第十二話 新しい夜着
いつもと違い、陽が高くなってから目覚めた。
夕べはアドルフさん達と別れた後で、幽霊屋敷に帰ってもうひと騒ぎした。
今日は全員仕事が休みだ。遠慮は要らないとばかりに、調子にのってしまった。
傍らにはデューネが寝ている。泊めろ、というので私の部屋に泊めてあげた。
私の部屋も調度が充実してきて、大き目のベッドにチェストにテーブルに二脚の椅子くらいはある。床にはカーペットも敷いてある。一人くらいはお泊りできる。
緑色のカーテンを開けて部屋の中にお陽様を入れる。赤く染まった木の葉を揺らす風は、秋らしく少し肌寒い。
デューネの寝顔と水色の指輪を見比べる。
水の精の守護か……。
凄いことなんだろうな。
今更ながらに実感が湧いてきた。
考えてみれば、アンジェリカさんが使う水魔法の総元締めだ。どれほどの力なんだろうか。
目を閉じて寝ている姿からはとても想像できないな。
床には水を張った盥がおいてある。乾燥するとお肌が荒れるので水が欲しいと言ったから、夕べ寝る前に汲んできた。
強大な力で洪水を引き起こすことが出来る癖に、お肌の荒れを気にして盥の水を欲しがるなんて……つい、口元が緩んでしまう。
パチリと眼が開いた。
「おはよう」
「もう朝? いや、昼かな」
起き上がって伸びをしている。
夜着が無いので作業衣を着て寝て貰った。灰色で帯がこげ茶の地味な色合いのうえに継ぎはぎだらけだが、水かけ祭りで聖水を散々にかぶった方なので、綺麗でいいわね、と気に入ってくれた。専用の夜着を買って聖水に漬けこんでおこう。
「お腹が空いたわ」
早速だ。
水差しから水を飲んだ後で催促してくる。
夕べあれだけ飲み食いしていて、胃もたれもないのか。胃袋が湖に繋がってんじゃなかろうか。
「台所に行けば何かあるからそこで食べよう。服を着替えてね」
「これ貰ってもいい?」
「ごめんね、私も替えの服が無いのよ」
私が持っている神官用の服は、祭衣が一着、神官衣が二着、作業衣が二着、冬用の黒い外套が一着で全てだ。それ以外は、肌着が何着かと魔物退治の時に着る黒紫と緑マーブル二種類しかない。
「今日は時間あるの? 何だったら町の見物がてらに新しいお泊り用の夜着を買いに行こうか?」
ニコニコしながら頷いてる。これで今日の予定は決定だな。
大勢で町を練り歩くのもアレなので、早起きしていたベイオウルフに一緒に来てもらったのだが、一時間もしないうちに後悔した。
とにかくデューネがはしゃいで全部のお店に入ろうとする。
考えてみたら、生まれて初めて人間の町に来たんだ。仕方ないか。
「ねえねえ、あのお店はなに?」
「あれは、お風呂屋さんよ。うちにもあるから入らなくてもいいわ」
「ああ、あれね。でも人間て不便ね。あんな熱いのに入らないと体を綺麗にできないなんて」
「体を綺麗にするだけじゃないのよ。体を温めておけば病気にもなりにくいし、お肌もすべすべになるのよ。汗をかいて、綺麗な水を飲んだら身体の中の水分を入れ替えられるのよ」
水の精には理解できないだろう。なにせ身体が水で出来ている。温度が上がったら蒸発してしまう。
「身体の悪い水を入れ替えるの? やったげようか?」
いきなり頬をペタぺタと触ってきた。
「何なの一体?」
「そう言わずに自分の肌触って見なさいよ」
なんなんだろう一体……て、えええっ! すべすべ? おまけにしっとりしているし。
「ジャンヌ。肌が艶々してるよ」
「凄いでしょ」
ニコニコしている。
指先をピッと弾くと水が一滴飛んで行った。
「お肌には潤いが必要なのよ。若いからって油断しちゃ駄目よ」
「どうやったの?」
「簡単よ。少しだけ肌の汚れた水を綺麗な水と入れ替えたの。ついでにほんの少し潤いの追加ね」
「そんな凄いことが出来るの!」
「どう? 水の力が少しは分かった?」
「感動だわ! あなた世界中の女性の味方よ!」
ベイオウルフもやって貰ったが、もう少し気をつけなさい、と叱られていた。衛兵隊だ。少々ガサツなのは仕方ない。
浄化の力とでも言うのだろうか、その気になれば、お肌どころかある程度の怪我や病気も直せるらしい。実際に、湖にきた動物を直してあげたこともあるらしい。
ただし、回復魔法と違って時間がかかるそうだ。きっと、身体の中から少しずつ癒していくんだろう。
もうこれだけで大金持ちになれるんじゃあなかろうか。
「そう言うのは駄目。お金儲けなんて俗世にまみれちゃったら力が落ちちゃうわ」
「フワフワは大丈夫なの?」
「お菓子代を稼ぐくらいなら良いのよ」
どうも基準が良く分からないな。
