最終話:巡る夏
「沢田君! この赤線のとこ、修正よろしく!」
「あっ了解です!」
キーボードの操作音、紙を捲る音、あちこちから指示や把握の声が飛び交う、雑誌編集部の隅にて。直之は次に刊行される雑誌のインタビュー記事をまとめていた。
ロクとシンと別れ、目が覚めてから。直之はしばらく家でゆったりとした時間を過ごした後、意を決して再就職に励んだ。何度も資料選考の時点で落とされたが、やっと面接まで通ったここ、出版社に採用され、この一年、新入りとして仕事に追われる日々を過ごしていた。
「直くん、早坂さんのやつ終わった?」
「それが……ここですかね、レイアウトの関係で文字が切れてしまうんですが、」
「おっと、すぐ修正するわ。また後でもう一度お願いしてええ?」
「はい。大丈夫です。」
「ほんと直くんおって助かるわぁ。ありがとなぁ。」
言いながら崩れそうなほど書類の積まれた机に戻る先輩に、あなたはもう少し休んでほしい……と思いつつ、直之も仕事に戻る。直之はこの職場の雰囲気を気に入っている。グループとしての団結力が強く、何かあれば皆でフォローし合う、誰とも気安い会話ができる環境というのもなかなかない。
「さぁてみんな! 上がった上がった! 渡辺君もそれ置いて。根詰めすぎるのなしね。続きはまた明日!」
「うーっす。」
「はーい。」
何より定時で上がっても残業で遅くまで残らなくとも、誰にも文句を言われないことに直之は感動している。それも、残業すれば残業代も出る。直之がそれらを話すと、職場の全員から今までどんなところで働いてたんだと驚かれたわけだが。
「直くんお疲れさん。またなぁ。」
「はい! お疲れ様でした。」
既に歩き慣れた帰路に着く。今夜は豚と茄子のみぞれ煮にしようか、などと、帰ったら出迎えてくれるだろう相手のことを考えながら。
「ただーいま。」
「待ちくたびれたぞ沢田直之。儂は腹が減った。早う、早う。」
「はいはい、今作るな。」
荷物を置いて、早々に台所へ。足元へ寄ってくる澄子の分も考えて、冷蔵庫から材料を取り出す。
もう、一年。
癸眞との日々を、直之は今も鮮明に思い出せる。話を聞いた、レモネードを飲んだ、一緒に寝たし、あの場所にも、行った。そして。
「お主、また考えておるのか。」
「……そりゃ、待ち遠しいからさ。」
直之は腕に触れつつ、澄子に応える。服の袖で隠れているが、そこには消えない、赤い痕があって。
この一年間、直之が癸眞に会えたことはなく、癸眞だと分かるような何かもなかった。勿論、直之はいつまででも待つつもりなのだ。それでも、待ち遠しい、会いに来てくれるのが、待ち遠しくてたまらない。
「なぁ澄子ちゃん、流石にシンがいつここに来るかとかって……」
「はぁ。わからぬと言うたろう。儂は心は読めど、未来そのものを予知することはできぬのよ。ほれ手元をよく見て作業せよ。火傷するぞよ。」
「うん……」
癸眞のことを思うと、直之は身が焦げてしまいそうなほど思い詰めてしまう。そんな姿を隣で見ては澄子が溜息をつくのが日常となってしまった。正直、澄子もやるせない。直之のためにできることがあるならするが、今のところ癸眞に関わる発見も何もないため助言などできるわけもなく。
「よし、でーきた。」
「ほう、みぞれ煮とな。これまた風流なり。早速頂かん……」
「ん? 澄子ちゃん?」
澄子が玄関の方を見る。間をおかずに、チャイムの音が。
「あれ、誰だろ……」
宅配物、は無いはずだし、集金? まだそんな時期じゃないはず……そんなことを思いながら、直之は玄関へ向かった。覗き窓から見えた姿に、弾かれたようにドアを開けて。
「っ――」
「……直殿。待たせた。」
虫の音を風が運ぶ。暑さも忘れて抱き合う影が、一つ。夏はまだまだ、まさにこれからが本番、と言ってもいいだろう。
皆様、酷暑に負けず、疲労に負けず、どうか、ご自愛ください。




