65話
人が絶望を感じる時とはいったいどういう時だろうか。
様々な場面が想像できるだろう。
今の俺の絶望は終わらない書類の山だ。
目を通す、許可を出す。これだけなら良かったんだけど、当然として内容を把握して矛盾や疑問があれば突っ込まなきゃいけないし、配下たちはそこら辺まだまだだから例としての修正案を出してやらなきゃいけない。
そしてまた書類が増える永遠のサイクルだ。
一枚処理すれば三枚増える。雨後のタケノコよりも増えるスピードがあるんですけど。
「主様、少しはおやすみなんし」
「……しにそぅな顔、してます……」
俺の仕事を手伝ってくれているネレイドとルーナも心配そうだ。
だけどね、この仕事は今まで殆どスバルさんが処理してきたものなんだよ。知らないまま全部あの子に押し付けてた頃に比べれば、今の方がマシさ、大分大分マシだ。
ちなみに、ネレイドとルーナの秘書能力は期待していた以上に有った。内容は、俺が書類の種類に応じて付けたマークに沿って整理してくれたり、読みやすいように並びを整えてくれたりなどで、書類そのものをやってくれている訳じゃないんだけど、有ると無いとでは大違いだ。正直、助かっている。
「俺よりもお前たちだろ、進化したばかりなのに働いてもらって悪いな。疲れたり嫌になったら遠慮なく言ってくれよ?」
そこらへん俺が無神経で気の回らないヤツだってのはスバルさんで実証済みだからな。
マジで言ってくれないと分からん。朴念人なマスターですまんねぇ……。
「いえいえ、こうして直ぐにお手伝いできるなんて、光栄でありんす」
「……ぅん」
まぁ、二人が良いんなら良いんだけど。
「それじゃ、少し疲れたしお茶にしようか。カタログから好きなものを出すよ」
「あら、それでは緑茶を」
「……ジュースが、ぃいです……」
朴念人を自覚してその場に胡座で変えようとしないのはいけない。
配下たちが少しでも働きやすいようにケアしてかないとな。
ダンジョンマスターって、言わば親族経営の小さい会社の責任者みたいなもんだし。
自分のコーヒーとネレイドの緑茶を取り出す。ルーナはジュースと言っているが、彼女は甘い飲み物を全部ジュースというので、今回は乳酸飲料でも渡しておこう。
そうしてささやかな休憩を取っていた時、部屋のドアがノックされた。
コッコッと静かに響くような音はスバルさんだな。
もうノックと足音で部屋の前に誰がいるか把握できるようになってきたよ……。
「はい、どうぞー」
「失礼しますワダツミ様、休憩中でしたか。時間を改めた方がいいですか?」
「んー、緊急?」
「と言うわけでも無いのですが、カロン配下のサハギン隊に一部、現在の装備では不満だとの声を上げる者達がおりましたので、嘆願書を預かって参りました」
ふむふむ。サハギン隊の数は多いからな。ウチのダンジョン内では最大勢力と言っても過言ではないだろう。
装備をただ強くしてほしいという要求じゃなくて、自分達のスタイルに合わないというお願いなら、なるべく早く対応してやりたいな。
今の書類は人間側に輸出しても問題ないと思われる品の確認作業だし、優先度は高くない。
サハギンたちに対応するか。
「ありがとう、スバルさんも少し休んでいったらどう? なんなら茶菓子も出そう」
「いいですね、熱くて苦いコーヒーと重たいガトーショコラを所望します」
スバルさん、ティーブレイクを楽しみつつもカロリーを補給しようとしている感がありますな。
じゃ、俺も同じものと、ネレイドにはモナカ、ルーナにはゼリーでも出すか。
俺の仕事は爆発的に増えたが、スバルさんの仕事はたいして減っていない。
ネレイドやルーナ、エンケラドゥスと配下が一気に進化して、その部下達もより知性が芽生えてきた。
知性が伸びて良いこともあるけど悪いこともある。
悪いことの筆頭が、いざこざの多さだな。
最近ではミラージュクラムの吐く霧で光合成が出来ないとサルガッソ達が騒いだり、要塞ガニによく踏まれて殻が割れるとミラージュクラムが嘆いたり、イタズラにサルガッソに絡まれて警備の仕事に支障が出ていると要塞ガニが怒ったりと色々続いているからなぁ。
お陰でデスクワークの減ったスバルさんがダンジョンを走り回ることになった。実際はダンジョンコアであるスバルさんは領域内なら無制限に転移できるので、走り回っている訳じゃないけど。
スバルさんの輔佐にポーラがついているけど、彼女も彼女でダンジョンモンスターに好かれているらしく、世話から悩み相談からと案外時間を取られているらしい。
配下が多いのは良いんだけど、もう少し自分達でもしっかりしてくれよ、なんて思っちゃうな。
自警組織が必要なんだろうか?
