第一話 敵対する両国の朝は、同じ放送ではじまる
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「本日は分国記念日です」
毎年毎年同じ日に、ネヴァの朝に降ってくる。
「あれから十二年——かつてひとつであったルール国が、義務の国ムストと、禁止の国ネヴァに分かれた日です」
画面には、若い二人の男の写真が映し出される。
並んで笑っている。肩を組んでいる。
粗い画質のせいで、その笑顔はどこか色褪せて見えた。
「お二人は、互いを深く理解しあう兄弟でした。しかし、国の未来をめぐる考えの違いから、それぞれの道を選択されたのです」
若くてきれいな女性キャスターの声は、天気予報を告げるときとまったく同じ調子だった。
にこやかに、少しだけ弾んで、誰も傷つけないように選ばれた言葉だけを使う。
その選択肢の下で、多くの「分国」を拒否した者たちがいたこと。
元々あった国を維持したい派と国分け派でたくさんの血が流れたことには誰も触れない。
ナレーションは、その部分だけを、なめらかに飛び越えていく。
まるで最初からそこに何もなかったかのように。
「本年も、両国の発展を祈り、平和調印式が執り行われます。ネヴァ国のご継嗣が成人を迎えられましたので、今宵は両家のご継嗣が初めて公の場に並び立たれます」
放送は、両国共通のものだった。義務の国にも、禁止の国にも、まったく同じ声、まったく同じ言葉で届く。
数少ない、両国が揃って持っているものの一つ——それがこの朝の声だった。
ジュリエットは、鏡の前でその放送を横目に見ながら、髪を綺麗に梳かされていた。
「ジュリエット様、今日は特別な日なので、髪飾りをつけてはいかがでしょうか? ネヴァの国花、アネモネをモチーフにした金のかんざしか、瞳のお色に合わせた紫の花飾り、どちらがお好きですか?」
侍女のマーサが、ジュリエットの長い黒髪に、慎重に櫛を通し複雑に髪を編み込んでいく。
禁止の国ネヴァでは、「髪は下ろすこと」が国民のルールだ。男性でも短髪は許されない。
髪を長くし、うなじを隠すこと。
そこにある刻印を、決して人目に晒してはならない。
「そうね……紫の方が……いいかな? それとも金の方が式典にふさわしいかな?」
絶対的な経験不足で、公式の場で何が正解かわからない。
自分の感覚だけで決めるのが、どうも落ち着かない。
「うーん、そうですねぇ。どちらもお似合いになると思うんですけど、今日は継嗣様としての晴れ舞台ですから、華やかな金のかんざしになさいませんか?」
「うん、マーサが言うなら間違いないから、金のかんざしにするね」
「かしこまりました!」
——髪飾り一つ、自分で判断できない
情けなくて、ジュリエットは心の中でため息をついた。
放送はその後も、ネヴァとムストで起きた出来事を次々と伝えていく。
「先日、ムスト国内におきまして義務違反が一件確認されました。本日午前中に公開審判が執り行われます」
流れるニュースを右から左へ聞き流していたとき、ふとマーサの手に力が入ったような感じがした。
ジュリエットが鏡越しにマーサを見ると、彼女の顔はどことなく青ざめていた。
「マーサ?」
「……いいえ、何でも」
マーサは、また手を動かし始めた。
だが、その手つきは、さっきより少しだけぎこちなく見えた。
「ねえ、マーサ。気になるの? さっきの義務違反の……」
マーサは、しばらく答えなかった。髪を編み込む手だけが動いている。
やがて、重そうな口を開いた。
「……ジュリエット様。あちらの継嗣殿下が、初めてのお役目として、義務違反の公開審判の見届け役にお立ちになると、街の者から聞きました」
「見届け役?」
ジュリエットには、その言葉の重みが、まだわからなかった。
「狩られたのは、継嗣殿下が幼い頃からお仕えしていた、お年を召した教育係だったと。殿下は、今日の審判をお止めにならなかったそうです」
「公開審判って、ほぼ刻印の刑罰が決まっているようなものよね? ロミオは自分の教育係が刑に処されるのを見届けるってこと?」
「はい、その教育係は殿下に洗脳教育を施そうとした罪に問われたそうです。実は私、国が分かれる前、その方に勉強を教わっていたのです。とても優しくて素晴らしい先生でしたが……」
マーサの声が、そこで小さくなった。それ以上は言うべきではないと、自分で判断したらしかった。
ジュリエットは、鏡の中の自分の顔を見た。
今夜、ガラス越しに手を合わせることになっている相手。名前と顔だけは知っている、私のいとこ。
義務の国ムストの継嗣。
その人が、大事な式典前に、自分の教育係の公開審判を見届けるというのだ。
彼はジュリエットの一つ年上ですでに成人し、去年の平和調印式に参加していた。ジュリエットはその姿を放送で見ていただけだが、背筋をまっすぐに伸ばして立ち、凛とした雰囲気だったのを思い出す。
────非情なようには見えなかった。洗脳教育って、本当かな?