「ただならいいの?」
「そうね。でも安売りはしたくないわね」
難しいものだ。
良く分からないが、目的がお金儲けでさえなければ良いらしい。
「それに私は中立だからね。人間にばっかり肩入れするわけにはいかないの」
なるほど。それなら分かる。要は簡単に使っちゃいけないんだろう。
デューネが立ち止まった。また何か見つけたようだ。
「ねえねえ、あのお店は? なんか凄い飾り立ててるんだけど」
デューネが指さすのは娼館だ。どう説明すれば良いのか分からない。
「あれはね。綺麗な女の人が男の人に春を売る場所なのよ。だから、私達が買える物は売ってないわ」
分かってくれたのか、表情が無くなった。少々刺激が強すぎたか。
「秋に春を売るなんてすごい魔法じゃない。是非見せて貰いましょうよ」
しまった。精霊には通じなかった。
ちょっと待って、と手を引っ張ろうとしたが、逆に引っ張られて入口にまで引きずられてしまう。
「いいじゃないか。社会勉強さ」
「ベイオウルフ! 同僚がよく利用してるからって、おおらか過ぎない!」
「こんにちわー」
ああっ、中に入っちゃった。どうなっても知らないわよ。
「陽が高いうちは閉店だよ。暗くなってから出直して来な。って、あら、ジャンヌ神官さん。どうしたの? 一体?」
女将さんが出て来た。赤い薄い生地のドレスというか、ドレスの形をした薄い生地というか、を着ている。
元娼婦だけあって艶めかしい。
実はアドルフさんの知り合いのお嬢様の案内をしていて、と手短に事情を話すと大笑いされた。
「ジェニファー先生とメアリーが来てるから、ご一緒すれば?」
デューネを見ると、ニコニコ頷いている。
本人が良いならいいか。なるようになるしかないな。
一階の一番奥の部屋に行くと、お姉さん達が大勢集まっていた。朝早くの教会のお説教に参加するのは、夜遅いお姉さん達にはつらいだろうと、孤児院の先生が交代で出張御祈祷に来ている。私も何度となく来ているので勝手は知っている。
なので、女将さんやお姉さん達からは、私も好意的に見てもらっている。
「あら、ジャンヌ、どうしたの一体?」
女将さんと同じことを言われた。
一七五の会の七人目、メアリーだ。明日にでも卒業して私達に合流する予定だ。
彼女は薬師志望の魔法使いだ。既に町の薬師の一人に弟子入りしていて、薬草を集める時に一緒に魔物退治をすることになっている。
同じ説明をすると、やっぱり大笑いされた。
折角だ。デューネを紹介する。今後一緒に飲み食いすることもあるだろう。
「事情があるのよ。後で詳しく話すわ」
隠し事は規約違反になる。目配せすると、真面目な顔で頷いてきた。
「そういう、あんたはどうしたのよ」
「お姉さん達にお薬を持って来たのよ」
「お薬?」
「お酒の飲み過ぎよ」
「なるほど」
メアリーのお母さんはここの娼館にいた娼婦でお父さんは誰だか分からないらしい。流行り病でお母さんが亡くなって、生まれ育った娼館から孤児院に来た。薬師になったのも、娼館のお姉さん達が病気で苦しんでいるのをよく見ていたから、少しでも力になりたいのだろう。
子供の頃からお姉さん達の男心をくすぐる所作を見て育ったせいか、もの凄くモテる。
顔も可愛く、スタイルも良いのだが、女の私が見てもびっくりするくらい色気がある。ベアトリクスがオッサンたらしとすれば、メアリーは男たらしだ。もっとも、オッサン担当のベアトリクスと比較的若い男担当のメアリーと縄張りがある。
就職先を探す時だ。店番をやっているだけで男性客が増えるので、町の薬師の間で争奪戦になった。
色々な薬師の元を転々とした後で、おばあさんが路地裏で一人細々とやっているとこに決めたの。男性客が増えたせいか忙しくなってしまい、ボケてはおれんと若返ったそうだ。
「私も一緒に行こうか?」
「いいの? ありがとう」
キュウッと抱きしめてくれる。ベアトリクスとはまた違う優しく柔らかい感触に、思わず惚けそうになってしまった。
「あら、ジャンヌ。どうしたの一体?」
ジェニファー先生だ。
同じような反応をされた。同じように説明すると、やっぱり大笑いされた。
「そちらのお嬢さんは女将さんにお任せすればよろしいですわ。丁度これから具合の悪い方を診させていただきますから、貴方も手伝って下さる?」
「あっ、はい分かりました」
ジェニファー先生とメアリーの後についてお姉さんの病気のお姉さんの部屋に行くと、水色の薄絹のドレスを着たお姉さんがベッドに寝ていた。
大分吐いたのだろう、青白い顔でフウフウ言っている。
「大丈夫?」