うん、これは必要だな。ダンジョン内でのモラルを高める為にもよく考えて配備しないと。
配下モンスターたちは俺を盲目なほど信頼してくれているけど、俺の目の届かない所では自由にやっている。
それぞれに性格や個性があるからな、当たり前と言えば当たり前なんだけど。
食べ方一つとっても、スバルさんはガトーショコラとコーヒーを手早く食べているのに対し、ネレイドはモナカを切って上品に口に運んでいる。ルーナはゼリーを舌の上で転がして感触を楽しんでいた。
「あぁ、それと以前ワダツミ様が拾ってきた小鳥たちですが、餌が良いのか発育が早いですね。既に体内に魔石が発生しているのが確認できました」
「え、モンスターになっちゃったの?」
小鳥って、俺がかなり前に、っていっても二ヶ月経ってないくらいだけど、その時に拾ってきた子達だよね。
俺の部屋で暮らしてたんだけど、今は仕事漬けで部屋にさえ帰れないから、スバルさんとポーラの部屋で預かってもらっているのだ。
「ダンジョン内で育成していれば、人間だって魔物化しますよ。ポーラも時間の問題ではないですか?」
「……それ、不味くない?」
「何がですか?」
いや、そんなキョトンとした顔で返されても。
無表情が僅かに綻んだスバルさんは可愛いけど、違う、今はそうじゃない。
小鳥たちはともかく、ポーラもモンスターになっちゃうの?
モンスターになっちゃったら人間の国に帰れないじゃん。
「本当に今さらですね。もう返すつもりなんかとっくに無いんでしょうに。ポーラも帰るつもりは無いそうですよ? あの子には故郷がありませんから」
……そういえばそうだったっけ。
ポーラは獣人の奴隷間の子。故郷と呼べるようなものは無く、知り合いがいたであろう奴隷船も今や海の藻屑だ。
人間側の国で一人にさせるよりかは、ここで暮らした方が幸せだって言うなら、それでもいい。たっぷり幸せにしてやるだけだな。
「それでは私はこれで仕事に戻ります。コーヒーとケーキ、ご馳走さまでした。あと、ネレイドを借りて行きますね」
「わっちを? 何事でありんしょう?」
「サルガッソの生息域の限定化について話し合わなければなりませんので」
「なるほど、それはわっちが必要でありんすなぁ。それでは主様、お仕事の途中ではありんすが、お暇いたします」
「おぅ、そっちも大変だな。あんまり配下を責めてやるなよ?」
現在、海に広く繁茂しているサルガッソ達は、その勢力にものを言わせて他種族に高圧的に当たることがあるらしい。
繁殖力が段違いだからなぁ。俺が今の海域より先に行くなって厳命したから、それもストレスになってるんだと思う。
生息域を拡げるのはサルガッソの本能らしいからな。
上手く話を纏められなかったら、仕方がない、かねてより温めていたプランBを使わざるを得ない。
「話し合いが済み次第、次はミラージュクラムの所に行きます。良いですねルーナ?」
「…………はぃ」
「ワダツミ様、私が戻るまでサハギンの方を宜しくお願い致します」
「スバルさんも、あんまりサルガッソ達を怖がらせないようにね?」
「怖がらせるなんてしませんよ? 分からせるようにはするかもしれませんが」
うん、俺は何も聞かなかった。
スバルさんの横でネレイドの微笑みがひきつっているが、いつものことだと思おう。
俺はサハギンの所に行かなきゃな、うん。
ネレイド、強く生きろ……。