想像しようとして、うまくできなかった。国が分かれる前、たしか四歳ころまでは同じように王宮で暮らしていたはず。幼かったせいもあって、そのころの記憶はおぼろげだ。
今夜、十二年ぶりに目の前に立つ。
彼は私のことを覚えているのだろうか……それを聞けるほど親しくはない。
何より、ネヴァとムストの関係性は最悪と言っても過言ではない。
平和調印の維持など、表向きは友好であるように見せかけて、実際はお互いが目障りでしかたないのだ。
今日の調印式、失敗は許されない。もし失敗すれば、ネヴァの継嗣は役立たずだとムストから非難の声が上がるだろう。
今から足が震える。
私はうまくやれるのだろうか。
────失敗しませんように
何度も繰り返し練習した儀式の行程を、進行を覚えたはずの自分を
誰よりも自分が信じられなかった。
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「本年も、両国の発展を祈り、平和調印式が執り行われます。ネヴァ国のご継嗣が成人を迎えられましたので、今宵は両家のご継嗣が初めて公の場に並び立たれます」
ロミオは、その声を聞きながら、シャツの襟を直していた。
もう三度目だ。まっすぐになっているのに、指が勝手に襟先へ伸びる。
「殿下、何度お色直しされたら気が済むんですか?」
鏡越しに目が合った、眉目秀麗・細マッチョの男、名はベンヴォーリオ。
専属護衛であり信頼のおける側近でもあるこの男は、剣を握らせればムスト国内一。
甘いマスクに騙される女性が多いが、実は皮肉屋である。
今は主の身支度を眺めて、口の端だけで笑っている。
「ベン、何度も言うな、わかっている。そして、衣装は着替えていないのだから、お色直しはおかしいだろう? お前の皮肉の質も落ちたな」
「そんな細かいこと、突っ込まないでくださいよ。わかっていて、まだ襟が気になって触ってらっしゃいます?」
「……手が、勝手に動くんだ、しかたないだろう」
自分でもおかしいと思う。だが止まらない。
────今日、僕は初めて見届け役になる。
朝から何も胃に入れていないのに重い。喉の奥がすぼまって、水さえ飲みたくなかった。
「殿下」
ベンの声から、笑いが消えていた。
「行きましょう。時間です」
広場には、すでに人が集められていた。
集まっている、というより、集められている。
義務の国で行われる国の行事では、誰も口を開かない、誰も隣を見ない。
それが正しい振る舞いだと、万が一義務に反する行為があれば狩られると、国が分かれたあの日からその身に刻まれているからだ。
検閲局の制服を着た男が、名簿を片手に、やけに柔らかい声で告げる。
「ムスト国民の皆さま、本日はお忙しいところお集まりいただき、まことにありがとうございます」
これから起こることを考えれば、彼の口調は異常だ。だが誰もそれを指摘できない。
「これより、ムスト国の最大級の罪、『義務違反』の公開審判を執り行います。皆さまにおかれましては、どうぞ、そのままお待ちくださいませ」
その丁寧さが、ロミオの背筋をひやりと撫でた。
────なぜ、こんなに優しい声で言えるんだ。
護送されてくる人影が見えた瞬間、ロミオの心臓が、ドクンと一つ跳ねた。
年老いた男だった。背中が丸く、着ているものは質素で、いつも通りだった。
何百回と見てきた顔だった。
「オーレン、先生……」
声が、喉の奥で潰れて、ちゃんと音にならなかった。
国が二つに分かれた後、継嗣教育の適任者としてオーレン先生が招聘された。ロミオがまだ五歳のころだ。
ルール国の市井で、長らく子どもたち向けの学習塾を開いていた。
満足に字も書けなかった頃から、教え導いてくれた人だ。
義務の作法も、もともと一つだったルール国のことも、最初にすべてこの人から教わった。
義務違反は『継嗣への洗脳教育』
継嗣として正しくあろうと、義務感にがんじがらめになっている私に、「息抜き」や「自由」を教えようとしてくれた人。
子どもの頃、父の無関心がつらくて泣いていた時、こっそりお菓子をくれたのも先生だった。
その人が今、両脇を検閲局員に固められて、広場の中央へ引き出されようとしている。
ロミオの指先から、体温が引いていく。
ベンが、かたい表情で後ろに控える。
私はムスト国、総領主の一人息子。
しかし、恩師を救う力もなく、義務違反と言われれば、それをただ見届けるしかない
義務の国の継嗣。
オリジナル世界観で、徐々に国の歪みなどが明らかになっていきます。
ジュリエットは絶対的経験不足の、超超箱入り娘ちゃんです。
どうか見守ってやってください。