「すいません先生。お客に飲されて一本空けちゃった」
「しょうがないわね。気をつけないと体に毒よ」
「はい。ごめんなさい」
問診を始めた先生の横で、顔を拭こうと手拭を盥に浸して水を絞っていると、ちょいちょい、とデューネが肩を突っついてくる。振り返ったら部屋の外を指さしている。部屋を出て話したいんだな。
「どうしたの?」
「あの娘、病気なの?」
「お酒を飲み過ぎたみたい。瓶一本空けたみたいよ」
「へー、人間て弱いのね」
樽を抱えて飲む精霊には酒に弱い者の辛さは分かるまい。
「手、貸したげよっか?」
「治せるの?」
「解毒は水の精霊の得意技よ。あのくらいすぐに直せるわ」
「お礼は私が何とかするから。お願い、力を貸して」
「じゃあ、一つお願いを聞いてくれたら力を貸してあげるわ。でも、精霊の力を使ったってことになったら後々面倒だから、そこは上手く説明してね」
こういうのはベアトリクスの領域なんだけどな。とりあえず、ジェニファー先生に聞いてみようか。
「ジェニファー先生」
「なあに?」
「ちょっと。いいですか?」
部屋の外に来てもらって容態を聞くと、かなりやばいらしい。
「実は私の知り合いの薬師の娘がいまして……」
「デューネよ。よろしく」
「こんにちはデューネ。ジェニファーよ」
「私の手持ちの薬で治せると思うの。任せて貰えたら大丈夫よ」
ジェニファー先生がデューネと私を見つめる。
「わかったわ。どうしましょうか? 患者と二人きりの方がいいかしら?」
「そうね。そうしてもらえる? ジャンヌ、少し待っててね」
早速、メアリーが部屋の外に出され、ジェニファー先生がお姉さんに水を飲ませてから手拭を目にあてて外に出て来た。
「じゃあ、後はお願いして良いかしら」
デューネが部屋に入ると、ドアを閉めてこちらに向き直る。
「あなた、大変なお友達が出来たのね」
私の手を取り、指輪を見つめて言ってきた。
「あの……」
「なにも言わなくてもいいのよ。あの娘はあなたのお友達の薬師なのでしょう?」
「あっ、はい。アドルフさんのお連れの方で私の新しい友達です」
「大変優秀な方みたいですけど、あんまり大っぴらに人に話しちゃいけませんよ」
「はい。ありがとうございます」
そっと私の手を放してくれた。
完全にバレてるな。なんでバレたんだろ? でも、ジェニファー先生なら大丈夫か。
ドアが開いてデューネが出て来た。
「もう、大丈夫よ」
部屋の中をみると、顔色が戻ったお姉さんが、スースー寝息を立てている。
「ありがとう。腕が良い薬師さんね」
ジェニファー先生に褒められてまんざらでもなさそうだ。凄いじゃない、と抱きついていくと、ウフフ、と笑いながら頭を撫でてくれた。
女将さんが出て来た。
「治療費はいかほどでしょうか?」
「私ではありませんわ。この方よ」
デューネを見ると、具合の悪かったお姉さんの着ていたドレスが欲しい、と言う。
「あんなので良ければ二枚でも、三枚でも。でも薬代に比べたら安物だよ」
「いいの。気に入ったわ。折角だから水色を二枚貰おうかしら」
「本当にそれでいいのかい? じゃあ、身体に合うのを探すからこっちに来て。ジャンヌ神官さん。ついでに、この店がどういう場所か説明しておこうか?」
「あっ、はい。ありがとうございます。お願いします」
どうやら本命の夜着を見つけたようだ。でも、あれを着て私の部屋にいたら目のやり場に困るかも知れないな。
「では御祈祷を始めますわ。ジャンヌ手伝ってくれる?」
「あっ、はい。ベイオウルフ、メアリー。デューネをよろしくね」
「わかった。任せておいて」
御祈祷が終わると、女将さんが手招きしている。
何かあったのだろうか?
「あなたのお連れさん、若いのに凄いわね」
お肌を若返らせてもらったのだろうか?
「私はこの商売長いからさ、色々な人間を見てきたけど、あのお連れさんみたいな人は初めてだね」
ヤバい。普通ではないことを見抜かれてしまったか。
「いや、ほら、ここの仕事のことをね、説明したのよ。そうしたらさ、普段野外でしているのをよく見るから知っているって言うのよ。それどころか、どうしてこんな家の中で夜中にするのか? って、聞かれてさ。動物じゃあるまいしねえ。どこの国の人か知らないけど、世間にゃおおらかな所があるんだねえ。いや、勉強になったよ」
「はあ、そうですか」
女将さんの背後で、ベイオウルフが笑いをこらえている。
きっと、デューネが知っているのは湖の周辺に住む野生動物の交尾だろう。人間も動物も大差はないと思っているのかもしれないな。




