第五十七話 三木 七海(みき ななみ)
深夜、岩手県盛岡市内のホテルにて。自室から出て来た三木 七海は、その階の自販機前まで歩いてきた後、壁にどん、と背中をついてため息を漏らした。
「はぁー、しんどいわぁ」
今日は散々な日だった。アトラクションを装ったカラクリを見抜けずに天野君をさらに若返らせてしまった。苦い報告を本社に送ったら当然お目付け役の私はお叱りを受け、戻ってきた鐘巻さんにまたまたお説教されてしまった。
「いっそ交代するか、柊の奴と」
そう言われた時、私は全身が凍る思いがした。かつてトキちゃんが逃げた先で保護者役として雇われ、藍塚がコンタクトを取ってこちら側に引き込んだ鐘巻さんの二番弟子、確かに彼女は優秀だけど、それでもこの任務だけは譲るわけにはいかいの。
しかも、私のヘマを庇おうとした天野君まで叱られてしまった・・・・・・これが何より芯からヘコむ。
(あーもう、早いとこあの二人くっついてくれんかなぁ、そうでないと)
瞑目して上を向き、ホテルの蛍光灯をまぶたに感じた後、はぁ、と息をついて、言葉をこぼす。
「想いが、溢れちゃいそうだよ」
◇ ◇ ◇
子供の頃、私は地元の大会社、藍塚グループの御令嬢として周囲にちやほやされて育ってきた。でも、中学に上がる頃になると周囲がみんな『私』ではなく『藍塚の孫娘』としてしか私を見ていない事に嫌気が差して来ていた。
だからあえて地元ではなく大阪の高校に進学した。そのころの私は女優になるのを夢見ていて、演劇部の活動が有名なその高校に入学し、早速入部して自身の演技力と容姿を磨くことに青春を注いだ。
その甲斐あって二年生になると部内でも一目置かれる存在になり、何度かの公演では主人公やヒロイン役を演じて見せた。特に大きな発表会で演じた可憐な少女役は評判を呼んだ、その時の髪型、左右の三つ編みを耳の後ろでリングにした髪型は私のトレードマークにもなった。
でも、現実は甘くなかった。
在学中に何度か受けたオーディションはことごとく落選し、唯一色よい返事を貰えたプロデューサーに打ち合わせと称してホテルに招かれたが、そこで何と枕営業を斡旋される始末だった。まずは私が味見を、などと言ったその間男を、私が灰皿で思いっきりぶん殴った時、私の俳優への夢は終わりを告げた。
その後私は徳島に呼び戻された。
なんとあのプロデューサー、私に殴られたことを銭のネタにしようと、履歴書に書いてあった私の親の住所に悪党を伴ってタカリに来たらしい。まぁ父親は大会社藍塚の常務で祖父が社長、そして元締めの会長は元々極道の家の出、荒事の対処はお手の物だった。大企業にケンカを売ってしまったその男は所属する会社ごと叩き潰されてしまったらしい。
芸能界に絶望し、徳島に帰った私に父はこう告げた。
「罰としてお前は高卒、その学歴を一生抱えて生きろ」
まぁ家に迷惑をかけたのは事実だし、夢破れた私を藍塚の社員として雇ってくれるんだからその程度の事は別にいい。でも、私はここまでの人生の中で大切なものを落っことしてしまっていたのに気付いた。
「恋愛って、何なのかな」
子供の頃は男子も女子も、そして先生もちやほやするだけの存在だった。高校に上がると青春を演劇に打ち込んだ、周囲の皆もまた、真剣に役どころに成ろうと頑張っており、それがより自分の演技を叩き上げる刺激にもなった。
でも、自分の周りにいる男子は皆、本当の『自分』を見せる事はなかった。演技で誰かに成る為に自分を偽り、演じ、その本質がどんな人なのか全く見えなかった。恋愛劇など飽きるほど演じて来たが、そこで発せられる愛の言葉や甘いささやき、そのどこにも『本当』は無かったのだ。
私がその『本当』を見たのは、あのプロデューサーの下品な言葉と、卑猥な欲望だったのだ。
『七海、すまないがお前には、ある人物の監視役として、もう一度高校生をやって欲しい』
藍塚に入社した私が祖父である社長直々に指示された仕事がそれだった。下準備の為に一年間、元国際警察のアイン・J・鐘巻さんに尾行や演技の指導を受け、19歳になった私は晴れて地元の高校に入学する羽目になってしまった。
そして私は、天野君と出会った。
最初はただ単に私の仕事にとって都合のいい存在でしかなかった。何しろターゲットの神ノ山登紀と入学の日に遭遇して以来、まるで青春モノの演劇のように距離を縮めていったのだから、二人を冷やかすことでいともあっさりトキちゃんと友人になる事が出来た。
