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運が良かったり悪かったり

異世界ダイニングバーものになります。

登場人物にはVチューバー黴絵師モルドチョップ様の人外娘お絵描きRTA企画から

描かれた人外キャラを参考に使用させていただいています。詳しくは紹介文をご確認お願い致します。

人は、運の良い人生と運の悪い人生があると言う。


 だが、升棚卓(ますだな たく)は少し違った。


 運が良い日の次には、決まって運が悪い日がやって来る。


 まるで天秤のように、幸運と不運が釣り合う人生だった。


 だから卓は、自分が運の良い人間なのか、それとも運の悪い人間なのか、今でもよくわからない。


 小学生の頃だった。


 近所の商店街で年末の福引大会が開かれた。


 何十枚もの補助券を握りしめ、ガラガラと抽選機を回す。


 乾いた音のあと、勢いよく転がり出た金色の玉。


 鐘が鳴った。


 商店街中に響く大きな声。


「一等、おめでとうございます!」


 周囲の大人たちが拍手を送り、同年代の子どもたちが羨望の眼差しを向ける。


 景品は、発売されたばかりの最新ゲーム機だった。


 大きな箱を胸に抱え、卓は走って家へ帰った。


 母は玄関で目を丸くし、それから笑った。


「そんなに嬉しかったの?」


「うん!」


 あの日だけは、自分は世界で一番運の良い子どもだと思った。


 しかし、その幸運は長く続かなかった。


 半月後。


 夢中になって遊んでいた帰り道。


 転んだ拍子にゲーム機を落としてしまった。


 嫌な音がした。


 画面は映らない。


 修理に出そうとした、その翌日。


 ゲーム機を販売していた会社が経営破綻した。


 修理受付も、サポートも、すべて終了。


 新品同然だったゲーム機は、そのまま二度と動くことはなかった。


 ……やはり運が悪かった。


 中学生になった。


 初めて、本気で好きになった女の子がいた。


 クラス替えの日、自分の名前の隣に彼女の名前を見つけた瞬間、思わず拳を握り締めた。


 人生で一番運が良かった。


 そう思った。


 一週間後。


 彼女は父親の転勤で遠くへ引っ越した。


 最後に交わした言葉は、


「またね。」


 その"また"は、一度も訪れなかった。


 運は、長続きしない。


 社会人になってからも、それは変わらない。


 就職した会社は当たりだった。


 給料は悪くない。


 福利厚生も充実している。


 上司は部下をよく見てくれた。


 同僚も気の良い人ばかりだった。


 忙しくても、不思議と苦ではなかった。


 この会社なら長く勤められる。


 そう思っていた。


 入社二年目。


 会社は大手企業へ吸収合併された。


 部署は解散。


 組織は再編。


 若手社員の整理対象に、卓の名前も入っていた。


 運が悪かった。


 だから卓は思う。


 人生とはきっと、プラスマイナスゼロなのだ。


 良いことがあれば、悪いことがある。


 悪いことがあれば、良いこともある。


 そうやって、人は少しずつ生きていくのだろう。


 そう信じていた。


 その日までは。


————————


「升棚くん! 今日は無礼講だぞ!」


 ビールジョッキを片手に、赤ら顔の課長が豪快に笑った。


 店内は忘年会シーズンらしい熱気に包まれていた。


 仕事納めを終えた会社員たちの笑い声があちこちから聞こえ、店員が忙しそうに料理を運んでいる。


「飲め飲め!」


「もう飲んでます」


 卓は苦笑しながらジョッキを軽く掲げた。


「顔色変わんねぇな!」


「体質です」


 その一言に、テーブルからどっと笑いが起こる。


 年末。


 会社の送別会だった。


 吸収合併に伴う部署の解散。


 卓の退職も、すでに決まっている。


 本来なら沈んだ空気になってもおかしくない集まりだった。


 それでも誰一人として愚痴ばかりを口にする者はいない。


 最後くらいは笑って終わろう。


 そんな空気が、この部署らしかった。


 卓はジョッキを傾ける。


 酒は好きだった。


 酔えないが。


 どれだけ飲んでも意識ははっきりしている。


 頭がぼんやりしたことも、足元がおぼつかなくなったこともない。


 医者にも「体質でしょう」としか言われなかった。


 だから飲み会の最後は決まって同じ役回りになる。


 介抱役。


 幹事。


 送り役。


 二次会が終わり。


 三次会が終わる頃には、時計の針は日付をまたいでいた。


「課長、タクシー来ました」


「おぉ……すまんなぁ……」


 卓はふらつく課長の肩を支え、タクシーの後部座席へと乗せる。


 ドアが閉まる寸前、課長は卓の腕を掴んだ。


「お前みたいな若いのを切るなんてなぁ……馬鹿だよ、本当に……」


「ありがとうございます」


「絶対そうだ……」


 言葉を言い切る前に、課長は眠るように目を閉じた。


 タクシーは静かに夜の街へ走り去っていく。


 その背中を見送り、卓は小さく頭を下げた。


 次は部長だった。


 足元は完全に覚束ない。


「升棚くん……」


「はい」


「君は、もっと評価されるべきだった」


「そう言っていただけるだけで十分です」


「会社の損失だよ……」


ホテルのロビーまで送り届けると、部長はそのままソファに腰を下ろし、数秒後には寝息を立て始めた。


 卓はフロントへ事情を説明し、部長を任せて外へ出る。


 最後は係長。


 代行運転の車へ押し込み、シートベルトを締める。


「お前さぁ……」


「はい」


「どこ行ってもやれるぞ」


「そうでしょうか」


「やれる」


 それだけ言うと、係長も静かに眠ってしまった。


 車が見えなくなるまで見送り、卓はようやく一人になった。


「……終わったか」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 冷えた夜風が、火照った頬を優しく撫でていった。


