西中の原北部からの脱出
針のように細い葉はいまだ深緑色をしている。横に広がった枝の先には、両手で持たなければもぎ取れないような大きさの松ぼっくりがくっついている。
この辺りは同じような木が生えているらしくて、陰になった部分の深緑色と陽の当たるやや淡い色の緑があいまいな縞模様をつくっている。
視界を遮る葉の間から、二足歩行するチェインメイルを着て槍を持った豚とイノシシのあいの子のようなものの群れがうろついているのが見える。
「あれって、やっぱりオークですよね」
小さくささやくように、パウルさんに聞いてみる。
「そうだな。オークだな」
パウルさんも声を低めてささやいてくる。
「オークに混ざってオーガもいませんか」
「そうだな。オーガもいるな」
足元はあまり見ない方が良いだろう。私はそんなには高いところが得意ではない。
せっかく、眺めの良いところにいるのだから、心を穏やかにして美しい景色を楽しめば良い。
空を見上げると、上空には一匹金貨十枚の価値のある石の塊が三十匹ほど飛んでいる。
「あれって、やっぱりガーゴイルですよね」
「そうだな。ガーゴイルだな」
唸り声が聞こえてくる。
後ろを振り返るとベアトリクスが腕を組んで睨んでいる。
「どうしたの? ベアトリクス」
「どうしたも、こうしたもないでしょうが。さっきから同じことばっかり言って。これからどうするのよ」
「そう、唸るな。今のところは手立てがない。大人しく機会を待つしかないぞ」
「全く。パウル流飛行術を使っている時はパウルさんがお椀にかかりっきりになって、ガーゴイルを追っ払うことすらできなくなるなんて盲点だったわ」
うーん……。
また唸ってる。
どうして、こうなったのか。
衛兵隊が逃げる時間を稼ぐために囮になったからだ。
もっとも追い回されたのはこちらだが。
話は二時間以上前に遡る。
ハンスさん達を見送った後、適当な木に登って様子を見ていた。
オークが小屋に入って行ったなと思っていたら、入れ違いにガーゴイルがぞろぞろ出てきた。夜が明けたから交代したようだ。
バタバタと飛び上がってくる。
「いかんな。衛兵隊が見つかってしまう。連中今日は人間相手だから、聖水の用意がないぞ」
ガーゴイルに普通の矢は通用しない。魔法兵が何人かいたが、森の中で空飛ぶ奴を相手にするのは、ちとつらい。
「儂らが囮になるぞ」
「大丈夫?」
「任せておけ。パウル流飛行術で振り回してやるわ」
勢いよく飛び出したのは良かったのだが、飛行術では相手の方が上だった。散々追い回された。
「止むを得ん。北に逃げるぞ」
「えっ? 北?」
「南と東には行けん。味方がおるかも知れん。かと言って西に行けば帰って来れんようになる。北ならば山の傾斜が利用できるし、味方からも遠ざかる」
「傾斜?」
「そうじゃ。今よりも上昇すると底が抜ける。なんとか今の高さで山際まで飛んで行って、木の陰に隠れるぞ」
北に向かってまっすぐに飛んで行く。
「ベアトリクス! 来たわよ!」
「ああー! もう!」
至近距離まで近づいて来た奴は、ベアトリクスが雷の魔法を放って羽に穴を開けた。
くるくる回りながら落ちていく。
相手は魔法を使えない。近づいて来て爪で薙ぎ払おうとするだけだ。
お椀を先頭にガーゴイルがほぼ一直線に並んで列を作った。
「一匹ずつ来てくれるから簡単ね」
「最初からこうしてりゃ良かったのよ!」
山小屋の上での空中戦では、お椀が何度も方向転換したせいで二人共何度も外した。
キレながら雷の魔法でガーゴイルを撃墜するベアトリクスを宥めていたら、段々高度が下がってきた。
いや、違う。山の傾斜に差し掛かった。
「ちょっと、大丈夫? 木に引っ掛かって落ちたりしないわよね?」
「ジャンヌ。カモフラージュの巻物を出してくれ。姿を消して木の上に逃げるぞ」