でも、彼を見続けていくうちに、不思議と私は彼に惹かれて行った。真面目なお子様のような彼は、私が知らなかった『男の子』の内面、かっこよさや正義漢、真剣、全力、そう言ったものをまさに体現していたのだから。
そしてそんな彼が、138年もの長きを生き続けてきたトキちゃんと、あまりにもピッタリとハマり過ぎていたんだ。並大抵の男子なんてトキちゃんにとって興味の対象にもならないだろう、でも天野君の真面目さはあまりにも特別で、その二人の邂逅と恋を育む姿はまさに『運命』としか言えなかった。
天野君に心から惹かれつつも、私はトキちゃんとの仲を応援せずにはいられなかった。まるで恋愛映画のヒーローとヒロインを見る気分だった、いくらその主人公を素敵だと思っても、同時にヒロインとの幸せを願わずにはいられない、私が主人公を寝取りヒロインに成り代わるなどありえなかった。
それがどう考えても醜い行動だったから。まるであのプロデューサーのように。
そして、彼のヒロインが一度、舞台から退場した。私以外の全員の記憶を消し去って。
私はそれから二年半、天野君と学園生活を送った。あの二人のラブロマンスにはきっとまだ続きがある事を、心のどこかで信じて。
でも身近にいれば想いは募る、今ならヒロインはいないんだから私が成り代わる事だって、そう考えては自己嫌悪に陥り、その度に確保していた彼と彼女の交換日記を読みふけった。そうだ、天野君にはトキちゃんがいるんだもん、私はその縁をしっかり繋いで応援してあげなきゃ、と。
そして、ついにその日記を彼に返す日が来た。
彼は彼女を忘れていたことに絶望し、激高して嘆いた、人目もはばからずに涙を流し、嗚咽を漏らした。その彼の姿を見て確信する、ああ、やっぱり私は間違ってなかった、もし天野君と恋仲になっていたりしたら、私はこの場で彼に心の底から軽蔑されるだろうと。
「僕が、身代わりになるよ」
天野君は彼女の呪いを引き継ぐことに一切の迷いが無かった。そして彼らしい真面目な、そして人間の善意を信じて疑わないやり方でその呪いを解こうと動き出した、どこまでも天野君は天野君だったのだ。
だから事あるごとに私はふたりをくっつけたがった。高校時代から時遡プロジェクトに至る今でも変わる事無く、ずっと。
諦めたくて。そして、心から祝福したくて。
でも運命は非情だ。天野君に移ったその呪いは、肉体的な性欲を秒ごとに無効にしてしまう。ましてや彼のその真面目過ぎる性格は、性愛欲に走るのを欲望、不純で悪い事だと思っている節がある。これではいつまでたってもあのカップルにハッピーエンドは訪れないだろう。
だから、私は今日もひとつ、ため息をつく。
◇ ◇ ◇
なんとなく眠りたくなくて、一階のロビーまで降りて来た。ここは深夜にチェックインする人の為に常夜明かりがついており、ソファーやテーブルも備え付けられている。
そこに天野君がいた。
「お!交換日記ですかー、今日は天野君の番なのねー」
「あ、三木さん、こんばんわ、っていうのも変かな?」
もうすっかり効力を失ったからかいをあっさりかわされ、笑顔で夜の挨拶をされる。と、奥にある植木から黒い影がゆらり、と動いた。何事!? と一歩後ずさり、その陰に目をやる・・・・・・なんだ鐘巻さんか。
「お、少しは反省の色も見えるようだね、感心感心」
「いえ別に、たまたま起きて来たら天野君がいただけですよ」
今日のミスを取り返すにしても、この時間に天野君がここにいる事までわかってたらそれはもう完全にストーカーでしかない、鐘巻さんは天野君と同じ部屋だったんでこうして同伴していたんだろう。
「まぁまぁ、ついでだし警護を引き継いでいいかな、実はかなり眠くてね」
「お任せくださいっ!」
びっ、と敬礼して笑顔を見せる。鐘巻さんは「んじゃ任せた」と言ってエレベーターの向こうに消えて行った。
「あ、ごめんねー、執筆の邪魔しちゃって」
「ううん、三木さんならいいよ」
その返しに、へ? という声が漏れる・・・・・いや何を期待してるの私は!
「この交換日記は僕たちの絆だから。これをずっと預かってくれていたのは三木さんなんだし、本当に感謝してるんだよ」
そう言って日記をぱたんと閉じ、私に正対して立ち上がる彼。
「僕たちの縁を繋いでくれて、本当にありがとう」
改まってそう頭を下げる天野君。その真面目な態度がたまらなく愛しく、ものすごく切ない。
だから私は、いつものように笑顔でからかいを返す。いつか来るハッピーエンドのその日まで。
「じゃあ、さっさとくっついちゃいなさいよ、主に肉体的な意味で♪」




