6、イザークの罠
「素敵な城ですね」
ロッテは初めての外泊にわくわくしていた。
東大公家の別邸は、言っていた通りバンテル男爵家のすぐ近くだった。
貴族の別邸が建ち並ぶ街並みの中でも、一番大きくて立派な門構えだった。
芝生を敷き詰めた庭園もあり、簡単なパーティーを開ける大広間と客室を備えていた。
ロッテは父と一緒に見晴らしのいい三階の一角を数部屋借りきった。
主寝室とリビング、第二寝室に従者の部屋まで完備されている。
「そなたらを連れてきておいて良かった」
ウィレムは、ロッテの執事セバスチャンと侍女のアンを万が一のために連れてきていた。
もちろん外泊する事になるとは思っていなかったのだが、姫君の世話に慣れている者も必要になるかもしれないと念のために後続の馬車に乗せていたのだ。
着替えなどは男の恰好をしているとはいえ、やはり慣れている人間が必要だった。
「ディナーを一緒にと誘われている。その後、私はヘルレ公と商談があるゆえお前達はロッテを守っていろ。イザークが何を仕掛けてくるか分からんからな。
危ないと思ったら体調が悪いとでも言って部屋に連れて帰るのだ、いいな?」
「畏まりました。必ずやロッテ様をお守り致します」
「なるべく早く部屋に連れ帰るようにします」
ロッテは従者二人を連れて第二寝室に入った。
◇ ◇
「ロッテ様、音楽会はどうでしたの?」
部屋に入るなり、赤毛の侍女が好奇心旺盛な目で尋ねた。
アンは男勝りな母アイセルのお気に入りだけあって、活発で元気な少女だ。
ロッテより5才ほど年上だが、気心の知れた友人のように気が合った。
昔からアンにだけは何でも相談出来た。
「楽しかったよ。同じ年頃の男の子ばかりで、ステファンなんかは気が合いそうだ。
それにテオは憎めない弟みたいで好きだな。
イザークも……仲良くなりたいけど、あちらは私が気に入らないようだ」
「この屋敷のお坊ちゃんですね。
仕方がありませんわ。
ホーラント家とヘルレ家は昔から確執がございましたから。
ねえ、セバスチャン」
「ええ。現ヘルレ公オットー様は昔から何をやってもウィレム様に負け続けでライバル心を燃やしておいででした。ですが息子二人に恵まれたオットー様は後継の子息だけは自分の勝ちだと思っておられました。それが聡明なフロリス様の出現で面白くないのでしょう」
「ふーん。でもそれは父上達の話で、私は仲良くしたいのにな」
「気を許してはいけませんよ。
ヘルレ公のご子息の噂を聞いた事がございます。
兄のルドルフ様などは、それはもう女癖が悪く、あちこちの女に手を出しているようでございますわ。
イザーク様も分かりませんわよ」
アンはロッテの髪を直しながら眉間を寄せた。
「はは。男だと思ってるんだからそんな心配はいらないよ。
むしろ男色の男の方が気をつけねばならない」
「まあ……それはそうですわね。
とにかく男の恰好をしていても、姫様なのですから。
いずれは女性に戻って相応しいお方の所へ嫁ぐのですから、あまり近く接する事はなりませんよ。
肌にも指一本触れさせてはなりません」
「大袈裟だな、アンは」
そう言って微笑んではみたが、いずれは女性に戻って嫁ぐという言葉は胸に突き刺さった。
出来る事なら、一生このままフロリスで過ごしたい。
だが、もちろんそんな事は叶わぬのだと、この時ロッテは思っていた。
◇ ◇
「俺の部屋に面白い物があるんだ。来いよ」
食堂の長テーブルで腹の探り合いのディナーが終わると、イザークはすぐさまロッテの側にやってきて誘った。
「でも私は旅の疲れが……」
嘘だった。
本当は全然疲れてないし、出来れば同年代の友人の部屋に遊びに行ってみたい。
「は? しらける事言うなよ!
せっかく泊まってんのに夜更かしもしないで寝るつもりかよ。
女みたいなヤツだな」
最後の言葉にドキリとした。
イザークは小バカにするつもりで言っただけだろうが、本当に女のロッテには応じないと女だと思われてしまうような焦燥感にかられた。
「わ、分かったよ。じゃあ少しだけ……」
壁際に立つセバスチャンとアンは、あっさり連れていかれるロッテの後を慌てて追いかけた。
二階の一室に連れて来られたロッテは、珍しい置物で溢れた部屋を見回していた。
セバスチャンとアンはさすがに部屋の中まで入れず、おそらく扉の外で待っている。
「うわあ! これすごいね!」
ロッテが真っ先に興味を示したのは帆船の模型だった。
精巧に作られた模型が三つばかり棚に並んでいる。
「おお! それカッコいいだろ!
お前も船が好きなのか?」
「うん! 本当は大商人になって船で世界を飛び回りたいんだ」
「大商人に? 大公の息子のくせに?」
大商人であっても身分としては大公の方が全然上だ。
「だって行ってみたくないか?
世界には信じられないようないろんな国があるらしいんだよ。
象っていう鼻の長い、空の雲ほど大きい動物がいたり、金で出来たお城があったり、魔法使いの国だってあるらしいんだ」
全部、母アイセルの受け売りだ。
「まじでか? 本当にそんな世界があるのか?」
イザークは13の少年らしく、すぐにロッテの話に夢中になった。
二人は棚の前に椅子を並べ、帆船を眺めながら話し込んだ。
「一つ目の怪物がいたり、広い海にはこの城ぐらいの大きな魚がいるらしいんだ」
「この城ぐらいの?
それが泳いでいるのか?」
すっかりロッテの物語の虜になったイザークはそれから数刻ひとしきり盛り上がってから、はたと我に返った。
父オットーから、突如現れた西大公家のよく出来た子息の素性を確かめるように言い付かっていた。
『今まであれほど表に出さなかったくせに、急に現れるなんてどう考えてもおかしい。
あんなに美しく聡明な息子がいて、あのウィレムが自慢せずに置いておく訳が無い。
絶対何か裏がある。それを調べるんだ』
(そ、そうだった……。
フロリスの秘密か弱味を何か見つけなければ……)
そうは言っても13の少年は、少し話してみてこの西大公家の息子が気に入ってしまった。
何より物語を話しながらくるくる変わる表情に目が奪われる。
美しいのに屈託がなくて素直で愛らしい。
(か……可愛い……)
自然にそんな言葉が心に浮かぶ。
(はっ! 俺は何を思ってるんだ!
男に可愛いとか……。
いや、でも今まで見たどんな姫よりも……
可愛い……。
いや、まて! 落ち着け俺!)
イザークは心の中のありえない感情にのた打ち回った。
「イザーク? どうかした?」
「えっ!!? なにっ?
俺は何もやましい事なんか……」
「やましい?」
ロッテは首を傾げた。
その小首を傾げる様子も……。
(か、可愛い……)
罠を仕掛けるはずのイザークが深い罠にかかってしまった。
次話タイトルは「イザークの決意」です