噛み合っているようないないような会話に、私の眉間の皺が深くなっていく。
「そんなまともじゃない女、やめておいた方がいいと思います」
「ヒサーナでも、ヒサーナのこと悪く言うのはやめてほしいなぁ」
眉を垂れさせながらコードネル様は、弱々しくそう言う。
「じゃあ、コードネル様は私でよかったと?」
「ヒサーナでなかったら、こんなにうまくいっていなかったんじゃないかな」
「それ、うまくいってます?」
「少なくとも、私は助かっていたよ。どうも女性相手となると、口下手だし、気の利いたこともできないから」
「はあ」
「ヒサーナは『あれしたい』『これしてほしい』と教えてくれるし、これでもかと言うほど、好きだと伝えてくれる。だから、私も何をしたらいいかがわかる。…そうなんだ、いつもヒサーナがしてくれるから、私は動けたんだな」
コードネル様はまた独り言のように呟くと、グッと顔を上げて、表情がキリリとなった。
「ごめん、ヒサーナ。こんなことになるまで、そんなことにも気づかなかったなんて」
「いえ、…今言われてもわかりません」
「これから、私からも行くから。不甲斐ないように、頑張るから」
「はあ、それはありがとうございます?」
決意を固くしていそうなコードネル様についていけないまま、その日はお開きとなった。
そして、翌日、私は医者の宣言よりもずっと早く記憶が戻っていた。
「ああ、よかったよ、ヒサーナ。もう大丈夫かい?」
「あなたね、昨日は別の意味でコードネル様を困らせたのだから、ちゃんと謝りなさいよ?」
「なんだ、一日だけだったんですか。つまらないですね」
家族にはいろいろ言われたけれど、私はそれどころじゃなかった。
コ、コ、コードネル様が、私のことをたくさん気にかけていてくれたんだけど!?!?!?
えっ、祝杯をあげた方がよかったかしら…!
だって、『隣に座らなくていいのかい?』って訊いてくださってたし!
ああ、もう!
なんてもったいないことしたのっ!!
隣に座りたかったああ〜〜〜!!!!
しかも、『愛されている自信しかなかった』って、それもう愛の告白ですよねっ!?
私の好きと言う気持ちを、受け止めてくださっていたってことですよねっ?
私、実質愛されているってことですよねっっっ???
うれしすぎる〜〜〜〜!
泣き叫びたいくらいの衝動を、あんなにさらっと受け流すとか、私正気!?
はーーーーーっ、昨日をもう一度やり直せないかな!?
あんなかわいいコードネル様が見られたのに、つぶさに観察もしなかった!
あああっ、一生の不覚…!
何やってるのよ、私!
もう、ばか〜〜〜!!!!
ひとりで頭を抱えながら悶えていると、弟が今日もコードネル様を案内してきた。
「姉様、コードネル様が今日も来てくれましたよ」
「ヒサーナ、調子はどうかな」
小さな花束を持ったコードネル様は、その体格にはあまりにも小さい花束で、かわいさが爆発していた。
「コ、コ、コードネル様っ…!」
しっかり声が裏返った。
それを見て、コードネル様がふにゃりとホッとしたように笑った。
「ふふ、ヒサーナ戻ったんだね」
「あああああああ、好きですっ!国宝級の笑顔でもっと私を好きにさせてくるのずるいいいい!!!!!」
「…………本当に戻ってほしくなかった、あっちの姉様がよかった」
「こうじゃなきゃ、ヒサーナじゃないよ」
「コードネル様は、姉様に甘すぎです…」
弟は苦い顔をしながら、一枚のボロボロの紙を手渡してきた。
「はい、姉様。地下室に落ちてた魔術の紙です。渡しておきますね」
「え、あ、ありがとう」
「……コードネル様に迷惑のかからないように、ほどほどにしてくださいよ」
呆れたようにそれだけ残して、弟は部屋を出ていく。
私は渡された紙を確認すると、コードネル様が近づいてきた。
「ヒサーナ」
「は、はいっ!昨日は大変ご迷惑をおかけしましたっ!」
「そんなことはいいんだ。…ヒサーナ、あの」
「はい…!」
コードネル様の一言一言、一音でも逃さないように、じっと見つめたまま耳を澄ます。
「…その、抱きしめてもいいだろうか?」
「……へっ」
聞き間違いが起こった、婚約者としてあるまじきことだ。
まだ魔術の後遺症が残っているのかしら。
お医者様に、もう一回診てもらわなきゃ。
「…昨日、君が隣に座ってくれなかったから、寂しかったんだ」
ひええええぇぇぇぇ…!!!
なんか、私に都合のいい幻聴が聞こえるっ!!!
「だめかな…?」
「ダメなことなんてありませんっ!コードネル様がされることで、ダメなことなんて一つもありませんっ!!!!」
「…ふふ、ダメな時はダメと言ってほしいけどね」
昨日みたいに困ったように笑いながら、ためらいがちに腕が伸びてきた。
そのまま、ぎゅっと優しく抱きしめられて、私は口から魂が出そうだった。
分厚い胸板に自分の頬が当たっている事実に、気絶しそうだ。
「…ヒサーナ、これから私もちゃんと行動するから。だいすきだ」
息、息が、コードネル様の息が、近くで、聞こえるっ…。
「ひょえ、死ぬ…」
私は魔女様に譲ってもらった魔術の紙の切れ端をキツく握りしめた。
そこには、『意中の相手にもっと好きになってもらうおまじない』と書かれているのだった。
了
お読みくださりありがとうございました!!
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