15、秘密の通路
「こんな所に隠し通路が……」
「この通路を通れば、紫の塔に辿り着く。行くぞ」
ヨルダンは先に地下に続く階段に足を踏み入れた。
ロッテもあわててそれに続いた。
入り口からもれる光は降りていくにつれ、どんどん薄く、頼りなくなっていく。
そして一番底に着いたと同時にカチャリという音がしてポッとあたりが明るくなった。
通路に用意されていた手持ちの燭台にヨルダンが火をつけたらしい。
それを合図に、入り口のフタが兵士によって閉じられた。
何度も通っていたのか、みんな手馴れている。
「これはどこにつながってるんだ?」
「もちろん紫の塔の中さ」
「塔の中?!」
まさか塔の内部に入るとは思わなかった。
「この通路は紫の塔の侍女部屋につながっている。今よりも政情不安定だった時代に、万が一の危機に王太后さまを安全に逃がすために作られたものだ。だが現王太后は知らない。この通路に気付かれてないことが唯一のこちら側のアドバンテージだ。そしてあちらの侍女部屋には王様の密偵が入り込んでいる」
「そうなのか」
ロッテは少し安堵の息をもらした。
すっかり王太后の好き放題にされてるように思っていたが、こちらも策は練っていたのだ。
しかし安心したのも束の間だった。
「最初は五人いた密偵が、次々に殺され今では一人だけだがな」
状況はあまり楽観視できないようだ。
「紫の塔には南大公家の者しかいないと聞いたけど」
王太后がそう望んだこともあるが、他の者は気味悪がって誰も行きたがらない。
「密偵は五人とも南大公家の係累の娘だった。大公家となんらかの血縁関係を持っている」
「血縁関係なのに裏切ってるってこと?」
一人が立ってぎりぎり歩けるような暗い通路を前後で会話をかわしながら歩いた。
「南の大公家では、カール大公が森の魔女と密約を交わしたと囁かれている」
「森の魔女? それってつまり王太后さまってこと?」
「ああ。フアナ姫はカール大公と王太后の隠し子だと言われている」
「カール大公の?」
ロッテは驚いた。
王太后の隠し子という噂は聞いたことがあったが、相手がカール南大公とは思わなかった。
「シエル様と身分を合わせるために、遠縁の美しい娘を王太后の養女にしたと表向きは言ってるが、間違いなくフアナ姫は強力な魔女の血を引く娘だ。カール大公と王太后の親密さを考えても、そう疑うのが自然だろう」
「確かに……」
カール大公は、王太后のところに行くのを嫌がる役人に代わって、毎日のように様々な伝達を伝えに日参していると聞いている。濃すぎるほどの癒着は誰の目にも明らかだが、みんな王太后のところに行きたくないから目を瞑っている。
「南のルカセントは、今では森の魔女が中心部まで入り込み、無法地帯となってるようだ。だがもちろんそれに反対する勢力もある。密偵になっているのは、反対勢力の者たちだ」
「反対勢力……」
「魔女たちによって地位を奪われた貴族たちも多くいる」
「じゃあ密偵は貴族の娘なのか?」
「いろいろだが、最後に生き残った一人は、カール大公の姪にあたる血筋だ。ただし身分の低い母親は過去に魔女に殺されている。そのことはカール大公も知らない」
「それで反対勢力に……」
「王太后を憎んでいる。こちらを裏切ることはないだろう」
「カール大公と王太后を捕えることは出来ないんだろうか?」
叩けばいくらでもほこりが出てきそうだ。
「もっと早い時期だったなら出来たかもな。だがもう遅い。たとえ紫の塔に攻め込んで多くの犠牲者を出しながら王太后を殺したとしても、南大公家に巣くう魔女たちが黙ってないだろう。そしてそれに従う多くの領民もいる。魔女でも何でも、貧しい領地をこの数年で豊かな都会にした王太后を崇拝する領民もたくさんいるんだ。ヘタをしたら内乱が起こって、国内が戦乱の地になる。軽率な行動は出来ない」
悪は悪なりに、味方を増やしているのだ。
それにしても、自分の出世とお金にしか興味がないと思っていたヨルダンが、思いのほか国のことを考えていたことにロッテは驚いた。そして、知識と情報の深さにも。
ただし、淡々と話す様子は他人事のようにも見えるが。
そんなロッテに答えるようにヨルダンは続けた。
「オレも詳しい事情は最近聞いたんだがな。二十一部隊に配属になってから、魔法石を作るためにこの通路を使うようになって、ついでに密偵の侍女の情報を上に伝える伝令役にもなってるんだ」
ロッテはなるほどと頷いてから、ふと不安になった。
「その話は、私が聞いても良かったのか?」
上部だけの極秘情報だったのでは、と思った。