これはいけない。緊急事態だ。
慌てて巻物を取り出して姿を消す。
「掴まっておれ」
急角度で方向転換したお椀は、少し東の方に進んだ後、大きな松の傍に止まった。枝の上に乗り移って避難した。
当然、ガーゴイルは上空を警戒する。潜んでいるうちにガーゴイルがオークを足に掴んで運んできた。
そして、現在に至り、私とパウルさんは風景を楽しみつつ魔物の種類を確認し、ベアトリクスが唸りながら腕を組んでいる。
「そう心配するな。夜になれば間違いなく逃げ切れるぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、ジャンヌがライトを最大光量で光らせれば連中の目をくらませることが出来る。そうなればパウル流飛行術で逃げる時間を稼げるだろう。一旦距離をおけば大丈夫じゃ」
確かにそうだ。東の原でもライトはガーゴイルに効果的だった。点けたり消したりしていれば目くらましにはなる。
「じゃあ、大丈夫ですね。ここでゆっくりと潜んでましょうよ」
「問題はカモフラージュの効果がもつのは後一時間くらいなのだが、完全に陽が落ちるまでは五時間はかかる点だな」
太陽はまだ真南には登り切っていない。
うーん……。思わず私まで腕を組んで唸ってしまった。
まさか、太陽が敵の助けになるとは……。
南の空を見上げると、青空に太陽が眩しい。
ん? ちょっと、待てよ。
魔物は太陽の光が嫌いなはずだ……。太陽は南、やや東にある……。それならば……。
「パウルさん、ベアトリクスもちょっといい?」
思いついたことを二人に相談した。
「姿を現しなさい!」
カモフラージュ解除の合言葉を唱える。同時にお椀が飛行を開始した。飛んでしまえばオークなどは恐れるに足りない。木の上を飛んでいるから矢も来ない。
問題はガーゴイルだ。
気付いて近づいて来た奴が十匹ほどいる。魔法で狙いつつ、太陽に向かって飛んだ。
必然的にガーゴイルは私達の後から追跡……つまり太陽目掛けて飛ぶことになる。
「ギャッ! ギャッ!」
両手で顔を抑えながら飛んでくる。
眩しいのだろう。月が魔物の味方なら、太陽は人間の味方だ。
「ベアトリクス! 今よ!」
「はいよ!」
ベアトリクスが巨大松ぼっくりをお椀の縁からゆっくりと落とす。そう重くはないが十分に大きい。
一瞬お椀が加速する。松ぼっくりはウィンドウ・バリアが解除され私達を飛ばす風の力で、弾かれたように後ろに飛ばされていく。
目を覆っていては避けられまい。
見事命中した。軽いからダメージは浅いが空中で急停止させさえすれば良い。後続がぶつかってきて、もつれるように落ちていった。これで距離を稼げる。
「思ったよりも上手くいったわね」
ベアトリクスがハイタッチしてくるが、問題はここからだ。いい加減上昇している。
「そろそろ降りるぞ」
ゆっくりと降りるなんてことはできない。落ちるだけだ。
後ろの方だけを少しずつ解体するから前には進むが、どんどん高度が下がってくる。落ちる怖さを懸命に我慢して、背後のガーゴイルを睨みつける。
太陽を気にせずにすむから、ガーゴイルも追いすがってきた。数が多いので魔法で全部は倒せない。
ベアトリクスと二人で、一匹ずつ魔法で撃墜して必死になってしのいだ。
落ちる途中でまた上昇する。
ギリギリまで粘って木の枝すれすれになってから上昇した。急降下してきたガーゴイルが一匹木にぶつかった。鈍い音がしたから砕けたかも知れない。
上がったり下がったりしながら少しずつ数を減らし、なんとかガーゴイルを振り切った。
太陽が真南を過ぎた。
もう一時間は飛んだ。私とベアトリクスは魔法が打ち止めに近い。
右を見ると遥か遠くに煙が一筋立ち上っている。不埒者共の拠点だ。オーク共が火を付けたんだろう。
