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おかしい。エリアーヌは焦燥に駆られていた。
今朝、街を出たときは確かに快晴だった。
順調に進んで峠を越え、日が落ちる前には麓近くの街へと続く街道へ出られるはずだった。
それが今、視界は完全に霧に包まれ、道を見失っている。
同行していた護衛と従者の姿も見えなくなった。
荷馬のいななきも聞こえない。完全にはぐれたらしい。
これほどまでに霧が濃く出るとは油断した。
エリアーヌは思わず舌打ちをして、辺りを見回す。
あとは下るだけだったはずだ。
だがこれほど前が見えないとなると、いっそ動かず待った方がいいのか。
だが商会のお嬢様なのだからと、荷物はほとんど荷馬に預けさせられた。
万が一ここで夜を越すようなことになったら、果たして耐えられるのだろうか。
だから自分でもある程度は装備を持ちたいと言ったのに。
エリアーヌは小さく悪態をついた。
霧が出始める前、従者が前に通ったときより沢の水が多いと言っていた。
これだけ辺りが真っ白になっていて、気温も下がってきた気がする。
このまま嵐にでもなったらいよいよまずい。
これはもう、進むしかない。
エリアーヌは踏み固められた道を見失わないよう、足元に目を凝らしながらひたすら進んだ。
峠を下っているだけのはずなのに、自分が登っているのか下っているのかも分からなくなる。
濡れた草がふいに足首をかすめるだけで、エリアーヌの身体は大げさに跳ねた。
エリアーヌの心の中にはただ、恐怖とそれを隠すための見せかけの勇気しかなかった。
どうやらもう日が暮れる。
道の様子を見ても、そろそろ街道に出てもいいはずなのに。
いよいよ自分の運も尽きたかと思ったそのときだった。
小さく、いななきが聞こえる。
自分が連れてきた荷馬かは分からないが、確かに馬がいる。
道慣れた人が通りかかってくれたなら、助けてくれるかもしれない。
だが、物盗りだったら?
今自分が差し出せるものは多くない。では、何を盗られるか。
考えただけでエリアーヌは血の気が引いた。
いよいよ馬の足音が近づいてきた気がする。
ひとまず脇の木にでも隠れた方がいいかどうか。
迷っているうちに、とうとう姿が見える距離まできてしまっていたらしい。
何か光るものと、蹄の音が近づいてくる。
エリアーヌの乱れた呼吸が止まりかけたそのときだった。
「どうされました、お嬢さん」
灯りを手に持ち、馬を引いた若い男だった。
制服のような服を着ているので、どうやら物盗りではないようだ。
「わ、私はガルニエ商会のエリアーヌと申します」
「ガルニエ商会? 失礼ですが、どちらの国の方ですか」
「メルカトラのポルタヴィルという街から来ました」
「あぁ、ナディブ峠を越えてこられたのですね」
「はい。ですが、この霧で供の者たちとはぐれてしまったのです」
「それはお困りでしょう。自分はヴィクアタールの警邏隊の者です。よろしければ、ひとまず麓の街までお連れしましょうか」
「本当ですか! そうしていただけると助かります」
同行者たちの無事も気にはなるが、彼らは自分よりはずっと生き残る術を知っているはず。
今はとにかく身を守らなくてはならない。
とりあえずの危機を脱し、エリアーヌはほっと胸を撫で下ろした。
隊員が引く馬に揺られながら霧の中を進むと、やがてぼんやりと光が見えてくる。
「見えてきましたよ」
「あれが……」
少し暗くなってきた辺りを照らすように、街道沿いの家々の軒先には灯りが下がっている。
ここがエヴェンディア辺境の地、ヴィクアタール。
エリアーヌにとって、今回の旅の目的地だった。