そもそもこの秘密の通路にちょっと手伝うぐらいの気持ちで入り込んでよかったのか。
「……」
ヨルダンは、しばし立ち止まってロッテを振り返って見た。
「あんた、おしゃべりなのか?」
「い、いや、もちろん他の人に話すつもりはないけど」
でもホーラントのフロリスと、ステファンには話すと思うけど。
「こんな暗い通路を二人で歩いていると、口が軽くなってダメだな。まあ……あんたはいずれ西のホーラントを治める人間なんだろ? だったら知っておいた方がいい」
未来のことを言われると、ロッテの心は沈んだ。
こうして武官として自由に立ち回れるのは、あと三年もないのだ。
ロッテが黙り込んだことが不自然になる前に、ヨルダンが告げた。
「着いたぞ。ここだ」
「え?」
通路はまだ奥に続いていた。
だがヨルダンは、何もない通路の壁に立ち止まった。
「この奥は王太后が敵から身を隠すための小部屋になってる。多少の食べ物と水や寝具が置かれている。だが塔の内部からここに出るまでにいくつかカモフラージュしている」
ヨルダンはそう言って、レンガの積み重なった壁を手の平で確かめて、何ヶ所か押し込んだ。
すると腰から下半分ほどの壁が奥にずれて、屈んで通れるぐらいの隙間が出来た。
「こんな仕掛けが……」
「オレの予想だけど、きっと同じようなものがオレンジハウスにも、後宮にもあると思う」
隙間を通りぬけた先は、箱型の部屋になっていて、天井に向かう階段があった。
ヨルダンは壁の通路を閉じてから、その階段を上る。ロッテもあわててついていった。
天井に辿り着くと、ヨルダンは耳を当てて慎重に外の気配を探っている。
そして誰もいないと判断すると、そっと天井の隙間に胸元から出した鳥の羽を差し込んだ。
「これで向こうが気付いて開けてくれるのを待つ。すぐに気付けばいいけど、このまま半日ってこともよくある」
「半日……」
それはまずいな、とロッテは思った。
ステファンが任務を終えて屋敷に戻ってしまう。そしてロッテがいないことに気付いたら大騒ぎになるに違いない。
「なんだよ。小公子さまは待たされることなんて無いから不満か?」
ヨルダンは燭台を階段の一番上に置いて、自分は天井に頭がつくぎりぎりの段に腰を下ろした。すると立ったままのロッテとちょうど同じ高さで向かい合う形になった。
「そういうことじゃないよ。私は君が思うほど恵まれた人間じゃない」
ヨルダンはきっと、フロリスが何もかも思うままに手に入れた幸せな人間だと思っている。
だが実際は、三年後にはどうなってるかも分からない女のロッテなのだ。
「ふーん……。小公子さまにも小公子さまの悩みがあるってか?」
町人の流行言葉なのか、ヨルダンは変な語尾をつける癖がある。
そして、近衛騎士になるまでどれほどの迫害を受けてきたのか、いつも卑屈な物言いをする。
「しっかし、近くで見るとホントに綺麗な顔してやがるな。貴族さまってのは、やっぱり生まれた時から食べる物が違うからか? 女みたいに綺麗な肌だな」
ヨルダンはまじまじとロッテの顔を見ながら呟いた。
ロッテは女みたいと言われてドキリとした。
賢者さまの魔法の下着をつけるようになってからそんな風に言われることはずいぶん減ったが、さすがに肌のキメまでは変えられない。
「貴族のお姫様ってやつはあんたよりも綺麗なのか? 町人のオレたちには想像も出来ないけどな」
「見たことがないのか? 舞踏会や王宮のサロンに行けば会えるだろう?」
「ふん! 町人騎士が立ち入れると思うのか? 近衛騎士でも第五・六部隊は行けない。いや禁止されてる訳じゃないが、暗黙の了解ってやつだ。遠目に見ることはあっても、近くで見たことなんてねえよ」
「もしかしてそれでカタリーナ様にも緊張してたのか?」
ヨルダンが拝礼しながら震えていたのを思い出した。
「ふん! 町人からしたら、王女さまは雲の上の女神さまみたいなもんだ。生きてる間に一度でも垣間見えることがあれば、もう悔いはないぐらい憧れなんだよ。悪いか!」
(誰にでも嫌みばっかり言ってるイメージだが、こんな一面もあったんだ)
照れたようにぶっきらぼうに答えるヨルダンが少しかわいく思えた。
「でも高貴な方の侍女は貴族の姫君も多いよ。今から会う密偵の侍女だって南大公家の姫君じゃないか。充分身分の高い姫君だよ」
「ああ……」
ヨルダンは思い出したように言ってから、フッと笑った。
「オレも最初はどんな姫君かと期待したが……彼女は……」
何かを言いかけたヨルダンだったが、それより早く天井がガタンと音を立てて、燭台の明かりだけの階段に光が差し込んできた。
次話タイトルは「紫の塔の侍女、エマ」です