 今日で、この会社との縁も一区切り。


 寂しさがないと言えば嘘になる。


 だが、不思議と未練はなかった。


 きっとまた、何とかなる。


 人生はプラスマイナスゼロなのだから。


 良いことの後には悪いことが来る。


ならば、悪いことの後には良いことが来るはずだ。


卓はコートのポケットへ手を入れ、静かな夜道を歩き始めた。


——————


 午前一時を過ぎても、繁華街はまだ眠ってはいなかった。


 居酒屋からは笑い声が漏れ、酔った会社員たちが肩を組みながら駅へ向かって歩いていく。


 タクシーがひっきりなしに行き交い、ネオンは冬の夜を昼間のように照らしていた。


 卓はゆっくりと歩く。


 ポケットの中へ手を入れ、冷えた指先を温める。


 これからどうしよう。


 退職金はある。


 貯金も多少ある。


 だからすぐに生活へ困ることはない。


 だが、いつまでも休んでいられるほど甘くもない。


 年が明ければ仕事を探そう。


 そんなことを考えながら歩いていると、不意に足が止まった。


「……?」


 一本の細い裏路地。


 見覚えがない。


 何度も歩いた道だ。


 飲み会の帰りにも何度となく通っている。


 それなのに、こんな路地があった記憶は一度もなかった。


 路地の奥に、小さな灯りが見える。


 暖色の優しい光だった。


 誘われるように歩みを進める。


 古びた木造の建物。


 決して新しくはない。


 それでも丁寧に手入れされていることが、一目で分かった。


 軒先には木製の看板。


 そこには流れるような文字で店名が刻まれている。


 Rack of Luck


 聞いたことのない店名だった。


 小さく読み上げる。


 不思議な名前だった。


 酒場らしい。


 それなのに、どこか人生を表しているようにも思えた。


 卓は周囲を見回した。


 会社帰りの男が一人、店のすぐ前を通り過ぎる。


 看板の真横を歩いたにもかかわらず、その男は一度も店を見ることはなかった。


 まるで最初から存在していないかのように。


 卓だけが、その店を見つめていた。


「きのせいか」


 独り言を漏らし、肩をすくめる。


 考えても答えは出ない。


 送別会は楽しかった。


 みんな笑って送り出してくれた。


 それでも。


 本当に飲みたかった酒は、あんな賑やかな酒ではなかった。


 一人で静かに。


 今日という日を終わらせる一杯が欲しかった。


 そう思った時には、もう扉へ手を掛けていた。


——カラン


 澄んだベルの音が店内へ響く。


 同時に、木と酒が混じり合った穏やかな香りが卓を包み込んだ。


 思わず深く息を吸う。


 心が落ち着く香りだった。


 店内は決して広くない。


 木目の美しいカウンター。


 磨き込まれたグラス。


 壁一面を埋め尽くす酒瓶。


 柔らかなランプの灯りが琥珀色に反射し、まるで酒瓶そのものが輝いているようだった。


 客はいない。


 静かな音楽だけが流れている。


 その奥で、一人の男がグラスを磨いていた。


「いらっしゃい。」


 低く、落ち着いた声。


 顔は灯りの加減でよく見えない。


 若いようにも見える。


 年老いているようにも見える。


 どこか現実離れした、不思議な存在感だった。


 それなのに、不思議と恐ろしくはない。


 むしろ、初めて来た店とは思えないほど居心地がいい。


 卓はカウンター席へ腰を下ろした。


 木の椅子が心地よく軋む。


 この店には長い時間が流れている。


 そんな気がした。


「おすすめをお願いします」


 マスターは少しだけ微笑んだ。


 棚から一本の瓶を取り出し、迷いのない手付きで酒を注いでいく。


 氷が静かに音を立てる。


 グラスの中で琥珀色がゆっくりと揺れた。


 最後に柑橘の香りを添え、卓の前へ置く。


「『新たな旅立ち』です。」


 卓は思わず、その名前を口の中で繰り返した。


「新たな旅立ち……」


 退職したばかりの自分に、あまりにも似合いすぎる名前だった。


「餞別みたいですね」


「そうかもしれませんね。」


 男はそれ以上何も言わない。


 卓はグラスを持ち上げ、一口飲んだ。


「……旨い」


 思わず声が漏れる。


 アルコールは柔らかく、口当たりは驚くほど滑らかだった。


 鼻へ抜ける柑橘の香り。


 その奥に、樽の甘い余韻。


 飲み込んだ後もしばらく温もりが残る。


 酒好きの卓でも、初めて味わう一杯だった。


 続いて、小さな皿が置かれる。


