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0.1 ただの風邪薬

薬は、病を治すためにある。


誰もがそう信じている。


けれど、もしその薬が、あなたの知らない何かをもたらすものだったとしたら。


これは、ひとつの薬をきっかけに、日常が少しずつ変わっていく物語。


どうか、最後までお付き合いください。

-ツンと鼻を刺す、薬品の匂い。


白い壁に囲まれた診察室は、どこか息苦しかった。


「風邪ですね」


医師の淡々とした声が、やけに遠く聞こえる。兼坂 斎(かねざか いつき)はいつもならここで渡されないはずの処方箋に目を落とす。

机の上に置かれた処方箋には、見慣れない薬の名前が記されていた


「あぁ、この薬ですか?最近出回りましてね、それも良く効くんだとか、」


「へぇ、そうなんですね」


「ええ。まだ知らない方も多いですけど、最近はこれを処方する病院も増えてるみたいですよ」


医師は慣れた手つきで、白い袋に薬を詰めていく。


「一日三回、食後に一錠。飲み方は普通の風邪薬と変わりません」


「分かりました」


「それと――」

医師が、ふと顔を上げた。


「今回は、お代は結構です」


「いや、さすがにそれは……」


「お気になさらず。今、普及を進めている薬なんです」


「普及?」


「ええ。より多くの方に使っていただきたくて」


医師はカウンターに置かれた薬袋を、こちらへ押し出した。


「よく効きますよ。きっと、気に入っていただけると思います」


風邪薬に、気に入るも何もあるのだろうか。


そう思いながらも、俺は薬袋を受け取った。


「……ずいぶん、評判がいいんですね」


「ええ。おかげさまで」

医師は穏やかに頷いた。


「これから、もっと多くの方に使っていただけるでしょうね」


その言い方が、少しだけ引っかかった。


まるで、これから先のことまで決まっているかのような口ぶりだった。


「……そうですか」


それ以上は何も聞かず、俺は薬袋を受け取った。


聞いたところで、どうせ大した答えは返ってこない。


そう判断して、病院を後にした。


病院を出ると、頭上から差し込む日差しに目を細めた。


ポケットからスマートフォンを取り出し、時刻を確認する。思っていたよりも時間が経っていた。


「……寄り道せずに帰るか」


そう呟き、歩き出す。


道沿いの電柱には、見慣れない広告が貼られていた。


白地に青い文字。中央には、薬の錠剤を模したような簡素なイラストが描かれている。


――あなたの健康を、もっと身近に。


そんな文句が大きく記されていた。


最近、よく見かける広告だ。


テレビでも、ネットでも、似たようなものを目にする。どうやら国を挙げて普及を進めているらしい。


「……そんなにいいもんなのかね」


他人事のように呟き、視線を外す。


今の俺には、薬の評判よりも、帰宅して休むことのほうが重要だった。


鞄の中で、紙袋がかさりと音を立てる。


その存在を確かめることもなく、俺は家路を急いだ。


病院を出てから、寄り道もせずに家へ帰った。


玄関の扉を閉め、靴を脱ぐ。鞄を適当な場所に置いて、そのまま自室へと向かった。


身体が重い。喉も痛むし、頭もぼんやりする。


「……最悪」


制服のままベッドに腰を下ろし、深く息を吐いた。


ふと、鞄の中に入れた紙袋のことを思い出す。


取り出して中を覗くと、白い錠剤の入った包装が目に入った。


今日、病院でもらった風邪薬。


無料だと言われたときは少し驚いたが、帰り道にはもう気にも留めなくなっていた。


そもそも、最近はあちこちで見かける薬だ。特別珍しいものでもないらしい。


「……まあ、飲むか」


説明書を一通り確認し、書かれている用法に従って薬を飲んだ。


水を飲み干し、コップを机に置く。


それだけだった。


苦味もなければ、変わった味もしない。身体に何かが起きるわけでもない。


拍子抜けするほど、普通だった。


俺はベッドに横になり、スマートフォンを手に取った。


いつものように画面を眺め、適当に時間を潰す。


しばらくして、眠気に負けて目を閉じた。


その日、特別なことは何も起こらなかった。


少なくとも、俺自身はそう思っていた。


目を覚ますと、身体の重さはすっかり消えていた。


昨日までの不調が嘘のように、頭も妙に冴えている。


「……すげえな、これ」


昨日もらった薬を思い出しながら、ベッドから起き上がる。


喉の痛みも、頭痛もない。あれほど辛かったのが嘘みたいだった。


身支度を済ませ、机の上に置いていたスマートフォンを手に取る。


そのときだった。


――視界が、揺れた。


一瞬、目の前の景色が別のものにすり替わる。


床に落ちるペン。


転がっていくそれを追う、自分の手。


そして、机の脚にぶつかって止まる。


「……は?」


瞬きをした次の瞬間には、いつもの部屋に戻っていた。


何だったのか、考える間もなかった。


机の上に置かれたペンが、かすかに揺れる。


次いで、それは床へと落ちた。


乾いた音が、静かな部屋に響く。


俺は動けなかった。


床に転がるペンを見つめる。


つい数秒前、確かに見た光景だった。


偶然だ。そう思いたかった。


けれど、落ちる前に見たものが、どうして今、目の前で起きている?


「……なんなんだよ、これ」


声が震えた。


答えてくれる人間は、どこにもいない。


ただ、机の引き出しにしまった薬袋だけが、昨日と変わらずそこにある。


あの薬を飲んでから、何かがおかしい。


そう考えた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


昨日までと同じ朝。


昨日までと同じ部屋。


それなのに、俺の日常は、もう昨日までのものではなくなっていた。



第1話を読んでくださり、ありがとうございます!

ここまで読んでいただけたことがとても嬉しく思います。


もし、何の変哲もない薬が、あなたの日常を変えるものだったとしたら。あなたなら、それを飲みますか?


『DRUG』は、まだ始まったばかりの物語です。

これからどのような展開になっていくのか、見守っていただけたら幸いです。


改めて、読んでくださりありがとうございました。

それでは、また次のお話でお会いしましょう。

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