12、最初の犠牲者
「なぜだか、そなたのことはよく覚えておる」
ロッテは愕然とフアナ姫を見上げ、隣に並ぶボブとヨルダンも驚いたように顔を上げた。
そしてデニス副隊長は、フアナ姫の興味が自分をそれてしまった事に慌てた。
「か、勘違いでございましょう。我らのような無骨な者がフアナ様のご尊顔を拝したことなどございません」
「いや。二年前、シエル様に東の森を案内して頂いた時会った。そうじゃのう?」
ロッテの心臓がバクバクと音をたてている。
やはりこれは本物のフアナ様だ。
それでなければ、あの日の事など知っているはずがない。
だが、二年も前にほんの少し会っただけの自分を覚えているとは思わなかった。
「誰か……フアナ様に会った者がいるのか?」
デニス副隊長は、青ざめた顔で背後に居並ぶ三人に振り向いて尋ねた。
ボブは大きく左右に首を振り、ヨルダンは険しい顔でロッテを見ていた。
そしてロッテは蒼白な顔のまま、視線を落とした。
「フロリス……。そう。西の小公子。そなたのことはよく覚えている」
フアナ姫の声は微かな笑いを含んでいた。
まるで新しい獲物を見つけたかのように弾んでいる。
まさか名前まで覚えていたとは……。
「ま、まさか……本当なのか? フロリス」
デニス副隊長も青ざめている。
デニスにとっては最悪の事態だった。
命の重さに差をつけるつもりはないが、出来れば一番守りたかった部下だ。
西の小公子でもあり、未来有望な若者。
現王にとってもシエル王太子にとっても、将来、必要不可欠な人材になると思っていた。
自分を犠牲にしても、真っ先に守りたかった相手だ。
「……」
ロッテはすっかり動揺して、どう答えていいか分からなかった。
そんなロッテを面白がるように、フアナ姫が言葉を続けた。
「まさか、わらわのことを忘れたと申すか? わらわがこれほど印象強く覚えているというに、そんなに影が薄いとは残念じゃのう」
「……」
何も答えられないロッテの代わりに、デニス副隊長が答えた。
「何かの間違いではないでしょうか? この者は王宮に来てからも日が浅く、フアナ様のお姿を拝する立場にもございません。誰か他の者と間違えたのではございませんか?」
できればそうであって欲しいというデニスの願望でもあった。
「いや。この禍々しい気配。わらわの未来に暗い影を落とすような嫌な感じ。二年前に感じた嫌悪がまざまざと蘇ってくる。これほどの嫌悪は初めてだった。なぜ、男のそなたにこれほどの嫌悪を感じるのか……わらわも不思議なのじゃ」
ロッテはギクリと肩を震わせた。
(まさか……私が女だと気付いているのか……)
どちらにせよ、最悪の状況なのは間違いない。
デニス副隊長は、その状況を読んで作戦を変更した。
「そ、それが事実であるならば、本物のフアナ様であると証明できましょう。王様にフロリス本人にて伝令に行かせましょう。フロリス、フアナ様のご来訪を伝えに行ってくれ」
フロリスを逃すべく、デニスが命じた。
「は、はい。すぐに……」
ロッテが立ち上がろうとするのを制するように、再び纏わり付くような声が響いた。
「待ちや!」
その声に、キュッと首を絞められたような気がした。
「カタリーナ様の成人の儀のお祝いは、また今度改めて伺うとしよう。『正妃の塔』にお住まいになられるなら、また会う機会もあるじゃろう。それよりも……」
フアナ姫が言葉を途切れさせた瞬間、ロッテは二年前と同じ冷たい視線を感じた。
そしてピシッと左胸に衝撃を受けた。
「あっ!」
胸に入れていた小さな護身石が粉々に割れたのが分かった。
『護身石が防ぐのは最初の一撃だけ。次の攻撃は自分で防ぐしかない』
ルドルフの言葉が思い浮かぶ。
だが、リストシールドもないロッテにどうやって防げというのか。
(ダメだ! こんな所で私は死ぬのか……。フロリス……。ステファン……。シエル様……)
走馬灯のように大勢の大切な人の顔が浮かぶ。
フアナ姫が右手でヴェールを持ち上げて、その隙間からロッテを見ている。
それは紛れもなく二年前に見た陶器のように白い肌とオレンジの瞳。
魔法が何かに妨げられたことを不審に思ったような表情をしていた。
そして更に全身の魔力を集め直すようにして、ロッテを見つめた。
さっきより何倍にも増幅したような魔力の気配。
(ダメだ! 逃げられない!)
横に避けようとしたけれど、その魔力は生き物のようにロッテの心臓を目指してくる。
なぜかスローモーションのように魔力の道筋が分かった。
(あっ!)
そしてロッテの心臓を貫いた……と思った瞬間……。
ロッテの前に黒い影が飛び込んできた。
「フロリスッ!!」
叫んだのはデニス副隊長だ。
だが、飛び込んで来た黒い影は、デニスのものではなかった。
「……っ!?」
「うっ……」
黒い影は小さな呻き声をあげて、その場にどうっと倒れた。
全員が驚いたようにそれを見つめていた。
「な!」
「ヨルダンッッ!!」
ロッテの足元にヨルダンが胸を押さえたまま倒れていた。
「ヨルダンッ! どうして……」
まさかヨルダンが庇ってくれるとは思わなかった。
そんな情も義理もなかったはずだ。
むしろどっちかというと嫌われてると思ったのに。
ロッテばかりか、デニスもボブも驚いている。
そしてもちろんフアナ姫も。
「くっ……。愚か者め……」
「フアナ様っ!」
苦しそうに胸を押さえるフアナ姫を、侍女たちがあわてて支えている。
どうやら渾身の一撃だったらしい。
少しばかり命を削ったのかもしれない。
それをもろに浴びたヨルダンは、顔の色を無くしたまま倒れていた。
「ヨルダンッ! ヨルダンッ!」
「息をしてないぞ!」
ボブが叫んだ。
それと同時に、わらわらと各地の近衛騎士たちがロッテたちの所へ集まってきた。
ようやくマルコの伝令が伝わったらしい。
「おいっ! 大丈夫か?」
「何があったんだ!」
「あのお方はまさか……」
近衛騎士達が驚いたように紫の一団に視線をやった。
それを見てフアナ姫が「チッ」と舌打ちをしたのが聞こえた。
「フアナ様。ご気分が優れぬご様子。今日はこのまま戻りましょう」
侍女の一人が静かに進言する。
そして全員でフアナ姫を隠すように取り囲んだ。
「う、うむ。戻るぞ」
フアナ姫の言葉を合図に、集まってきた近衛騎士から逃げるように、フアナ姫が再び流れるように去っていった。
しばらく全員が、その不思議な光景を呆然と見守っていた。
そしてとりあえず、なんとかフアナ姫が諦めたことにホッとすると同時に……。
「ヨルダンッ!!」
ロッテの叫び声で、全員の視線が倒れたヨルダンに戻った。
「ヨルダンッ! どうしてこんな……」
「なんということじゃ。わしが犠牲になるつもりだったのに……」
「まさか本当に自分から犠牲になるとは……。お前は立派な騎士だった。失礼なことを言って悪かった、ヨルダン」
デニスとボブの声が虚しく響いた。
次話タイトルは「ヨルダンの役割」です