 軽く焼かれたフランスパン。


 その上には艶やかなアンチョビ。


「酒には塩気が合います。」


「ですね」


 卓は一口かじる。


 カリッという軽い音。


 アンチョビの塩味が口いっぱいへ広がる。


 その直後にカクテルを飲む。


 互いの旨味が引き立て合い、思わず頬が緩んだ。


「……久しぶりです」


「何がです?」


「酒を、美味しいと思って飲めたのは」


 マスターは静かに頷いた。


 店内には、それ以上言葉はいらなかった。


 どれほどの時間が流れたのだろう。


 卓は空になったグラスを見つめ、小さく息を吐いた。


 送別会で騒がしく飲んだ酒とは違う。


 一杯の酒を、ゆっくりと味わう。


 ただそれだけの時間が、こんなにも贅沢だとは思わなかった。


 静かな音楽。


 木の香り。


 グラスを磨く柔らかな音。


 店の中には穏やかな時間だけが流れている。


 ずっとここに座っていたい。


 そんな気持ちにさえなっていた。


 しかし、いつまでもそうしている訳にもいかない。


 卓は静かに席を立つ。


「ごちそうさまでした」


 男はグラスを磨く手を止め、小さく頷いた。


「ええ。」


「おいくらですか」


「七百円です。」


 卓は少し驚いた。


 この酒と料理なら、倍の値段でも安いくらいだ。


「良心的ですね」


「お酒は値段で飲むものじゃないですから。」


 男は何も答えず、穏やかに笑うだけだった。


 卓は財布を開く。


 中を確認して、小さく苦笑する。


 卓は一万円札を差し出した。


「細かく崩していただけますか。しばらく仕事探しになりますし、小銭が多い方が助かるので」


 男は無言で頷いた。


 一万円札を受け取る。


 やがて小さな革袋を持って戻ってきた。


 卓へそっと差し出す。


 受け取った瞬間、ずしりと重みが伝わる。


 思わず目を丸くした。


「……結構ありますね」


 ずしりと重い。


 思った以上に重い。


 「……?」


 卓は首を傾げながら鞄へしまった。


 しゃらり。


 しゃらり。


 卓は少し笑った。


「全部小銭にしてください、とは言いましたけど……」


 言い方を間違えたかな。


 そんなことを思いながら革袋を鞄へしまう。


「ごちそうさまでした」


「ええ…」


 卓は扉へ向かう。


 その背中へ、男が静かに声を掛けた。


「良い旅を。」


 旅?


 旅行の予定なんてない。


 転職活動のことだろうか。


 そう考えた、その瞬間だった。


 足元が青白く輝く。

 

 巨大な魔法陣。


「なっ──」


 世界が光に包まれた。


 眩しい光が消えた。


 冷たい。


 足の裏から石の感触が伝わる。


 酒場の木の床ではない。


 乾いた空気。


 香の匂い。


 鉄の匂い。


 誰かの鎧がぶつかる金属音。


 卓はゆっくりと目を開いた。


 そこは石造りの巨大な広間だった。


 次に聞こえたのは、酒場の静けさではなかった。


「成功だ!」


「召喚は成功したぞ!」


「やった!」


 大勢の歓声。


 鎧がぶつかり合う音。


 誰かが泣いている。


 誰かが笑っている。


 天井は高く、色鮮やかなステンドグラスから朝日が差し込んでいる。


 床には、自分を中心として巨大な魔法陣。


 その周囲を取り囲むように、甲冑姿の騎士たち。


 豪華な法衣を纏った魔術師。


 王冠を戴く老人。


 そして数え切れないほどの人々。


 全員が卓を見つめていた。


 一拍の静寂。


 次の瞬間。


「勇者様だ!」


「新たな勇者様がおいでになった!」


「我らの救世主だ!」


 歓声が爆発する。


 卓だけが取り残されていた。


「…………」


 頭の中が真っ白だった。


 ここはどこだ。


 何が起きた。


 さっきまで酒を飲んでいたはずだ。


 あの店は。


 あの男は。


 革袋は。


 次々と疑問が浮かぶ。


 だが、そのどれにも答える者はいない。


 王冠を戴いた老人が、ゆっくりと両手を広げた。


「ようこそお越しくださいました、勇者様」


 卓は黙っていた。


 状況は何一つ理解できない。


 だが、一つだけ確かなことがある。


 ――人生は、やはりプラスマイナスゼロらしい。


 そう信じていた。


 だが。


 この日から、

 その天秤は静かに壊れ始める。

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