下編 1
昼に降っていた大雨はすっかり止んだ。
冴え冴えとした月明かりが差す窓の光を頼りに、カインは部屋に一つしか無いベッドで眠るソフィアの寝顔をずっと眺めていた。
ソフィアは小動物のように小さく体を丸め、すうすうと深く寝息をたてている。カインはベッドサイドに腰掛け、白い頬をそっと撫でた。
昼間の出来事も、出会ったときのことも、天地がひっくり返るほど怖かっただろうに、彼女は一度も弱音を吐くことは無かった。自分の心配ばかりしていたことにカインは戸惑いを隠せなかった。
生まれ育った家は貧しい農家で、皆心に余裕などなく自分の飢えや疲れのことで精一杯だった。軍隊に入ってからもそれは同じことで、しかもカインは軍の誰からも恐れられ孤立していた。治癒術のおかげで死ぬことはおろか傷つくこともなく、だれからも気遣われることなく過ごしてきた。
ソフィアはカインに回復の手立てがあるのだということを知っていても、彼を何よりも心配していた。
そんな経験に乏しいカインが戸惑うのも、それは仕方のないことだった。
明日からは乗合馬車での移動になるだろうし、護衛がいると知れれば下手な事はしてこないだろう。
早くソフィアが家族と平和に暮らせるように、自分はそのために力を尽くすだけだ。
カインはそう心で呟きながら、床に体を横たえた。
◇◇◇◇◇
朝一番の乗合馬車に揺られ、あっという間に二人は領地に辿り着いた。
あまりに長くの不在にソフィアは少し緊張していたが、家族に会えるのは純粋に嬉しいらしく足取りは軽やかだった。
カインもソフィアとの別れの時間が近いのは分かっていたが、それでもソフィアを無事に送り届けられたことは純粋に嬉しかった。
「お父様もお母様も、きっと心配したわよね……」
「そうだろうな」
「ここまで送ってくれてありがとう。もう少しだけ……よろしくね」
「ああ、分かってるよ。ソフィア」
二人は屋敷の前に立ち、正面玄関のドアを叩く。するとすぐに執事が顔を出し、ソフィアを見て驚愕の表情を浮かべていた。
「お、お、お嬢様……!?」
「リカルド、只今戻りましたわ
……何とか戻ってくる事ができました。リリィ達は無事かしら?」
「そんな……まさか……ああ……本当に……」
「……ハッサン?」
ハッサンと呼ばれた初老の執事は挨拶も出来ず目を白黒させながら、言葉にならない声をあげていた。
ただならぬ騒ぎを聞きつけたのか、ハッサンの後ろからそっと侍女が覗き込み、ソフィアの顔を見て悲鳴を上げて失神した。
その屋敷全体から人が集まり、次々にソフィアを見ては驚愕の表情を浮かべ、腰を抜かす者や震える者まで現れる始末だ。
「ソフィアが戻ったというのは本当か!?」
奥からはっきりとしたよく通る大声が聞こえた。
二人がそちらに目を向けると、がっしりとした大柄の男が走ってくるのが見えた。
男はソフィアを目にすると、一瞬目をむいたまま固まり、それからガッシリとソフィアを抱きしめた。
「お兄様!」
「ソフィア……! これは一体、ああ神様……!」
「お、お兄様!? ちょっとリカルドお兄様! 苦しいですわ……」
「今まで一体、こんなに長い間何処でどのようにしていたのだ!
野党に襲われて、我々はもうお前が生きてはいまいと思っていた。馬車を捨てた街道にも探しに行ったのだぞ!」
「それについては、すべてこれからお話いたしますわ。
まずは私の命の恩人を客室までご案内したいのです。お兄様、リリィ達は戻ってこられたのですね?」
「そうだ、お前が守った従者達は無事だ。
……ああ全く、お前はいつも自分より人の事ばかり優先するから、こんな事になるのだぞ!」
「今回の件は、本当に軽率でしたわ……
カイン様がいなければ、私は街道沿いの樹海で野垂れ死にしていました」
リカルドという名のソフィアの兄は、そう言われて彼女の背後に控えていたカインを見ると、一瞬小さく息を飲んだ。
カインが一礼すると、リカルドも礼を返す。しかしその目は獣のごとく鋭いものだった。カインは気まずく思いながらも、重々しく口を開いた。
「……お久しぶりです。副団長」
「……『緑の』カイン・ラスティ……?」
久しぶりに呼ばれたその忌み名に、カインは苦虫を噛み潰したような顔になったが、ただ頷くしか無かった。
ソフィアは目をこれでもかとばかりに見開いている。
「し、知り合い……ですの?」
◇◇◇◇◇
「紹介します、私の命の恩人である、カイン様です」
「……カイン・ラスティと申します」
カインはソフィアの家族の面々に囲まれ、ぎこちなく礼をした。
領主である父親ネイマーと母親クリスティーナ、兄であり国家騎士団副団長のリカルド、次兄のラカン、弟のクリス……
ここには居ないが三男の兄、クリスティーナが抱いている赤子が末の弟のカミュ。
見事なる男子家系で、しかも全員筋骨隆々だった。領主であるネイマ―はあんな筋肉を一体どこで付けたのだろう? カインは若干遠い目をしながら、この家にしてあのソフィアありだと納得していた。
ネイマ―はカインの正体を知っている様子で彼とソフィアを交互に見つつ、緊迫した面持ちで口を開いた。
「私達はあの襲撃の際に居合わせた従者から、ソフィアが自ら囮になって飛び出していったと聞いたんだよ。
この子はなにも武器を持っていなかった。何故生き延びられたのだろうか……」
「長くなりますが、事情は全てお話します。