渓流の北はベテランの猟師も立ち入らない魔物の領域だ。
パウルさんによれば、他国から流れて来た連中が食い詰めて渓流の北で野盗や山賊になったとしても、衛兵隊は討伐に行かないらしい。放っておいても魔物に襲われるからだ。
「じゃあ、どうして今回は?」
「攫われた者がおるかもしれんかったからだ。そういった場合は、何がなんでも助け出さねばならん。正しい弱者を守るのは衛兵隊の義務だ」
護るべき者のために……衛兵隊のモットーを思い出した。
「護る、か……」
ベアトリクスが呟いた。
「魔法を使う私達は、魔法を使えない人達よりは強いから、弱い人達を護らないといけないのよね」
「そうじゃ。それが魔法使いの義務だ」
「難しいわね」
「お前達はよくやっておるよ」
平静を装っていても、ついついはにかんでしまうな。
休まなければならないので、森の中に降りて藪に潜む。
腹が減ったと言うので、朝ご飯にする。
「何か食べる物を持っとるだろう?」
「ジャンヌ。早く出しなさいよ」
何の準備もしていない魔法使い二人が催促してきた。
一体、人を何だと思っているのか。
芋虫の小袋を目の前に突き出してやろうか。
とりあえず街道クッキーを食べる。相変わらず美味しい。敵地にいても、表面のサクサクとした歯ごたえと、中身のしっとり感は変わらない。
マニアが随分と喜んでくれた。
「魔力が回復するまで休まないといけないわ」
休むと言っても数時間は必要だ。果たしてそんな余裕があるのだろうか?
「こういう時は、まずは敵から遠ざかることと、味方と合流することが基本じゃ」
街道クッキーを食べて元気になったマニアが、今後の行方を考え始めた。
「じゃあ、東に行くの」
「そうだな。マルセロ達と別れた所まで行って見よう」
「飛行術は使えるの?」
「後一回で打ち止めじゃな」
それは深刻だ。パウルさんが魔法を使えなくなったら、相手が何であれ全滅しかねない。
「案ずるな。中級魔法なら十回くらいは大丈夫だ」
一般的に、魔法制御力……いわゆる魔力は、上級魔法一回は中級魔法十回に、中級魔法一回は初級魔法十回に匹敵すると言われている。初級魔法使いが中級魔法使いになる時の目安が、初級魔法を一日で二十回くらい使えるかどうかだ、とも言われている。私もベアトリクスもクリアしているが、まだ初級魔法しか使えない。
勿論、いきなり上級魔法を覚えるような例外も存在するが、そういう人は覚える魔法の種類が少ない。
「ここからはしばらく歩くしかないな。その後で飛行術だ」
「えー! 歩いていて変なのに襲われたら魔力切れになっちゃうじゃない」
「一気に南に行った方が良くはないですか?」
「敵もそう思うだろうな」
うーむ。倒したガーゴイルは二十匹程度だ。まだ三十匹はいる。オークを運んで来たら倍になる。ましてや、オーガがいたら碌に抵抗もできずなぶり殺しだ。
仕方ない。歩くか。
ヒイヒイ言いながら二時間以上頑張って歩いた頃、頭上から聞きなれた鳴き声が聞こえてくる。
「チュルリ!」
手を差し出すとチュルリがちょこんと乗ってきた。
足に手紙がついている。手紙はパウルさんに渡し、腰に括り付けた籠に入れて芋虫をあげる。
「衛兵隊と合流して渓流を越えたのは良いが、オークとガーゴイルが渡河点に近づいて来ているらしい。渓流で支える予定だから早く南に逃げろ、と言ってきた」
大変な話だ。
「北から攻めて来たの?」
「そこまでは分からん。儂らが交戦した連中かも知れん」
「中の原は大丈夫でしょうか?」
「マルセロが中の原には伝えたらしい。アドルフ町長がおるから大丈夫だろう」
書簡送信用のテレポートの巻物だろう。アンジェリカさんがお店にいるはずだ。
「ここからはスピード勝負だ。飛行術で一気に南に行くぞ」
「はい!」




