仕えない呪文
「呪文で発揮される魔力は、基本的に声量で威力が変化します。まずは、囁くように詠唱しましょう。」
グライスの言葉に由香は頷き、短く息を吐いた。
「火よ 由香です 燃やしてください」
「は?」
掲げた右手の先にある紙片には、火は少しも灯っていなかった。あまりにまぬけな由香の詠唱に、グライスはポカンと由香の顔を見つめていた。
「あの、姫巫女様。契約のときに、名が降りたと思うんですが…」
グライスの言葉に由香は苦笑いしながら、頭をかいた。当然だが、契約なんてしたことはないし、名が降りるっていうのも意味がわからなかった。
由香は、ベランダの手すりに頬を押し付けながら深くため息を吐いた。結局いろいろ試してみたが、呪文が成功することはなかった。陽が沈みかけたところで、由香は魔力を集中させることに疲れ練習はとりあえず終わりになったのだ。
「貴女は…いえ。姫巫女様、食事の支度をしてまいります。自室へお戻りください。」
グライスは、疑心に満ちた瞳で何かを言いかけた。疑いに満ち溢れた瞳を思い出し、由香は胃が痛むのを感じた。
「帰りたい。」
「どこに?」
何気ないつぶやきに、まさか返答が返ってくるとは思わず由香は驚いて顔をあげた。由香の目の前には、森であった長髪の男が微笑んでいた。
「ねえ、どこにかえりたいの?ってか、どこから来たの?」
驚きすぎて何も言えない由香に、ゲールは微笑んだままさらに質問をぶつけてきた。目の前で、こともなげに浮遊しているゲールをみて、由香は改めて違う世界に来たということを感じた。
「風の、魔法ですか?」
「そ。俺、風の魔法が得意なんだよねー。」
ゲールは、答えながらふわりと由香の隣に降り立った。さっきよりも深くなった笑みに、由香は魅入られた。トウモロコシ色の長髪に、琥珀色の瞳、少し意地悪そうな微笑みに吸い込まれそうな感覚に襲われた。
(なんか、今の言葉知ってる知ってる)
喪女街道邁進中の由香は、イケメンとの接近に縁があるわけなく混乱する思考の中、この状況に既視感を覚えた。
(私知ってる、この状況)
『そ。俺、風の魔法が得意なんだよねー。』
精一杯背伸びした言い方と、照れくさそうな笑顔。彼は、彼女の手をとってこういうのだ。
「だから、一緒に空を散歩しよう。ずっとこんなとこいたら、腐っちまうよ」
「え。」
「思い出した、ゲール・ドロームだ。姫巫女の恋人」
一気によみがえった、ゲーム画面。ゲールが、5年前に主人公ヴァイスと必死に鍛錬し風の魔法で、想いを寄せる姫巫女を連れ出す場面だ。思わず、口を突いて出た言葉だった。自然に思い出して、それをつい言葉に出してしまった。
怪訝な顔をするゲールに、由香は慌てて両手を振りしどろもどろと言い訳をし
た。
「テンパりすぎだろ。」
ゲールは、そういうと由香の頭をクシャっと撫でた。その瞳には優しさと深い悲しみが宿っていた。