俺は樹海の小屋で生活を営んでおりますが、一ヶ月前の夜にソ……お嬢様が生け垣の中で、背中に矢の傷を負い倒れていたのを発見しました。
家に連れ帰り傷の手当てを行いました。出血量があまりにも多かったため回復が遅れましたが……」
「矢!?」
「そ、そんな……」
「私はカイン様の家でしばらく動けませんでしたの。彼は献身的に介抱して下さって、一命をとりとめました」
「お嬢様を返すのが遅れてしまい、申し訳ございません」
「い、いや……それは……」
ソフィアの身に起こったことを、家族たちは愕然としながら聞いていた。
その状態から生き延びたということにも信じがたいという様子で、ネイマ―はかぶりを振った。
その中で一番冷静に話を聞いていたのはリカルドだった。
「……カイン殿」
「は、はい……」
リカルドはおもむろに立ち上がり、腰を折って深くカインに頭を下げた。
「ソフィアは我が家の一女として、俺たち全員が宝物のように大切に育ててきた妹だ……
治癒を施して命を救ってくれた事、俺は一生その事を忘れない。
そして今までの我々の、貴殿に対する扱いを……国家騎士団副団長として、謝罪させてくれ!」
「…………副団長、俺は」
「王家も、仲間だった筈の俺たちも、お前に対して何の礼もせずに放逐した。
恨まれてもおかしくないような待遇で扱われたこともあるだろう。許してくれとは到底言えんが……そんな貴殿がソフィアを救い、ここまで導いてくれたことは筆舌に尽くしがたい程の感謝しかない」
頭を下げ続けるリカルドにカインは戸惑ったが、リカルドの横に座っていたクリスやラカンも立ち上がり、深々と頭を下げた。
話に置いていかれていたソフィアはぽかんとしたまま家族とカインを交互に見つめている。
「……実は俺は来週、騎士団長に任命される予定だ」
「ええっ!? お兄様本当に?」
「カイン殿は国家騎士団に戻る予定は無いだろうか? 勿論、以前のような事は一切ないと俺が保証する」
「……それは……」
「ゆっくり考えてくれ。……それまでどうか、ここに滞在して欲しい」
ネイマ―から重ねて願われたことに、カインは戸惑っていた。
リカルドはソフィアに目を向けた。ソフィアはずっと何かを聞きたそうに、言いたそうにリカルドを見ていた。
「ソフィア、お前はカインの事を何か知っていたのか?」
「いいえ」
「彼は、先の戦争でこの国を救った英雄だ」
「……えっ?」
ソフィアは思わず隣に座るカインを見上げる。するとカインもソフィアを見ていて視線が混じり合う。
ばつが悪そうなカインの藤色の目を見つめ、ソフィアは真っ赤になった。
「し、知らなかったです……」
「色々な事情があって、その事実は隠されたんだ。
だが同じ戦場で戦っていた者に、彼を知らないものはいないだろう」
「いや、忘れてほしいんですけど……」
げんなりするカインを見て、リカルドは苦笑した。
「それは無理だろうな。
戦場でお前の姿を初めて見た時は、俺でも少し背筋が凍ったぞ」
「まあ……気味はだいぶ悪かったでしょうね」
「今冷静に考えれば分かることなんだ。
カイン殿は恐らく、協会の治癒術士と同じ性質の力を持っているんだろう」
リカルドの言葉に、家族達は驚きを隠せない。
ラカンは恐る恐るカインを見た。
「そんな……それじゃあ何故樹海にいたんですか?」
「恐らくだが、協会は俺が戦争に出兵したことで『汚れ』と認識したんでしょう。彼らは人を害する事全般に非常に厳格だから」
「協会は戦時中もカイン殿の存在は認識していただろう。奴らはその上で沈黙している。それが答えだろうな……」
「それについては全く問題はありませんでした。協会での生活が俺に合ったとも思えないですし」
◇◇◇◇◇
客間に通されたカインはひどく疲れていた。
ソフィアの家族達の尊敬や羨望、感謝の眼差しに慣れず、ひどく気を使っていた。
ぼんやりと眺めていた窓から見える庭のテーブルにはソフィアと母クリスティーナが座っていて、クリスティーナはソフィアをずっと抱きしめていた。
本当に良かったとカインは心から思った。あとは彼女を害しようとしている女を探し出し、何とかするだけだ。
物事の鍵はソフィアの『元婚約者』にあるのだろうか。まずはその男を探し出すことから始めることにした。
ソフィアはクリスティーナに抱きしめられ、庭のテラスに座っていた。
家族は従者からの情報で街道や樹海を探し、元婚約者宅にも訪ねた。しかしやはり彼の家はもぬけの殻だったそうだ。
貴族の屋敷に人っ子一人居ないというのもまた不気味な話だ。
リリィと御者は一頭の馬に乗って命からがら帰還したそうだ。概ね健康だったが、ソフィアを置き去りにした事と賊に襲われた恐怖でリリィは現在寝込んでいるという。それでも侍女を解雇せず介抱している両親には感謝しか無い。
カインは治癒術士としての力を備えた兵士として、戦争にずっと参加していた。
その事実にソフィアはとても驚いたが、あれだけ強いのはそういうことなのだと深く納得した。
王都から樹海に至るまでの経緯は不明だが、ソフィアは自分があの樹海で命を落としかけ、そこに住むカインが見つけてその力で癒してくれたことは、何かの不思議な導きがあったように感じていた。
むしろそうあればいい。そう思わずにはいられないほど、ソフィアはカインを好きになっていた。
すみません終わりませんでした……orz
次で最後だと思います。




